神戸・北野 香りの家オランダ館
~5話~

高校廊下

千尋

なー、これからみんなで凛子さんトコに行かね?

千尋

今日は椿も部活休みだろ。
軽音も練習はねーし、何人かでさー。

小春

…………。

瞳子

……はあ……。

千尋

あ、あれ? どした??

小春

……誘ってくれたのはすごく嬉しいんだけどね、ちーちゃん。

瞳子

マジでウチらでいーの?

千尋

は……?

瞳子

アンタの狙いはアッチ。

千尋

あっちって、窓の外に何が……。

千尋

あっ!!

小春

チャイムと同時に飛び出してちゃったもんねえ。

瞳子

とっくに校舎なんて出てるっつーの。

千尋

バッ、はえーよ! アイツ!! なんでもう学校の外にいんだよ!

千尋

バカ、椿!!!

高校校門

椿

ん……?

椿

あれ、おかしいな。
なんだか千尋の声が聞こえた気がしたんだけど……?

きょろきょろと周りを見回して見たけど、千尋の姿はない。

それもそうだ。
私が教室を出る時には、まだ中で友達と話してたのだから。

椿

(あはは、もしここにいるくらい千尋が俊足だったら、陸上部に誘うんだけどな)

椿

(……って、私ってば。別に走って飛び出さなくても良かったのに……)

椿

(ハッ! そうだ……!)

慌てて鏡を取り出して、自分の髪型を確かめる。

椿

(よかった、今回は崩れてないや。せっかくトーコが昼休みにかわいくしてくれたんだから)

椿

(買い物に行くならお洒落していきなって、やってくれたんだよね)

今日の目的は買い物……というか、ウインドウショッピング。

近頃は日課になっている流行の勉強をすべく、色んなお店を見て回ろうと思っているのだ。

北野坂

早速トーコが教えてくれたお店から回ってみると、中はファーやニットなど、晩秋から冬の装いで彩っていた。

内装もお洒落で、綺麗な店員さんや女性客の姿にドキドキしてしまう。

椿

(わあ、素敵なお店だなあ……!)

椿

(……それに、お洒落なお店って、季節をすごく先取りしてるんだ)

椿

(まだ9月で暑いのに、夏の商品なんて置いてないし)

制服だけど夏っぽい格好の自分に、ちょっぴり気後れしてしまう。

椿

(ちょ、ちょっと、外から眺めて落ち着こうかな……)

こうして通りを歩いて、ガラス越しに服を眺めるくらいが、今の私にはちょうどいいのかもしれない。

椿

(あ……! あれ、大人っぽい形のスカートでいいな)

椿

(……でも、タイトだからちょっと動きにくそうだよね)

椿

(隣のワンピースは逆にひらひらしてるから、足にまとわりつきそうな気がするし……)

椿

(…………)

椿

(……いやいや、別に走るための服を探してるんじゃないから!)

椿

(はあ……これじゃあ、薫さんに似合う女の子になるなんて、夢の夢だよ)

そんな私をどこからか薫る、甘い秋の香が元気付けた。

椿

(あ……金木犀)

椿

(いい匂い。近くで咲いてるんだ。癒される香りだよねえ……)

ふと、これに似た香りを最近かいだ気がする。

椿

(どこでだっけ……すごく記憶にあるんだけど……)

椿

(とても惹きつけられて……)

???

……湊川さん?

かけられた声に、心臓が大きく跳ねた。

ふわりと風が吹いて、金木犀とよく似た……だけど、それより控えめで繊細な香りが私に届く。

振り返ると、そこには想像通りの人物が立っていた。

やっぱり。湊川さんだ。またお会いできましたね。

椿

薫さん! それに、大地くんも……!

大地

お姉さん、こんにちは。

椿

こ、こんにちは。偶然ですね!

こんなにすぐ会えるなんて、ご縁があるのかもしれませんね。

椿

え、縁ですか? あったら嬉しいですけど……!

椿

(でも本当に、こんなふうにすぐ会えるなんて……)

今日は、お買い物ですか? 服を見に?

この辺りは女性向けのお店が多いですもんね。

椿

は、はい。まあ……。

椿

(買い物っていうより本当に見てただけなんだけど、でも、こういう素敵なお店に来るんだって見てほしい、女心があったり……)

見栄を張って恥ずかしいとは思うけど、恋をすると自分でも知らない部分が顔を出すんだなって、妙な感心もした。

大地

お姉さん、学校の帰り? セーラー服だね!

椿

うん、さっき終わってね。
大地くんは? 今日は学校は早かったの?

