【==== エレベーター前 ====】
︙
王子を捕まえようと躍起になっている足音が遠のいていき……、エレベーター前はしんと静かになる。
…………もう、大丈夫ですかね。
ああ……。
潜めた声で短い会話をかわした後、できるだけ物音を立てないようにしながら、オレ達はエレベーターの天井裏から、非常口を通ってかごの内部へ降りた。
ふー……敵さんが早とちりで助かりましたね。
先に着地したナーゼルが短く息を吐く。
ああ。何とか上手くいったらしいな。
オレも同じように狭い非常口を抜けてエレベーター内に降り立った。
……その瞬間、物陰から小さな影が飛び出してくる。
(……!)
二人とも……!
現れたのは、強張った顔をした紗奈だった。
・
・
・
【==== エレベーター前 ====】
︙
……脱出するために考えがあると言ったけど、私はずっと不安だった。
アラディン達は来るなと言っていたのに、それを無視して眠りの館まで二人を追いかけてきた。
けれど、もし何か失敗して、逆にアラディンやナーゼルをピンチに追い込んだらどうしよう。
私自身だって、奴らに捕まったら一体どうなるか。
そう思うと、ずっと心臓がつぶれてしまいそうだった。
(でも、良かった……二人とも、無事だった!)
エレベーターの天井裏から現れた二人を見ると、視界が熱くにじみそうになる。
それを何とかこらえて、足音を立てないように気をつけながら私は二人に駆け寄った。
二人とも大丈夫でしたか? どこかに怪我をしていたりとか……。
平気ですよ。貴女のお陰でこうしてぴんぴんしています。
アラディンも? 大丈夫?
……ああ、怪我はない。
二人が本当に無事なんだとわかって、私ははーっと深いため息をこぼした。
良かったぁ……二人を助けられて……。
っと、いけない! おとりに使ったスピーカーは回収しなきゃ!
私はエレベーターから少し離れた所にあるベンチに近付き、その下に隠していた小型のスピーカーを回収する。
それが、脱出イリュージョンの正体ですか?
ええ、そうです。
ナーゼルの視線を受けて、私は手にしていたスピーカーと、今朝機種変更したばかりのスマホを二人に見せた。
ナーゼルの声と逃げる足音を私のスマホに録音して……、離れたところに設置したこのスピーカーから流したんですよ。
携帯用無線を使った小型スピーカーは、公園なんかでニュースや音楽を聴くためにいつも持ち歩いてるんです。
お陰でタイミングを見計らいながらナーゼルの声を再生できました。
……そう。ついさっき反乱軍の人達が聞いたナーゼルの声は、このスピーカーから流れたものだった。
ナーゼルの声は、さっき急いでエレベーター内で録音し、反乱軍に見つからないようすぐ近くに隠れていた私が閃光弾の効果が収まる頃合いを見計らって親機のスマホを手元で操作し、ワイヤレススピーカーから音声を流したのだ。
さすがにスマホを操作する時は指が震えたけど、成功して本当によかった。
まさか、私のIT好きがこんな形で生きる日が来るなんて思いませんでしたよ……!
そんなふうに言って、安堵から浮かんだ笑顔を二人に向けようとしたけれど……。
紗奈!
(……っ!?)
アラディンに突然腕をつかまれて私はぎくっと心臓を跳ねさせた。
ふざけて笑っている場合か……!
なぜここに来たんだ!? オレ達の言葉を忘れたのか!?
……………………。
まっすぐに私をとらえる厳しい瞳。
彼が本気で怒っているのが伝わってきて、まるで猛火の目前に立たされたような心地だった。
眠りの館に向かおうと決めた時からこうなる事はわかっていたけれど、実際に激しい怒りを向けられると、体がすくんでしまう。
(でも……)
……私は……。
アラディン、何もそこまで怖い顔をしなくていいいじゃないか。結果的にこうしてみんな助かったんだし。
いいや、だめだ。
ナーゼルのフォローもにべなく切り捨て、アラディンは眉を寄せて私をにらむ。
確かに怪我もなかったが、今回はたまたま運が良かっただけだ。
もし次に同じ事が起きれば……。
…………なぜここに来たのかって、……それは私が信じる“正義”のためにだよ。
心臓はばくばくと激しく暴れていたけど、私はアラディンの瞳を見つめ返してはっきりと声にした。
虚をつかれたように、アラディンは目を見張って言いかけた言葉を飲み込む。
確かに私はとても危険な事をしたと思う……。
でも、これが間違いだったとは私は思わない。誰かを助けたいという心や行動は正しいものだと私は信じてる。
だから私はここに来たの。
今ここで自分が正しいと思ったことを実行に移せないようなら、この先もきっと言い訳をして逃げる癖が付いてしまうと思う。
私は……そんなジャーナリズムならいらない!
私が行動することで結果が良くなる“報道”なのなら、私は出来る限りの行動と努力をして“報道”します!
……!?
目の前に銃で撃たれようとしている子どもがいたら、私は敵とか味方とか関係なく助けます!
ジャーナリストである前に、私は人として堂々と報道がしたいんです!
………………。
思いを声にすればするほど、胸の中が熱くなっていく。
自分でも驚くくらいの、私の中に秘められていた情熱をぶつけると、アラディンは少しの間沈黙した。
やがて、私の腕をつかんでいた指先からゆっくり力が抜けていく。
ジャーナリストとしては失格だな……。
(あ……)
見上げると、アラディンはうっすら苦笑いを浮かべていた。
ふふっ……いいじゃないですか。そんな人間臭いジャーナリストがどこかにいたって。
ナーゼルもまた優しい笑みで私を見つめている。
何だか、胸がぎゅっと切なくなった。
私の考えを二人に受け止めてもらえた気がして……。
……今回は助かった。礼を言う。
まだ少し不満そうだけど、アラディンは私に頭を下げた。
わ……い、いいですよ、そんな、頭まで下げてもらわなくて!
