【==== エレベーター内 ====】
︙
……エレベーターのコントロールが利かなくなってる。
ナーゼルの硬い声と、止まらない機械音を聞きながら……指先がすっと冷えていくのを感じた。
急いで現在地のすぐ上の階のボタンを押すけれど、エレベーターが止まる気配は全く無い。
他の階のボタンを全て押してみても、ランプが点灯するだけでエレベーターはひたすら上昇し続けた。
奴らがコントロールを奪ったのか……?
『……さすが察しがいい。その通りだよ』
…………!!
何者だっ!?
突然聞こえた声に、オレとナーゼルは急ぎ周囲を見回し警戒した。
しかし暴走しているこのエレベーター周辺に敵がいるとも思えない。
すぐに、声の発生源はエレベーター内部にあった業務連絡用スピーカーだとわかった。
『……お前がここのボスか?』
相手の声に聞き覚えはないが、使われているのは間違いなくオレ達の国の言葉だった。
同じくエルサニアの言葉で問いかけるが、まともな返事は返って来ない。
『そういう君達は、どこの国の勇ましいスパイかと思えば……』
『くっくっ……まさか王子様自らのお出ましとは、全くご苦労な事だ』
……!
スピーカーから聞こえてくる揶揄(やゆ)にピクリと眉が寄った。
(こちらの正体はすでに知られていたか……)
エレベーター内の監視カメラはすでに無力化していた。
おそらくさっきデータを盗んだフロアにもカメラが設置してあったのだろう。
ナーゼルは端整な顔を歪ませて、厳しく叫んだ。
『お前たち、こんなことをしてただで済むと思うなよ!』
しかし返って来るのは耳障りな笑い声だけだった。
『のこのこ自分達から殺されに来るとは、国民思いな王子様だ』
『そんな王子様とお付きが、遠い島国で行方不明になったという知らせを本国でばらまいたら……』
『国の民は、一体どんな顔を見せてくれるだろうなぁ?』
……くそっ……!
(このままではまずい……何とか脱出する方法を…………)
そう思って、奥歯を噛んだ時だった。
ビーーッ! ビーーッ! ビーーッ!
……っ!? な、何だ!?
けたたましく鳴り響く警報のような音。
エレベーター……? いや、この建物からか!?
『何だ!? 何事だ!?』
とっさの事でマイクをオフにするのを忘れたのか、相手の男の焦った声がスピーカーから流れてきた。
どうやら奴らからしてもこの異常音は想定外の事のようだ。
……………………!
──その時、オレは一つの異変に気付き、ぴたりと動きを止めた。
(これは……)
『何者かが館内の非常ベルを押したようです!』
『ちいっ……! まだ仲間がいたのか!!』
部下が報告したらしい声、忌々しげに悪態(あくたい)をつく声が聞こえてくる。
『このままでは館と契約している警備会社の者がすぐにやってきます』
『エレベーターの操作を解除しなくては異常に気付かれてしまうかと……』
『…………仕方ない。操作を解除しろ』
『王子様、聞こえていたかね? お仲間の活躍で、エレベーターは無事止まる事になりそうだよ』
『しかし……残念だ』
『ベルを押された事によって、君とお付きの命はあと数分のものになってしまった』
何……っ。
『エレベーターは1階で止まる。そのドアが開いた時が君達の心臓が止まる時だ』
『せいぜい神にでもすがるがいい』
ブツッと短い音がして、それきりスピーカーからは何も聞こえなくなった。
くっ……何とかしなくては……。ここで死ぬわけには……。
…………。
ナーゼル、スピーカーは今、完全に切られているな?
え……? …………ああ、おそらく。
少し様子を見てからナーゼルが頷いたので、オレはさっきからずっと感じていた異変……。
上着のポケットの中で震えている“それ”を、慎重に取り出した。
……それは……。
ブーッ、ブーッと震えているのは淡い色合いの小さな携帯電話だった。
いつの間に、誰がオレの服に入れたのかわからないが、さっきから着信している。
ディスプレイには発信元の番号が表示されているだけで、特に他の文字は表示されていない。
…………。
ナーゼルもいぶかしむ中、オレは慎重に通話ボタンを押した。
……誰だ。
──けれど、次の瞬間に聞こえてきたのは……。
『アラディン……!』
…………!!
