神戸・北野 香りの家オランダ館
~10話~

【==== オランダ館屋内 ====】

上手く女の子らしくできないことを打ち明けてしまった私は、薫さんがどう反応するのかと、恐る恐る顔を上げる。

……すると彼は、きょとんと不思議そうに目を瞬かせていた。

……椿さん、そんなふうに悩んでいたんですね。

だけど、確かによく言う『女性らしさ』とは違うかもしれませんけど……

でも僕は、椿さんには女の人らしい素敵な部分がたくさんあるって思いますよ。

椿さんの声、とても明るくて綺麗で、聞いていて気持ちがいいです。

それに、椿さんは仕草や動きもしなやかで素敵ですよ。

大地を連れてきてくれた時はあんまり考えてる余裕もありませんでしたけど、今思い出すと、伸びやかですごく綺麗な走り方だったなって思います。

健康的な女性ってとてもいいものですし、ああやって大地を一生懸命探してくれた椿さんが、みっともないなんてあるわけない。

容姿のことは……あまり人を見た目でどうこう言うのは苦手なんですけど、お友達のアドバイスで着ていた服も華やかな色合いで、似合っていましたし……

顔立ちも、十分可愛らしくて魅力的な女性だと思いますよ。

椿

…………。

椿

うそ……。だって、私……。

ついしどろもどろになってしまうと、くすっと薫さんが吹き出した。

そんなに赤くならなくても。嘘じゃないです、本当ですよ。

椿

……あ、ありがとうございます、薫さん……。

…………。

ふと、薫さんが微笑みながらも真面目な顔つきになった。

何だろうと思っていると、彼は立ち上がって、部屋にある棚……

彼が集めた香水瓶が飾ってある棚へと近寄る。

そこからいくつかの瓶を選び出すと、薫さんはこちらへ戻り、私に香水瓶を見せてくれた。

椿

わあ……! どの瓶も、すごく個性的で綺麗ですね……。

椿

中身が入ってますけど、これも薫さんが?

ええ。
何かの節目に作ったものや、ふっとひらめいて試したくなったもの、何か素敵なものに出会った時、その感動を自分なりに形にしたもの……。

どれも、思い入れのある香水なんです。

色も形も様々な香水瓶を部屋の灯りにかざしながら、彼は懐かしそうに瞳を細める。

目が悪いのは生まれつきで……そのせいもあるのかな。

僕、小さい頃から嗅覚が鋭くて、いい香りのものが好きだったんですよ。

花とかお菓子とか果物とか……それにほら、女の子向けの文房具って、香り付きのものがあるでしょう?

椿

あ……ありますよね。イチゴの香りとか、バニラの香りとか……。

そうそう。そういうのを姉や友達から貰ったりして、使ってたんです。

でも男の子のクラスメイトからすると、「男のくせに変な奴」って思われてたみたいで、結構からかわれたり、意地悪で隠されたりもしたんですよね。

だから僕も、その頃は男らしくない自分が悪いのかな、おかしいのかなって悩んだこともあったんです。

椿

……薫さんも……。

ええ、僕も椿さんと同じです。

でもある時それを姉に相談したら、いい匂いのものが好きで何がおかしいんだって言い切ってくれて。

男の子が可愛い文房具を使ってたって、いい香りのするものを持ってたって、別に誰にも迷惑かけてないんだから、男の子らしいとか気にしなくていいんだ……と励ましてくれたんですよ。

同じ小学校だったので、休み時間にはたまに僕がからかわれてないか見に来てくれたりして……。

それに僕も「これでいいんだ」って自信が持てるようになってからは、からかわれても自分で対処できるようになっていったんです。

それで……3年生くらいだったかな。
夏休みの自由研究で、ポプリを作ることにしたんです。

何の香りにしようかって考えた時に、元気づけてくれた姉の好きな匂いを作ろうと思って。

それで完成したものを渡したら、僕が思っていた以上に喜んでもらえて……。

椿

……それが、調香師を目指すきっかけに……?