アラディンの行動がちょっと意外で、照れくさくて、慌てて首を振る。
では、仲直りしたところでそろそろここから脱出しましょうか。
さっきの移動の様子からして、反乱軍の連中も、今はちょうどここから離れた場所にいるでしょうし。
頷き合って、私達はそっと移動を開始した。
・
・
・
【==== 裏口廊下 ====】
︙
エレベーター前を離れ、眠りの館の裏口へとやって来る。
…………!
しかし、ドアを開こうとしたアラディンは突然動きを止めた。
……アラディン?
何かあったのかと緊張して尋ねると、アラディンは眉根を寄せてドアから手を離す。
どうやら鍵が掛かっているようだ。
この形状のドアは壊して進むのは不可能だから、ここから外へは出られそうにない。
ええっ……!
退路の確保はしたはずなんですが……非常ベルが鳴ったことで遠隔操作でのロックがかかったんでしょうか。
そんな……じゃあ一体どうやってここから逃げれば……
まぁ、ここは大人しく待つしかないんじゃないでしょうか?
さっき非常ベルが鳴ってからそれなりに時間が経っていますし、そろそろ日本の警備会社が来る頃でしょう。
そうなれば私達も怪しまれるでしょうが、その程度なら大した問題ではありませんしね。
そ、そうですか……。
(でも……お願いだから警備の人が早く来てくれないかな……)
さすがにこんな物騒な場所にいつまでもいるのは落ち着かない。
緊張のせいか、さっきから頭が少しクラクラしているのだ。
…………。
紗奈、何か気を紛らわせるためにお話でもしましょうか。
ナーゼル王子、少し黙っていてもらえますか?
え……ちょ、ちょっと、その反応は少し酷くないですか? 私は……。
違います、何か変な音が……。
……変な音?
アラディンの言葉に、ナーゼルが首を傾げた時だった。
『……くく……残念だったな』
……っ!?
突然男性の声が聞こえて、心臓が飛び上がる。
……!! この声は反乱軍の……!
『お前達はもうこの館から出る事はできない』
『警備会社にも連絡をしたからね。さっきの非常ベルは手違いだったと』
見回すと、私達が歩いてきた廊下の向こうに小さく人影が見える。
ここにはアラディンとナーゼル以外、味方はいない。見えた人影は間違いなく反乱軍のもののはずだ。
恐怖が膨れ上がってきたのか、段々と自分の心拍数が速まるのを感じた。
……冗談も交えて丁寧に説明したら、日本の警備会社の社員はすぐ納得してくれたよ。
東洋の小さな島国の言葉なんか覚える価値もないと思っていたが、たまには役に立つものだ。
……くっ……!
仕掛けにだまされて追いかけていったはずじゃないのか!
フワァハッハハッ……! お前達に仲間がいた事を思い出したんだよ。
私とした事がすっかり冷静さを失っていたようだ。……だがもうお前達にはだまされんぞ!
廊下の向こうからはボスの高笑いが響いてくる。
くそっ……。
隣にいたアラディンは苛立ったように舌打ちをした。
けれど…………どうしてだろう。すぐそばにいるはずなのに、何だか、声が遠く感じる。
……っ!?
おい!? 紗奈!? どうした!?
がくりとその場に座り込んだ私を見て、アラディンは焦った声を上げた。
くらくらしながらも必死で視線を持ち上げると……、遠くに佇むガスマスクをつけたボスが、おかしそうに肩を揺らしているのがぼんやり見える。
ああ…………言い忘れていたが、先ほど試作中の催眠ガスを散布させてもらったんだ。
何だと……!?
噴射口に近かったそのお嬢さんにはもう効果が出始める頃かな?
しかし安心しろ、このガスは致死性のものではない。
まぁ、眠りに落ちて次に起きた時には貴様らは全員我々の言いなりになっているがね。
…………っ。
動かない体から、さらに血の気が引いていく。
新開発のガスでね。いい実験結果を出してくれたまえ……フハハハハ!!
貴様っ……! くっ……手足が……。
揺れる視界で二人を確かめると、ナーゼルもアラディンも身動きが取れなくなっているようだった。
私も意識を保っているのが精一杯で一度床に倒れてから、指一本すらまともに動かせない。
おっと、そうだ。後々厄介な事になっても困る、一人だけは今ここで始末しておかねばならんなぁ。
…………!!!!
恐ろしい言葉に喉の奥が引きつりそうになる。
(始末って……それはつまり……)
国民思いなエルサニアの王子様……貴様だけはここで殺しておくとしよう。
…………!!
なっ……!!
や、やめてください! そんな事をしたら、ますます罪が重くなりますよ!!
私、ここに来る前に警察に電話を……。
そうか。では君が眠った後に、君の口から悪戯だったと警察に説明してもらおう。
…………っ!
だ、だめ……! 止めて!
懇願する私を楽しそうに見下ろしながら、反乱軍のボスはいたぶるようにゆっくりとこちらに近付く。
嫌!!! お願い、止めてぇっ!!!
このままではナーゼルが殺されてしまう──!! 私は力の限りで叫んだ。しかし…………。
くく……それじゃあ、先に地獄で待っているんだな、王子様……。
(えっ…………)
…………ぐっ……!
薄れていく意識の中、反乱軍のボスが私の目の前で乱暴につかんだ相手は……ナーゼルではなく、アラディンだった。