ラインの館
それにしても、あの“リュウジ”がホンマに花屋をやってたとはな。
ガセやとばっかり思ってたのに。
まぁそう言うたるなや。
今やすっかり更生して、真面目な社会人してるんやから、あんまり邪魔したらあかんて。
(本当に何……? もの凄く感じ悪いんだけど……。琉二さん、大丈夫かな?)
そっと彼の方を見ると、琉二さんは口元を緩ませ、薄ら笑いしていた。
……なんや、ホンマしょーもないヤツになってもうたんやな。
せやったら、頭もそんなしょーもないのせんかったらええのに。
ゆーたらなんやが、メチャダサやで。
これにはさすがにカチンときたのか、一瞬眉がぴくんと動いた。
あ、怒らせてもぉた? すまんすまん。
今はカタギでこんな花屋とかしてるんやから、ダサいついででちょうどええか。
はははは……。
このセリフには私が黙っていられなかった。
花屋はダサくなんてありません!
私が急に話し出したせいか、男性客はポカンと口を開けたまま驚いていた。
琉二さんだって立派に花屋さんやってるし、他人に笑われるようなことじゃないと思います。ましてや……。
そこまで言いかけたとき、琉二さんがぽんと私の肩に手を置き、「あとは自分が」と言わんばかりに一歩前に出た。
うちのお店に何か御用ですか
見たところ、花には興味がなさそうですが?
こんなとこに用なんかあるわけないやろ!
腑抜けになった“リュウジ”さんの噂を確かめに来ただけや。
では、用がないならさっさとお引取りください。
店の前で営業を邪魔すると言うのなら、『威力業務妨害』で警察を呼ぶことになりますので。
証人は彼女とあそこのビデオです。
琉二さんはお店の天井に付いていた防犯用のビデオカメラを指差しながら言った。
んだとっ!?
威力業務妨害罪は、3年以下の懲役、または50万円以下の罰金刑です。
その前に取調べやら面倒なことばかりですが。
見たところ“今は”普通の社会人のようですし、つまらないことで会社に迷惑をかけたくもないでしょう?
……っく!! ちっ、行くぞ!
ガラの悪そうな人たちは、歯軋りが聞こえてきそうなくらい悔しい顔をしてその場を去っていった。
(琉二さん、あの二人を言葉だけで撃退しちゃった。
法律にも詳しそうだったし。なんかすごい……)
私は緊張の糸が切れたのか、今にもへたりこみそうな体をぐっとこらえて琉二さんにお礼を言った。
あ、ありがとうございます。
私なんだか余計な事言ってしまったみたいで……。
な~に言ってんだか。
こっちこそ、庇ってくれてありがとね、楓ちゃん。
嬉しかったよ。
琉二さんは私の頭の上にその大きな手をふわっと乗せてそう言った。
手から伝わる温もりや安心感が、私を落ち着かせてくれる。
(……琉二さん、こんな一面もあるんだなぁ。なんだか、また見直しちゃった)
(見直したというよりも……やっぱり私は琉二さんのことが好きなんだなぁ…………)
そう思うと同時に凜子さんのことが頭に浮かんだ。
今日いた男性のことも。
(……そういえば、最近変な人たちが多いような気がするけど、これって偶然なのかな?)
(どっちも、凜子さんや琉二さんの事を捜していたような気がする……。
もし、何か関係があるなら……)
……あの、琉二さん。
私は凜子さんとスーツの男の人の事を話そうと決意した。
琉二さんには言わないと約束した凜子さんには申し訳ないけれど、なんだかとても嫌な予感がしたからだ。
琉二さん。
少しお話したいことがあるんですが、時間いいですか?
真剣な顔をして話したのが気になったのか、琉二さんは真面目に答えてくれた。
……ああ、大丈夫。
さっきの連中のこと?
……はい。
直接関係あるかどうかはわからないのですが、一応琉二さんにも話しておこうかと。
凜子さんには口止めされているのですが……。
……楓ちゃんが凜姉との約束を破ってまで話したいってことは、相当重要な話だってことね?
はい……。
できれば話さずに済ませたかったのですが、なんだかとても嫌な予感がして……。
……わかった。
じゃ、少し場所を変えようか。
琉二さんはお店のスタッフに事情を話しに行った。
それからしばらくして、私たちはラインの館を後にした。
公園
あまり人がいないほうがいいだろうと、喫茶店などのお店は避け、私と琉二さんは近くの公園に来ていた。
ここでいい?
はい。突然すみません。
いや、それはいいけど。
で、話って?
