ハンター邸
~6話~

屋上庭園

ひかりちゃん、ここだよ。

ひかり

……わあ~……!

見せたい場所がある……そう言って要くんが連れてきてくれたのは、園内にある科学博物館、その屋上にある庭園だった。

ひかり

こんな場所があったんだ。わたし、全然知らなかった……。

入り口がちょっとわかりにくいからね。人も少なくて、くつろぐにはいいところなんだよ。

確かに今は、わたしたちの他に人はいない。

園内やさっきまでいた遊園地、それに旧ハンター邸も眺めることができる。

動物の鳴き声やお客さんのざわめきもどこか遠く……

動物園の一角にいるとは思えないほど、落ち着いた雰囲気の場所だ。

ひかり

……本当に、素敵なところ。

目を細めて辺りを見回すわたしに、要くんも満足そうに微笑んでいた。

昼休憩のとき、こっそりここで昼寝することもあるんだ。

ひかり

……旧ハンター邸を使えばいいのに。

はは、雨の日とか冬はさすがにそうするけど。不思議とここの方がリラックスできてね。

要くんは植え込みの縁石に腰を下ろして、観覧車の方を見上げる。

わたしもその隣に座ると、要くんは柔らかい表情のままこちらへ視線を向けた。

他の職員の人にも聞いたんだけど、ひかりちゃん、最近よく1人で遊びに来てくれてるみたいだね。

ひかり

そうだけど……わたし、職員さんに覚えられてる?

パンダの絵のこととか、シマウマのお産の時に見守ってくれてたこととか、色々あったし。

それにひかりちゃんは可愛いから、目立つんだよ。

ひかり

……もう。そういうことばっかり言って。

お世辞じゃないってば。

ひかり

(それがわかるから、困るんだけどなあ……)

もちろん要くんからしたら、家族とか動物に「可愛い」って言うような気持ちなんだろう。

でも、いくら小さくてもわたしだって女の子なわけだし、照れてしまうのは仕方ない。

今日はロコは連れてきてないの?

ひかり

え? あ、うん……。最近はお留守番してもらってるんだ。

ひかり

前は、ロコがいないと寂しかったり不安だったりすることもあったんだけど、この頃は、ちょっとずつ平気になってきてるの。

ひかり

動物も、怖くなくなってきてるっていうか……

ひかり

「そうだった、わたしって動物が好きだったなあ」って思い出してる感じ。

……そっか。それは良かった。本当に。

秋の涼しい風がそっと吹き抜けて、要くんは少しまぶたを伏せる。

こう言ったら、ひかりちゃんは驚くかもしれないけど……

僕もね、動物を嫌いになりかけたことがあるんだ。

ひかり

……えっ……

それはあまりにも意外な言葉で、一瞬冗談か、大げさにしているだけかな?と思う。

でも要くんは、穏やかだけど真面目な表情で先を続けた。

僕がまだ7歳くらいの時の話なんだけどね。

その頃はイギリスに住んでて、周りに自然が多いところだったんだ。

家で犬を飼ってたり、近所でも野生の動物を見たり……。小さい時から動物が好きだった。

でもある時、同い年の友達のひとりが、野犬に襲われてしまったんだ。

ひかり

……野犬に……。

僕はその場にいたから、他の友達と一緒に犬を追い払ったし、不幸中の幸いで、怪我もそこまで酷いものじゃなかったんだけど……。

でもやっぱり周囲では騒ぎになって、自分も被害に遭うんじゃって不安がる人も多かったんだ。

僕も襲われた子が可哀想だと思ったし、追い払う時に噛みつかれそうになったことや、凶暴な犬の姿がすごく怖かった。

野生動物には必要以上に近寄らないようにしていたから、そばで見るのは飼われていたり半野良でも人間に世話をされている、人に慣れた犬や猫ばかりだった。

そんな時に、痩せた野犬が牙をむいてこちらに襲いかかってくるのを見て、ショックを受けちゃったというか……。

それで一時期、動物を避けがちになってしまっていたんだ。

ひかり

……そうだったんだ。

可愛くて人懐っこい動物とばかり親しんでいたのに、突然そんな光景を見たら、確かにショックだと思う。

わたしも、生き物の病気や死をきちんとわかっていない時にコロが死んでしまって、驚いたり悲しさのあまり動物全部から遠ざかってしまっていたし……。

その時の要くんの気持ちは、簡単に想像することができた。

野良犬は、自治体や警察に頼めば捕獲してもらえるんだけど、なかなか捕まらなかった。

でも……2ヶ月くらい経って、僕はその犬とまた出会ったんだ。

最初はびっくりして怖かったけど、その犬のすぐ近くに、3頭の仔犬がいるのがわかった。

ひかり

仔犬?

