ラインの館
~5話~

楓の部屋

イベントの打ち合わせは、その後も何回か行われた。

全体に関わる大きな話の時はお店で、そうでない細かい話は――。

スマホが着信の振動で揺れる。

画面を見ると、琉二さんからのメッセージが届いていた。

琉二

『チラシに使うサンプルの写真はどのくらい必要?』

あっ、そういえば琉二さんに頼んでたんだっけ。

『できるだけ雰囲気が違うものを5つくらい用意してもらえると助かります』

私はすぐさま返信した。
イベントの開催まであと2週間ちょい。

明後日にはチラシやポスターとかの原稿を近くの印刷所に入稿しなければいけなかったのだ。

琉二

『りょうーかい。この後、添付で写真送るから』

琉二さんからの返信もすぐに来た。

『ありがとうございます! 時間があるときで大丈夫ですので』

負けじと私もすぐに返事を返す。

琉二さんや凜子さんは普段はお店に出ているため、こうした小さなやり取りはスマホを使って行っているのだ。

みんな忙しい時間が微妙に違うので、よほど急ぎでない場合を除いては、これで十分事足りた。

私自身、講義のない暇な時間や家にいる時間を上手く使って、ほとんどのことは対応することができている。

むしろ時間の使い方が効率よくなって、大学のレポートやサークルの課題なども以前より気合が入っているくらいだ。

そういった意味でも、最近は毎日がとても充実しているのを感じているのだった。

(……これも、琉二さんや凜子さんのお陰かな? 本を正せば、あの日の“お告げ”のせいだったりして……)

それは、私が琉二さんと初めて出会った日の朝、気持ちのいい春の風がいつもより早く私を目覚めさせてくれたことを

凜子さんは、“何か良いこと、新しいことが起こる前触れじゃないか”という意味で、“お告げ”と言ったのだった。

(というか、私が自分に都合よく、勝手にそう解釈しただけなんだけどね)

……でも。

私は、もう何度か買い換えている部屋のバラを見ながら思った。

(あの日その話が……バラを買いに行かなければ、今の自分はいなかったのかも……)

一輪挿しに挿してあるオレンジ色のバラが、ことりと小さく動いたような気がした。

ジリリリ……、ジリリリ……。

スマホが再び小刻みに揺れた。

私は何をするよりも早く、スマホを手に取った。

それは、さっきの琉二さんから送られてきた、スワッグのサンプル画像だった。

琉二

『もんなものでいい?』

『はい。ありがとうございます!
どれもすごくカワイイですね! できれば全部使いたいくらいです』

そこには数枚の画像ファイルが添付されており、どれも本当に可愛らしいデザインのスワッグだった。

琉二

『楓ちゃんにそう言ってもらえると嬉しいね~。
オリジナルの写真はもう少し大きいから、必要なら言ってね』

『はい、ありがとうございます!』

琉二

『あっ、それと、印刷ができたら近所に配るの俺も手伝うから教えてね』

(……えっ、琉二さんと一緒にチラシ配り!?)

私自身予想していなかったが、それを聞いてどこか浮かれている自分に気がつく。

凜子

『できれば私も手伝うつもりだけど、お店の状況次第では二人に任せちゃうかも。
その時はごめんなさいね~』

琉二さんのメッセージを見てか、凜子さんのメッセージが入ってきた。

『いえいえ、気にしないで任せてください。
その時は凜子さんの分までしっかりばら撒いてきますんで』

琉二

『そうそう。そっちは気にしなくていいよ。俺と楓ちゃんで何とかするから』

(……本当は、私じゃなく凜子さんと琉二さんで一緒に配ってもらうべきなんだよね……。
どうしよう……)

考えているうちにメッセージは進んだ。

凜子

『その分、他を頑張るからね~』

流されるように私も返信する。

『了解で~す』

(…………。本当にこれでよかったのだろうか?)

