ハンター邸
~5話~

【==== 動物園園内 ====】

ひかり

うん、遅くなってごめんね。すぐ帰るから……。うん、うん。はーい。

ひかり

(…………はぁ~……)

感動した気持ちが残るなか、わたしはお母さんとの通話を切って携帯をポケットにしまう。

新しい命を迎えて要くんたちは忙しそうだったから、わたしは柵の向こうに軽く手を振って挨拶をした後、今日は帰ろうと出口に向かっていた。

ひかり

……あ、そうだ。

思い出して、パンダ舎の方へ行ってみる。

ひかり

……あった! 本当に飾ってくれてたんだ……。

屋内展示スペースに入ってすぐ。パンダの名前や説明の書かれたボードの下の方に、わたしの絵が綺麗に飾ってあった。

パンダは今は屋内に移っていて、絵と同じポーズでゴロゴロしていた。

……と、パンダがわたしの背後を見て、ふと頭を上げる。

わたしも同時に、後ろに現れた人の気配に気づいた。

ひかりちゃん。ここにいたんだね。

ひかり

要くん! シマウマの親子は大丈夫?

もう少し手伝いがあるけど、お母さんも子どもも元気みたいだから。心配はいらないよ。

ひかり

そうなんだ……。良かった。

ひかり

あの……わたしの絵、飾ってくれてありがとう。

お礼を言うのはこっちだよ。飾らせてくれてありがとう。

この絵、来てくれたお客さんにも好評なんだ。よく似てるし、すごく可愛いって。

ひかり

そ、そうなの? あんなの、落描きみたいなものなのに……。

照れて目線を逸らした先で、さっきまでのわたしたちの緊張なんて知らず、パンダがのんきにあくびをする。

気の抜けた空気にわたしも要くんも笑って、明るい気持ちで「またね」を言った。

ひかりの家リビング

ひかり

お母さん、ただいま!

ひかりの母

お帰り。暗くなる前に帰ってこられて良かったわね。

ひかりの母

お父さんもそろそろお仕事終わる頃だし、夕ご飯の準備するわよ。

ひかり

……あのね、お母さん。

ひかり

コロの写真とかって、ある?

ひかりの母

…………。

ひかりの母

思い出したのね、ひかり。

ひかり

うん……。

ひかり

お母さんもお父さんも、わたしが動物苦手な本当の理由、わかっててそっとしておいてくれたんだよね。

ひかりの母

そうね。無理にコロのことを言っても、ひかりがつらいだけだと思ったから。

ひかりの母

でも、ひかりがコロのことを本当に忘れたり、嫌な記憶だと思ってるわけじゃないのも知ってたのよ。

ひかりの母

ひかりがいつも連れてるロコ、色や顔立ちが、コロに似てるものね。

ひかり

……うん。

ひかりの母

だから、無理やり思い出させるようなことはしないけど、犬を飼ってたことまで全部なかったことにはしないし、聞かれたら教えようって決めてたのよ。

ひかりの母

でも、もう少しひかりが大きくなってからかなって思ってたわ。何かあったの?

ひかり

えっとね……。

わたしは今日動物園で見たことや、要くんが言ってくれたことを説明した。

お母さんは聞き終わると、微笑んでわたしの頭を撫でてくれる。

ひかりの母

そう……。いい経験をしたわね。

ひかり

うん……!

ひかりの母

前にひかりを家まで送ってもらったこともあるし、今度お礼に行かないとだわ。

ひかり

でもお母さん、今忙しいんでしょ? シメキリが近くて。

ひかりの母

……そうね……。それこそあんまり思い出したくなかったけど……。

ひかりの母

まあ、とりあえずは「お母さんもお礼言ってた」って要くんに伝えておいて。……はぁ……。

ひかり

はーい。

ひかりの部屋

お父さんも帰ってきてみんなで夕ご飯を食べた後、わたしは自分の部屋へ行ってロコと一緒にベッドへ寝転んだ。

手元には、お母さんが押入れから出してきてくれたアルバムがある。

ひかり

ロコ。忘れちゃってたけど、これがロコのお姉ちゃんのコロだよ。

写真の中のわたしは、コロを抱きしめて、すごく楽しそうに笑っていた。

大好きだったコロ。……ううん、いまも大好きだって思う。

ひかり

(ロコは、わたしにとってのコロだったんだ)

つらくてコロのことを忘れてしまおうとしたのに、でも最後のひとかけらを手放せなかった。

不安な時、心細い時、寂しい時、わたしはいつでもロコを探した。

わたしが心の奥底にコロを閉じ込めてしまっていても、コロの思い出は、臆病なわたしをそっと支えていてくれたんだ。

ひかり

……ありがとう、コロ。

そうお礼を言ったわたしに、ロコと、その向こうにいるコロが、「どういたしまして」ってウィンクしてくれたような気がした。

ひかりの家リビング

ひかりの母

なーにひかり、今日も動物園行くの。

ひかり

うん!