そう。……ちょうど、産まれて2ヶ月ちょっとくらいの仔犬。

それで思ったんだ。あの犬が友達を襲ったのは、産んだばかりの子どもが近くにいて、それを守ろうとしたからじゃないかって。

……だけどその時僕は、少し前に近所に越してきた友達と一緒だった。

その子は何も知らないから、「仔犬だ!」ってパッと走り出してしまって……

ひかり

……! もしかして、今度はその子が襲われちゃったり……?

…………本当に、その寸前まで行ってたと思う。

でも、絶対止めなきゃって思ったんだ。

もし犬がまた友達を襲ったら、それは友達にとっても犬にとっても絶対に不幸なことだからって――

【==== 山道 ====】

母犬

……グルルル……ッ! ガウッ!!

友達

きゃあっ!?

――待って! 逃げたり、騒いじゃダメだ!

友達

えっ……。で、でも……!

……僕たちだって、怖くて興奮してる時、派手な動きをされたり大声を出されたらパニックになるよね。

きっと、犬も同じだよ。刺激しちゃダメだ。

友達

う……うん……。

母犬

グルルル……

……背中を向けないで、ゆっくり下がって。怖いだろうけど、ゆっくりね。

友達

わかった……。

母犬

…………。

友達

……あっ。犬が戻ってく……。

僕たちに敵意がないのをわかってくれたのかな? でも、刺激しないようにもっと離れよう。

友達

……も、もう大丈夫そうだね。ありがとう、カナメ。

友達

でも、すごいね。ああいう時にどうすればいいか、知ってたの?

ううん。ただ……犬が、子どもを守ろうとしてるんだってわかったから。

悪意があって人を襲うんじゃなくて、必死なだけなんだって思ったら、自然に……。

友達

……そうだよね。

友達

動物も私たちと同じで、家族が大事だったり、怖くてパニックになったりするんだよね。

うん……。

屋上庭園

それから、僕は家に帰って事情を両親に話したんだ。

両親も、自然や環境保護に関係する仕事をしていたから、あの犬の助けになりたいっていう僕の意見に耳を傾けてくれた。

手続きをすれば野良犬を引き取ることもできるし、母の知り合いの訓練士に頼んで人と信頼関係を築けるよう訓練してもらおうってことになって……

それから僕たちは、母犬に襲われた子にも相談しに行ったんだ。

ひかり

最初に怪我しちゃった子?

そう。その子とは家が近所だったからね。犬を僕のうちで引き取ることも考えてたんだけど、その子からしたら「自分を襲った犬が近所にいるなんて嫌だ」って思っても当然だからさ。

ひかり

……確かに、そうかも。

ひかり

(犬に事情があったとわかっても、怪我をした時の怖さは簡単に忘れられるものじゃないと思うし……)

もしその子が怖がるようなら、引き取り手を別に探すことも考えてたんだ。

でも彼は、不用意に近づいた自分も悪かったから、ちゃんと訓練するならいいって言ってくれた。

それで、母犬と仔犬をうちで引き取ることになって、訓練もしてもらって……

人に慣れた頃、怪我した子も様子を見に来てね……。仔犬を2頭引き取ってくれたんだ。

母犬は亡くなってしまったけど、仔犬だった子たちは今もイギリスで元気にしてるよ。

要くんの優しく懐かしむ眼差しに、わたしも目を細める。

そんな経験があって、考えるようになったんだ。

人慣れしていない動物や、野生の動物が人を傷つけてしまうことは実際に多い。

でもそれは、動物が残酷で凶暴な生き物だからじゃなくて、生き残ろうとした必死な行動の末だったり、人間が軽い気持ちで向こうのテリトリーに踏み入ってしまったことが理由だったりするんだ。

もちろん、心無い人が動物の命を粗末に扱ったりすることも、悲しいけど有り得るから……

つらい経験から、人間を嫌ったり憎んでしまう動物もいると思う。

でも僕は、動物たちも懸命に生きてる命なんだってことを目の当たりにしてから、彼らとこれからも一緒に生きていきたいって、強く思った。

色んな動物たちの生態や習性をしっかり学んでいれば、言葉がなくても、相手を理解したり僕たちの気持ちを伝えることもできる。

知識のなさから、お互いにとって不幸な事故を引き起こすことも減らせる。

色んな動物と、隣人として、友人として、ずっと過ごしていけるようになりたいって思ったんだ。

ひかり

……そんなことがあったんだ……。

ひかり

要くんって、すごいなぁ。そんなにしっかりした考えがあって……。

ひかり

今のわたしより小さかったのに、自分たちだけじゃなくて、動物にも思いやりを持ってたんだもんね。

え……。ま、まあ……。

わたしが素直に感心していると、要くんは少し気恥ずかしそうに頬をかいた。

実は幼馴染の影響も結構あるんだ。家が近かったのもあって家族ぐるみで付き合いをしてたんだけど、僕より9つくらい年上でね。口数は多くないけど、思慮深い人なんだ。

例の犬を引き取ることにしたって話した時も、何かできることがあるなら手伝うって言ってくれて……。

「本質的に悪い動物なんていない」ってことや、「人間と動物の関係をもっと良くしたい」って考えを話してくれたんだ。

教えられることもすごく多くてさ。僕もそれまでよりずっと本気で、どうすべきか考えるようになったんだ。

ひかり

……かっこいいね。

でしょう? その人、樹(いつき)さんっていうんだけど、樹さん、愛想がいいわけじゃないから誤解されやすいこともあるけど、本当にすごくいい人なんだ。あれで結構天然だし。

