ハンター邸
~8話~

動物病院

小太郎、今日からお客さんの前に出るんだよ。

小太郎

グルグルグル……。

でも怖かったら、すぐ奥に逃げちゃっていいからね。

【==== 動物園園内 ====】

眼鏡の男の子

なー、どうしたんだよ。急に動物園なんて。

帽子の男の子

……そこの子熊さ。新入りなんだけど、元は野生だったっての知ってるか?

眼鏡の男の子

ん? うん、そうらしいよな。女子が言ってた。

帽子の男の子

オレのばあちゃん、田舎に住んでんだけど。熊に畑荒らされたり、怪我されられたことあんだよな。

眼鏡の男の子

……は!? えっ、この熊に!?

帽子の男の子

いや……別に、全然関係ない熊だけど。

帽子の男の子

でも、こうやって見てると腹立つんだよ。

――バンッ!

小太郎

…………!!

眼鏡の男の子

お、おい、ガラス叩くなって。怯えてて可哀想じゃん。

帽子の男の子

……こいつらって頭良い分、執念深いんだぜ。

帽子の男の子

一度人間の食べ物の味を覚えたり、人間なんて怖くないって思ったら、何度追い払っても戻ってきたりしてさ。

眼鏡の男の子

はぁ……

帽子の男の子

ったく、何がクマさんカワイーだよ……。

【==== 動物園園内 ====】

よーし小太郎、今日も元気そうだね。外に行っておいで。

……? 小太郎、どうした? 出たくない?

小太郎

…………。

……?

【==== 動物園園内 ====】

小太郎

…………。

小太郎

ウゥゥ……。

【==== 動物園園内 ====】

飼育員のお姉さん

小太郎、最近ちょっと調子悪いみたいだね。

そうですね……。

ひかりちゃんと会えなくて少し寂しそうにしてたけど、そこまで深刻そうじゃなかったのに。

お客さんの前に出すのが早かったかな。それか、他の熊の気配に敏感になってるか……。

飼育員のお姉さん

そうかも。改善しないようだったら、一旦病院に戻して、先生に診てもらった方がいいかなぁ。

動物病院

飼育員のお姉さん

先生、小太郎連れてきました~。

獣医

おう、奥に頼む。

小太郎、しばらくお客さんの前に出なくていいよ。

飼育員のお姉さん

検査で問題なかったら、古いとこだけど広い場所を独り占めできるからさ。ゆっくりしようね。

飼育員のお姉さん

じゃあ、こっちに運んで――

小太郎

ウゥウ……

――ガチャン!

飼育員のお姉さん

え――、ウソっ、檻の鍵が……

小太郎

ギャウッ!!

飼育員のお姉さん

きゃあっ……!

獣医

おいっ、待て小太――うわっ!

小太郎

ガウッ、ギャアウッ……!!

小太郎――!

住宅街

ひかり

(えへへ~、いい点数取れてよかった!)

ひかり

(これで堂々と小太郎に会いに行けるよね)

それはとある土曜日の朝。

金曜に帰ってきたテストの結果によって、無事に動物園へ行く許可をもらったわたしは、スキップしたいくらいの心地で道を歩いていた。

だけど……

ひかり

……? どうしたんだろう?

動物園に近づくにつれ、何だか辺りがざわざわし始める。

お祭りみたいな楽しい雰囲気じゃなくて、不安になるようなざわめき。

警察の人の姿も見えて、わたしは嫌な予感を覚えた。

【==== 動物園入場口 ====】

その予感は的中して――動物園に到着すると同時に、騒がしさの中心にいる、要くんたちの姿が見える。

ええ、はい……。本当に申し訳ありません。よろしくお願いします。

ひかり

要くん!

……! ひかりちゃん……。

ひかり

どうしたの? 何があったの?

わたしの質問に、要くんはひどく青ざめた顔で答えた。

30分ほど前のことなんだけど、小太郎が脱走してしまったんだ。

ひかり

…………えっ……。

ひかり

だ、脱走って……逃げ出しちゃったってこと? 今、動物園の中?

いや……動物園の外にまで出てしまったんだよ。

檻が壊れていて、すぐに捕まえることもできなかった。僕たちの落ち度だ。

ひかり

……そ……そんな……。

ひかりちゃん……。小太郎のことを任せておいてって言ったのに、本当にごめん。

でも、小太郎は必ず無事に連れ帰るから、ひかりちゃんはお家で待ってて。

お母さんかお父さんはお家にいる? 迎えに来てもらえそうかな?

ひかり

……ううん。ふたりとも用事で出かけてるの。お昼の3時くらいまで帰ってこない。

……そっか……。

じゃあ、僕たちはもうすぐ捜索に出るから、その車で送るよ。

その後は家でじっとしておいて。

ひかり

わたしも捜しに行く!

ダメだ。

ひかり

どうして!? 熊って鼻がいいんでしょ? わたしが近くにいたら出てきてくれるかも!

