眠りの館
~1話~

紗奈の家リビング

私、神戸 紗奈(かんべ さな)は朝のニュースチェックを欠かさない。

何故なら私はジャーナリスト志望。

ジャーナリストは情報収集能力と経験がものをいう……という自論にもとづき、大学生である今から、知識の蓄積(ちくせき)に余念がないのである。

紗奈

(ということでPCちゃん、今日も各国のニュースを届けてちょうだい)

私は朝食のパンをかじりながら愛用のノートパソコンを起動した。

紗奈

(個人宅の倉庫から名画発見……外相夫妻が記念碑訪問……)

紗奈

(エルサニアで再び銃撃戦……)

相変わらずニュースサイトには平和な喜びから深刻な問題までがあふれていた。

そして私が一番にクリックしたのは、今、国際的に最も話題になっている国、『エルサニア』のニュースだった。

紗奈

(『銃撃犯は現在拘束(こうそく)中、政府関係者を狙ったものとみられており……』か)

エルサニアは中東の王権国家……つまり王様とお妃様がいる国だ。

オイルマネーによって経済的には豊かだけど、宗教対立が激しくて、政府の転覆(てんぷく)、粛清(しゅくせい)を掲げた原理主義組織によるテロや内戦が毎日のように報道されている。

ニュースには動画がついていて、瓦礫(がれき)の山や、疲れきった現地住民の姿を映し出していた。

紗奈

んんっ……?

その時、私は関連ニュースの中に、気になる見出しを見つけたのだった。

紗奈

『エルサニア視察団、来日』……?

そのニュースにも動画がついていて、クリックするとスーツ姿のキャスターがカメラ目線で情報を読み上げる。

キャスター

昨日、エルサニアの技術視察団の一行が関西国際空港に到着しました。

キャスター

視察団にはエルサニア国王のご子息も参加されており、日本の技術力への関心の高さが窺えます。

キャスター

視察団は主に工業施設などを訪問する予定で──

動画では空港内を移動する視察団一行の様子が映し出される。

紗奈

……エルサニア国王のご子息? つまり王子様が日本に来てるって事?

紗奈

ふーん……視察とは言ってるけど、やっぱりあれかな。

紗奈

テロとかで大変な時だから、平和な日本に疎開に来るようなものかもね。

……と独り言を呟いていると、近くに置いていた携帯がメールの着信音を鳴らした。

紗奈

あ、亜美からだ。何々……『最近オープンしたばっかりの異人館に行ってみない!?』

紗奈

……相変わらずミーハーね、亜美は。まっ、ちょうど携帯の機種変しようと思ってたし、ついでに付き合うか。

北野坂

亜美

あ、紗奈~! こっちこっち!

気持ちよく晴れた休日の昼下がり。

親友の倉崎 亜美(くらさき あみ)は待ち合わせのカフェの前で手を振った。

亜美

機種変、終わった?

紗奈

うん。こっちが新しいやつ。

亜美

あれ? 古い携帯、ショップに引き取ってもらわなかったんだ?

紗奈

Wi-Fi端末として家で使うつもり。新しい携帯のバッテリーの節約にもなるし。

亜美

さすが、そういうITマニアっぽいところは、昔から変わらないねぇ。

紗奈

だって、色々使えて面白いじゃない。みんながなんでもっと使い込まないのか不思議なくらいだよ。

亜美

いや、普通に使えれば十分だから。

紗奈

まぁほとんどの人はそうなんだろうけど。

紗奈

それで、新しい異人館ってどの辺にあるどんな館だったっけ?

亜美

えっ!? 全然知らないのに今日OKしたの?

紗奈

だって亜美が行こうって言うから。

亜美

……紗奈ってば興味の無いものにはイマイチ疎いよね……。

亜美

まぁ、いいわ。今日行くのはね、「眠りの館」っていうところ!

亜美

といっても、別に特に“眠り”をテーマにしているわけじゃないのよ?

亜美

テーマはあくまで“リラックス”なんだけど、気持ちよすぎて眠っちゃう来場客までいるから、

亜美

「眠りの館」なんて呼ばれるようになったって噂。

紗奈

へぇ……。

紗奈

(……んっ?)