ふふ、そうですね。
その頃からぼんやりと、香りを作る仕事に就きたいなと考え始めました。

僕自身も、クラスメイトにからかわれた時に好きな香りをかぐと気持ちが落ち着きましたし、姉だけでなく他の家族や友達も、ポプリを作ってほしいと言ってくれたんです。

僕の作った香りで周りの人達が笑顔になってくれるのはとても嬉しかったし……

今もお客さんの笑顔を見ると、あの頃から変わらない気持ちで「本当に良かった」って思います。

やっぱり、いい香りを好きなことは恥ずかしくも何ともなかったんだって。

たくさんの人をちょっと幸せにできる、素晴らしいことなんだって……

自分の好きなものや自分のやってきたことに、誇りが持てるような気がするんです。

そう言う薫さんは、どこか少年のように無邪気で……

とても格好いいなと思った。

椿

(……よく考えれば、確かに薫さんも一般的な『男らしい男の人』じゃないよね)

椿

(だけど私……そんなこと、全然気にしてなかった)

薫さんはいつだって自然体で、自分にできることもできないことも誤魔化さずにいた。

ただ……逆に、女らしいのがダメとか、男らしいのがダメとか、そういうことでもないと思うんですよね。

椿さんも本当にお洒落が好きになったのなら、したって全然構わないと思いますし。

『そうしなきゃいけない』って型にはまると楽しくないんじゃないかって、それだけなんです。

見栄を張らず、でも卑屈になるんでもなくて……

自分のことも、人のことも、優しく温かく見守っている。

そんな彼に、私は男らしいとかそうじゃないとか考えず、単純に惹かれていったんだ。

椿

(……私は自分に自信が持てなくて、空回っちゃってたけど)

椿

(私らしさを自分で認めてあげれば、薫さんみたいに胸を張って生きていけるようになるのかな……?)

椿

……あの、お話聞かせてくださって、本当にありがとうございます。

椿

私も、もうちょっと自分を好きになってあげてもいいのかなって……そう思えました。

それは何よりです。
自分のいいところって、1人じゃなかなか気付けないことですから。

もしまた不安になったら、何度でも言いますよ。
椿さんは素敵な女性ですよって。

椿

あ、ありがとうございます……。

さらりと告げられる言葉に肌を熱くしながらも、私はこんなにドキドキしているけど、薫さんはどういう気持ちで言ってくれてるんだろう……と意識してしまう。

だけどそれを直接聞く勇気はまだ出せなくて、私は視線を彼の持つ香水瓶へと逃がした。

そしてふとあることが気になり……本当に聞きたいことの代わりに尋ねてみる。

椿

そういえば……薫さんが一番好きな香りって、何ですか?

一番好きな香り……ですか?

それなら、これです。香ってみます?

薫さんの『一番』は、彼がさっき持ってきた中にあったらしい。

蓋を取ってどこに吹きかけようかと迷う薫さんに、私はハンカチを差し出した。

シュッと小さな音がして、ハンカチに淡く、馴染みのある香りが染み込んでいく。

椿

あ……

椿

(そっか。やっぱり、いつもつけてるこれが……)

椿

これ、銀木犀の香りですか?

……! よくわかりましたね。
金木犀と似ているので、そっちと思う方も多いんですが……。

椿

学校に植わってるんです、銀木犀の木。

椿

金木犀より弱くて、繊細な香りがするんですよね。

椿

(甘すぎなくて、優しい香り……。何だか、落ち着くな)

…………椿さん。

今日のお礼にもなりませんけど……良かったらこの香水、貰っていただけませんか?

椿

え……、……えっ!?

椿

そんな、薫さんが一番好きな香りをなんて……それに容れ物も高級そうな感じですし……!

香水の中身はまたいつでも作れますから。

それにこう言うのも何ですが、その香水瓶自体も高いものではありませんし、そういった遠慮はしなくて大丈夫ですよ。

椿

でも、一番好きな香りを入れるくらいですから、気に入ってる瓶じゃないんですか?

確かに……それはそうですね。

でも、だからこそあなたに貰ってもらえたら嬉しいなと思ったんです。

椿

…………。

やっぱり、『どういう意味ですか』って、まだ聞けなかった。

心音を高鳴らせながら、頷くので精一杯だ。

椿

そ……そういうことでしたら、ありがたく頂きます。
大事にしますね……!

