眠りの館
~3話~

【==== 眠りの館観客席 ====】

温かい大きな手が、私の頬を軽く叩く。

アラド

紗奈!

紗奈

…………。

強めの声で呼ばれて、私は2、3回ゆっくり瞬きをした。

紗奈

アラド……? え……私……。

険しい表情をしたアラドが、かなり近距離から私を見つめている。

少しして、私はかあっと赤面した。

紗奈

(な、何でこんな近付いて……っ!?)

アラド

気がついたな? 頼むからしっかりしてくれ、非常事態なんだ。

紗奈

えっ……?

真剣な瞳にまっすぐに見つめられて、私ははたと我に返った。

紗奈

(私……もしかして完全に寝入っていたの?)

アラド

ナーゼル! ……ナーゼル!

ナーゼル

…………っ。

アラドに肩を揺さぶられ、彼の隣に座っていたナーゼルも目を覚ます。

アラド

オレだ、アラドだ。わかるか?

ナーゼル

…………ああ。けど、これは一体……。

アラド

考えるのは後だ、ひとまず今はここを出るぞ。……紗奈!

紗奈

わ……!

まだ少しぼんやりしている私の腕を、アラドは強く引いた。

あまりの剣幕に、されるがままになってスクリーンコーナーを出る。

紗奈

……! ま、待って!

けれど、私はすぐに異変に気付いた。

もう一人いるはずの人物が、ここにはいない。

紗奈

あ、亜美が、私の親友がまださっきの部屋にっ……!

置いてけぼりにするなんて!と後から怒られるかもしれない。

この時の私は、まだのん気にもそんな事を真っ先に心配していた……けれど。

アラド

……大丈夫だ、奴らの目的はオレ達だ。紗奈たち日本人には危害を加えない。

紗奈

…………え?

真剣な顔で告げるアラドを見て、私はようやく、彼の言う“非常事態”を理解し始めた。

紗奈

……危害ってどういう事? 奴らって、一体……。

【==== 眠りの館屋内 ====】

ようやく頭が少しずつ回り始めて、ぞっと背筋が冷たくなった。

紗奈

(まさか……何か大変な事件が起きているの?)

アラド達が目的とは……一体どういう事だろう?

それに、さっきまでいたスクリーンコーナーは一体どうなっていた?

私達以外にも数人いたお客さんは、まだぐったりと椅子にもたれていなかっただろうか……?

いくら眠りの館とはいえ、あれだけの人数が一気に眠ってしまうものだろうか?

紗奈

亜美……っ。

背後を振り返りそうになるけれど、その瞬間ぎゅっとアラドが私の手を強く握りしめた。

紗奈

……っ!?

アラド

今は詳しく説明している暇はないが……後でこちらの手のものに安全確認させるから、心配はいらない。

アラド

オレ達が離れれば、亜美達はその分安全だ。

アラド

それに……本当に危険なら、オレはあの場にいた者を決して見捨てない。

紗奈

(アラド……)

アラドの声は、静かだけど力強さに満ちた声だった。

アラド

今こうしているのは、これが最善の方法だとオレ達が思っているからだ。

アラド

奴らだって事を荒立てたくはないはずだ。民間人達は何食わぬ顔で帰すだろう。

紗奈

…………。

走りながら一瞬見えた瞳には、誠実な光が宿っていたように思う。

他の事は誤魔化したり隠したりしているように思えたけれど、今の彼にそれは感じない。

紗奈

(嘘つきの瞳じゃない……。そう信じたい……信じよう、今は)

恐怖なのか、それだけじゃないのか、心臓はどきどきと激しく鳴っていた。

しっかりとつながれたアラドの手の温度を感じながら……私は眠りの館の中を走り続けた。

【==== 眠りの館屋内 ====】

やがて人気のない廊下から出ると、アラドは少しだけ走る速度を落とす。

スクリーンコーナーを離れた所では、お客さん達が普通に眠りの館の展示や体験コーナーを楽しんでいたのだ。

アラドの言う通り、何かが起こっているにしても、一般人に今すぐ危害が及ぶことはなさそうだった。

紗奈

(ん? でも……あれ? 日本人に危害は加えないって……)

紗奈

ア、アラド、一つ聞いていいですか?

アラド

何だ?

紗奈

日本人に危害は加えないっていうなら、どうして私はここに……?

アラド

…………。

ちらりと私を振り返り、一瞬沈黙した後、アラドはぶっきらぼうに言った。

アラド

アンタには悪いが、道案内を頼みたい。オレ達はこの辺りに詳しくないからな。

紗奈

は、はいぃ!!?

思わずひっくり返った声が出た。

紗奈

(み、道案内って、そんな……!)

紗奈

(どうをどう考えても、思いっきりややこしそうなトラブルの予感しかしないのに……!)

しかし、私が望む望まないに関わらずすでに彼らと一緒に走り始めている。

その時、背後から何か怒号が聞こえる。

遠かったせいか、聞こえた声が日本語なのかそうじゃないのかもわからなかったけれど……。

アラド

気付いたか……。

紗奈

な、何っ!?

アラド

ぐずぐずしている余裕はない! さぁ、早く!

紗奈

(うわぁぁん……!!)