大地

そうりつ記念日なの。
だから、薫くんが映画を観に連れていってくれたんだ。

椿

へえ、よかったねえ! どんな映画だった?

大地

えっとね、妖精さんが色んな国を冒険する話だったんです。

大地

お菓子の国もあって、すごく美味しそうで……

大地

それで今から公園に行って、僕も甘いのを食べるんですよ!

ケーキでも買って帰ろうかって言ったら、コンビニでお菓子買って公園で食べるって、大地が。

椿

ああ、外でちょっとしたものを食べるのって楽しいですよね。
良かったね、大地くん。

大地

はい!

大地

……あっ。

椿

ん?

大地くんは少し躊躇うように私と薫さんを見比べてから、何か意を決したようにこちらへ向き直った。

大地

よかったら、お姉さんも一緒に公園に来ないですか?

椿

……えっ。

大地……?

大地

あの、迷惑じゃなかったらなんだけど……。

椿

(えっと……)

私は嬉しいけど、こちらこそ迷惑になってしまわないかな……と薫さんを見ると、彼はどうしてか、私より驚いた顔をしていて……

でもすぐに、何だか嬉しげな面持ちで頬を緩ませる。

そっか、大地は湊川さんと友達になりたいんだね。

湊川さん、この後予定とかは……?

椿

あっ……わ、私は大丈夫です! 買い物も、ちょっと下見程度に寄っただけなので……

椿

私でよければ、ぜひご一緒させてください!

公園

その後私達はコンビニに寄って手早く買い物を済ませ、広めの公園にやってきていた。

奢ってもらったコーヒーを飲みながら、シュークリームを食べる大地くんとペットボトルの紅茶を飲んでいる薫さんを、微笑ましく眺める。

この前のように他愛ない話をしながら大地くんが食べ終わるのを待っていると……

色白の男の子

あ、大地と薫にーちゃんじゃん!

二つ結びの女の子

こんにちは~。

男の子が3人と女の子が2人公園へやってきて、こちらへ近寄ってきた。

椿

こんにちは。……大地くんのお友達ですか?

うん、同じ小学校の子達なんだ。学年はバラバラだけど。

小柄な女の子

お姉さんは、大地くんのお姉さん?

背の高い男の子

違うんじゃね? 大地、きょうだいいないって言ってたし。

眼鏡の男の子

あれじゃない、薫さんのカノジョ。

椿

――えっ!?

あはは、そうだったら光栄だけど、違うよ。

椿

(…………。…………!?)

湊川さんは、僕と大地のお友達なんだ。

色白の男の子

へ~。

椿

(……今、彼女だったら光栄だ、って……)

椿

(いや、軽い冗談だとはわかってるけど……!!)

大地

みんなは公園に遊びに来たの?

眼鏡の男の子

うん。大地も一緒に遊ばない?

背の高い男の子

大縄やろうと思って、縄跳び持ってきたんだ。

大地

やる!

私が内心で動揺している間に、子供達はさっさと遊びの準備を始めたようだ。

そうだ、湊川さん。
良かったら縄跳びを回すの手伝ってくれる?

椿

あ……はい、もちろんです!

椿

(スカートで子供達と一緒に遊びまわるのもはしたないだろうし、だからといって見てるだけっていうのも物足りないし……ちょうどいいよね)

二つ結びの女の子

お姉さん達が縄跳び回してくれるの?

椿

うん! これ使っていいのかな?

眼鏡の男の子

はい。ありがとーございます。おねがいします。

椿

(……か、かわいい)

ぺこりと頭を下げる子供達に、ついだらしない顔を見せてしまいそうになる。

しかも……

湊川さん、準備はいいかな?

椿

……! はい……!!

薫さんと向かい合い、協力して縄を回すというのも、何だか妙に照れくさいような嬉しいような気分だった。

じゃあ、行くよ。せーの……

大きく腕を振って縄を回すと、並んだ子供達の先頭から、大地くんが駆けてくる。

大地

せーの……っ!

椿

あ、うまいうまい!

背の高い男の子

よーし、オレも……!

皆次々に縄が回る中へ入っていき、跳んだ回数は順調に増えていく。

だけど最後の男の子が入ろうとした時……

色白の男の子

いたっ!

ぺちっと彼の足に縄が当たり、回転が止まった。

色白の男の子

う……。もういっかい入るとこやる!