香水瓶を受け取ると、薫さんはほっとしたように笑ってくれる。

椿

(銀木犀の香り……。すっと不安が消えて、胸が穏やかになっていく感じだな)

椿

(……陸上の練習の時や、大会の前にかいだら、集中できそうかも)

無理して外見を飾り立てなくても、『女性らしさ』の枠の中に入らなくてもいい。

そう言ってくれた薫さんに、何だかすごく気が楽になっていた。

少なくとも今は、一般的な『女性らしさ』を追いかけずに、今しかできない、今やりたいことを、自分らしく頑張るのが一番かも……と思う。

さっきも言いましたけど、それだけで今日のお礼を終わらせるつもりはないんです。

姉達も、改めてお礼をしたいと言っていましたし……

ご迷惑でなければ、また今度、食事にでも誘わせてください。

椿

……! はい、ありがとうございます。
でも……

椿

じ、実は私、もうすぐ陸上部の秋季記録会があるんです。

記録会? ……えっと、大会みたいなものですか?

私がはい、と頷くと、薫さんは途端に慌てた表情を浮かべる。

す、すみません! そんな大事な時期だったとは知らずに、ここ最近も今日も、時間を使わせてしまって……!

椿

いえっ、それは私が悪いんです。
薫さん達と一緒にいるのが、楽しかったから……

椿

陸上の練習に打ち込んで会う頻度が減ったら、そのまま疎遠になっちゃうんじゃないかって、怖かったんです。

…………椿さん。

椿

また、薫さん達とお会いしたいです。

椿

今回のことを恩に着せたいとかじゃ全然なくて、ただ、薫さん達といる時間が好きだから……。

椿

だから、お誘いはすごく嬉しいんですけど……記録会に向けた練習でしばらく忙しくなると思うので、その後でも、いいでしょうか……?

意を決して告げた私に、薫さんはちょっと驚いたようにしていたけど、すぐに明るいいつもの笑顔を広げてくれた。

もちろん……! 頑張ってください。
それで是非、結果を聞かせてほしいな。

椿

……っ、はい……!!

住宅街

その後……もう暗いこともあって、薫さんと彼のお母さんが、私を車で家まで送ってくれた。

薫さん達はうちの両親が「娘をこんな時間まで連れ回して!」と怒るんじゃないかと心配していたけど、会ってみればお互い恐縮して頭を下げあいっぱなしで、険悪な雰囲気になることは全然なかった。

私が倒れてしまったことを聞いてお父さんお母さんには叱られてしまったけれど、大地くんのために走り回ったことは、よくやったねと褒めてもらえて……。

私はその日、心地いい疲れの中でゆっくりと眠り……

すっきりとした気持ちで翌日の朝を迎える。

――それからしばらく、私は薫さんと出会う以前のように陸上の練習に励んだ。

屋外グランド

椿

おはよう、樋口さん!

朝子

……。……おはよう。

椿

あ、あすか先輩もおはようございます!

あすか

おはよ。湊川くんは今日も元気で気持ちがいいね。
それに最近はまた好調みたいだし。

瑞希

私も見習いたいです……!

佐久間先生

ま~、朝から賑やかで大変よろしい。

佐久間先生

樋口もやっぱり、『ああ』の方が張り合いがあるでしょ?

朝子

……ええ、そうですね。

高校教室

小春

へえ~。
それでまた最近は、真面目に部活に打ち込んでるんだね。

椿

うん、ごめんね、皆には色々教えてもらったのに……!

瞳子

いいんじゃね、別にそう気にしなくても。

瞳子

社会人になったら多少は化粧しなきゃいけない時は来るし、無駄にはならないっしょ。

椿

そっか、その時のための勉強にもなったはずだよね!

千尋

…………。

有原、もじもじしてんの横で見てるとアレだから。うざいから。

千尋

……!? い、いや、もじもじとかしてねーし!

千尋

その……お洒落すんのがダメだとかは思わないけど、オレは今の椿は、そのまんまでいいと思うぜ。

椿

ありがとう、千尋。
千尋がああ言ってくれたおかげでもあるから……本当に感謝してるよ。

見守ってくれた皆も私の様子に安心したみたいで、記録会のことも応援してもらえた。

――そしてやってきた、記録会当日。

屋外グランド

椿

(……ふう……)

ぴりっとした緊張感の中、私はバッグに入れていたハンカチを取り出して鼻に近づける。

家を出る前に吹きかけてきた銀木犀の香りは、淡いけれど確かにそこにあって、私の気持ちをゆっくりと落ち着かせてくれる。

椿

(……大丈夫。きっと、ベストが尽くせる!)