どこか後ろめたい気持ちが、私をじわっと包みこんだのだった。

カフェ・ド・ミュージアム

数日後、入稿したチラシとポスターが出来上がった。

その翌日、最終的に私と琉二さんの二人でチラシを配ることとなった。

凜子さんはお店が少し忙しく、脈がありそうなお客さんに手渡しでチラシを渡す作戦にしたのだ。

北野坂

琉二

それじゃあ、何かあっても嫌なんで、あんまり離れずに近い所から入れていこうか。

はい。

(よかった。一人でポストに入れるのってちょっと勇気がいると思ってた。
こういう気遣いもさすが琉二さんだ)

琉二

あと、チラシもそれほど枚数ないから、お金を持っててイベントに興味を持ちそうな女の人が住んでる家を狙おう。

そ、そうですね。

単にポストに入れるのではなく、来てくれる人が住んでそうな家を狙う。
……うん、実に正しい戦略だ。

私はできるだけ一軒家か、お洒落な感じのするマンションを見つけてチラシを配った。

ふと琉二さんを見ると、誰かと話しているようだった。

琉二

今度、ここでフラワーアレンジメントのイベントをやるんで、よかった見に来てやってください。

近所の女性

……ええっと、ああ、確かラインの館の花屋さん!?

どうやら琉二さんとこのお客さんのようだった。
琉二さんの髪形を見て気づいたようだった。

近所の女性

へー、そんなイベントやるんだ。面白そー。
友達誘って一緒に行ってもいいかな?

琉二

もちろん! こないだ買ってもらったブーケとはまた違う可愛いやつをやりますから、ぜひ来てやってください。

近所の女性

え、随分前に行ったのが初めてなのに、何を買ったか覚えてるの?

琉二

大体は。買ってもらった人とその花のイメージとを重ねて覚えてるんで。

近所の女性

へー、そうなんだ。
なんかすご~い。

琉二

面白いもので、買っていただく人と花はイメージが似てるんで覚えやすいんですよ。
その日の気分とかもそうだし。

(……って、琉二さん、それは反則! お客さんじゃなくても興味わいちゃいますよ。
ちょっとカッコよすぎ……)

住宅街

何だかんだで少し離れた住宅街も含め、2時間程度で全てのチラシ配りを終え、懇意にしてもらっているお店には、チラシとは別にポスターも貼らせてもらった。

あとは、この地域のタウン誌への告知とインターネットのページ作りですね。

琉二

そうだね。何はともあれ、今日は苦労様、楓ちゃん。

いえいえ、琉二さんのほうこそお疲れ様でした。

それにしても、琉二さんは飛び込みの営業やっても食べていけますよ、絶対。

琉二

いやいや。
相手に切り込んでいくのは嫌いじゃないけど、できればお店で花を触ってたいよ。

……まあ、そうですよね。(“切り込み”って何か意味が違うような……。くすくす……)

思わず笑いがこみ上げてきた。

琉二

ああっ、笑ったなぁー。
ひでーな、楓ちゃん。
そんな面して花触るとか言うなって思ってんだろ?

そ、そんなことないですって!(笑ったのそこじゃないけど……)
……すみません。つい。

琉二

こりゃもう、凜子さんの店で俺と一緒にワッフルを食う刑、だな。

……そんな刑なら、喜んで。

私は心の底から出てきた言葉を余計なことを考えず、素直にそう言った。

琉二

………………。

すると、一瞬琉二さんの顔が真顔になった。

その後なぜか少し目を泳がせて、人差し指で鼻の頭を掻いたのだった。

夕焼けのせいだろうか、ちょっぴり頬が赤いように見えたのは私だけだろうか。

……イベントの日まであと1週間。

いろんな想いが私の中で生まれては消え、ワクワクした期待とよくわからない不安な気持ちが入り混じった、何ともいえない複雑な気分だった。

そして、残っていた準備に追われるようにして1週間が過ぎ、ついにイベント当日がやってきた。

カフェ・ド・ミュージアム

凜子

楓ちゃ~ん、どこかに折りたたみのイスって余ってなかったっけ?

はーい。
準備してあるんでそっちに持って行きます!

私たちは、前日に急遽増えたお客さんの対応にあたふたしていた。

事前に締め切ったイベント参加者の人数は9人だったが、その参加者が友達も一緒にと追加が2人入ったのだ。

ひとまず、当日参加者用に用意してあった枠を回して、それは何とかすることができたのだが。

今朝になって当日参加をしたいというお客さんの問い合わせが何件かあり、できる限り対応したいという凜子さんは、当初のレイアウトを少し変更し、最終的に16人が参加できるようにした。

実はそれでも、数人は断っていたのだった。

凜子

ありがとうー。
琉二くんも、追加分の材料のほうは大丈夫?