……だから、ダメなんだ。

要くんは言いづらそうにしていたけど、わたしに目線を合わせてしゃがみ込む。

逃げ出す時、小太郎はかなり興奮していて、僕たちを威嚇したんだ。

その上知らない場所に出てしまった今、パニックになっていてもおかしくない。

そんな小太郎を捜すためにひかりちゃんを囮みたいにするわけにはいかないし、ひかりちゃんを見た小太郎がますます興奮して、勢い余って人を傷付けるようなこともないとは言えないんだ。

小太郎が人に怪我をさせないためにも、ひかりちゃんの安全のためにも、安全な場所で待っていてほしい。

ひかり

…………。

要くんの言う意味はわかるけど、納得はできなかった。

黙っているわたしに要くんは困っていたけど、他の人から話しかけられて、「ここで待っていて」とだけ告げて去っていく。

ひかり

(そんな……小太郎……)

どうすればいいかわからず隅で立ち尽くしていると、慌ただしく歩き回る警察官や動物園職員の人たちの会話から、嫌でも情報が耳に飛び込んできた。

……警察の人が避難勧告を出した後、あるお家から電話があったそうだ。

子熊が暴れて逃げたそうだけど、うちの息子のせいかもしれない。

騒ぎを知って、『何度かクマ舎のガラスを叩いて怯えさせたことがある』と言い出した……と。

その子は家族が野生の熊に怪我をさせられたことがあって、熊が好きじゃなかったみたいだ。

ただ、2、3回程度のことだったようだし、その前から小太郎には少し元気がなかったらしくて……。

……要くんは言わなかったけど、わたしが急に姿を見せなくなったのも一因かも、と思う。

お母さんももういなくて、新しく仲良くなった人間も突然いなくなって。

動物園の人たちや環境に慣れてきた頃に、また敵意の目を向けられて、ストレスが溜まって……。

そういったことがなければ、檻が故障したとしても、小太郎は逃げ出したりしなかったかも。

ひかり

(小太郎……。今、どこにいるんだろう)

???

――要。

低めで、はっきりした声にハッと顔を上げた。

樹さん……。

ひかり

(……樹さんって、この人が、前に聞いた要くんの幼馴染?)

背が高くて、かっこいいけどどこか怖い雰囲気の人だった。

それは……彼が持っている、細長いケースのせいもあったと思う。

……そうだったね。樹さん、日本での猟銃免許も取ってたんだもんね。

今まで、必要になるようなことはほとんどなかったがな。

最近の人手不足から勧誘を受けて、猟友会に入ることにしたんだ。

その矢先に、こういうことになるとは思わなかったが。

……一緒にいらした他の方は、猟友会の?

ああ。市の要請を受けてな。

ひかり

(猟友会……。猟師の人たち……なんだ……)

……この子は?

よくうちに遊びに来てくれてね。小太郎も、この子によく懐いてた。

そうか……。

ひかり

……は、初めまして。塩屋ひかりって言います。

ひかり

わたし、小太郎の友達で……。……あのっ、小太郎を撃ったりしないよね……!?

わからない。

樹さんは心苦しそうにしながらも、ごまかさなかった。

小太郎が大人しく、被害なく捕獲できそうであればそうするだろう。

だが情報では、小太郎は逃げる時、ひどく興奮していたと言う。

それに子熊だが、月齢にしては大きい方だそうだな?