佐久間先生

湊川、そろそろ準備しておいてね。
いつも通りに頑張りな。

椿

はいっ、頑張ります……!

北野坂

あ……銀木犀の香りだ。

大地

ギンモクセイって、薫くんがつけてる香水の匂いの?

うん。でも僕から香ってるんじゃなくて……

椿さんの学校からじゃないかな。
多分、もうすぐだから。

10月の中旬頃――僕達は澄んだ秋空の下を歩いていた。

身に馴染んだ香りを辿るように道を進むと……

高校校門

フェンスの向こうで白い花を咲かせる銀木犀と、生徒さん達が和気あいあいと練習をする、高校のグラウンドが見える。

大地

本当だ! 花も咲いてるし……ここが椿ちゃんの学校?

そうだよ。
お兄さんお姉さん達が通う、高校ってところ。

今日は、彼女と約束していた食事の日だった。

椿さんが言っていた『記録会』は無事に終わったらしく、都合がいい日時の連絡を受けた後……

雑談の中で、その日は午前中まで陸上部の練習をしていると教えてもらい、それを聞いた大地が「見にいってみたい」と言い出したのだ。

改めて椿さんに連絡して聞いてみると、彼女は照れながらも許可してくれた。

それで少し見学させてもらおうと、約束の時間よりこうして早めに出てきている。

大地

椿ちゃん、どこかなぁ……。

フェンスにくっついてきょろきょろと彼女を捜す大地につられていると、校庭の奥の方に、テレビなんかで見覚えのある形のユニフォームが見えた。

あれじゃないかな? 陸上部の人達。

大地

あっ、ほんとだ。見える? 薫くん。
今走ろうとしてるのが椿ちゃんだよ!

そうなんだ?

距離が遠いので彼女の姿はぼやけていたけど、スタートの合図で駆け出す姿はしなやかで、ああ、椿さんだなと思った。

大地

速くてかっこいいね、椿ちゃん。

うん、それに――……

屋外グランド

千尋

よ、椿。頑張ってんなー。

お昼前。
練習を終えて片付けをしていると、ひょいと千尋が顔を覗かせた。

椿

千尋! 私達はもうそろそろ帰るとこだけど、軽音部も練習終わり?

千尋

いや、盛大に寝坊して今から行くトコ。
瞳子がまだ残ってたら、絶対蹴り入れられるわ……。

椿

あははっ、ホント仲良いね、2人は。

千尋

仲良いって言うんかな、アレ……。
……って、ん?

千尋

あそこ、何か男の人いんな。
ちっちゃい子連れてるし、変な人じゃねーだろうけど。

椿

……!!

椿

お、教えてくれてありがと、千尋!

椿

私、もう上がるから。
また来週学校でね、じゃっ……!!

千尋

…………。

瞳子

おい。

千尋

痛っ……!? うわっ、出た!

瞳子

出たじゃねーよ、重役出勤ご苦労様だな! もう皆は定時退社してんだけど?

千尋

う……。悪い悪い、ひとりででも練習すっから。

瞳子

…………あ。今椿が向かってったのが、例の泥棒猫か。

千尋

いや、泥棒猫って……。

瞳子

小学校からの初恋が破れたふられ虫は情けねーな。

瞳子

なりふり構わず、『カブトムシ取り返してもらった時からずっと好きです!』って言や良かったのに。

千尋

それこそ情けないだろ……。
椿覚えてないし、自分から言うのも男のプライドっていうかさぁ……。

瞳子

椿には無理に女らしくせんでもって言っときながら、自分は男のプライドって……だから振られんだよ。

千尋

……お前、もうちょっと手心加えてくれよ。

瞳子

嫌だね。
ほら行くよ、仕方ないし練習付き合ったげる。

瞳子

ま、いつかあんたにもいいことあるって。

千尋

そうかなぁ~……。

高校校門

椿

きょ、今日はよろしくお願いします!

シャワーを浴びて制服に着替えた私は、薫さん達と久しぶりに会えてついはしゃぎそうになってしまうのを何とかこらえてお辞儀をした。

大地

椿ちゃん、走ってるのかっこよかったです!

