【==== 裏口廊下 ====】
催眠ガスのせいで私の意識はさっきから朦朧としていた。
それでも、間違いなく「王子を殺す」と、反乱軍のボスがそう言ったのが聞こえていた。
その証拠に、ボスの手には拳銃が握られている。
けれど乱暴につかまれて、無理矢理顔を上げさせられたのは……。
(アラディン……!?)
銃口を近付けられたのは、ナーゼルではなくアラディンの方だった。
背筋を凍らせながら、私は力を振り絞って叫ぶ。
やめて! その人は王子じゃない! アラディンを離してよ!
はて? こちらのお嬢さんは何を言っているのかな?
そっちこそ何わけのわからない事をしてるの!?
そ、それにっ、そもそも王子様がこんな場所にいるわけないでしょ! 本物は別のホテルにいるんだから!
ナーゼル、そうですよね? 王子様はもっと、別の……っ。
すがるようにナーゼルに視線を向けるけれど……その瞬間、私は声を失う。
…………。
唇を噛みしめ、床をにらむようにしながら、ナーゼルは苦渋に満ちた顔をしていた。
……ナーゼル?
すまない……紗奈……。
奴の言う通り……エルサニアの王子は……。
本当の王子は──このアラディン王子なんだ。
朦朧とした頭が、余計に混乱していく。
アラディン……王子……?
まだ顔がそれほど知られていない事を利用して、SPである俺が王子のフリをしていた。
俺こそが、王子の影武者だったんだ。
…………。
ナーゼルの言葉を、私はすぐに飲み込むことができなかった。
……そんな……。
だって、アラディンは……。
いつも周囲を酷く警戒していて、怪しい動きを見逃さないように目を光らせていた。
本気でナーゼルを守るために動いていた。それは間違いないと思う。
(でもそれは……アラディン自身の信念の表れだった……?)
(大事な人を守ろうとする気持ちがとても強くて……同じだけ優しい……)
(そのアラディンが………王子様……)
これはこれは……くくっ。日本で言う三文芝居というやつか。茶番劇とも言ったかな?
そういえば、手を離せとさっきからお嬢さんが言っていたなぁ。
ガスマスクの下でいやらしく笑って、反乱軍のボスはパッと手を離した。
無理に顔を上げさせられていたアラディンは、突然支えを失って床に崩れ落ちる。
試作中だという催眠ガスのせいで、アラディンも満足に体を動かせない状態なのだ。
アラディン……!
恐怖と混乱に涙を散らして、私は彼の名前を叫んだ。
おっと、変な動きをしようなどと思うなよ。
……っ。
脅すように、でも笑いながら銃口を向けられて私は喉を引きつらせた。
反乱軍のボスは満足げに私から銃をそらすと、まるで弄ぶように、またアラディンを無理矢理引きずり起こす。
……地面にぶつけられても、玩具のように扱われても、アラディンはずっと黙っていた。
けれど、反乱軍のボスが笑いながらアラディンを覗き込もうとした瞬間、彼は何かを押し隠すのを止めたように、厳然(げんぜん)とした声を響かせた。
そこにいる彼女に手出しすることは許さない……。
エルサニア第5王子の名の下に命令する! その日本人の娘を今すぐに釈放しろ!!
…………っ!?
反乱軍のボスの肩が、一瞬びくりと揺れる。
……いや、もしかしたら実際はそんな動きはしていなかったのかもしれない。
けれど、私の目には確かに見えた気がした。
力で屈服されているにも関わらず、アラディンが覇気のみで反乱軍のボスを圧倒しているのが……。
王族の血統、誇り高さ。そういうものを垣間見た気がした。
ああ、アラディンは本物の王子様なんだと……私もようやく理解する。
ふ……ハハハ……! こんな東洋の辺境で何を言っても無駄だ!
一瞬怯んだ反乱軍のボスだけど、すぐに見せ付けるように嘲笑を始める。
安心しろ。さっきも言っただろう? 何もそこのお嬢さんの命までとろうとは我々も言っていない。
……ちゃんと“再教育”をしてから、砂漠の奴隷商人にでも高く売ってやるさ。フハハハハハ……!
…………っ!! キサマァ~!!
怒りを露わにして、アラディンはゆらりと立ち上がった。
ふらつきながらも、体ごとぶつけるようにして反乱軍のボスに迫る。
まさか反抗されると思ってなかったのか、相手はとっさに身を引いた。
その弾みで引き金が引かれたのか、大きな銃声が鳴り響いて、私は反射的にぎゅっと目を閉じる。
慌ててすぐに目を開けると、必死のアラディンの猛攻が軽くかわされているのが目に入った。
はは……! 残念だったな! 体当たりと見せてこの銃を奪うつもりだったんだろう?