熊の力は舐めてかかれるものではない。噛まれたり引っかかれたりすれば、骨折することもあるんだ。

ひかり

……っ、そうだ、麻酔銃とかは……。

麻酔銃を使うには麻酔を扱う資格が必要になる。この動物園には麻酔銃が配備されているようだから、獣医師の方であれば大丈夫だと思うが……

例えば手分けして捜索し、発見した時に獣医がそこにいなければ、獣医に連絡して現場に来てもらう必要がある。

……だが、状況によっては到着を待てない。

間に合ったとしても、麻酔銃の射程は短いんだ。

檻の中にいる動物にならまだしも、野外にいて動く相手に当たるかどうか。

当たったとしても、薬が効くまでの時間で、撃った獣医師の方が襲われてしまうかもしれない。

麻酔が効きすぎて、捕獲した後で小太郎が命を落としてしまうかもしれない。

実際には、麻酔銃を使っての捕獲はかなり難しいんだ。

ひかり

そんな……。

……君の気持ちは、とても……とてもよくわかる。

だが、万一でも捕獲する人や街の人々に危害が及ぶ可能性があるのなら、私たちはそれを見過ごすことはしない。

子熊相手だから、何かあっても“多分”死にはしないだろう。爪や牙で大怪我するくらいだ。

だから、動物の命最優先で、危険を冒してくれ……。私には、そう勧めることはできない。

ひかり

…………。

「子どもが口を挟むな」じゃなくて、ちゃんと説明してくれた樹さんは、きっといい人なんだろう。

だけどわたしは逃げ道を全部塞がれて、身動きを取れなくされた気分だった。

……最終的には、警察の方や市職員の方にも判断を仰ぐ。必ず撃つと決まったわけではない。

ひかり

…………。

……樹さん。捜索は北方面でしょう。ひかりちゃんを家まで送っていってくれないかな。

何も知らずにここまで来てしまって、親御さんも今外出されてるみたいなんだ。

そのくらいなら問題ないだろう。

……すまないな、ひかり。

樹さんや猟友会の人を責めたいわけじゃない。

でも、何にも言葉が出てこなかった。

住宅街

ひかりちゃん、家から出ちゃダメだよ。後で連絡するから。

ひかり

……うん……。

家の前まで送ってもらい、玄関の鍵を開けようとした時だった。

市職員

今、連絡がありました! 子熊が摩耶山の麓で目撃されたそうです!

職員の人がある住所を口にする。

それは、ここからかなり近い場所だった。

……やっぱり、ひかりちゃんの匂いを辿ってきたのかもしれないな。

待っていて。

必ず、小太郎を連れて帰るからね。またひかりちゃんと会えるように。

ひかり

…………わかった。

ひかりの家リビング

家の中へ入ると、車の去っていく音が聞こえた。

それっきり静かになって、わたしは部屋の中でひとりうずくまる。

ひかり

(……小太郎……)

ひかり

(摩耶山のふもとって……。山に帰ろうとしてる?)

ひかり

(やっぱり、寂しかったのかな。仲間に会いたいのかもしれない)

それは許されるんだろうか。

前に要くんが言っていた。人の食べ物の味を覚えてしまった熊は、人間と食べ物を結びつけてしまったり、人を恐れないようになって、また町中へ下りてくると。

無事に捕獲できるならいいけど、どうしても小太郎が逃げようとしたら……

さっきのみんなが、それをそのまま見送ってくれるとは思わない。

ひかり

(もしかしたら……)

ひかり

(…………)

ひかり

(…………っ、小太郎……!)

住宅街

いけないとわかっていても、足は止まらなかった。

見張りをしている人たちに気づかれないようにしながら、目的地へ向かって……

警察官

おい、君!

ひかり

(……!)

もう少しというところで、警察の人に見つかってしまう。

警察官

ダメだよ、こっちに来ちゃ! 熊が出て危ないんだ、お家に……

ひかり

こ、小太郎は危なくなんかないよ!

警察官

え……?

ひかり

お願い、わたし、行かなくちゃ……!

……えっ!? ひかりちゃん!?

ひかり

あ、要くん……!

騒ぎに気づいて、要くんが走ってきてくれた。

どうしてここに……!

ひかり

ごめんなさい……。でも、じっとしていられなくて……。

ひかり

お願い、ここにいさせて。

ひかり

囮でも何でもいいよ。小太郎のためにできることがあるならさせて。

ひかり

……それで、うまくいかなかったとしても……。

ひかり

遠いところで、何も知らないままでいるよりは、小太郎のそばで、見守りたいの。

ひかりちゃん……。

動物園職員

――要さん!

動物園職員

見つかりました、小太郎……。

ひかり

(……!!)

……行こう、ひかりちゃん。

【==== 山道 ====】

ひかり

……! いた……。

民家からやや離れ、山に少し入った辺り。

たくさんの人に追い詰められて、小太郎はかなり警戒して怯えている様子だった。

会わなかったのはそう長い間じゃないのに、すごく大きくなったように感じる。

ほとんど毎日様子を見にいっていた時は、少しずつの変化で気づきにくかったけど、小太郎はいつの間にか、がっしりした大型犬くらいになっていたんだ。

子どもならもちろん、大人の男の人でも無傷で取り押さえるのは無理だろう。

周りの人たちも、苛立ったようにウロウロしている小太郎を見て緊張しているのがわかった。

……ひかり。どうして来たんだ。

わたしを見つけた樹さんが眉をひそめて振り返る。

その手には冷たく光る猟銃が握られていた。

ひかり

そ、それ……!

待って、樹さん。

撃つなら私になる。他のメンバーはあまり熊相手に慣れていない。

……撃つことは決定事項なの?

獣医の方は別方面を捜索しているようだから、彼が追いつくまでの猶予はないだろう。

小太郎が住宅街に戻ったり、日没になれば、発砲許可が下りないかもしれない。

周辺の住人に、しばらく怯えて暮らせとは言いたくない。

僕が落ち着かせてみせるから……

…………ああ。

意外とあっさり、樹さんはうなずいてくれる。

まだ大丈夫かも――そう思いかけた直後だった。

小太郎

……!

わたしが見えたのか、匂いが届いたのかもしれない。

小太郎が突然、わたしの方に向けて猛スピードで走り出す。

――っ、すまない、ひかり……!

樹さんは目を見開きながらも、迷わず猟銃を構えた。

銃口が、一直線に小太郎へと向けられて――

ひかり

小太郎! 来ちゃダメーっ!!

わたしの悲鳴をかき消すように、耳をつんざく銃声が鳴り響いたのだった……。