琉二

店の在庫を考えなけりゃ、何とでもなるって。
でもまさか、こんなに増えるとは思わなかったけど。

凜子

やっぱり、ネットの影響が大きかったのかもね。
最初は、3、4人くらいだと思ってたし。

凜子

これも楓ちゃんのお陰よ。

そんなことないですよ。
面白そうなイベントだし、みんなでアイデア出しあったからですよ。

凜子

うふふっ、そうね。みんな、ありがとう。

凜子さんの嬉しそうな表情に、私もつい顔がほころぶ。

みんな今は準備でバタバタと忙しいけど、とりあえず一安心といった笑顔を浮かべていた。

――そして、予定通りにスワッグを作るイベントが始まった。

イベントは、琉二さんの軽快な話しぶりとスワッグの魅力が見事に融合し、参加した人たちは終始笑顔で、みんな大満足という表情だった。

実際にスワッグを作っている間も、琉二さんはテーブルを行き来してはアドバイスをして回り、行くところ行くところで引っ張りだこの大人気。

イベントが終わった後も参加者はお店に残り、みんなで仲良くスワッグ談義に花を咲かせていた。

これまでたまにしかお店に来なかった人も、今回初めての人も、この後お店の常連さんになったのは言うまでもない。

カフェ・ド・ミュージアム

凜子

みんな、今日はお疲れ様でした。
特に琉二くんと楓ちゃん、本当にどうもお疲れ様でした。

凜子さんが、ジョッキ片手に祝杯をあげた。

琉二&楓

お疲れ様でした~!

お店の閉店時間となり、お客さんが帰った後、凜子さんは軽い反省会と、スタッフ全員を労った簡単な打ち上げ会をしてくれたのだった。

凜子

みんなよく頑張ってくれたけど、今回のイベントが成功したのは、貴方たち2人のお陰よ。
本当にありがとう。

私と琉二さんは、うつむきながら黙って首を横に振った。

凜子

それでね、実はもう一つ報告があって、今日イベントにきてくださったお客様にアンケートをとってるんだけど、そのほとんどの方がとても満足してくださって、『ぜひ次回もやってほしい』、『次はいつやるの?』といった回答を書いてくれているのね。

凜子

なので、できれば私も次回もまたやってみたいなと思って。

琉二

おおっ、いいねぇ~。

本当ですか!! やったーっ!!

私と琉二さんは、思わずその場でパチンとハイタッチをした。

それは他のスタッフさんにも伝播していった。

凜子

あ、待って待って。
それはあくまで、まだ私の“希望”ね。

凜子

実際にイベントの結果がお店の売上に繋がらないと意味がなくって、それがわかるのはもう少し先だと思う。

凜子

それまではまだ様子見ということで。

お店の経営者らしい、冷静で慎重な判断だ。

ここで浮かれていい気になっても、本来の目標が達成されないことには何の意味もないと、私も同感だ。

凜子

というわけで、次回もまたできるよう、今日はお店のおごりなんで、しっかりと英気を養っておいてください。

そこにいた全員が『おおっー!』っと、グラスを上に掲げた。

1、2か月くらいで結果がわかればいいですね。

私はビールが入ったグラスを口にしながら、琉二さんに言った。

琉二

ま、いけるんじゃないのかな。

琉二さんは余裕綽々(しゃくしゃく)の顔でジョッキを飲み干した。

その自信に満ちた表情に、私もなぜか安堵する。

……ですよね。

(琉二さんとこうして一緒にいるだけでなんだか落ち着くなぁ……)

……あ、なくなっちゃいましたね。
琉二さんにおかわりのビール、お願いしまーす!

少し酔っているせいか、いつもより高い声を張り上げた。

店の奥から、『はーい』と凜子さんの返事が返ってくる。

琉二

……楓ちゃんはいい子だねぇ。

…………っ!!

その言葉にどきりとしつつ、赤くなった顔がばれないようにグラスで隠した。

凜子

はーい、お待ちどうさま。

凜子さんが琉二さんのおかわりのビールを運んできてくれた。

私の心臓がさらに跳ね上がったのは言うまでもない。

――そしてこの翌日。

イベントの結果は、思わぬ形で表れたのだった。