ベンの家
~7話~

千種の家リビング

樹がユータ達のお世話を手伝ってくれたあの日から、彼は時間のある時にちょくちょく、お手伝いをしてくれるようになっていた。

よし、もう1回だな。ほら、取ってこい。

ユータ

ワン!

ハナ

ワォン……!

千種

ありがとう、樹。遊んでもらってる間に、掃除や食餌の準備が終わったわ。

そうか、それは良かった。

……だが、もう少し遊んでいてもいいか?

千種

ふふっ、もちろんよ。ハナとユータもまだ物足りなさそうだし。

千種

(ウェスティは体力があるから、根気よく遊んでもらえるだけでも大助かりなのよね)

千種

(テリア種は頑固だったりする部分もあるけど、甘やかしすぎたり、逆に厳しくしすぎたりしないで、ちょうどいい距離感で接してくれるし……)

きちんとしつけや訓練をしておくことは、犬のためにも、人のためにもとても大事なことだ。

今のうちに、人間は信頼できるものだとユータ達に感じてもらえれば、いつか里親さんの元へ行った時にも、いい関係を築いて、皆が幸せになれると思う。

千種

よし、私も参加しようかな。

千種

ハナ、ユータ、こっちにもボールがあるよ~!

住宅街

ハナとユータを連れて、一緒に散歩へ出たりすることもよくあった。

……たまに近所の人に見つかって、ちょっと困ったりもしたけれど。

近所のおばさん

あら、千種ちゃん。今日は彼氏と一緒にお散歩?

千種

え……!?

……?

千種

(か、彼氏って……樹のことを言ってるのよね?)

千種

いえっ、その……樹は友達で、そういうのではないですから!

千種

ほら、樹も何とか言ってよ。

……そういうのではないんです。

近所のおばさん

あらあらまあまあ~。青春ねえ~。お似合いねえ~。

おばさんはニコニコしつつ、そのまま去っていってしまう。

千種

(絶対に勘違いしたままよね、あれ……)

……なあ、千種。さっきの女性は、なぜああいうふうに言ったんだ?

男女が一緒に行動していても、友人や家族かもしれない。恋人同士だとは限らないだろう。

千種

そ、そういうのを説明させないでよ。

……もしかして最近の日本では、一緒に犬の散歩をすると恋愛関係にあるとか、そういう暗黙の了解があるのか?

いや、私は海外にいる時は田舎や山で暮らしているし、日本にいる時もあまり出歩いたりテレビを観たりしないから、巷の情報に疎くてな……

千種

……あのねえ……

私は呆れ半分、照れくささ半分で、つい唇を尖らせた。

千種

さっきのおばさんは、からかい半分だと思うわよ。……だから、そんなに気にしなくていいから。

そうか? だが……

千種

気にしなくていいの……!

わ、わかった。

千種の家リビング

……もちろん、のんきなお喋りだけじゃなくて、樹から猟師の仕事について聞いたりと、真面目な話をすることもあった。

私のハンターとしての仕事は、主に人から依頼を受けて、『害獣』とされた動物を駆除することなんだ。

千種

害獣……

ああ。動物の側からすれば、勝手な区分けだろうが……

農作物を荒らす動物。道路などに入り込んで、事故を起こす動物。家畜や希少動物を襲う動物……

そういったものから、人間や他の生き物、作物などを守ることを仕事にしている。

千種

…………

私は紅茶に口をつけながら、静かに頷く。

千種

そうなのね……。日本でも、同じように動物による被害はあるわ。

千種

熊や猪、鹿はよく聞くし……私達が保護している犬や猫だって街中に放したままなら、人の敷地を汚したり、人を傷付けて『害獣』になってしまう。

ああ、君も前に言っていたが、日本でも外国でも同じなのだろう。

人と動物が関わって生きる以上、形や状況は違えど、どこでも起きる問題なんだ。

食べるためや、人間の生活を守るために動物の命を奪ったり、管理しなければいけない。

けれどその一方で、自然の中で共生したり、家族や友人として生きるため、動物の命を守りたい……

千種

……皆、悩みながら、一生懸命なのね。

千種

ねえ、樹、もっと聞かせて。例えば……樹が猟で獲った動物は、そのあとどうするの?