銃を両手で守りながら、ふらつくアラディンの背中を見てあざ笑う。
バレバレなんだよ、魂胆が。これだから──。
──しかし、耳障りな声は一瞬でかき消えた。
渾身の攻撃を避けられた……誰もがそう思っていたけれど、アラディンは鋭く身をひるがえし再びボスに迫った。
彼の狙いは、最初から銃などではなかったのだ――!!
持てる力全てで一点突破するように、アラディンはボスが付けていたガスマスクを剥ぎ取った。
な、何……っ!?
銃を必死で守ろうとして、それ以外は無防備になっていたボスの目が見開かれる。
奪ったガスマスクで口元を覆うと、アラディンはまだ少し辛そうにしながらも、冷静にボスを見つめた。
これだから……の続きを聞きたかったよ。
あまりの衝撃にか、ボスは思い切り充満しているガスを吸い込んだらしい。
真っ青な顔がやがて朦朧とし始め、その場に倒れた衝撃でまたガスを取り込んだのか、私達と同じように、反乱軍のボスも床に崩れ落ちる。
く……くそ……っ、こんな……!
紗奈……!
アラディンは無理矢理体を動かして私のそばまでやって来てくれた。
アラディン……。
しっかりしろ……! 大丈夫だ、きっと突破口を探してみせるから。君のこともオレが抱えていく。
ナーゼル、動け……。
ナーゼルに声をかけながら私を抱えようとしたみたいだけど、アラディンはがくりと膝をつく。
くそ、まだガスの影響が……。
……その時、廊下の向こうから何か物音が聞こえてきた。
はっとして耳をすますと、何かを叫ぶ声と、複数の足音がこちらに近付いているとわかる。
敵の増援か!?
……っ、アラディン! 逃げて!
血の気が引くのを感じながらも、私は乾いた唇で叫んだ。
そんな私を見つめ、アラディンは大きく目を見開く。
こんな所であいつらに捕まったりしちゃだめ! あなただけでも逃げて!
アラディンがどれほど国を大事にしていて、どんな覚悟でここにいるのか。
一緒にいた時間は短いけれど、私はしっかりこの目で見て、肌で感じた。
…………。
アラディン、早く!!
…………嫌だ! オレは逃げない!
な……。
私の言葉をきっぱり拒否すると、アラディンはまたふらつきながら足を動かす。
紗奈はそこで待っていろ。
もう身動きが取れないらしい反乱軍のボスから銃を奪うと、アラディンは声のする方に向かってそれを構える。
アラディン!!
複数の足音は、もうすぐそこまで近付いていた。
床を通じて伝わってくる振動から、少なくともその銃一つで勝てるような人数ではないのがわかる。
それでもアラディンは決して逃げようとしない。
オレにもオレの正義がある……!
(……っ……アラディン……!)
(でも……もうだめ……!!)
そう思って、ぎゅっと目を閉じた瞬間だった。
────……奈!! 紗奈ぁ~っ!!
……っ!!?
耳に飛び込んでくる、涙声の叫び。
ナーゼルとアラディンも、驚きに目を見開いて廊下の先を見つめた。
その先にあったのは……。
私たちは日本の警察だ! 敵ではない!
紗奈……っ、紗奈ぁっ!!
………………。
亜美……。
廊下の先に現れたのは、武装した機動隊員と、彼らの後ろを走っている亜美の姿だった。
廊下に響き渡る親友の声に、体中から力が抜けていく。
……助かった、のか。
ため息と一緒に呟いて、アラディンはようやく銃を構えた手を下ろした。
けれどとうとう緊張の糸が切れたのか、彼の体が大きくぐらりと傾く。
私の意識も、同じく限界だった。
倒れる瞬間まで私を守るように覆いかぶさるアラディンの姿を最後に……私の視界はふっと真っ暗になった。
・
・
・
眠りの館
……次に目を覚ました時、私はストレッチャーの上に寝かされて救急隊員の診断を受けていた。
すぐに心配そうな顔をした亜美が私に飛びついてくる。
紗奈……! よかった、すぐに気がついて!
亜美……ここは……?
まだ眠りの館の近くだよ。苦しいところとかはない!?
うん、私は平気……。……っ!? そうだ、アラディンとナーゼルは!?
う……。
いたた……。倒れたときにぶつけた膝が痛い……。
……! 二人とも……!