ひかり

ううん、そうじゃなくて……

ひかり

今のは、要くんがかっこいいなって思ったの。

……え……。

ひかり

やっぱり、すごいなぁって。もしわたしが要くんと同じ立場だったら、考えがあっても、「子どもの自分には何もできない」ってあきらめちゃいそうだし。

ひかり

でも要くんは、周りの人に相談して、助けてもらって、教えてもらったことを真剣に受け止めて……。

ひかり

その時の気持ちを、大きくなったいまでもずーっと変わらずに持ってるんだよね。

ひかり

うん……! すごいし、かっこいいよ。

…………そうかな。

照れ笑いをする要くんに、胸の中がとても温かくなっていく。

ひかり

でも、要くんがそんなに褒める『樹さん』も気になるなぁ。その人は日本にいるの?

ん? 樹さんはね、普段は海外に住んでるんだ。ハンターをしてるから。

ひかり

ハンター……。って、罠で動物を捕まえたり、銃で撃ったりする人?

そう。日本で言うと猟師かな。

ひかり

……でもその人も、要くんの友達で動物好きな人なんだよね?

ひかり

それなのにハンターって、何か変……。

……ふふ、だよね。

首を傾げるわたしに要くんもうなずくけど、表情は柔らかい。

彼とその『樹さん』との間には、ちゃんと通じ合う部分があるんだろうな……って思った。

そうだ。樹さん、半月くらい後だけど日本に遊びにくるみたいなんだ。

動物園に呼ぼうかなと思ってるし、都合が良ければひかりちゃんとも会えるかも。

ひかり

ほんと? お話ししてみたいな~!

うん。きっと仲良くなれると思うよ。

【==== 動物園園内 ====】

三咲

ジュゼ、早く。

ジュゼッペ

そう急ぐこともないだろう、三咲。周囲にも見るべきものや美しいものはたくさんあるのに。

三咲

でも今日きた一番の目的は……ほら、あった。アレでしょう?

ジュゼッペ

……そうだね。うん……いい絵を描くようになった。

三咲

よく描けてるよね、このパンダ。触りたくなる。

三咲

あたし、前から言ってたでしょう? ひかりちゃんは“光るもの”があるって。

ジュゼッペ

はは、確かにそうだね。

ジュゼッペ

でも、見る目を誇るのはまだ早い。

ジュゼッペ

ひかりの絵から、彼女が動物に抱いていた本当の気持ちまでは読み取れなかったんだからね。

三咲

む……。それはそうだけど。

ジュゼッペ

……これから成長していければそれでいいさ。

三咲

言われなくても。……さ、ジュゼ。せっかく来たんだし、楽しんでいこうよ。

ジュゼッペ

ああ、そうだね。ひかりに聞いたオススメの動物を周ってみようか。

屋上庭園

……その後わたしと要くんは、屋上庭園で雑談を続けていた。

すると、階段を駆け上がってくる足音がある。

慌てた様子で姿を見せたのは、前にふれあいコーナーで声をかけてくれたお姉さんだった。

飼育員のお姉さん

あ……要くん!

あれ、古賀さん? どうしたんですか。

飼育員のお姉さん

ごめんね、休みの日なのに。他の職員さんから見かけたって聞いて探してたんだ。

飼育員のお姉さん

それに、ひかりちゃんだったよね。邪魔してごめんね。

ひかり

ううん。……何か要くんにご用事?

飼育員のお姉さん

そうなの。要くん、前に言った子熊のこと、予定が変更になったらしくて……。

ひかり

(……子熊?)

飼育員のお姉さん

あと10分くらいで搬送されてきて、収容なんだって。悪いんだけど、手伝ってもらっていい?

い、今からですか? わかりました、すぐに行きます。

飼育員のお姉さん

ありがとう、ごめんね。もう、急なことで人手が足りないったら……。

ひかり

要くん、子どもの熊が来るの?

新しい動物が増えるのかなと目を輝かせたわたしだったけど、要くんは少し悲しげな顔をして、正直に教えてくれた。

……うん、そうなんだ。

母熊が撃たれてしまってね。

遺された子熊を、うちで引き取ることになったんだよ。