北野神社
眠りの館から何とか逃げ出し、謎の追手に捕まる事無く、無事に今まで過ごす事ができた。
この後お二人は一体どうするんですか?……とは聞いたものの、私の頭の中には、『後はホテルにさえ辿りつければもう大丈夫だろう……』という考えがあったんだと思う。
だから、アイコンタクトをかわした後アラディンとナーゼルが言った言葉に、私は思わず叫んでしまったのだ。
私達はこれからもう一度、眠りの館に戻るつもりです。
……………………。
え、えええぇっ……!!?
思わず目を見開いて、二人を凝視してしまう。
私の反応が想定内だったのか、ナーゼルは苦笑いで頬をかいた。
あはは、『正気か?』とでも言いたげな顔ですね。
だ、だって……。
ようやくここまで逃げられたのに、また危ない場所に戻るなんて……。
眠りの館で、おそらく私達は自然に寝入ったわけじゃない。何らかの手段によって眠らされてしまったのだ。
オレと王子は、ここへ遊びに来たわけじゃないんだ。
(…………!)
アラディンの瞳の真剣さに気付いて、私はどきりと息を飲んだ。
さっきまで観光のようなものをしていた事もあって、この“お忍び”の行動は、息抜きのようなもの……そもそも日本に来たのも疎開的なものと感じていたけれど。
……何か別の目的があるってこと?
……そうだ。
そこから先は、私の方からお話ししましょうか。
紗奈は、私達の国が今どういう状態なのか、ご存知ですか?
そう尋ねられて少しぎくりとする。
二人の心情を思うと言い辛いけれど……私は正直に質問に答えた。
日本国内で報道されている程度は……。死者まで出す内戦が絶えないと……。
政府……つまりナーゼル達、王家に対抗している原理主義組織があって、争いが絶えないって。
ようは、同じ宗教でもとらえ方や思想の違いによって自分が信じる神が正しいと敵対し、戦争までしているのだ。
そうです。悲しい事にそれが私達の故郷の現状です。
そして、おそらく紗奈が見聞きした以上の犠牲が、今なお続いています。
…………。
もはや、事はエルサニアだけに納まらなくなりつつあるのです。
難民問題に、長引く内戦を利用しよう、介入しようと暗躍する者達、周辺国の反応……。
そんな中、私達はある一つの情報をつかんでこの日本にやって来ました。
……私達を敵視している反乱軍。その者達が、この日本で催眠ガス実験を行っているというのです。
………………!!!!
信じられない言葉を告げられて、月明かりの下、私は目を見開いた。
日本で……催眠ガス……?
自分達の国で、恐ろしい実験が行われている。
平和が当たり前の私にとって、ナーゼルの言葉はあまりにも
ショックの大きいものだった。
蒼白になった私を見て、二人はわずかに視線を落とす。
国家機密にも触れるため、これ以上詳しい事は言えないのですが……。
私達はその情報の真偽を確かめるために、視察団に紛れて日本へとやって来ました。
元々私は第六王子としてあまりメディアに露出していないのもあって、都合がよかったので。
……そう。そういう事だったんですね。
作りかけのパズルが一気に一枚の絵になっていくように……頭の中で情報の欠片が整理されていく。
眠りの館の噂。私達……正確にはアラディンとナーゼルに向けられた謎の追手の正体。
今まで私達を追いかけていた相手は、反乱軍の一味だったんですね。
そして眠りの館の噂……あれはリラックスするあまりに眠ってしまうなんて平和なものじゃない。
反乱軍の催眠ガス実験が、眠りの館で行われているんですね?
……その可能性が高いんじゃないかとオレ達はにらんでいる。
という事は、そもそも眠りの館は反乱軍の実験のために建てられたものなんですか?