その時、私は視界に広がる風景の中に一つの違和感を覚えた。

紗奈

(あの外国人観光客……)

私の目に留まったのは、少し先を歩いているスーツ姿の外国人達だった。

この北野町周辺は場所的に観光客も多く、外国人の姿を見るのは珍しい光景でもないんだけど。

紗奈

(……景色から浮いてる、っていうか)

紗奈

(何が引っかかるのか、自分でもよくわからないけど、気になる……)

亜美

……おやぁ? 紗奈ちゃん?

亜美

随分熱心にあのスーツの人を見てますねぇ~?

紗奈

えっ?

にやにや笑った亜美が、わざとらしく私の顔を覗きこんでくる。

亜美

確かにあそこの人達、結構イケメンだもんね?

紗奈

な……! ち、違うわよ!

亜美

ジャーナリズムが~って言って、合コンにも顔を出さない紗奈がついに運命の出会いを……。

紗奈

今はまだ学生だけど、私は合コンより真実の発信に興味があるんです。

紗奈

世界で起こっている事を、現地の人の本当の思いを、脚色したりせずありのまま伝える。誇り高い仕事なんだから。

亜美

“ヤラセや低俗なゴシップじゃない。真実を伝えるのが私の正義”……でしょ?

紗奈

えっ……亜美……。

亜美

ま、そこはちゃんとわかってるって。これでもアンタの親友だもん。

紗奈

う、うん……!

亜美

さて、それじゃ気を取り直して眠りの館に行きますか! ほ~ら、目と鼻の先にはもう建物が見え……。

亜美

……って、げげっ!? 何、あの人ごみ!

眠りの館

数メートル先に見えた光景に、亜美は顔を引きつらせた。

まるでモスクのようなエキゾチックな建物。おそらくここが眠りの館なんだろう。

けれどその入り口には結構な人だかりが出来ていた。

亜美

ちょっとちょっと何でこんなに混んでるの!? 話題だとは聞いてたけど……。

紗奈

これはしばらく並ぶ事になりそうね。

亜美

はぁ~……この苦労の後ならどんな部屋に入ったってリラックスするよ。せっかくだから並ぶけどさぁ……。

仕方なく人ごみの後ろにつく亜美に付き合って、列に並ぶ。

紗奈

(……あ)

よく見ると、さっき見かけた外国人観光客達も、私達より少し先の列に並んでいた。

紗奈

(あの人達もここを見に来たんだ)

女の子1

……もう帰っちゃったかなぁ? それともまだ来てない?

女の子2

まだ来てないんじゃない? それっぽいセレブな人、出てきてないし。

紗奈

(んっ?)

その時、近くにいた女の子の弾んだ声が耳に届いた。

女の子1

やっぱ服も豪華なのかな? こう、歩くブランド品みたいな感じで。

女の子2

それじゃあ全然お忍びじゃないじゃない……。セレブこそシンプルな格好してたりするもんじゃないの?

女の子2

そっか。ていうか、サインとかもらえたりするかなぁ。

亜美

…………。

紗奈

…………。

亜美

聞きましたか、紗奈くん。

亜美は目線を前に向けたまま、半目になって呟く。

亜美

どうも今日はどこぞのセレブがお忍びでこの館に来るようです。

紗奈

みたいね……。もしかして今日ここが混んでるのってその有名人を一目見るためとか?

亜美

いやー、セレブだVIPだって言うのなら、いっそ貸切にでもしてくれればいいのにねぇー。

紗奈

ま、まぁまぁ……。

紗奈

(けど、お忍びのVIPねぇ)

紗奈

(……まさか、とは思うけど……)

私はちらっと、先ほどのスーツ姿の観光客を確認した。

他のお客さんに混じって列に並んでいるけれど、片足に重心が寄ってたり背中が曲がってたりもしていない。

地面にしっかりと立って、堂々とその場に存在している。そんな感じだ。

時々小声で何か話しているけれど、間違っても今日のランチの相談なんかじゃないだろう。

女の子の噂話と、さっき自分が感じた違和感が、少しずつつながってくる。

亜美

……紗奈? そんなにさっきのイケメン達が気になってるの?

