ラインの館
それだったら、このバラとかどう? 彼女ならとてもよく似合うと思うんだけど。
……えっ!?
その、想像からは程遠い“普通の接客”をしてきた店員さんは、持って来た花がよく見えるように私の前に差し出した。
え、あ、はい……。そ、そうですね……。
ええっと……、あのぉ……。
そこまで言って私は気づいた。
この男の人が『ハーフ』っぽいことを。
あのぉ~、ひょっとして、凜子さんのお知り合いの“りゅうじ”さん……、ですか?
……ん、そうだけど、どこかで会ったことあったっけ?
(……凜子さん! そりゃ確かにハーフっぽいしイケメンだけど、『見た目に騙されちゃダメ』の意味が違う……!)
私は無意識に大きく目を見開いてから、持っていたメモをその人に手渡した。
す、すみません! こ、これを凜子さんに書いて頂いて、こちらのお店を紹介してもらいました、……住吉楓といいます。
ああっ、キミが楓ちゃんかぁ。
凜姉……凜子さんからちょいちょい話は聞かされてるよ。
そ、そうなんですか。
(凜姉……? 本当に仲いいんだ……)
なんでも、随分可愛い常連のお客さんがいるってね。
……今日こっちに来るってのは初耳だけど。
で、ですよねぇ、すみません……。
私は見た目で琉二さんのことを判断し勘違いしてしまったことと、凜子さんがそんな風に私のことを他の人に話していたことに、驚きと何ともいえない恥ずかしさを感じていた。
……それにしても凜子さん、外でそんなこと言ってるんですか!?
ああ、いつも嬉しそうに言ってるよ。
さらに顔に熱が集まった。
そんな私を尻目に、彼は差し出したバラをじっくり見せるように、もう一度私の顔の前に掲げてから言った。
それで、このバラはどう? キミの部屋に似合いそうかな?
私はそのバラを飾った自分の部屋を頭の中でイメージしてみた。
……は、はい。
とってもよく似合うと思います。
そっか、ならよかった。
琉二さんは目を細くし、くしゃっとした可愛い笑顔を見せた。
その瞬間、私の胸の奥で何かがきゅんとなったような気がした。
でも、どうして何も説明してないのにこのバラが似合うと思ったんですか?
うーんと、なんていうか彼女の見た目の雰囲気と、着てる服装から受ける色の好みとかを想像してみたんだけど。
(たったそれだけの情報で……!?)
呆気に取られていた私に、琉二さんはさらに説明してくれた。
こういう仕事を長いことしてると、大体その人を見ただけで『基調の色』がわかるんだよ。
あとはその人の好みの色と性格……、この場合は大雑把な性格か繊細かってくらいの意味だけど、それらがわかれば、何となくその人の部屋の雰囲気はイメージできるかな。
………………。
ちなみに、キミの基調の色は薄い紫で、キミ自身もかわいらしい暖色系よりは寒色系を好む傾向にあるはず。
部屋の色はベージュをベースとした淡色の青系かコントラストの利いたツートンパターン。
そんな部屋で変革を求めているのなら、存在感のある大きさかつ、寒色系の補色で嫌でも目立つこの黄色いバラかなと。
……すごい。
……大体あってる。
(琉二さんって本当にすごい人なのかも……)
洋服屋の店員さんがその人に似合う服を直感で選んでくれるように、私の部屋に合いそうな花を、私の見た目だけで的確に選んでくれた琉二さん。
まるで何かのマジックショーでも観ているようだ。
あ、ありがとうございます。
じゃ、この花をください。
それだけ言うのが精一杯だった。
毎度ありぃ~。
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私は狐につままれたような気分のまま、その日は家に帰ったのだった。
楓の部屋
家に戻ると、一目散に自分の部屋へと駆け込んだ。
以前からこの部屋に花を飾るならと買っておいた一輪挿しを引っ張り出し、洗ったりお水を入れたりとバタバタした後、早速琉二さんに選んでもらったバラを飾ってみた。
うわぁ~!
