【==== 動物園園内 ====】
うん、遅くなってごめんね。すぐ帰るから……。うん、うん。はーい。
(…………はぁ~……)
感動した気持ちが残るなか、わたしはお母さんとの通話を切って携帯をポケットにしまう。
新しい命を迎えて要くんたちは忙しそうだったから、わたしは柵の向こうに軽く手を振って挨拶をした後、今日は帰ろうと出口に向かっていた。
……あ、そうだ。
思い出して、パンダ舎の方へ行ってみる。
……あった! 本当に飾ってくれてたんだ……。
屋内展示スペースに入ってすぐ。パンダの名前や説明の書かれたボードの下の方に、わたしの絵が綺麗に飾ってあった。
パンダは今は屋内に移っていて、絵と同じポーズでゴロゴロしていた。
……と、パンダがわたしの背後を見て、ふと頭を上げる。
わたしも同時に、後ろに現れた人の気配に気づいた。
ひかりちゃん。ここにいたんだね。
要くん! シマウマの親子は大丈夫?
もう少し手伝いがあるけど、お母さんも子どもも元気みたいだから。心配はいらないよ。
そうなんだ……。良かった。
あの……わたしの絵、飾ってくれてありがとう。
お礼を言うのはこっちだよ。飾らせてくれてありがとう。
この絵、来てくれたお客さんにも好評なんだ。よく似てるし、すごく可愛いって。
そ、そうなの? あんなの、落描きみたいなものなのに……。
照れて目線を逸らした先で、さっきまでのわたしたちの緊張なんて知らず、パンダがのんきにあくびをする。
気の抜けた空気にわたしも要くんも笑って、明るい気持ちで「またね」を言った。
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ひかりの家リビング
お母さん、ただいま!
お帰り。暗くなる前に帰ってこられて良かったわね。
お父さんもそろそろお仕事終わる頃だし、夕ご飯の準備するわよ。
……あのね、お母さん。
コロの写真とかって、ある?
…………。
思い出したのね、ひかり。
うん……。
お母さんもお父さんも、わたしが動物苦手な本当の理由、わかっててそっとしておいてくれたんだよね。
そうね。無理にコロのことを言っても、ひかりがつらいだけだと思ったから。
でも、ひかりがコロのことを本当に忘れたり、嫌な記憶だと思ってるわけじゃないのも知ってたのよ。
ひかりがいつも連れてるロコ、色や顔立ちが、コロに似てるものね。
……うん。
だから、無理やり思い出させるようなことはしないけど、犬を飼ってたことまで全部なかったことにはしないし、聞かれたら教えようって決めてたのよ。
でも、もう少しひかりが大きくなってからかなって思ってたわ。何かあったの?
えっとね……。
わたしは今日動物園で見たことや、要くんが言ってくれたことを説明した。
お母さんは聞き終わると、微笑んでわたしの頭を撫でてくれる。
そう……。いい経験をしたわね。
うん……!
前にひかりを家まで送ってもらったこともあるし、今度お礼に行かないとだわ。
でもお母さん、今忙しいんでしょ? シメキリが近くて。
……そうね……。それこそあんまり思い出したくなかったけど……。
まあ、とりあえずは「お母さんもお礼言ってた」って要くんに伝えておいて。……はぁ……。
はーい。
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ひかりの部屋
お父さんも帰ってきてみんなで夕ご飯を食べた後、わたしは自分の部屋へ行ってロコと一緒にベッドへ寝転んだ。
手元には、お母さんが押入れから出してきてくれたアルバムがある。
ロコ。忘れちゃってたけど、これがロコのお姉ちゃんのコロだよ。
写真の中のわたしは、コロを抱きしめて、すごく楽しそうに笑っていた。
大好きだったコロ。……ううん、いまも大好きだって思う。
(ロコは、わたしにとってのコロだったんだ)
つらくてコロのことを忘れてしまおうとしたのに、でも最後のひとかけらを手放せなかった。
不安な時、心細い時、寂しい時、わたしはいつでもロコを探した。
わたしが心の奥底にコロを閉じ込めてしまっていても、コロの思い出は、臆病なわたしをそっと支えていてくれたんだ。
……ありがとう、コロ。
そうお礼を言ったわたしに、ロコと、その向こうにいるコロが、「どういたしまして」ってウィンクしてくれたような気がした。
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ひかりの家リビング
なーにひかり、今日も動物園行くの。
うん!
