やあ、千種さん。こんにちは。
あ……!
昨日のもやもやを引きずったまま仕事をしていたその時、見慣れた青年がお店に入ってくる。
要くん、いらっしゃいませ。
彼は要・H・ハズレットという名前で、獣医を目指して勉強中の大学生だ。
名前からわかる通り、彼もハーフでとても整った顔立ちをしているけれど、美形だからと近寄りがたい感じは全くなく、いつも優しくて柔らかい笑顔を浮かべている。
そんな彼に、少し癒やされるものの……
シオンの調子は、どうかな……?
席につきながら要くんが呟いた問いかけに、私は思わず口元を強張らせてしまった。
私の目が赤いのにも気付いていたのか、彼はそれだけで、すぐに察したらしい。
……もしかして……
…………うん、昨日の夕方くらいにね。あずささんから、真澄さんに連絡があったんだ。
湊川あずささんと、湊川真澄さん。それがこの喫茶店を経営しているご夫婦の名前だ。
とても仲が良く、いつもは明るくカウンターの向こうで仕事をしている二人だけど、今はお店を不在にしている。
朝は一度来て、仕込みとかをされてたんだけどね。一度家に戻って、火葬の準備をするって言ってたわ。
ちょうど他にお客さんがいなかったのでそう説明していると、要くんは切なげに大きな目を伏せた。
そっか……。最近はあずささんがつきっきりで世話をしてたんだよね。
大切な家族に見守られて迎えた最期なら……シオンも、幸せだったと思うよ。
……うん。そう思いたいよね。シオンを知ってるお客さん達も、みんな悲しんでくれたし。
あっ……。ごめんね、要くん。お水も出さずに話しばかりしちゃって。
今ならまだランチメニューができますが、どうなさいますか?
あはは、急に店員さん口調になって。
笑いながら、要くんはメニューに目を落とす。
ふと彼の指が、メニューのところどころに描かれた肉球のマークや、「人気メニュー!」の吹き出しと一緒に描かれたシオンのイラストを、そっとなぞった。
じゃあ、サンドイッチとコーヒーセット。後、アップルパイをお願いしようかな。
はい、かしこまりました。
(伝票を書いて……あと、お水とおしぼりを持ってこなきゃ)
要くんが座っている窓際の席から離れ、カウンターの中へ入る。
すると、厨房の奥――事務室やオーナー夫妻の住居へ繋がっているドアが、向こう側から静かに開いた。
ああ、千種ちゃん。お疲れ様。店番頼んじゃってごめんなさいね。
あずささん! いえ、お疲れ様です。
あずささん、こんにちは。
要くんも来てくれてたのね、いらっしゃい。
はい……。あの、シオンのこと、聞きました。お辛かったでしょうね。
だけど、シオンはあずささん達の元で暮らせて、本当に幸せだったと思います。
……ありがとう、要くん。シオンは眠るみたいに息を引き取ったわ。苦しそうな感じは全然なくて……
要くんがいい獣医さんを紹介してくれたり、色々相談に乗ってくれたおかげよ。
いえ、そんな……
ふふっ、お世辞じゃないわよ。今はまだそういう気持ちにはなれないけど……
いつかはまた、心ない人達に傷つけられたシオンみたいな子を、幸せにしてあげたいって思うわ。
その頃には要くん、立派な獣医さんになってるかも。予防注射とか、頼んじゃおうかしら。
あずささんは私よりも目を赤くしていたけれど、気丈に微笑んでいた。
そのことに私も要くんも少し安心していると、彼女は時計を見上げてちょっと慌てた面持ちになる。
いけない、真澄さんを近くで待たせているの。私達今から、シオンの葬儀に行ってくるわね。
帰りが夜頃になってしまうかもしれないけど……
大丈夫ですよ。その……無理せず、ゆっくり、お別れしてきてください。
……ええ、そうね。ちゃんと見送ってあげなくちゃ。
あずささんは私と要くんに会釈すると、扉の奥へと戻っていった。
また二人だけになった店内で、要くんと顔を見合わせて小さく息をつく。
……本当に、シオンとお別れなんだね。
うん……。でも、大事なことだと思うよ。
人形とかじゃない生きている動物だからこそ、必ず死がやってくるし……限りある命だから、尊いとも言えるしね。
僕達もシオンの死をちゃんと受け止めて、冥福を祈ろう。
…………そう、だよね。
(うん……やっぱり、そうだ)
(昨日のことはあずささん達には言わなかったけど、もし言ってても、二人はシオンを剥製にしようとなんてしなかっただろうな)
(病気で苦しんで、何度も注射や手術をしたシオンの体を、これ以上傷つけたくないし)
(姿だけが残っていたら、いつまでも引きずってしまいそうだもの……)
…………千種さん? どうかした?
