千種の家リビング
樹がユータ達のお世話を手伝ってくれたあの日から、彼は時間のある時にちょくちょく、お手伝いをしてくれるようになっていた。
樹
よし、もう1回だな。ほら、取ってこい。
ユータ
ワン!
ハナ
ワォン……!
千種
ありがとう、樹。遊んでもらってる間に、掃除や食餌の準備が終わったわ。
樹
そうか、それは良かった。
樹
……だが、もう少し遊んでいてもいいか?
千種
ふふっ、もちろんよ。ハナとユータもまだ物足りなさそうだし。
千種
(ウェスティは体力があるから、根気よく遊んでもらえるだけでも大助かりなのよね)
千種
(テリア種は頑固だったりする部分もあるけど、甘やかしすぎたり、逆に厳しくしすぎたりしないで、ちょうどいい距離感で接してくれるし……)
きちんとしつけや訓練をしておくことは、犬のためにも、人のためにもとても大事なことだ。
今のうちに、人間は信頼できるものだとユータ達に感じてもらえれば、いつか里親さんの元へ行った時にも、いい関係を築いて、皆が幸せになれると思う。
千種
よし、私も参加しようかな。
千種
ハナ、ユータ、こっちにもボールがあるよ~!
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住宅街
ハナとユータを連れて、一緒に散歩へ出たりすることもよくあった。
……たまに近所の人に見つかって、ちょっと困ったりもしたけれど。
近所のおばさん
あら、千種ちゃん。今日は彼氏と一緒にお散歩?
千種
え……!?
樹
……?
千種
(か、彼氏って……樹のことを言ってるのよね?)
千種
いえっ、その……樹は友達で、そういうのではないですから!
千種
ほら、樹も何とか言ってよ。
樹
……そういうのではないんです。
近所のおばさん
あらあらまあまあ~。青春ねえ~。お似合いねえ~。
おばさんはニコニコしつつ、そのまま去っていってしまう。
千種
(絶対に勘違いしたままよね、あれ……)
樹
……なあ、千種。さっきの女性は、なぜああいうふうに言ったんだ?
樹
男女が一緒に行動していても、友人や家族かもしれない。恋人同士だとは限らないだろう。
千種
そ、そういうのを説明させないでよ。
樹
……もしかして最近の日本では、一緒に犬の散歩をすると恋愛関係にあるとか、そういう暗黙の了解があるのか?
樹
いや、私は海外にいる時は田舎や山で暮らしているし、日本にいる時もあまり出歩いたりテレビを観たりしないから、巷の情報に疎くてな……
千種
……あのねえ……
私は呆れ半分、照れくささ半分で、つい唇を尖らせた。
千種
さっきのおばさんは、からかい半分だと思うわよ。……だから、そんなに気にしなくていいから。
樹
そうか? だが……
千種
気にしなくていいの……!
樹
わ、わかった。
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千種の家リビング
……もちろん、のんきなお喋りだけじゃなくて、樹から猟師の仕事について聞いたりと、真面目な話をすることもあった。
樹
私のハンターとしての仕事は、主に人から依頼を受けて、『害獣』とされた動物を駆除することなんだ。
千種
害獣……
樹
ああ。動物の側からすれば、勝手な区分けだろうが……
樹
農作物を荒らす動物。道路などに入り込んで、事故を起こす動物。家畜や希少動物を襲う動物……
樹
そういったものから、人間や他の生き物、作物などを守ることを仕事にしている。
千種
…………
私は紅茶に口をつけながら、静かに頷く。
千種
そうなのね……。日本でも、同じように動物による被害はあるわ。
千種
熊や猪、鹿はよく聞くし……私達が保護している犬や猫だって街中に放したままなら、人の敷地を汚したり、人を傷付けて『害獣』になってしまう。
樹
ああ、君も前に言っていたが、日本でも外国でも同じなのだろう。
樹
人と動物が関わって生きる以上、形や状況は違えど、どこでも起きる問題なんだ。
樹
食べるためや、人間の生活を守るために動物の命を奪ったり、管理しなければいけない。
樹
けれどその一方で、自然の中で共生したり、家族や友人として生きるため、動物の命を守りたい……
千種
……皆、悩みながら、一生懸命なのね。
千種
ねえ、樹、もっと聞かせて。例えば……樹が猟で獲った動物は、そのあとどうするの?