二人もすぐ隣のストレッチャーに寝かされていた。
顔をしかめてはいるけれど、目立った怪我もなさそうだ。
上体を起こし、私の姿を確かめると二人はホッとしたように頬を緩める。
二人とも……無事だったんだ……。
安堵から、私の瞳には熱い涙が浮かんだ。
……それから私達は医師の診察を受け、特に催眠ガスの影響もなさそうだったのと、二人が希望した事もあって、その場で警察の事情聴取などを先に受けた。
それにしても驚きました。
まさか亜美のパパが、警察のとっても偉い人だったなんてね。
……実は私は、眠りの館に向かう前に携帯で亜美に全ての事情を伝えていた。
亜美のお父さんの事は知っていたのでなんとか協力してもらいたいと頼んでいたのだ。
でもパパたちを説得するのに時間がかかっちゃって……。遅くなって本当にごめん! 紗奈!
そんなの、全然だよ……。
亜美のお陰でアラディンとナーゼル、それに私も助かったんだもん。
二人が無事だったことが、今はただただ嬉しい。
本当にありがとう……。
その後すぐに地下の実験施設は制圧され、反乱軍の者達は全て警察に捕まえられた。
後に彼らは国際警察(ICPO)に引き渡され、エルサニアに強制送還されるらしい。
私達の簡単な事情聴取も一段落し、まだ慌しく警官達が行きかうのを横目に、私とアラディン、ナーゼルは少し騒がしさから離れて、3人で集まる。
よく見れば、東の空はほんの少し明るくなっていた。
……それにしても……。
夜明け前のひんやりした空気に、私の小さな呟きが溶ける。
まさか貴方が、本物のエルサニアの王子様だったなんて……。
改めてその事を思い出してアラディンを見ると、彼は少しだけばつが悪そうに苦笑した。
言っておきますが、今回の無茶の大体はアラディンが言い出した事ですからね。
うん、たぶんそうなんだろうなと思います。
おい……。
でもアラディン……私のこと、怒ってないの?
怒る? どういうことだ?
二人を追って眠りの館に来たこと。
館の中にいた時にも怒られたけど、後からもっと叱られるかと思ってた。
ああ……そのことならもういいんだ。
“自分が信じる正義のために”。
……君のあの言葉を聞いたら、もう何も言えなくなった。
えっ?
オレの“アラディン”という名前は、エルサニアでは『正直者』や、『正しく導く者』という意味を持っている。
君の正義は、オレにも正しいものだと思えた。正しい行動をした者を怒る理由などないだろう。
正しく導くもの……。
……日本には、名は体を表すって言葉があるけど、その通りなのかも。
名は……体、を?
ようは、アラディンにぴったりの名前ってこと。
そうか……。
短く呟くアラディンは少し嬉しそうだった。
けど、その笑みをふいに消して、アラディンが真剣な瞳で私をとらえる。
…………紗奈。
どれくらい先になるかはわからないが、いつか内戦が落ち着いたら、紗奈には本当にオレの国へ来て欲しい。
えっ……。
父上や母上にも紹介したい。
ええっ!!!??
(ごっ、ご両親に紹介っていうのは、それは、それは……っ)
一足飛びに色々な想像をしてしまい、かあっと頬が熱くなってくる。
その嬉し恥ずかしな妄想を必死に押し込めていると、アラディンは爽やかに笑って言葉を続けた。
オレの国にきて……君の目で見たエルサニアの真実を、世界に伝えて欲しい。
……………………。
な、なるほどね、そういう事ね……。
がっくり肩を落として、尻すぼみに私は呟いた。
どこかに期待している自分がいたのか、肩透かしが思いの他ショックなのと、勘違いが恥ずかしいのとで、とても顔を上げられなくなる。……けれど。
……ジャーナリストの妃も悪くないな。
……!!!!
ぼそりとアラディンが呟いた言葉に、私は耳まで真っ赤になった。
今度は別の意味で顔をあげられずにいると、さっきからムズムズしつつ私達を見守っていたらしいナーゼルが、意を得たとばかりに、ぐいぐいと私達の肩をつかんでくっつける。
紗奈! アラディン!
きゃっ……!
お、おい、ナーゼル!
一日も早くエルサニアが平和になるといいですね!
ゆっくりと明るさを増していく朝焼けの下、ナーゼルは満面の笑顔でそう言った。
ナーゼル……。
差し込む光に照らされ、辺りはどんどん白く輝いていく。
長かった夜がやっと明けていく瞬間だった。
……ああ、そうだな。
静かで、でも力強い声に顔を上げるとアラディンの綺麗な瞳と目が合う。
あの約束が、一日でも早く果たされる日が来るように。
私も心の中で同じ願いを強く抱きながら……アラディンと一緒に明るく美しい東の空を見つめて、その眩しさに目を細めたのだった。