お店でイメージしていた通り、決して派手ではないのだけれど、たった一輪なのにものすごく存在感がある。
そのバラを置くだけで部屋中のカラーバランスが凛とした空間になったというか、“調和の妙”とでもいうのか、さっきまでと同じ部屋なのに、どこか落ち着きのある部屋に変わった気がする。
……こんなに違うものなんだ。
私は改めて花を飾ることの癒し効果と、琉二さんの見立ての良さに感動した。
どうにかして気分を変えたいと思っていただけに、この効果は私には絶大だった。
よーし、この花を入れた部屋の写真を撮って、明日凜子さんに見てもらおう!
私は、花が映えるよういろんな角度から部屋の写真を撮った。
ちょっとした写真家の気分だ。
うん、これでよしと。凜子さん、なんて言ってくれるかな。明日が楽しみだ。
ふふふっ。
……あ、ひょっとして、これが今朝の“お告げ”だったりして……。
そんなことを考えながら、この日、私は飽きることなくそのバラをずっと眺めていたのだった。
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カフェ・ド・ミュージアム
そして翌日。
私はほぼいつもの時間に、カフェ・ド・ミュージアムに向かったのだった。
カフェ・ド・ミュージアム
お店に入るなり凜子さんを見つけては、「凜子さーん、これ見てくださ~い」と、にやけた顔でスマホを差し出した。
凜子さんは嫌な顔一つせず、『来たな』という笑みを浮かべながらスマホの画面を覗き見た。
えー、すごく可愛い……っていうか、楓ちゃんの部屋にマッチしてる。
そうでしょ! そうなんですよ!
私は身を乗り出すように、スマホの画面を嬉しそうに見てくれている凜子さんを見つめていた。
これ、ひょっとして琉……向こうの店員さんが見繕ってくれたの?
はい。琉二さんに見繕ってもらいました。
さすが、凜子さんの知り合いだけあって、すごくいいセンスですよね。
……そうね。
彼は才能あると思うわ。
一緒になって彼をベタ褒めしないところが、なんとなく“身内”のそれっぽく感じられる。
ですよね……。
私は、思い切って突っ込んでみることにした。
……あのぉ、凜子さん。
昨日から少し気になってたんですけど、ひょっとして琉二さんって凜子さんの彼氏とか……?
へぇっ!? 彼が私のっ……!!? ……っくくっ、……うふふふっ……。
凜子さんの声が一瞬裏返った後、少し顔を赤らめて『もう我慢できない』といった感じの笑い声が店内に響いた。
ちょ、ちょっと待って……、くふふふっ……、楓ちゃん、そ、それだけは……くくくっ……な、ないから…………。
私は少し面食らった。
そこまで可笑しな話だっただろうか?
あまりのことにしばらくの間きょとんとしていると。
……ご、ごめんなさい、楓ちゃん。
まさかそう来るとは思わなかったから、つい……。
そう言いながら、凜子さんはまだお腹を抱えていた。
本当にごめんなさいね。
私の言い方が誤解させちゃったのね。
うーん、まぁそのうちわかるだろうから、楓ちゃんには本当のことを言っておこうかな。
本当のこと?
ええ。実はね、琉二くんは昔からの知り合いなの。
亡くなった弟の親友でね。
……亡くなった弟さんの親友……? 亡くなったって……!?
ああ、別に隠してたつもりはなかったんだけど、高校生の時に交通事故に遭っちゃってね……。
だから、琉二くんのことは小学生の頃から知ってるの。
もちろん、あんな髪型になる前からね。
そう言って、くすりと笑う凜子さん。
そうだったんですか……。
それで何度か名前を呼びそうになって。
うん。
なかなか一度慣れた呼び方は抜けないもんね。
一応仕事なんで気をつけるようにはしてたんだけど。
そんなの気にしなくていいですよ。
私なんてお客の振りをした、ただの居候みたいなもんなんですから。
うふふっ。何を言ってるの。
今や楓ちゃん目当てにこのお店に来る人だっているのよ。
え、うそ!?
ほんと、ほんと。
あ、ほら、言ってるそばから来たわよ。
凜子さんの視線の先から、誰かが入ってくる音がした。
楓ちゃんって子、今日来てる?
