眠りの館
~7話~

北野神社

アラディン

紗奈、君は絶対に一緒には連れて行かない。

紗奈

……………………。

厳しい声と眼差しで、アラディンははっきりそう言った。

強い拒絶に、私は言葉を失ってしまう。

アラディン

……ここからは紗奈は足手まといになるし、万一の事があれば国際問題にもなりかねない。

アラディン

日本との友好関係を維持するためにもこれ以上紗奈を危険な目に遭わせるわけにはいかないんだ。

アラディンの言っている事は、頭では確かにそうだと理解できた。

……理解はできたけど、心の方がうまくついてきてくれなかった。

紗奈

(そんなの……)

目許が熱くなっていくのを感じるけれど、それを抑える事もできない。
握りしめていた手のひらに、私はますます力をこめる。

アラディン

……今まで巻き込んですまなかった。

次に聞こえたアラディンの声には、少しだけ優しい響きがまじっていた。
そんな声を聞くと余計に胸が苦しくなって、自分の感情がコントロールできなくなってしまう。

紗奈

……っ、そんなの勝手だよ!

思わず叫んだ声は、情けなく震えていた。

アラディン

…………。

私をここまで連れて来たのは貴方なのに、ここに来て急に突き放すなんて……。

そんな子どもじみた感情がぐるぐると胸の中を巡っている。
眉を寄せた酷い顔をしている気がして、思わず顔をうつむかせた。

ナーゼル

紗奈……。

アラディン

…………。

アラディン

……そうだな。オレ達は勝手だな。

紗奈

……っ。

夜気に溶けてしまいそうなアラディンの切なげな声に、私は瞬きも呼吸も忘れてしまった。

そこで私はようやく気付いた。
拒絶されて私がどんな気持ちになるのか、アラディン達にわからないわけがない。

顔を上げれば……他者を圧倒するほど堂々としていて、警戒心も強くて、仏頂面ばかりの人が、笑っているのかそうじゃないのか、わからない。そんな遣る瀬無い表情を浮かべているのが見える。

紗奈

…………。

私はもう、アラディンに何も言う事ができなくなった。
黙りこくる私に、アラディンが静かに近付く。

アラディン

紗奈……。

優しく名前を呼ばれて、私はゆっくり視線を持ち上げた。

アラディン

紗奈、君が本当にジャーナリストを目指すのなら、紗奈にしかできない方法でオレ達の力になってくれ。

アラディン

この後に起こる“真実”を、世界に公表して欲しいんだ。

紗奈

………………!

アラディンの瞳にとらえられた瞬間──その眼差しに胸を突かれた。

紗奈

(……真実……)

諭すというには力強く、叱咤というにはどこか懇願めいた……そんな鮮烈な瞳が私の子どもじみた感情を振り払い、魂に直接触れるようにして、私が目指そうとしている道がどんなものなのかを訴えてくる。

世界で起こっている事を、現地の人の本当の思いを、脚色したりせずありのまま伝える。
その誇り高い道を目指すには、時には別れや覚悟が必要なんだ……と。

紗奈

(私……甘かったんだわ……)

アラディン

そのためにも君はここに残らなければいけない……そうだろう?

紗奈

…………。

紗奈

うん。わかった……。

紗奈

何があっても、必ず世界に伝えるよ。

アラディン

……そうか。

アラディン

ありがとう、紗奈。

アラディンは大きな手のひらでそっと私の頭を撫でた。

ほんの一瞬の優しい手つきから、彼がどんな人なのかが伝わってくるような気がする。

アラディン

……さあ、時間もない。そろそろ眠りの館に向かいましょう。

私から手を離すと、アラディンはすぐさま厳しい顔つきになってナーゼルに声をかけた。

ナーゼル

そうだね。お別れも無事にすんだようだし……。

紗奈

(お別れ……)

私は私なりの方法で……アラディンのその言葉を忘れたわけじゃないけれど、やっぱり胸が切なさに騒ぐ。

まるで置いてけぼりにされたような感覚だった。……けれど、わがままを必死で飲み込みその場に留まる。

紗奈

(私が真実を世界に伝えるんだ……)

アラディン

…………。

ふいにアラディンの瞳が私に向けられた。

よっぽどな顔をしていたのか、アラディンは珍しく目を丸くした後、ふっと、少しだけ表情をほころばせる。

それから彼は、私との間にあった短い距離を一歩で素早くつめ……。

紗奈

(えっ……?)

次の瞬間、わずかな甘い香りがふわりと鼻先を掠めた。

アラディン

…………指きりの約束、忘れるなよ。

耳を柔らかくくすぐるような囁きと、男性ものの香水の匂い。

アラディン

オレも必ず、君との約束を守ろう。

すぐそばにあるその声と微香に思わず目を見開くけれど……私に与えられたのは、それだけではなかった。

紗奈

(アラディン……)

頬に残る柔らかさに、指先や肩が小刻みに震えてしまう。

紗奈

…………。

アラディンからの淡いキスを黙って受け入れながら……私は一つの企みを彼の上着の中へ忍ばせた。

ナーゼル

は……。

ナーゼル

これは……してやられましたね。

アラディン

では行きましょうか、王子。

ナーゼルは肩をすくめて、それ以上は何も言わなかった。

私からそっと離れたアラディンは、一瞬だけ私を見つめた後、名残りを断ち切るようにくるりと背を向ける。

……そして二人は眠りの館へと向かっていった。

にじみそうになる視界で、必死に二人の姿を追うけれど、それはすぐに夜の闇に紛れてしまう。

……完全に姿が見えなくなると、私はとうとう涙を我慢できなくなった。

紗奈

アラディン……ナーゼル……。

紗奈

どうか二人とも無事でいて……。

【==== エレベーター内 ====】

ナーゼル

…………可愛らしかったですね、紗奈。

アラディン

…………まあ。無駄話をしてる暇はないのでは、ナーゼル王子?