えっ……あ、ううん、何でもないよ。
そうだ、ごめんね、また手を止めちゃってて。ランチ、すぐに作るから。
うん……。……もし何か気がかりなことがあるのなら、いつでも言ってね。
要くんはお水を口にしつつ、控えめにそう気遣ってくれた。
(いつものことだけど、ちょっとした表情の変化とかをよく見てくれてるなぁ……)
彼は獣医学科のある大阪の大学に通いながら、教授のツテで、時々神戸の動物園でアルバイトをしている。
北野町に住んでいるから通学にも時間がかかるだろうし、勉強にアルバイトにと大変なはずなのに、「バイトは半分実習みたいなものだし、すごくためになる」なんて、ちっとも苦にせずニコニコしている様子だ。
(心から動物や、動物と触れ合うことが好きなのがわかるし、病気や怪我から守ってあげたいって思ってるのが、伝わってくるのよね)
私は趣味で動物の写真を撮っているのだけど、要くんとの最初の出会いも、そのために訪れた動物園でだった。
飼育係をしている彼が、幸せそうに触れ合い広場でヤギの世話をしていたのを覚えている。
(そしたら数日後に、偶然要くんが四ツ葉に来てくれて……)
(お互い動物好きっていうこともあって、友達になったんだっけ)
言葉の喋れない動物とずっと接しているだけあってか、要くんは些細な変化にもすごく敏感だ。
それでいて、無理に聞き出そうとするのではなく、辛かったら受け止めるよ、と適度な距離で見守ってくれる。
(たまに要くんの方が年上みたいに思えて、ちょっぴり情けない気もするんだけど)
(……でも、昨日のこと、要くんにならわかってもらえそう。今は他に誰もいないし……)
…………じゃ、じゃあ、要くん。ランチができるまでの暇つぶしにでも聞いてくれる?
食事時には、微妙な話題かもしれないんだけど……
話を聞くって言ったのは僕の方だから、そんなの気にしないで。でも、やっぱり何かあったんだ。
うん……。実は……
私は手短に、昨日の夜のことを要くんに説明した。
…………
……すると彼は、話の終わりと同時に運んでいった注文の品に手をつけもせず、ぽかんと目を丸くする。
(あ、あれ? 確かに人によって色々感じ方の違う話だろうけど、)
(そんなに驚く要素があったかしら……?)
……ねえ、千種さん。
今の話に出てきた男の人って……樹さんのこと?
え……!?
そうだけど……名前は言わなかったのに、どうしてわかったの? もしかして、知り合い?
うん。知り合いというか、幼馴染だというか……。
幼馴染!? でも、樹は私より年上みたいだったし……
ああ、確かにそうだね。僕と樹さんは10歳近く離れてるから。
でも、小さい頃イギリスに住んでた時、家が近かったんだ。
両親同士が仲良くて、それでよく遊んでもらったりしてて……
へえ……
(2人ともタイプが違うから、何だか意外だけど……そうだったのね)
要くんと樹は、今でも遊んだりしてるの?
そうだね……樹さん、ほとんど海外暮らしだし。今は、たまに連絡を取るくらいかな。
……それにしても、樹さんが、初対面の人相手にそんなに色々喋るなんて……
そ、そう? 言い返したりもされなかったし、結構口数は少なかったと思うけど……
う~ん……
思い出したかのようにサンドイッチにかじりつきながら、要くんは何やら考え込んでいるようだった。
(これ以上は、食事中に邪魔するのも悪いよね)
カランカラン……
すみません、2人なんですけど、いいですか?
あっ、はい! いらっしゃいませ。それではこちらのお席にどうぞ。
新しいお客さんがやってきて、私は対応するため要くんのそばを離れる。
そうこうしているうちに他にも何組か来客があり、食事を終えた要くんはすぐに帰ってしまったため、樹の話については、その日はそこでおしまいになったのだった。
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・
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北野坂
……けれど、数日後のこと。
『“動物と人”をテーマにした写真の展覧会があるみたいなんだ。一緒に行かない?』
そう要くんに誘われて快諾した私は、待ち合わせ場所の駅前に向かったところで、びっくりして声を失ってしまうことになる。
千種さん、こっちこっち。
要くん! ごめんね、待たせちゃった……
か……な……
…………
……って……
…………
(ええっ!? どうして、樹が要くんの隣にいるの……!?)