私は、凜子さんのお店に数日前にやってきた、スーツの男の人の話をした。
見た目の詳細やその時に言ったセリフをできるだけ正確に伝えた。
あと、その日琉二さんがたまたまトイレに立っていなかったこと、そのことを凜子さんが私に口止めした事も話した。
それと今日、その男の人がお店に来て、店の外で凜子さんと言い争いのような話をしていたこと、その会話の中に琉二さんの名前が出てきたこと……などをすべて話した。
すると、話を聞いた琉二さんは小さく息を吐くと、落ち着いた素振りで――
……それ、たぶん凜姉の元彼だな。
……凜子さんの元彼。
そっか……って、えっ! ……ええっ!!?
自分でも驚くほどのけぞった。
場所が公園でよかったと思った。
ん~、あんまり楓ちゃんには話したくないというか、変に巻き込みたくないと俺は思ってるんだけど、蚊帳の外で訳もわからず巻き込まれて悩むくらいなら、ちゃんと事情を知った上で、楓ちゃん自身がどうしたいのか、自分で判断した方がいいと俺は思ってる。
……は、はい。
そういうことなんだけど、楓ちゃんは俺たちの昔話聞くかい?
私を巻き込まないために凜子さんが遠ざけようとしてくれていたことは何となくわかった。
だけど、それでも私の意思は変わらない。
琉二さん、よければ教えてください。
凜子さんや琉二さんの昔のことを。
なんだか面白そうとか、そういった単なる興味本位で聞いたのではない。
私が知らない“二人のこと”が知りたかったのだ。
・
・
・
『そんなに構えて聞くほど大げさな話でもないんだけど』と琉二さんは前置きをしてから話し出した。
そのスーツの男っていうのは、凜姉の元彼で当時この辺にいた族『ヘブンズ・ウイドウ』の元ヘッドだ。
今じゃ立派に更生して、小さな会社の社長か何かやってるはずだ。
……“族”!? “元ヘッド”……!? それって、昔いた“暴走族”ってやつですか?
そう。今でも田舎に行けば結構いるけどな。
琉二さんは自嘲するように笑った。
俺と凜姉は昔、そこでよく一緒にバカやってたんだわ。
若気の至りだね。
……凜子さんが昔暴走族だったなんて、信じられない……。
琉二さんだって。
まぁ、ずいぶん昔の話だからな。信じられなくて当然だ。
特に凜姉は変わったからな、あの日以来……。
琉二さんは遠くを見つめるように目を細くした。
凜姉から弟の『卓海』の話は聞いてたんだっけ?
凜姉の弟で俺の親友だったやつの話。
はい。詳しくは聞いてませんが、琉二さんの親友で、交通事故で亡くなった弟さんがいるって話は……。
……はっ、まさか!?
私は嫌な想像をしてしまった。
元暴走族と交通事故というキーワードだけで、その想像は誰にでもできてしまう。
ま、その想像、大体当たってると思う。
……そんなぁ。
厨坊でイキがってた俺と卓海は、当時この辺りをシメてた凜姉たちのグループ『ヘブンズ・ウイドウ』に憧れててさ。
卓海は本当は優しい気のいいやつで、俺が無理やり誘ったんだが、凜姉の本音は入れたくなかったんだと思う。
まあ、自分のことは棚に上げてそうも言えず、結局俺たちはメンバーとしてその族に入れてもらったのさ。
…………。
この髪型もその頃からで、卓海が随分と褒めてくれてさ。
自分はしなかったくせに。
(卓海さんは正解だったと思う……)
族とはいっても『ヘブンズ・ウイドウ』は本物の走り屋か硬派なやつがほとんどだったから、バイクとケンカ以外は悪事には手を出さない結構“真面目な暴走族”だったんだけどな。
そ、そうなんですか……。
自分で言うのもなんだが、弱い者いじめや納得かない理不尽な事には、族だろうと警察だろうと引かなかったからな。
そんなこともあって、当時は“敵”が結構多かったような気がする。
(琉二さんらしいなぁ……)
それで、青春時代をヤンチャして過ごすようになってから2年ほどが過ぎた高1の時だった。
これでもかなり地元では有名な族のメンバーとして名前が知れ渡ってて、いい気になってた時期だ。
敵対する族に煽られてた車を助けたせいで、族同士の抗争に発展しちまってさ。
ああ見えても穏健派だった当事の総長、凜姉の元彼だった人の性格も災いして、俺と卓海が話をつける事になったんだ。
話をつけるって……。
まあ、よくあるチキンレースみたいな勝負なんだが、奴ら俺のバイクに仕掛けしやがってさ。
ええっ……!?