そこまではまだつかめていません。日本国内の施設ですから、やはり様々な活動に制限がかかります。
だからこそ、こうしてオレ達が密かに調査をしに来たんだ。
(そうだったんだ……)
実験でガスが漏れ出しているのか、あるいは人体実験として薄めたガスを故意的に流しているのか……。
どちらにしても、このまま見逃すわけにはいきません。
催眠ガスが完成し、反乱軍が実戦に投入すれば……極めて凶悪な兵器になります。
……奴らの手段は過激だ。
奴らにとって必要であれば、民間人、無抵抗の者にも迷い無く危害を加える。
今以上の甚大な被害が出る事だけは避けなければならない。……絶対に何としてもだ。
……でも、だからって何も今敵の本拠地に乗り込まなくても……。
思わずそうこぼしてしまうけれど、アラディンはいいや、と首を振った。
今だから、チャンスなんだ。
エルサニアの王子が日本に来ているという報道は、おそらく反乱軍も耳にしている。
だから、『政府関係者は王子が日本に滞在している間は大きな動きをしないだろう』と、反乱軍の奴らはそう判断するはずだ。
……その油断を、オレ達がつく。
普通に考えれば、警護を含めてエルサニアのエージェント達は王子の安全に努めますからね。
エージェントの目が王子に向いている今なら反乱軍は却って動きやすくなり、件のガス実験は継続される……。
そう見込んで、私達は影武者の王子と警護の者達をホテルに残し、少数精鋭で動いているんです。
…………。
お二人の考えはよくわかりました。けど……。
それでもやっぱり、あまりにもリスクが大きくはないですか?
失礼を承知で、私は言わずにはいられなかった。
眠りの館から追手が放たれるのを私達、見ましたよね?
それってつまり、王家や政府関係者が眠りの館に来ていたって、少なくとも疑われているって事ですよね。
それは……。
なのに、わざわざ眠りの館に戻るなんて……。
ナーゼルは、エルサニアの王子様でしょう?
立場を考えれば……それこそエージェント達に調査をお願いするべきじゃないですか?
真っ直ぐにナーゼルを見つめると、いつでも笑顔の彼が困ったように視線をさまよわせる。
…………。
王子には王子のお考えがある。
アラディン……。
例えどれほどのリスクがあったとしても、オレ達が動かなければエルサニアに平和が訪れる事はない。
…………っ。
エルサニアの未来を守るためならどんな事だってしてみせる。
…………そうですよね、ナーゼル王子?
あ、ああ……そうだね……アラディン。
私は、もう少しちゃんと考えてからでもいいのかなぁ~、なんて思ったりもしてはいるのですがね。
言い出したら聞かない人がいるので……。
…………。
二人の決意や気持ちが揺ぎ無いものなんだと伝わってくる。
(でも……やっぱりこれってリスクが大きすぎるよ。どう考えても、王子がやる仕事じゃないよ……)
過激な活動を繰り替えす反乱軍の報道が脳裏を過ぎる。
(もし二人の身に何かあったら……)
…………話はここまでだな。
えっ……?
アラディンの短い言葉にどきりとして、私は顔を上げた。
オレ達はそろそろ行動に移る。……紗奈とは、ここでお別れだ。
(────!)
アラディンは迷いの無い口調で私に告げた。
もう周辺の地理は大体頭に入った。君の案内のお陰だ。感謝する。
だがこれ以上君を巻き込むわけにはいかない。
君はここから家にまっすぐ帰れ。
……帰れって……。
いきなりの事でうまく言葉が出て来ず、つい助けを求めるようにナーゼルに視線を向ける。
けれどナーゼルも難しい顔をしていた。
確かに、ここから先は危険だね……。
紗奈、本当に今までありがとう。協力してもらえて本当に助かりました。
優しい声で告げられたのは、私を遠ざけようとする言葉だった。
さようなら……どうか元気で。
…………。
……ほら、早く行けよ。
自分を置いて帰ったと、亜美が怒っていると言っていただろう?
家に帰って……電話でもしてやれ。
……………………。
その時、私の胸に何か熱いものがぐっと込み上げた。
無意識に手のひらを握りしめて、どきどきと速くなる鼓動に背を押されるように口を開く。
いいえ……私、帰りません。
……な……。
二人について行って、真実をこの目で見届けます。
これはもうエルサニアだけの問題じゃないでしょう?
私にだって、真実を知る権利があるはずです。
……………………。
ううん、私だけじゃない、世界中の人々が真実を知るべきです。
私は国際ジャーナリストを目指しているんです。
今ここで起きている事件を全世界に報道する義務が、私にはあるんです!
紗奈……。
だから私も一緒に行動させてください。お願いします……!
…………。
貴女にも、信念があるのですね。
ナーゼルは私の肩に両手を置き、それからアラディンへと視線を向けた。
アラディン……ここまで紗奈が言っているんです。なんとか紗奈の安全を確保しつつ、調査を……。
いいや…………それは絶対にダメだ。
…………っ。
強い眼差しと、はっきりした否定の言葉。
思わずびくんと肩が跳ねてしまう。
同時に、胸がしめ付けられるように痛んだ。
彼からの拒絶が、こんなにこたえるなんて思わなかった。
アラディン……。
紗奈、君は絶対に一緒には連れて行かない。