カフェ
……ユータの事があってから、数日後。
いらっしゃいませ。2名様ですね。それではこちらのお席へどうぞ。
ユータの葬儀も済ませて、私はいつも通りの日常に戻っていた。
シェルターの人達や、私から話を聞いたオーナー達も、一緒にユータの事を悲しんでくれたし……
悲しみは残るけれど、落ち込みすぎたり、引きずってはいない。
(あの日、樹がそばにいてくれたおかげも大きいわよね)
(あれからはまだ直接会えてないけど、お礼を言わなくちゃ――)
と、ちょうどそう思っていた時だった。
カランカラン……
やあ、千種。
あっ……樹! 来てくれたのね。
(そういえば、今までは家でユータ達の世話を手伝ってもらう事が多くて、こうしてお店で会うのは初めてだったかしら)
(……っと、いけないいけない)
他にお客さんはいなかったものの、私は口調を正して、店員として樹を案内する。
いらっしゃいませ。お客様、1名様ですね。それではこちらのお席へどうぞ。
……ああ。
15時までのランチメニューはこちらです。ご注文お決まりになりましたらこちらのボタンで……
…………
……な、なあに? そんな珍獣を見るような目をして。
いや……ユータの事もあって心配だったが、落ち込みすぎていないようで良かったと思ってな。
それに、働いている君の姿を見てみたいと前から思っていたんだが……何だか不思議な気持ちだ。
そう?
こう、水に濡れた犬の毛がしぼんで、実は体はこんなに細かったのかと改めて気付くような――
ぶふっ……
樹のあまりな言い様が聞こえたのか、カウンターの奥で片付けをしていた、オーナーの真澄さんが吹き出す。
ちょっと真澄さん、今笑いましたね!?
い……いや、気のせいじゃないかなあ。さー仕事仕事……
もう、誤魔化して……
樹も樹よ。曲がりなりにも女に向かって、『濡れた犬みたい』はないでしょう。
い、いや、君が濡れた犬に似ているというわけではなくてだな。あくまでこの感覚が……
樹は私達の反応に戸惑いながら、一生懸命説明しようとしてきた。
それを見ていると、怒ったフリも続けられず、つい私も吹き出してしまう。
はいはい、わかってるわよ。樹に悪気がない事くらい。
普段と違って見えて、新鮮だな~と思っただけなんでしょ?
新鮮……そうだな。だが、この感覚をもっと的確に言い表すには……
……そうか。似合う、と言えば良かったのか。
……えっ……
普段と違う格好だが、こっちはこっちで君に似合っている。ああ、そう言いたかったんだ。
…………
………………
……また私は、何か変な事を言っていただろうか?
そわそわと焦り始める樹に、私は火照りそうな頬を押さえて呟いた。
樹が急に、「似合う」とか言うからじゃない。
油断してた時にそう言われたら、誰だって照れるし……嬉しいわよ。
照れる……嬉しい……
千種は、私に褒められると、その……嬉しいのか?
あーもうほら、そういう事聞かないの! 注文はお決まりですか!?
あ、ああ。
照れ隠しにメニューを押し付けると、彼は戸惑いつつも文字に目を通す。
……ダージリンに、ショートケーキのセット。と、桃のトライフル。
それとこの、黒蜜豆乳ぷりんを頼む。
相変わらず甘いものが好きなのね……。でも、胸焼けしちゃわない?
普通はそうなのか?
……ま、まあ、樹が大丈夫なら、お店としては全然問題ないんだけど。
それでは、少々お待ちください。お水とおしぼりもすぐにお持ちしますね。
そう礼をして、私はカウンターの方へ戻った。
ふふ、青春ねえ~。
わっ……! あずささん、いつ買い出しから帰ってこられたんですか。
真澄さんが吹き出してた頃ね。
(うぅ、割と前の方から見られてたのね……)
あ、あの、彼が前に話した事のある樹です。
うんうん、前に『何度も』話してくれた樹くんね。
何度もって……
(まあ確かに、何回か樹の話をした覚えはあるけど……)
ちょっと見てすぐにわかったわよ。だって、この中にも写ってたもの。
あずささんは笑いながら、手元のバッグから、小さなアルバムを取り出して見せた。
……あっ。そういえば……
ちょうどバッグに入れてて良かったわ。私はゆっくり見せてもらったし、彼にも貸してあげたら?