ナーゼル

おや、二人だけの時は気を使わず、『ナーゼル』でいいですよ。その方が落ち着きます。

アラディン

ではナーゼル、少し静かにしてくれないか。気が散る。

ナーゼル

はいはい、仰せのままに。

どこか冗談めいた言い方をするナーゼルは、内心やれやれと苦笑していたのだろう。

……紗奈と別れた後、オレとナーゼルは眠りの館へと潜入した。

今は、事前につかんでいた情報に従って地下にあるという反乱軍のアジトへ向かおうとしているところだった。

紗奈には詳しく話していなかったが、部下のエージェント達の調査によって潜入経路の確保は既に出来ていたのだ。

地下のアジトへは作業用エレベーターの各階ボタンを特殊な方法で操作し、パスワードを入力することで行けるようになっている。

ナーゼル

とはいえ、無駄話をするくらい余裕があった方がいいじゃないかと私は思うんですけどね。

オレが気を張り詰めすぎないよう、これでもナーゼルは気を使ってくれているのだろう。

アラディン

ナーゼルが緩すぎるだけだ。

ナーゼル

ああ、なるほど。私が緩い分貴方が引きしめているわけですか。

アラディン

よくわかってるじゃないか。

ナーゼル

はぁー……紗奈もどうしてこんなお堅い人を気に入ったんでしょうね。あんなに泣くほど心配したりして。

アラディン

…………。

思わず作業の手を止めてしまうと、それを目ざとく見つめたナーゼルはにやっとからかうように笑う。

ナーゼル

ふふっ……。少しお顔が和らいだようですねぇ。

アラディン

だから……そういう物言いは……!

ナーゼル

うんうん、怒っているくらいの方がいつもの貴方らしくていいんじゃないでしょうか。

ナーゼル

顔も体も堅いと、いざって時に柔軟な反応ができなくなりますしね。

アラディン

……わかっている。

ふうっと短く息を吐いて、戦いに赴く兵士のように、体のすみずみまで冷静さと適度の緊張感を張り巡らせる。

各階ボタンは手順通りに押した。

あとはもうパスワードを入力するだけだ。

アラディン

…………行くぞ。

エージェントから受け取っていたパスワードを打ち込むと、業務用エレベーター特有の重低音がして、乗り込んだかごがゆっくりと下降を始めた。

しばらくして、階数を表示するインジケーターに、本来なら無いはずの地下階が表示される。

そして乗り場のドアが開いた瞬間……。

男の声1

『──撃てぇ!!!!』

ズダダダダダ──!

ダダダダダダ……!

男の声1

『ははは……! 馬鹿め! 侵入者に気付かないとでも思ったのか』

男の声2

『……!! おい、待て!!』

男の声3

『中に誰もいないぞ!?』

男の声1

『何っ…………!?』

【==== エレベータ前 ====】

男の声2

『うわぁっ!! 何だこれは!?』

男の声3

『閃光弾だ……! それにこの匂いは…………ゲホゲホ!』

アラディン

……………………。

男の声1

『ゲホッ……! ゲホゲホ……!』

両手足を突っ張り、エレベーターの天井付近に隠れていたオレは、ゆっくりその場に降り立つ。

アラディン

……今のうちに早くデータを!

ナーゼル

了解っ。

短く声をかけると、ナーゼルがエレベーターの天井裏から現れ、近くのパソコンに素早くアクセスした。
オレ達だって、敵のアジトにすんなり入れるとは、考えていなかった。

だから点火と同時に刺激剤が噴出される閃光弾を用意していたし、催眠ガスの試験施設への潜入のため、短時間しか使用できないが口にくわえる小型の酸素ボンベも携帯していた。

ナーゼル

まさか本拠地に敵が侵入するとは思ってなかったのでしょうか。随分情報の管理が甘いですね。

ナーゼル

催眠ガスの製造法……実験の証拠……オーケー、コピーできました。撤退しましょう!

アラディン

よし……!

激しく咳き込んだりぐったりしている男達の間をすり抜け、ナーゼルと共にもう一度エレベーターに駆け込む。

【==== エレベーター内 ====】

アラディン

…………は……。

エレベーターの扉が閉まると、口から短く息がもれた。
証拠は押さえた。後は少しでも早くここから撤退するだけだ。

ナーゼル

早くホテルに戻ってシャワーでも浴びたいですね。

ナーゼルもふうっと息を吐きながらそんな軽口を叩く。
声には出さなかったがオレもそれには同意だった。

アラディン

(そうだな……シャワーを浴びた後はあれが食べたい。タコヤキが)

来た時と同じ手順で各階ボタンを操作すると、ガタンと音がしてエレベーターが急速に上昇を始める。

ナーゼル

…………。

アラディン

……ん? ナーゼル?

その時、ふとナーゼルが黙りこくっている事に気付いた。

何かあったのかと聞くより先に、ナーゼルは突然各階ボタンを操作し、エージェントから聞いていたらしい別のパスワードを入力していく。

ナーゼル

こりゃ、まずいな……。

さっきまでの丁寧な口調も忘れて、ナーゼルは低く呟いた。

今度はドアに手をかけ、無理矢理こじ開けようとして、それが無理だとわかると、ドアに体当たりをして振動を加え始める。

それでも、何も変化は起こらなかった。

普段からよく笑う性格の男が、今は頬をこわばらせてピクリとも動かさない。

アラディン

ナーゼル、何があった?

ナーゼル

……エレベーターのコントロールが利かなくなってる。

アラディン

……!!

硬い声で告げられて、背筋に冷や汗が流れた気がした。