じゃあ、皆は大縄の中に入ったままで始めようか。

椿

再開ですね。いくよ、せーの……

……そうして何度かやり直したり、回し方や速度を変えたりもしてみたのだけど、彼はなかなか上手くいかないようだった。

色白の男の子

うぅ~……

大地

ユウくん、こないだはできてたよね。

色白の男の子

そうだよ、いつもはもっと上手にできるのに……。

色白の男の子

でも、今日はもういい! 僕、もう見てるだけにする……!

悔しそうな男の子は、うっすら涙ぐんでいるようにも見える。

椿

(ムラのある私としてはすごく共感しちゃうなあ……。何かアドバイスできることは……)

……湊川さん、悪いんだけど少し1人で回してもらっていいかな?

椿

えっ? あ……はいっ。

私が頷くと、薫さんは近くの木に大縄の端を結びつけ、男の子のそばにしゃがみこんだ。

ユウくん。……実はお兄さんも大縄に上手く入れないんだ。
一緒に練習していいかな?

色白の男の子

えっ?

色白の男の子

でもお兄さんは大人だし、フツウにできるんじゃ……。

そんなことはないよ。
大人だってぜーんぜん完璧じゃないんだから。

大きくなっても、失敗したり、できるようになるまで頑張ったり、そういうのが毎日だよ。

大縄跳びだって、上手くできないままここまで来ちゃったんだ。
だから今、できるようになるのを手伝ってくれる?

色白の男の子

……う、うん。僕も頑張る!

ありがとう! 湊川さん、いいですか?

椿

は……はい。回しますね!

……よーし、せーの……!

薫さんは率先して縄に入ってみせようとするものの、何度か失敗してしまう。

でも男の子はそんな薫さんを客観的に見ることで、少しタイミングなどを掴めたようだ。

色白の男の子

縄が地面につく音がしたら、今よりもっと早く入りにいった方がいいかも……。

もっと早くだね? よしっ――…

小柄な女の子

おにーさん頑張れ!

眼鏡の男の子

縄を見るより、音とか、回してるお姉さんの腕を目安にした方がわかりやすいですよ。

背の高い男の子

次こそ成功だー! 行けー!

……せーのっ!

二つ結びの女の子

あ、やったやった、入れた~!

色白の男の子

……! ぼ、僕も……!

色白の男の子

……、……っ、……えいっ!

あっ……ユウくんも行けたね!

大地

僕も入る!

背の高い男の子

オレもオレも!

大地くんや他の子供達も声を挙げ、順瓶に縄の中へ入ってくる。

全員が揃うと、楽しげなカウントが始まった。

子供達

い~ち、に~、さ~ん……

椿

(う……)

椿

(うう、いいなぁ……!)

……縄を回しながら、私はすごーく羨ましくなってしまう。

きらきら輝くような子供達の笑顔。
少し少年っぽくも見える薫さんの表情。

私も皆と思いっきり遊べたら、どんなに楽しいだろう。

椿

(……縄の回し手も必要なんだし、我慢我慢……!)

椿

(…………でも、いいな……!!)

ショートカットの女の子

あ! みんな集まって何してるの?

大地

『だるまさんが転んだ』してるとこだよ。一緒にやる?

ショートカットの女の子

うん! わたしも入れて~!

大地くんの通う小学校がここから近いらしく、しばらくすると他の子供達や保護者の人達もやってきて、公園はますます賑やかになっていた。

薫さんが疲れてきたのもあって、私達は近くのベンチに腰掛けて、子供達が遊ぶのを見守っている。

ありがとうございます、湊川さん。
一緒に遊んでもらえてとても助かりました。

僕ひとりだけだと結構バテちゃって、今日ほど長く子供達の相手してあげられなかったから。

椿

いえいえ。買い物はまたいつでも行けますし。

椿

……でも薫さんって、本当に運動はあんまりお得意じゃないんですか?

椿

あれも、あの子に合わせてあげたとかではなく……?

ああ、大縄に入るのが苦手って言ったこと? 本当ですよ。

あはは、実は得意だけど、わざと嘘をついて……の方が格好良かったかな。

椿

い……いえ! むしろ、小さい子が相手でもそういう嘘はつかない方がいいと思いますし……。

椿

それに、薫さんにも苦手なものがあるんだなって、親近感が持てたっていうか。

あはは。それまでは僕、近づきにくかった?