シマウマ赤ちゃんの成長を見たいのもあって、わたしはその後も時々動物園へ遊びにいっていた。
ランドセルを下ろすわたしに、シメキリ前でぼさぼさ頭のお母さんは時計を見上げる。
まあいいけど……この頃はどんどん日の入りも早くなってきてるから、遅くならないうちに帰りなさいね。
はーい。
あと、帰ったらちゃんと宿題と予習復習もやるように。
は、はーい。
(えっと、ロコは……いたいた)
ソファーに座っていたロコを連れていこうとして、伸ばしかけた手を止める。
……ロコ、今日はお留守番しててね。行ってきます。
…………。
お母さんも、行ってきます。
……ふふ、はいはい。行ってらっしゃい。
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小学校教室
ひかりちゃん、今日も動物園行くの?
うん。ミカちゃんも一緒に行く?
もう何回も行ったからねー。飽きちゃった……。
あはは! そうだよね、この辺に住んでるとねぇ。
園内に遊園地あるじゃない? あそこで遊べたらまた別なんだけど、あっちはお金かかるもんね。
そういえば、わたしも遊園地では遊んだことないな~。
……あっ、あんまりゆっくりしてると遅くなっちゃう! ごめんね、また明日ね!
うん、またね~。
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【==== 動物園園内 ====】
(……わー、赤ちゃん大きくなってる!)
こうして動物園に来る時、要くんに会えない日もあった。
でも……いまは1人でも、あんまり怖くない。
(あっ、今ふれあいコーナーやってるんだ)
(何度か勇気を出そうとしたけど、まだ入れてないんだよね……)
……ね、そこのあなた。
…………え! わ、わたし……?
そう。最近、ふれあいコーナー見にきてくれてるよね。よかったらあなたも抱っこしてみない?
えっと……。えっと……
う、うん! やってみたい!
思い切って参加してみたわたしの膝の上に、1羽のうさぎが入ったかごが乗せられる。
(わああ……)
子どものわたしより、もっと小さい生きもの。
こわごわ触ってみたら、思ったより温かくて、思ったより力強くて、びっくりした。
もちろん、人間やもっと大きい動物からしたら弱い存在だと思う。
でも、小さな体でできる精一杯で、懸命に生きてるんだって伝わってくる。
(そうだ……。……コロもこんなふうに、温かかった)
(……かわいいなぁ)
(それに、すごいなぁ……)
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ひかりの部屋
ロコ、今日はうさぎに触ったんだよ。それにシマウマの親子もね……。
家に帰って、お母さんやお父さん、それにロコにもその日のことをお話しする。
可愛いなって思える動物が少しずつ増えていった。
最初はちょっと怖かった子の名前を覚えて、特徴を覚えて、いつの間にか友達みたいな気分。
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【==== 絵画教室 ====】
人が少ない日はスケッチしたりもして、それを絵画教室に持っていくと、ジュゼッペ先生も笑顔で褒めてくれたり、アドバイスをしてくれたりした。
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そんなある日、また動物園を訪れると――
【==== 動物園園内 ====】
やあ、ひかりちゃん。
えっ……要くん?
動物園の中なのに私服の要くんに声をかけられて、何だか新鮮な気分で挨拶をする。
ちょっと久しぶりだね。
うん、前に会った時から1週間と少しかな? そんなに長い間じゃないのに、久しぶりに感じる。
ひかりちゃんに会えて嬉しいよ。
……わ、わたしもだよ。
1人で動物園にいても怖いとか不安とかはなくなったけど、こうして要くんと話ができると、やっぱり安心して、嬉しい気分になった。
要くん、今日は飼育員の服じゃないんだね。でも、その荷物は……?