暴走した俺のバイクを止めるために、卓海が……卓海が犠牲になっちまったんだ……。
琉二さんの目は凍るように冷たかった。
悲しみを通り越し、もうすでに涙は枯れていたのだろう。
卓海は俺が殺したも同然だ。そういう意味じゃ、他の誰かを恨んでいるわけじゃない。
俺の責任なんだ。
……そ、そんなぁ……。
だから俺は族を抜けた。こうして花屋を継いでるのもあいつとの約束だったからな。
……約束?
ああ。
族なんてガキのうちにしかできない祭りみたいなもんさ。
卒業したら一緒にうちの花屋をやろうってな。
……それで……。
この時の事故はその後も色々と問題になってさ。
結局卓海は事故死、どっちの族も強制解散、現在に至るってわけだ。
ガキ同士のケンカ、世の中は喧嘩両成敗だって言ってんのに、そんなことも理解できないバカが向こうには結構いてね。
しつこく元『ヘブンズ・ウイドウ』のメンバーを捜している奴もいると聞く。
白黒つけたいのはこっちだってのに。
今の話だと、元はといえば向こうが悪いんじゃないですか!
今となっては、どっちもどっちさ。
煽られてた車を助けたことに後悔はしてないけど、その後奴らを相手にしなければ済んだ話だった。
それができなかった段階で、どっちもどっちさ。
………………。
じゃ、さっきお店に来た人たちは!?
ああ、まず間違いなくやつらの下っ端だろうな。
もう何年経つと思ってやがるんだ。
こうして俺も凜姉もとっくに堅気だし、当時のやつらも大半がそのはず。
おそらくどこかのバカが適当な武勇伝でもひけらかして、焚きつけたんだとは思うけど。
こっちにすりゃいい迷惑だっての。
………………。
(そういうことだったんだ。
凜子さんと琉二さんの過去にそんなに悲しい事件があったなんて……)
(二人ともそんな風には全然見えないのに……)
余計な話までしちゃったかもしれないけど、そのスーツを着た男ってのは危害を加えたりしないからまず大丈夫。
ただ、さっきの連中は気をつけた方がいい。
もし似たようなやつらが凜姉の店に来たら、すぐに俺を呼んでくれ。
はい。
その時はすぐに連絡します。
楓ちゃんも、気をつけてな。
巻き込んでしまう形になって、本当にすまない。
いいえ。お二人のことが今まで以上にわかって、私も嬉しいんです。
話してくださり、ありがとうございました!
楓ちゃん……。
こちらこそ、ありがとう。
あ、この頂いたバスケットも大切にしますね。
ああ。
可愛がってやってね。
はい!
私は軽く会釈をして、琉二さんと別れた。
凜子さんとの約束を破る形にはなったが琉二さんにスーツの男の人の話をして良かったと思った。
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自分勝手な妄想でしかないけど、今まで以上に、二人にぐっと近づけたような気がした。
それまで掛かっていた心のもやが、嘘のように霧散していた。
カフェ・ド・ミュージアム
ふと気づくと、帰り道の途中にある凜子さんのお店の前まで来ていた。
(琉二さんに話したことを、凜子さんにも報告しなきゃだね)
そう思って、再びカフェの入り口に近づいた時だった。
カフェ・ド・ミュージアム
パリン!っとお店の中から何かの食器が割れる音が聞こえたのだ。
まさかと思い、用心深く中を覗くと、そこにはさっき琉二さんの花屋にいた男達が、今度は凜子さんに絡んでいた。
(さっきの人達、琉二さんにやり込められた腹いせに、凜子さんのお店の邪魔をしに来たんだ!)
(早く琉二さんに知らせなきゃ! 今ならもう花屋さんについてる頃だ)
カフェ・ド・ミュージアム
私は声が聞こえないように、カフェから少し離れて琉二さんに電話をした。
琉二さんは、「すぐに行く」と電話を切ってこっちに向かってくれている。
カフェ・ド・ミュージアム
私は男達に見つからないように、お店にゆっくり近づいた。
スパイのように物陰から中の様子を窺うと。
(……あれ? 凜子さんがいない!?)
慌てて中に入り、その場にいたお店のスタッフに尋ねた。
凜子さんと男の人達はどこへ行ったの?
……すみません。
我々が目を離した隙にみんないなくなって……。
そんなぁ!? ……凜子さんはさらわれちゃったの!?
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