女性特有の高い声と、日本人の発音でつづられる自分の名前。
オレをこう呼ぶのは、この国ではたった一人しかいなかった。
…………紗奈? まさか紗奈なのか?
えっ!? 紗奈!?
『そう……! 紗奈! 良かったぁ……無事だったのね!』
携帯から聞こえてくるのは、少し涙ぐんでいるらしい紗奈の声だった。
その声を聞いて、少しの間だけ頭から様々な考えが抜けてしまう。
けれどすぐにハッと我に返って、オレは携帯を握りしめた。
ナーゼルが近付いてきたので、受話音量を上げて、彼にも紗奈の声が聞こえるようにする。
紗奈、一体どういう事だ!? この携帯は……。
『それ、私が今朝まで使っていた古い携帯。さっき、こっそりアラディンの上着のポケットに入れておいたの』
『充電はまだあったから……眠りの館の公衆Wi‐Fi周辺なら使えると思って』
公衆Wi‐Fi……
『契約は解約しちゃってるけど、Wi‐Fi専用機としてなら使えるし……』
『そっちには電話会社と契約してなくても使えるIP電話のアプリを入れてあったの』
『そのことを思い出して、今、新しいスマホから電話してるんです』
『もちろん館の周辺から離れれば使えなくなっちゃうけど……』
…………すごいな。
紗奈のとっさの機転に、ナーゼルが素直に感心したような声を出す。
けれどオレの胸には焦燥感と不安が込み上げていた。
まさか、館内の非常ベルを押したのは君か?
『うん、そう』
君……っ。
『待って……! 詳しい事情は後で全部説明するから、お願い、今は私の話を聞いて!』
『ここから脱出するために、一つ考えがあるの』
・
・
・
【==== エレベーター前 ====】
︙
『ああ、全くもって不愉快だ……! 私は予定を狂わされるのが昔から大嫌いなんだよ!』
『ひっ……も、申し訳ありません!』
『それに盗まれてしまった情報を公開されれば……私達は終わりだ!』
『たとえ政府側からの追求を逃れられても、失敗した者を仲間達は許さないだろう』
『だから絶対に王子達をここで始末しなくては……』
『館の警備の者達がくるまで、あとどれくらいだ?』
『20分ほどでこの館に到着します』
『よし……それだけあれば十分だ』
『……お前達、先ほどの失態を忘れるなよ? 奴らの体に、しっかり鉛玉を撃ち込むんだ』
『次に無様な姿を晒せば、王子と一緒にお前達も物言えぬようにしてやる!』
『は、はいっ……!』
(さぁ、早く来い……! ドアが開くと同時にお前達は蜂の巣だ!)
(もし、さっきのように何か小細工をするようなら……)
ウィーーーー…………ガゴン!!
(……!)
『閃光弾だ……!』
・
・
・
『……ふっ……くくく……』
『……王子様、失望したよ』
『さすがに我らも二度も同じ手を食うほど愚かじゃない』
『そちらに閃光弾があるとわかっているのに、ガスマスクとゴーグルを用意しないとでも思ったのかね?』
『…………中を確認しろ。他にも何か隠しているかもしれん。慎重にな』
『は、はっ…………!』
『生きて捕まえられれば……その時は私自ら手を下してやろうか』
『……………………っ!?』
『ボス、いません! エレベーター内に王子の姿がありません!』
『……何っ!?』
……いやぁ~、皆様お疲れ様です!
『…………!!??』
『あ、あいつらの声だ! 一体どこから……』
というわけで、脱出イリュージョン成功~! ごきげんよう~!
『なっ……』
『ボス! あちらの廊下から足音と声が!』
『くっ……いつの間にエレベーターを脱出していたんだ!?』
『くそっ、小細工ばかりしおって忌々しい……! 追え! 絶対に逃がすな!』
『は、はっ…………!』
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・
・
…………もう、大丈夫ですかね。
ああ……。
足音が完全に遠のいたのを確認してから、オレ達はエレベーターの天井裏から、非常口を通ってかごの内部へと静かに着地した。