シマウマ赤ちゃんの成長を見たいのもあって、わたしはその後も時々動物園へ遊びにいっていた。

ランドセルを下ろすわたしに、シメキリ前でぼさぼさ頭のお母さんは時計を見上げる。

ひかりの母

まあいいけど……この頃はどんどん日の入りも早くなってきてるから、遅くならないうちに帰りなさいね。

ひかり

はーい。

ひかりの母

あと、帰ったらちゃんと宿題と予習復習もやるように。

ひかり

は、はーい。

ひかり

(えっと、ロコは……いたいた)

ソファーに座っていたロコを連れていこうとして、伸ばしかけた手を止める。

ひかり

……ロコ、今日はお留守番しててね。行ってきます。

ひかりの母

…………。

ひかり

お母さんも、行ってきます。

ひかりの母

……ふふ、はいはい。行ってらっしゃい。

小学校教室

クラスの女の子

ひかりちゃん、今日も動物園行くの?

ひかり

うん。ミカちゃんも一緒に行く?

クラスの女の子

もう何回も行ったからねー。飽きちゃった……。

ひかり

あはは! そうだよね、この辺に住んでるとねぇ。

クラスの女の子

園内に遊園地あるじゃない? あそこで遊べたらまた別なんだけど、あっちはお金かかるもんね。

ひかり

そういえば、わたしも遊園地では遊んだことないな~。

ひかり

……あっ、あんまりゆっくりしてると遅くなっちゃう! ごめんね、また明日ね!

クラスの女の子

うん、またね~。

【==== 動物園園内 ====】

ひかり

(……わー、赤ちゃん大きくなってる!)

こうして動物園に来る時、要くんに会えない日もあった。

でも……いまは1人でも、あんまり怖くない。

ひかり

(あっ、今ふれあいコーナーやってるんだ)

ひかり

(何度か勇気を出そうとしたけど、まだ入れてないんだよね……)

飼育員のお姉さん

……ね、そこのあなた。

ひかり

…………え! わ、わたし……?

飼育員のお姉さん

そう。最近、ふれあいコーナー見にきてくれてるよね。よかったらあなたも抱っこしてみない?

ひかり

えっと……。えっと……

ひかり

う、うん! やってみたい!

思い切って参加してみたわたしの膝の上に、1羽のうさぎが入ったかごが乗せられる。

ひかり

(わああ……)

子どものわたしより、もっと小さい生きもの。

こわごわ触ってみたら、思ったより温かくて、思ったより力強くて、びっくりした。

もちろん、人間やもっと大きい動物からしたら弱い存在だと思う。

でも、小さな体でできる精一杯で、懸命に生きてるんだって伝わってくる。

ひかり

(そうだ……。……コロもこんなふうに、温かかった)

ひかり

(……かわいいなぁ)

ひかり

(それに、すごいなぁ……)

ひかりの部屋

ひかり

ロコ、今日はうさぎに触ったんだよ。それにシマウマの親子もね……。

家に帰って、お母さんやお父さん、それにロコにもその日のことをお話しする。

可愛いなって思える動物が少しずつ増えていった。

最初はちょっと怖かった子の名前を覚えて、特徴を覚えて、いつの間にか友達みたいな気分。

【==== 絵画教室 ====】

人が少ない日はスケッチしたりもして、それを絵画教室に持っていくと、ジュゼッペ先生も笑顔で褒めてくれたり、アドバイスをしてくれたりした。

そんなある日、また動物園を訪れると――

【==== 動物園園内 ====】

やあ、ひかりちゃん。

ひかり

えっ……要くん?

動物園の中なのに私服の要くんに声をかけられて、何だか新鮮な気分で挨拶をする。

ひかり

ちょっと久しぶりだね。

うん、前に会った時から1週間と少しかな? そんなに長い間じゃないのに、久しぶりに感じる。

ひかりちゃんに会えて嬉しいよ。

ひかり

……わ、わたしもだよ。

1人で動物園にいても怖いとか不安とかはなくなったけど、こうして要くんと話ができると、やっぱり安心して、嬉しい気分になった。

ひかり

要くん、今日は飼育員の服じゃないんだね。でも、その荷物は……?