北野坂

走り続けて、私達はなんとか眠りの館の外に出た。

外の空気を吸うと、強張った体から少しだけ力が抜ける。

紗奈

(ここまで来れば何とか……)

紗奈

(うっ……!?)

しかし、緊張が少し解けたせいか、私は自分達の“まずさ”に気付いた。

紗奈

二人とも、その格好は目立ちすぎですよ……!

アラド

うん……?

ナーゼル

私達の格好?

紗奈

真昼の観光地にスーツの二人組って! 変です!

私は思わず声を大にして主張した。

なまじ顔が整っているだけに、スーツ姿の二人組は結構人目を引いてしまいそうだ。

紗奈

せめて二人のどちらかだけでももう少しラフな格好ができればいいんですが。

ナーゼル

ふむ……確かに紗奈の言う事にも一理ありますね。

アラド

……なら、オレが観光客に成りすまそう。その方が動きやすい。

ナーゼル

そうだね。その方が私も助かるよ。どうでもいい小物が多いし。

紗奈

(確かに、スーツが似合ってるのはナーゼルさんのほうだしね)

アラド

そうなると、どんな格好ならこの土地に馴染むんだ?

アラドはぐるりと周囲を見渡した。そこで一人の和装の男性に目を止めた。

アラド

ん、なるほど、ああいうのか?

彼が指差した先にいたのは――。

通りすがりのお坊さん

え……? なんか私、今注目されてる?

紗奈

あ、あれはお坊さんです。……普通に暮らしていてもなかなか会わない人が何故こんなところに……?

ナーゼル

あれは、“ジャパニーズプリースト”ですよ、アラド。

アラド

では、あそこのジャケットを着た少年のような格好か?

学生服を着た少年

……ん? なんか変な外国人とお姉さんににらまれてるんだけど。

紗奈

惜しい! 確かにあの格好の男の子は多いですけど……あれは学生服なのでナーゼル達が着たらアウトですね。

紗奈

もうちょっと……例えばあっちの人のような落ち着いた格好なら……。

アラド

わかった。そこの男性、すまないがオレ達と服を交換してもらえないか。

目つきの悪い通行人

…………は? 今日はそんなイベントがある日だったか?

紗奈

す、すみません! この人日本に慣れてなくて! 失礼しました!

私は日本人お得意のごまかし笑いを浮かべながら、アラド達をメンズのショップ前に引っ張った。

紗奈

日本に馴染む服装の傾向がわかったなら、ここで買い物してください!

私はびしっと近くにあったショップを指差す。
入った事はないけど、店頭の様子を見る限り、アラドの年齢にもあった服があるだろう。

ナーゼル

OK、わかりました! でもせっかくなので紗奈がアラドに似合う服を選んでください。

紗奈

えっ?

ナーゼル

その方がこの土地に馴染む格好になるし……どうせならアラドも紗奈に格好いいと思われたいでしょうからね!

アラド

……ちょ、また勝手にそういう事をっ!

ナーゼル

まぁまぁ! ね、紗奈。お願いします。

紗奈

……わ、わかりました。

紗奈

(何だか完全に振り回されているような……もうっ! こうなったら本当に私好みにしてやろうっと!)

……ということで、アラドの洋服を上から下まで一揃い新調して、改めて陽射しの下に出た二人を見たけど……。

紗奈

わぁ……。アラド、とてもよく似合ってますよ。

紗奈

今のお二人ならほとんど違和感もないですね。

カジュアルな服装に着替えたアラドとスーツを着こなすナーゼルを、私はまじまじと見てしまった。

ナーゼル

ふふっ、本当ですか? よかったですね、アラド!

アラド

貴方は……この状況でよくはしゃげますね。

ナーゼル

でもはしゃいでない観光客の方がかえって目立ちますよ?

アラド

…………。

紗奈

(うん……こうして見るとやっぱり二人とも本当にイケメンなんだなー……)

それから私達は適当に人ごみに紛れて北野坂の観光客に成りすました。

遠目に眠りの館の様子を見ていたけど、館から出てきた数人の男達は追いかける相手を見つけられないのか、とにかく片っ端から探すような感じであちこちに散っていく。

紗奈

私達には気付かなかったようですね。

アラド

ああ……君のアイデアが効果的だったのかもな。感謝する。

紗奈

いえいえ、そんな……。

ナーゼル

この調子で安全な所に移動しましょうか。

アラド

そうだな………………いや、待て!

紗奈

(……っ!?)

落ち着ける所に移動しようとするが、不意にアラドが鋭い声で私達を立ち止まらせる。

アラド

……あそこに怪しい奴がいる。

紗奈

(あ……怪しい奴……?)

アラドの言葉に私はごくりと息を飲んだ。
アラドが視線を向ける先を私も確認する。

だが、見るからに怪しそうな人物はそこには見当たらなかった。

紗奈

(……さすが、敏腕SPのアラド。素人の私が見ただけじゃ区別が付かない怪しい人物を識別できるんだ……)

紗奈

(相手の独特の動きや歩き方、そういった行動パターンに何か違いがあるのね……)

紗奈

ち、ちなみにどの辺に……。

アラド

しっ、声を出すな!

アラドの目つきは真剣で、まるで野獣が獲物を襲う時のような鋭さがあった。

今まで映画とかでは見たことはあったけれど、本物が醸し出すオーラは、私の背筋にこれまで経験したことのない緊張感を走らせた……。