椿

ふふっ、ありがと! ……あれ、芳乃さんと、お母様は……

あまり大勢で高校に来るのもと思ったので、2人はまだ家にいますよ。

食事の時間より少し前辺りに、ランチするお店の近くで合流する予定です。

椿

そうなんですね。じゃあ、今日はその前に……。

ええ、あのお店に行ってみましょう。

【==== 洋館長屋店内 ====】

時計店の店主

いらっしゃいませ。……あれっ、あなたは……

椿

もしかして覚えてらっしゃいます?

時計店の店主

もちろん。
以前フリマで香水瓶をお買上げいただいた方と、ショップカードを差し上げた方ですよね?

時計店の店主

わざわざお越しいただけるなんて、本当に光栄です。
今コーヒーをお淹れしますね。

時計店の店員

あ、こちらの小さなお客さまには別のものがいいかしら? オレンジジュースではいかが?

大地

はいっ、おねがいします。

時計店の店員

かしこまりました。少々お待ちくださいね。

椿

(わ~……)

かっこいい店主さんも、店員の綺麗なお姉さんもにこやかで、美しい時計が飾られたお店の内装もすごく洗練された雰囲気で……

大人な空気に感動しながらも、微妙に気圧されてしまうのを感じる。

……確かガレって、日本美術の影響を受けた部分も大きいんですよね?

時計店の店主

そうなんです。
うちの母もガラス工芸家でガレが好きなんですが、ガレの作品のルーツを知ってから日本に興味を持ったみたいで……

運ばれた飲み物を頂いていると店主さんと薫さんとでアンティーク談義も始まり、専門的な内容に私と大地くんは「へえ~」と聞いているしかない。

2人は私達をおいてけぼりにすることはなくて、店内にある実物を示して説明も入れてくれたので、楽しい時間ではあったのだけど……

ちょっぴり、自分の未熟さや子供っぽさを改めて自覚してしまう。

椿

(……でも、今はそれでいいんだよね)

椿

(今すぐ背伸びをするんじゃなくて、少しずつ成長していけばいい)

椿

(それで、いつかこのお店にも似合うような……)

椿

(薫さんに似合うような女の人になれたらいいな……)

北野坂

じゃあそろそろ、ランチのお店に行きましょうか。

椿

はい! 記録会のことも、そこでお伝えしますね。

ええ……。
でも今の椿さんを見ると、きっといい結果だったんだろうって、わかりますけど。

椿

そ、そうですか? 私ってやっぱりわかりやすいかなぁ。
大地くん、私ニコニコとかしてた?

大地

うん。練習してる時もね、すごく楽しそうだったですよ。

大地

それで薫くんが、「楽しそうに走ってる椿さんは綺麗だね~」って。

椿

(…………)

道のちょっとした段差につまづきそうになった。

椿

そ……そ……

かあっと顔を赤くしてしまいながら、嬉しい気持ちをどう誤魔化そうかとしていると……

……もう、大地。内緒にしておいてよ。

ちょっと薫さんが照れくさそうにしているのを見て、心臓が止まりそうになる。

綺麗なんて褒められたら私は喜んじゃうけど、薫さんにとっては軽い気持ちで言ったことなんだろうなって思っていたのに。

椿

(ちょ、ちょっとくらいは……妹みたいな感じじゃなくて、女の子としても見てもらえてるって……思っていいのかな?)

大地

あ、またギンモクセイのお花だ。

私達の動揺を知ってか知らずか、大地くんは愛らしい笑顔で道の先を指差す。

ほ、本当だね。

椿

……こうして見ると、銀木犀って薫さんに似合う花ですね。

椿

大きいんだけど、でも威圧感とかはなくて、優しくて安心できる感じで……

大地

僕もそう思います!

そう……かな? そう言われると嬉しいよ。

…………。

――銀木犀は僕が好きな花で、好きな香りだけど。

椿さんに一番似合う香りはどんなものだろう。

椿の花をイメージした香りを作ったら、気に入ってくれるだろうか……。

その時の私は、薫さんがそんなことを考えていてくれたのをまだ知る由もなく……

そよ風に吹かれて飛んできた銀木犀の白い花びらに手を伸ばしながら、北野の路地を、3人並んでのんびりと歩いていったのだった。