10月に入ったら、園内にハロウィンをイメージした飾り付けをしようかってことになってさ。

旧ハンター邸も、建物に傷をつけない程度に飾るつもりなんだ。

見ると確かに、要くんの持っている段ボールやビニール袋からは、工作に使えそうな色とりどりの紙や布などが覗いていた。

今日はバイトの日じゃないんだけど、買った材料だけ置いていこうと思って――

ひかり

……あ! 要くん、落ちるよ。

え……あっ、本当だ!

荷物が多すぎてこぼれそうになっていたヒモの束を、すくい上げて袋の中に戻す。

ありがとう。張り切って買いすぎちゃってね。

ひかり

……ねえ要くん、わたし、荷物運ぶの手伝おうか?

えっ。いや、そんな……

ひかり

重い物とかは無理だけど、その荷物なら、ひとつひとつは軽そうだし。

う~ん……

遠慮されても押し切ろうと思っていたけど、要くんは考え込む途中で、ふっと何か思いついたようにした。

そっか。じゃあ悪いけど、少しお願いできるかな? 家の前までで大丈夫だから。

ひかり

……? うん、わかった!

ハンター邸

ここまでで大丈夫だよ。ありがとう、ひかりちゃん。

ひかり

どういたしまして!

軽い袋を2つほど持たせてもらったわたしは、玄関の前で荷物を下ろす。

要くんは旧ハンター邸の鍵を開けて手早く材料を中に運び入れると、すぐに外へ出てきて鍵をかけ直した。

ひかり

要くん、この後はもう帰るの?

最初はそのつもりだったんだけど……せっかくひかりちゃんに会えたし、しばらく一緒にいてもいいかな?

ひかり

……!! うんっ、もちろん!

ひかり

じゃあ、動物を見て回ったり……

……それもいいんだけど、今日は別の場所に行ってみない?

ひかり

えっ、別の場所? って、動物園の外に行くの?

ううん。まあまあ、ついてきて。

【==== 遊園地 ====】

ひかり

こ、ここって……!

遊園地だよ。ひかりちゃん、入ったことある?

ひかり

う……ううん!

要くんが連れてきてくれたのは、動物園内に造られた遊園地だった。

ひかり

(あるのはもちろん知ってたけど、こっちで遊んだことはなかったんだよね……)

ひかり

ここ、遊具に乗るのにお金が必要だよね? だから……

今日はその心配はしないで、僕に任せておいてよ。

パンダの絵と、さっき荷物を運んでもらったお礼だから。

ひかり

えぇっ!? そんな……

ひかり

(そう言ってもらえるのは嬉しいけど、いいのかな。絵も荷物運びも全然大したことしてないのに)

そう遠慮しないで。一番は、僕がひかりちゃんと遊んでみたかっただけだし。

ひかり

…………。

ひかり

……じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて……。よろしくお願いします。

うん! 少し待ってて、回数券買ってくるから。

それから……

ひかり

すご~い! 向こうの街や港まで見渡せるよ!

今日は晴れてるし、眺めがいいね。上から動物舎を見るのも面白いなぁ。

わたしたちは観覧車に乗ったり、

うわ~、すごい久しぶり感。

ひかり

要くん、王子様みたいだよ!

あはは、おだてすぎだってば。

メリーゴーランドに乗ったり、

うぅ、調子に乗りすぎた……

ひかり

だ、大丈夫!?

ティーカップを勢い良く回しすぎたり。

要くんと2人で、楽しい時間を過ごしていた。

嬉しかったのは、要くんがわたしを見守るんじゃなくて、一緒にアトラクションに乗ってくれたことだ。

両親や先生が『大人』として『子ども』のわたしを眺めるのとは違って、「次はあれに乗ろうか」ってエスコートしてくれて、同じ目線で楽しんでくれる要くん。

ひかり

(まるでデートみたい……な、なんてね……!)

はしゃぐ気持ちを隠しきれずに唇を緩めてしまいながら、一通りアトラクションを回る。

すると……

ひかりちゃん、疲れてない? 大丈夫かな。

ベンチで休憩している時に、要くんがこちらを窺った。

ひかり

平気、大丈夫だよ。要くんは?

僕もまだまだ大丈夫。

……実はね、もうひとつ、ひかりちゃんを連れていきたい場所があるんだ。

それも動物園の中にあるところなんだけど。来てくれる?

まだこの動物園の中に、わたしの知らない素敵な場所があるんだろうか。

そう胸をときめかせながら……わたしはもちろん、大きくうなずいていたのだった。