10月に入ったら、園内にハロウィンをイメージした飾り付けをしようかってことになってさ。
旧ハンター邸も、建物に傷をつけない程度に飾るつもりなんだ。
見ると確かに、要くんの持っている段ボールやビニール袋からは、工作に使えそうな色とりどりの紙や布などが覗いていた。
今日はバイトの日じゃないんだけど、買った材料だけ置いていこうと思って――
……あ! 要くん、落ちるよ。
え……あっ、本当だ!
荷物が多すぎてこぼれそうになっていたヒモの束を、すくい上げて袋の中に戻す。
ありがとう。張り切って買いすぎちゃってね。
……ねえ要くん、わたし、荷物運ぶの手伝おうか?
えっ。いや、そんな……
重い物とかは無理だけど、その荷物なら、ひとつひとつは軽そうだし。
う~ん……
遠慮されても押し切ろうと思っていたけど、要くんは考え込む途中で、ふっと何か思いついたようにした。
そっか。じゃあ悪いけど、少しお願いできるかな? 家の前までで大丈夫だから。
……? うん、わかった!
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ハンター邸
ここまでで大丈夫だよ。ありがとう、ひかりちゃん。
どういたしまして!
軽い袋を2つほど持たせてもらったわたしは、玄関の前で荷物を下ろす。
要くんは旧ハンター邸の鍵を開けて手早く材料を中に運び入れると、すぐに外へ出てきて鍵をかけ直した。
要くん、この後はもう帰るの?
最初はそのつもりだったんだけど……せっかくひかりちゃんに会えたし、しばらく一緒にいてもいいかな?
……!! うんっ、もちろん!
じゃあ、動物を見て回ったり……
……それもいいんだけど、今日は別の場所に行ってみない?
えっ、別の場所? って、動物園の外に行くの?
ううん。まあまあ、ついてきて。
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【==== 遊園地 ====】
こ、ここって……!
遊園地だよ。ひかりちゃん、入ったことある?
う……ううん!
要くんが連れてきてくれたのは、動物園内に造られた遊園地だった。
(あるのはもちろん知ってたけど、こっちで遊んだことはなかったんだよね……)
ここ、遊具に乗るのにお金が必要だよね? だから……
今日はその心配はしないで、僕に任せておいてよ。
パンダの絵と、さっき荷物を運んでもらったお礼だから。
えぇっ!? そんな……
(そう言ってもらえるのは嬉しいけど、いいのかな。絵も荷物運びも全然大したことしてないのに)
そう遠慮しないで。一番は、僕がひかりちゃんと遊んでみたかっただけだし。
…………。
……じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて……。よろしくお願いします。
うん! 少し待ってて、回数券買ってくるから。
それから……
すご~い! 向こうの街や港まで見渡せるよ!
今日は晴れてるし、眺めがいいね。上から動物舎を見るのも面白いなぁ。
わたしたちは観覧車に乗ったり、
うわ~、すごい久しぶり感。
要くん、王子様みたいだよ!
あはは、おだてすぎだってば。
メリーゴーランドに乗ったり、
うぅ、調子に乗りすぎた……
だ、大丈夫!?
ティーカップを勢い良く回しすぎたり。
要くんと2人で、楽しい時間を過ごしていた。
嬉しかったのは、要くんがわたしを見守るんじゃなくて、一緒にアトラクションに乗ってくれたことだ。
両親や先生が『大人』として『子ども』のわたしを眺めるのとは違って、「次はあれに乗ろうか」ってエスコートしてくれて、同じ目線で楽しんでくれる要くん。
(まるでデートみたい……な、なんてね……!)
はしゃぐ気持ちを隠しきれずに唇を緩めてしまいながら、一通りアトラクションを回る。
すると……
ひかりちゃん、疲れてない? 大丈夫かな。
ベンチで休憩している時に、要くんがこちらを窺った。
平気、大丈夫だよ。要くんは?
僕もまだまだ大丈夫。
……実はね、もうひとつ、ひかりちゃんを連れていきたい場所があるんだ。
それも動物園の中にあるところなんだけど。来てくれる?
まだこの動物園の中に、わたしの知らない素敵な場所があるんだろうか。
そう胸をときめかせながら……わたしはもちろん、大きくうなずいていたのだった。