椿

いや、そういうことではなくてですね! ただ、薫さんは優しくて余裕があって、年上の人で……

椿

憧れというか、手の届かない天上の人みたいに思っちゃってたというか……。

椿

(……って私、何言ってるんだろう! 薫さんも笑ってるし……)

そんなこと、初めて言われましたよ。
採点が甘いな、湊川さんは。

湊川さんよりちょっと年が上なだけで、ダメなところもたくさんあるのに。

くすくす息をこぼす彼に、つい見惚れそうになる。

薫さんは別に、何でもできる完璧な人ってわけじゃないんだ。

不得意なことだってあるし、運動すればバテるし、小さい子達と遊んでいるとちょっと子供っぽく見える。

……だから私はもっと、彼が言う『ダメなところ』を知りたくなっていた。

もっと、彼のことを好きになっていた。

椿

あの……薫さんは、お休みの日はよくこうして大地くんと?

そうですね。
姉の体調が良い時や、母の手が空いてる時はそっちと遊ぶので、毎回じゃないんですが。

湊川さんの方は、よく今日みたいに服を買いに出たりするんですか?

椿

……ま、まあ、そうですね!

つい見栄を張ってしまっていると、薫さんから返ってきたのは意外な言葉だった。

そっかあ……。
女性向けのお店は、アロマに気を遣ってある所が多くていいですよね。

椿

……えっ。

ほら、デパートとかショッピングモールとかでも、女性ものが多いフロアはいつもいい香りがするし。

椿

……そ、そういえばそうですよね。

確かに今日寄った所にも、ふわりといい香りの漂ってくるお店がいくつかあったような気がする。

椿

(あれってアロマだったんだ。でも、言われてみなければ、そんなに気にしなかったな)

椿

(男の人が意外だな。そういうことに詳しいなんて)

でも考えてみれば、薫さんは香水をつけてるみたいだし、フリマでも香水瓶を集めていた。

椿

アロマとか香水とか、お好きなんですか?

うん。こう見えて調香師をしてまして。

椿

……ちょうこうし?

パフューマーとも言うかな。
香りを調合する専門の職業のことなんですよ。

化粧品会社で、化粧品や香水に使う香料を扱ってるんです。

想像していたよりも専門的な理由に目を丸くする。

椿

へえ、そうだったんですか……! なんだか大人の世界って感じがしますね。

大人の世界……。

椿

えっと、香水とかって言うと、海外ブランドのものを女優さんが使ってる……みたいなイメージで。

椿

制汗スプレーとかは使うけど、まだそういうのには馴染みがなくて……よくわからなくて、すみません。

いや、あんまり聞いたことない職業ですよね。

でも、制汗スプレーとかの香り付けも調香師の仕事の一部なんですよ。

石鹸とか、洗剤とかもそう。
食品を扱う会社はお菓子とかにもフレーバーを使いますし。

椿

へええ……。

結構、馴染みがあるものを取り扱ったりしてるでしょう?

椿

確かに……。あっ、そういえば……

椿

私の好きなスポーツ選手も、アロマを使ってるってテレビで言ってた気がします。

ああ、香りは匂いを楽しむだけでなく、心や体の調子を整えてくれる効果もあるものですからね。

最近は医療の現場でも使われていたりするんですよ。

椿

へえ~! そうなんですか。

椿

(本当だ。そう思うとすごく身近な物を扱った職業かも)

そういえば、さっき金木犀の香りを嗅いだ時にちょっと元気になった気がする。

薫さんと会った時だって、心地よくて嬉しくなるような香りだなって思ったんだ。

椿

……それって、アロマテラピーっていうものでしたっけ。

椿

元気が出る香りとか、やる気が出る香りとか、そういう種類があるんですか?

基本はその時に自分が好きだなって思う香りがいいんですが……そういった効能が載ったリストもありますよ。

もし興味があったらうちのメーカーのサイトを見てみます?

もっと香りに親しんでほしいと、アロマについて色々説明しているコーナーがあるんです。

椿

わ、ありがとうございます!

薫さんが教えてくれた会社名は、私でも知っている大手化粧品メーカーだった。

椿

(……すごいんだなぁ、薫さん。さっそく帰ったら見てみよう!)

新しい世界が開いた気がしてワクワクしてしまう。

それに、彼が好きなものに触れられるのも、嬉しい。

…………。

……ねえ、椿さん。
アロマの扱いとか、そういうの、ちゃんと知ってみたいと思ったりしますか?

椿

え……。

……ふと見上げると、薫さんは真摯な眼差しで私を見つめていた。

そして次に彼が告げた台詞に、私の鼓動は大きく揺れる。

もしアロマに興味があって、今度の土曜日が空いているようでしたら……

誘いたいところがあるんです。

椿

え……えっ!?

椿

(そ、それって……)

もしかして、個人的なお誘いだったり?

椿

(そんな……まさか……!)