呼ばれてびくっと背筋が伸びた。
(長いことこの店に通ってるけど、こんなことは初めてかも……)
はーい、いらっしゃい。
“ここに”、来てるわよ。
凜子さんは両手で鉄砲のように人差し指を作って、その指先を私に向けながら上下に何度か動かした。
(……あれ、今の声どこかで……?)
その男性の声は、なんだかどこかで聞いたことのある声だった。
しかも、つい最近……。
……ええっ、まさか……!!?
私は、はっとしてドアのほうを振り返った。
……そこには、やはりあの独特の髪形をした彼の姿があった。
あ、昨日はどうも。
昨日キミに渡し忘れたものがあって凜姉にメールしたら、この時間なら店にいるかもしれないってことだったんで。
琉二くん、外じゃ『凜子さん』と呼ぶようにっていつも言ってるでしょ!
ああっ、そうだったゴメン、凜ね……凜子さん。
はははっ……。
琉二さんが天井に視線を向け、笑ってごまかした。
二人の会話からも、すでに旧知の仲であることがわかる。
本当にもう、いつまでたっても“昔”が抜けないんだから……。
で、楓ちゃんに用なんでしょ?
……そうだった。
まあそういうわけで、はい、これ。
そう言って琉二さんは、はがきサイズほどのチラシのようなものを出した。
……あ、はい、どうも。
彼が突然やってきたことには正直驚いたけれど、二人の会話を聞くうちに少し落ち着いた私は、手渡されるままに、そのチラシを受け取っていた。
そこには、昨日買ったバラの水切りの仕方や水のやり方などが書いてあった。
うちが初めての人にはいつも一緒に入れるんだけど、なんだか楓ちゃんは初めてのような気がしなかったんで、つい忘れちゃって。
そんな……、わざわざありがとうございます。
せっかくフラワーコーディネーターの資格を持っていても、接客はまだまだのようね。
フラワーコーディネーターって“資格”じゃないんだけどなぁ。
俺が持ってるのは『フラワー装飾技能士』って資格。
フラワーコーディネーターは、実績さえあれば誰でも名乗れるんだって。
まあ、実際は実績なくても名乗れるんだけど。
そうなんですか!?
意外だろ? 食っていけるかどうかは別だけど。
琉二さんの顔が少し自慢げに見えた。
まぁ琉二くんは食べてはいけてるみたいだから、その辺は大丈夫みたいだけど。
いや、だから、俺は自称じゃないって。
フラワー装飾技能士の1級って結構大変なんですよ?
はいはい。わかってるって。うふふふ……。
………………。
凜子さんがいつもより自然体のような気がした。
普段から不自然なわけじゃないのだが、いつもの“美人の凜子さん”ではなく、“可愛らしい凜子さん”という感じだ。
(そっか。二人は恋人同士じゃないかもしれないけれど、凜子さん、琉二さんのことが……好きなのかも……)
私は直感的にそう思った。
二人の会話に特に甘い内容やお互いを気遣った言い回しがあったわけではなかったが、私の女の勘がそう告げていた。
琉二さんの方もまんざらではなさそうに見える。
亡くなったという弟さんがいた時の二人の関係はよくわからないけど、私には入っていけない絆が窺える。
……正直、それが少し羨ましかった。
楓ちゃん……!?
ぼぅっとしていたらしい私に凜子さんが話しかけた。
ああっ、はい。
急に黙っちゃうからどうしちゃったのかなって……。
すみません。少し他所事を考えてたんで。
琉二さんも本当にありがとうございました。
どうせ近くだし、気にしなくていいよ。
そうそう。
テンポのいい相槌のように、凜子さんが付け加えた。
ついでだし、たまには“凜子さん”のワッフルでも食っていこうかな。
あ~ら、ついでで申し訳ありませんねぇ。
うちはいつでも、普段から来てもらって構わなくってよ?
ほぼ毎朝仕事で来てるんで勘弁してください。
琉二さんの口角が上がり、白い歯がにぃっと光る。
それじゃ、今日はご一緒にいかがですか?
私はそう言って隣のイスを引いた。
この時、私の中には“ある計画”が生まれようとしていたのだった。