そう……ですね。じゃあ、お言葉に甘えて。
私はあずささんからアルバムを受け取ると、真澄さんにオーダーを通してから、お水のグラスとおしぼりと一緒に樹の席へと持っていった。
ありがとう。……ん? それは……アルバムか?
うん。私が作ったものなんだけどね。ユータの写真をまとめてあるの。
……そうか。
見せてもらってもいいのか?
もちろんよ。というか……
良かったらそれ、貰ってくれると嬉しいわ。元の写真はデータで残してるから大丈夫。
……本当か。なら、ありがたく貰っていこう。
あ、樹が一緒に写ってる写真もあるわよ?
…………そういえば、ユータと遊んでいる時にも、君はたまに写真を撮っていたな。
あはは。何で恥ずかしそうにするのよ。
撮るのはともかく、写真を撮られるのには慣れていないもので……
そう? でも……ほら。
私はアルバムを開いて、ユータと樹がボール遊びをしている写真を指差した。
樹、優しくて、とってもいい表情をしてるわよ。
今までは動物ばかり撮ってたけど、もっと人を撮ってみたいな、なんて思ったもの。
今度、被写体になってもらおうかしら?
冗談めかしはしたものの半分本気で、樹に笑いかける。
照れるか、私を撮っても面白くないと思うが……と首を傾げるとか、樹はそんな反応をするだろうと思っていた。
…………
でも、樹は何だか言葉を詰まらせたように、短い沈黙を挟む。
……ああ、また……今度。
(……? 樹……?)
いつもと違う雰囲気を感じて疑問に思うものの、私が何か聞く前に、カウンターから真澄さんの声がした。
千種さん、まずはケーキセットね。
あっ……はい!
(……写真を撮られるのは慣れてないって言ってたし、苦手なのかしら?)
(だったら無理強いはしないようにしないとね)
そんな事を思いながら、注文の品を取りにいく。
ケーキセットを運ぶと、樹は嬉しそうに目を輝かせ……
その様子を見て和んでいるうちに、私はさっき抱いた疑問など、すっかり忘れていたのだった。
・
・
・
北野坂
千種の働く『四ツ葉』を後にして、見慣れた街並みを歩く。
しかし、家へ向かう足取りは、軽いとは言えなかった。
(……どうして、うまく言えなかったのだろうか)
寡黙な方だと自覚はあるが、いつもは彼女を前にすると、勝手に口が動いてしまうのに。
と、ため息をついたその時……
…………あれ?
樹さん。偶然だね。
向こうからやってきたのは、要だった。軽く手を上げて、私の方へ近寄ってくる。
要……
向こうから歩いてきたって事は……もしかして、四ツ葉に行ってた?
……そうだ。
そっか。千種さん、元気そうだった? 最近ちょっと忙しくて、なかなか会いにいけなくてさ。
ユータが亡くなったって聞いてから心配だったんだけど……樹さん、その日一緒にいてあげたんだよね。
……ああ。もちろん悲しさはあるだろうが、気丈に頑張っていた。
…………
……樹さん、どうかした? 何か様子が変だけど。
…………!
やはり……私は、様子が変なのだろうか。自分でも思っていたが、要もそう思うのか?
い、いや……まあ、なんとなく。何かあったの?
言えなかったんだ。
え……?
もうすぐ海外に帰ると、それを言いに行ったはずなのに、最後まで言えなかった。
…………
休猟期も終わるし、知り合いに預けている猟犬達の世話もしたい。
本当は、もう少し早めに帰る予定だったから、これでも長居をしているのに。
……そうだね。樹さん、いつもは年にひと月くらいしか日本にいないから。
でも、今年は違ったんだね。予定より長く日本にいて、帰らなくちゃいけなくなった今も、千種さんにその事を言えてない。
ああ。別に隠し事をしたいわけではないのに、どうして言い出せなかったかわからなくて……
…………
…………それは、さ。
千種さんの事、好きになったんじゃないの?
要は私の目をまっすぐに射抜いて、そう聞いてきた。
(え……?)
ストレートな言葉だったのに、質問の意図を理解するのには時間がかかってしまう。
……す……?
好き……かと言われれば、もちろん、友人として――
そうじゃなくてさ。千種さんを、女性として好きになったんじゃないのかなってこと。
(……女性として……?)