樹
……そうだな。私の場合は、獲物を捌いて、食用にできるようにしている。
樹
依頼主に渡すこともあるし、不要だと言われた場合は、持ち帰って自分で食べたり、知り合いに分けることもある。
千種
うん、うん。
樹
それで……
そうやって、私は少しずつ樹の仕事への理解を深めていった。
嫌な思い出や、漠然としたイメージから拒否してしまっていたものも、彼の真摯な言葉を通して伝えられると、するりと胸に染みこんでくる。
そのお返しに、私も自分のことや、樹が知らない最近の流行りを教えたり。要くんは忙しいから頻繁ではないものの、また三人で出かけたり。
笑って、照れて、驚いて、感心して……
ひと月、ふた月と日々が過ぎていく。
そして。そして……
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樹の部屋
要
『ふうん、そうなんだ……』
その日の夜。私は要と電話で話をしていた。
彼は通学に時間のかかる大阪の大学に通っていることや、アルバイトをしていることもあって、あまり何度も遊びにいったり、千種の様子を見にいく余裕はないらしい。
だから私が千種のことを報告したり、彼女の預かっている犬について元気だと教えると、嬉しそうに聞いてくれた。
要
『……ねえ、樹さんさ、気付いてる?』
ふと、要の声が面白がるような響きを帯びる。
樹
ん……?
要
『前より、よく喋るようになったよね。特に千種さんのことになると、口数が多くなる』
樹
……そうだろうか?
樹
…………いや、そうなのだろうな。彼女と話すのは楽しいから。
要
『全く、のろけちゃって』
樹
(のろけ……)
樹
要はどうして、そういうふうに言うんだ?
要
『へ?』
私はこの前、千種と一緒にユータ達の散歩をしたこと、そして近所の人に『彼氏か』と聞かれたことを要に説明した。
樹
私が『なぜそういうふうに言われたのかわからない』と言うと、千種は微妙な顔をして……その後も、詳しく教えてくれなかったんだ。
樹
私は何か悪いことを言ったのだろうか。
要
『う~ん……』
要
『……樹さんは、千種さんのことを素敵な人だなぁとか思わない?』
樹
素敵……もちろん、いい友人だとは思っている。素敵といえば素敵だな。
要
『じゃあ、可愛いなとかは? 見た目でも、性格の話でもどっちでもいいんだけど』
樹
可愛い……? あまり……そういうふうに考えたことはないが。
要
『うわ。それ、千種さんに直接言わないでよ。絶対怒られるから』
樹
どうしてだ?
要
『千種さんは女の人なんだから。貴女のこと可愛いとか思ったことないなんて言ったら、悲しませるよ』
要
『個人差はあるけど、大体の女の人は、女性だって意識して対応された方が嬉しいものなんだって』
樹
……女性として意識……
樹
要は、そう思って千種に接しているのか?
要
『…………』
要
『……そうだね。僕は千種さんのことをとても可愛くて素敵な女性だと思ってるよ』
樹
そう……なのか。
樹
(女性として意識……)
声には出さず繰り返した。
樹
(考えてみれば、私にはあまり親しい女性の知り合いはいないな)
樹
(もともと人付き合いの多い方ではないし、やはりハンターは男性の方が多いし……)
樹
(……いわゆる『デリカシーがない』という態度を取ってしまっていたのかもしれない)
樹
(具体的にどうすればそれが改善できるのかわからないが……千種を傷付けたくはないからな)
樹
わかった。私も改めて考えてみよう。
そう要に告げ、適当なタイミングで挨拶を交わして電話を切る。
――その直後、着信が入った。
樹
(……! 千種から……)
樹
…………もしもし。
少しどきりとしながら電話に出る。
だが……すぐに、私はさっき要としていた話など意識の外に飛ばしてしまった。
千種
あ……樹……
千種の声が震えている。
樹
……千種?
千種
樹、ユータが……
千種
ユータが……死んじゃった……
涙で潤んだ彼女の呟きに、私は目を見開いた。