……そうだな。私の場合は、獲物を捌いて、食用にできるようにしている。

依頼主に渡すこともあるし、不要だと言われた場合は、持ち帰って自分で食べたり、知り合いに分けることもある。

千種

うん、うん。

それで……

そうやって、私は少しずつ樹の仕事への理解を深めていった。

嫌な思い出や、漠然としたイメージから拒否してしまっていたものも、彼の真摯な言葉を通して伝えられると、するりと胸に染みこんでくる。

そのお返しに、私も自分のことや、樹が知らない最近の流行りを教えたり。要くんは忙しいから頻繁ではないものの、また三人で出かけたり。

笑って、照れて、驚いて、感心して……

ひと月、ふた月と日々が過ぎていく。

そして。そして……

樹の部屋

『ふうん、そうなんだ……』

その日の夜。私は要と電話で話をしていた。

彼は通学に時間のかかる大阪の大学に通っていることや、アルバイトをしていることもあって、あまり何度も遊びにいったり、千種の様子を見にいく余裕はないらしい。

だから私が千種のことを報告したり、彼女の預かっている犬について元気だと教えると、嬉しそうに聞いてくれた。

『……ねえ、樹さんさ、気付いてる?』

ふと、要の声が面白がるような響きを帯びる。

ん……?

『前より、よく喋るようになったよね。特に千種さんのことになると、口数が多くなる』

……そうだろうか?

…………いや、そうなのだろうな。彼女と話すのは楽しいから。

『全く、のろけちゃって』

(のろけ……)

要はどうして、そういうふうに言うんだ?

『へ?』

私はこの前、千種と一緒にユータ達の散歩をしたこと、そして近所の人に『彼氏か』と聞かれたことを要に説明した。

私が『なぜそういうふうに言われたのかわからない』と言うと、千種は微妙な顔をして……その後も、詳しく教えてくれなかったんだ。

私は何か悪いことを言ったのだろうか。

『う~ん……』

『……樹さんは、千種さんのことを素敵な人だなぁとか思わない?』

素敵……もちろん、いい友人だとは思っている。素敵といえば素敵だな。

『じゃあ、可愛いなとかは? 見た目でも、性格の話でもどっちでもいいんだけど』

可愛い……? あまり……そういうふうに考えたことはないが。

『うわ。それ、千種さんに直接言わないでよ。絶対怒られるから』

どうしてだ?

『千種さんは女の人なんだから。貴女のこと可愛いとか思ったことないなんて言ったら、悲しませるよ』

『個人差はあるけど、大体の女の人は、女性だって意識して対応された方が嬉しいものなんだって』

……女性として意識……

要は、そう思って千種に接しているのか?

『…………』

『……そうだね。僕は千種さんのことをとても可愛くて素敵な女性だと思ってるよ』

そう……なのか。

(女性として意識……)

声には出さず繰り返した。

(考えてみれば、私にはあまり親しい女性の知り合いはいないな)

(もともと人付き合いの多い方ではないし、やはりハンターは男性の方が多いし……)

(……いわゆる『デリカシーがない』という態度を取ってしまっていたのかもしれない)

(具体的にどうすればそれが改善できるのかわからないが……千種を傷付けたくはないからな)

わかった。私も改めて考えてみよう。

そう要に告げ、適当なタイミングで挨拶を交わして電話を切る。

――その直後、着信が入った。

(……! 千種から……)

…………もしもし。

少しどきりとしながら電話に出る。

だが……すぐに、私はさっき要としていた話など意識の外に飛ばしてしまった。

千種

あ……樹……

千種の声が震えている。

……千種?

千種

樹、ユータが……

千種

ユータが……死んじゃった……

涙で潤んだ彼女の呟きに、私は目を見開いた。