普通の友達だったら、帰る時期になったんだ、また来年、って言えばいいだけじゃないか。
でも、いざとなると言い出せなかった。……それって、友達以上の気持ちがあるからじゃない?
ちょっとした事でも相手にどう思われるか臆病になっちゃうような……特別な気持ちがさ。
…………
要の言葉にあるのは、今まで考えもしなかった事ばかりだった。
けれどどうしてか、否定する台詞もすぐには出てこない。
千種さんは、動物を一時預かりするボランティアをやっているわけだよね。
だから、動物を置いて何日も家を空けたりできないし……
樹さんに会いに、ちょっと旅行ってわけにはいかない。
樹さんが海外に行っている間……1年のほとんどを、離れて過ごす事になるんだ。
そう……だな。
千種さんのそばにいられないのは、すごく寂しい。
でも、千種さんはどう思うだろう。悲しむかな。それとも別に気にしないかな。
女の人と親しくなる事があまりなかったから、どういう反応が返ってくるかわからない……
それで躊躇しちゃったんじゃないかな、樹さんは。
…………
……自分がどう思ってるか、よくわからないかな。なら、例えばこう想像してみて。
樹さんがいない間に、別の男の人が千種さんに近づいて仲良くしてたら……
今まで樹さんがいたはずの、千種さんの隣に、別の男の人がいたら……どう思う?
……それは……
それは、千種の自由だろう。私が口を挟める事じゃない……と思う。
やはり何かが邪魔をして、はきはきとは言い切れなかったが、そう告げる。
すると、要は今まで真剣だった表情を、ほっと和ませた。
まるで心から安心したというように。
……そっか。そうなんだ……
(……?)
良かった。今ならまだ、僕にもチャンスがありそうで。
チャンス……?
僕は、千種さんの事が好きだから。
…………
また、理解に時間がかかった。
今、要は何と言った?
(要は……千種が、好き?)
それは……千種を、女性として……
そうだよ。本気で、女性として、好きなんだ。
樹さんとは違ってね。
……っ……
理由もわからず、心臓だけがどくんと唸る。
(……考えてみれば、確かに要は、千種を女性として意識していると言っていた)
(いつも千種の事を気にかけていたし、ただの友達でなく、女性として、大切に接していた気がする……)
要は唇を引き結ぶと、挑戦するように顔を上げて、歩き出した。
……それじゃあ僕、用事があるから。
要――
彼は振り返らず、横を通りすぎて歩いていってしまう。
取り残されて、街の賑やかさも耳に入らず、自分の鼓動だけが騒がしい。
(……要……)
話し上手とは冗談でも言えない自分を、彼は時々さっきのように、樹さんはこう思ってるんじゃないかな、こう言いたかったんじゃないかな……と助けてくれる事があった。
でも、今回はそうできない。
わけもわからずざわめく自分の気持ちに、自分で答えを出さなくてはいけない。
自分が千種の事を、どう思っているのか。
(…………)
(……改めて、彼女に会いたい。そうしたら、確かめられる気がする)
携帯を取り出して、ついさっき別れたばかりの千種に電話をかける。
しかしコール音がしばらく続いた後、留守番電話に切り替わってしまった。
(……それはそうか。今だって仕事中だろうから、私用の電話に出られるはずがない)
(…………閉店する頃に、もう一度四ツ葉に行ってみるか……)
・
・
・
――そして、夕陽が沈みかけた、四ツ葉の閉店時間頃。
カフェ
ドアベルを鳴らして店内に入ると、カウンターにいたオーナー夫妻の奥方が振り返った。
あら、お昼に来てくれた……千種ちゃんから聞いてるわ。樹くんよね。
はい……いつも、千種にはお世話になっています。
それで、彼女は……
店内をにはアルバイトらしき青年が掃除をしているだけで、千種の姿は見当たらない。
千種ちゃんね。あの子ならさっき……確か樹くんも知り合いだって聞いてるけど、
要くんと一緒に、出かけていったわよ。
…………!
(要が先に、来ていたのか……)
妙な焦燥感が湧き上がって、じわりと汗が滲(にじ)みそうになった。
……ふたりはどこに……?
北野町広場に行くって言ってたわ。
……ありがとうございます。
頭を下げると、私は踵(きびす)を返し、急いで店を出て行った。
あら……
青春というより、修羅場だったのかしら……?