紗奈

そうじゃなくて……。

紗奈

(お忍びのVIP、観光地に似合わないスーツの男達……それに……)

紗奈

(……今朝ニュースで見た、日本に来ているらしいエルサニアの王子……)

私はすぐに機種変更をしたばかりの携帯を取り出した。

紗奈

(ラッキー、眠りの館はWi-Fiが使えるみたい)

そうして私が急いで検索したのは……エルサニアの王子の滞在スケジュールだった。

公式の発表を見る限りでは、王子は現在ホテルに滞在中となっている。

紗奈

(でも……やっぱりあの人達、只者じゃない気がする……)

紗奈

ねっ、亜美、亜美ってば。あの人達、何か怪しくない?

私は亜美の服を軽く引っ張って耳打ちした。

亜美

怪しい……? あのイケメン達が?

紗奈

だってほら、どうも観光客とも一般人とも違う感じがするじゃない?

紗奈

これは私の勘なんだけど……あの人達、エル──

紗奈

(…………!!)

──その時、ぞくりとするような強い視線が私をとらえた。

スーツ姿の男性の、深い色の瞳がばっちりと私達に向けられていたのだ。

まるで抜き身の刃のような鋭さと……同時に秘められた綺麗さに、一瞬息を止めてしまう。

???

……………………。

紗奈

(うっ……!)

亜美

ひえっ……! い、今、あの人こっち見たよねぇ~!?

ぎくっとするけれど、男性の視線はすぐに逸らされた。

亜美はさっきよりも小さい声で興奮気味に私に話しかけてくる。

亜美

びっくりしたー……っていうかさ、あの人達が例のVIPじゃないの? 私達をにらんでた人、SPっぽいしさ。

紗奈

うん、私もそう思う。

亜美

はー、怖かった。やっぱ本物は迫力が違うよねぇ?

紗奈

うん……本物だった。

頷きながら、ついもう一度男性を目で追っていると、眠りに館に入る順番が来たのか、王子とそのSPと思われる外国人は一般人と一緒に館内へ入っていく。

亜美

……あ、私達の順番も来たみたい。行こう、紗奈。

紗奈

あっ、うん。行く行く。

【==== 眠りの館屋内 ====】

待っている間は大変だったけれど、目的の建物にいよいよ足を踏み入れるとちょっぴりわくわくしてきた。

亜美

よ~し、待たされた分しっかり楽しんでやらないとね。

紗奈

あはは、亜美ってば急に元気なんだから。

紗奈

でも、私もちょっと楽しみになっ……。

???

……ええと、ちょっとすみません。

紗奈

えっ?

明らかに私達の背中にかけられた声。

私と亜美は何気なく後ろを振り返り……その瞬間、目を丸くしてしまう。

紗奈

(え……ええっ!!??)

???

ハーイ、こんにちは。

そこにいたのは、何とあのエルサニアの王子(?)とSP(?)だった。

王子?

おっと、二人とも美しい! これは幸運だ。

SP?

……少し落ち着いてください。通りすがりの女性に声をかけるなん……

王子

突然すみません。実はお二人にお願いしたいことがあったのですが……

王子

いや、それにしても日本の女性は素晴らしいです! 私、つい目的を忘れそうになりました。

王子

どうです? 私の奥さんになりませんか?

紗奈

は、はいっ!?

亜美

奥さんっ!?

SP

だから……! そういう発言は……!

王子

ンー、声が大きいよ? 皆、ここを楽しんでる。騒いじゃだめだよ。

SP

…………。

紗奈

(い、いきなり一体何なの!? ていうか日本語上手だ……!)

混乱する私達の前で、一人はにっこり笑顔を、一人は苦々しい表情を浮かべていた。

王子

それにせっかく日本にきたんだよ? 少しの交流くらいいいじゃないか。

王子

という事で、二人とも! 今日お会いしたのも何かのご縁です、私達の頼みを聞いてもらえませんか?

王子

貴女達二人に、この館を案内してもらいたいんです!