ベンの家
~4話~

北野坂

千種

(ええっ!? どうして、樹が要くんの隣にいるの……!?)

…………要、これは……

言ってたでしょう? 僕の友達が来るって。

……千種と要は友人だったのか。

千種

(樹も、何も知らされてなかったのね)

千種

(でも……どうしよう。この前あんな別れ方をしたものだから、何て言っていいか……)

予想もしていなかった状況に戸惑うものの、私は黙っていても仕方ないと、とりあえず口を開いた。

千種

あ、あの――

あの――

……すると声が重なって、私達は同時に唇を閉じてしまう。

千種

ええっと、樹からどうぞ。

いや、千種から……

千種

ううん、樹から言って。

千種

……実を言うと、勢いで話し出しただけで、まだ頭の中がまとまってないのよね。

…………奇遇だな。私もなんだ。

私達が気の抜けた会話をしていると、樹の隣で要くんが呆れ顔を浮かべた。

あのさ……ふたりともいい大人なんだから、そんな明け透けに内情を暴露しないで、うまく誤魔化そうよ。

千種

う……だって、要くんが急に樹を連れてきたりするから、驚いちゃて……

……それは無理もないか。じゃあ僕が進行を務めるよ。

…………進行?

そう。はい、樹さんから喋って。

え……

まとまってなくてもいいから、千種さんに言いたいこと伝えようよ。

さっきまで僕に話してたでしょ?『この前配慮が足りなくて、女の人を傷つけてしまった』って。

千種

…………!!

千種

(それって……私のことよね?)

…………

樹は躊躇していた様子だったけれど、それも短い間のことだった。

私の方へ向き直ると、街のざわめきの中でもよく通る声で、まっすぐに告げてくる。

……千種。先日は、本当に申し訳なかった。

君達の事情も知らず、軽率なことを言って……嫌な思いをさせてしまった。

そのせいで、痛めた足で歩かせてしまったし……怪我は、もう大丈夫だろうか?

千種

え、ええ……

千種

樹が丁寧に手当をしてくれたおかげか、ほとんど腫れもなかったし、痛みもすぐに治まったわ。

千種

今はもうすっかり平気よ。

……そうか。それはよかった。

樹はほっとしたように、少し目許を和らげる。

心から私を気遣ってくれているのだとわかる表情に、胸がじんとした。

千種

(あんなにきつい態度を取った私のことを、心配していてくれたんだ……)

千種

(それに比べて私ったら、ひとりでモヤモヤ考えこむばかりで……)

千種

あの……私の方こそ、この前はごめんなさい!

千種

いくら落ち込んでいたからって、あんなふうな言い方をするのは良くなかったわ。

千種

それに、お礼をするって言ってたのに、できないままで……何度かお家を訪ねたんだけど、留守だったの。

ああ……ここ数日少し外出することが多かったからな。タイミングが悪かったのか。

だが、大したことはしていない。わざわざお礼など、気にしなくていいんだ。それに……

まだ、君に伝えていなかったことがあるしな。

千種

……? 伝えていなかったこと?

…………1年の大半を海外で暮らしていると言っただろう。

…………

要くんは黙って、私達を見守っていた。

わずかに沈黙を挟んだ樹だったけれど、私から目を逸らさずに先を続ける。

私は……日本を離れている時は、猟師の仕事をしているんだ。

千種

猟師……

ハンターと言ってもいい。君が旅行の際に会ったハンターと、似たようなものだ。

君が狩猟や、ハンターに対していいイメージを持っていないのは、もちろんわかっている。

だから私が同行するわけにはいかない。写真展は二人で楽しんできてくれ。

え……樹さん――

要くんの制止も聞かず、樹は駅へと逆の方向へ立ち去ろうとした。

去っていこうとする彼の姿に、私は考えるより先に駆け寄って……

千種

ちょ……ちょっと待って!

飛びつくように、その長い腕を捕まえる。

樹が目を丸くして、私を振り向いた。

……千種?

千種

ええっと、その……

千種

樹って、日本にいる時は、何してるの?

…………

…………ん?

千種

(……ひ、引きとめようと咄嗟に言ったこととはいえ、唐突な質問すぎたかしら)

きょとんと瞬きをする男性二人の視線を受けて、私は気恥ずかしさに顔を赤くしてしまう。

千種

ほっ、ほら……! 海外にいる時はハンターをしてるわけでしょ?

千種

じゃあ日本にいる時はどう過ごしてるのかなって……

………………

慌てて付け足すと、樹は何やら真面目に考え込んでいるようだった。

千種

話したくなければ、別にいいんだけど……

……そういうわけではない。ただ……

君にそういうことを聞かれるとは思っていなかった。

正確に言えば、君が私に興味を持つとは、思っていなかった。

千種

え……どうして?

嫌いなものに関わりたくない、避けたいと思うのは、当然なことだろう?

千種

………………?

彼の言葉に、今度は私が考えこんでしまう。

千種

私、樹を嫌いだって、言ったかしら……?

…………いや、だから、私はハンターで……

千種

確かに私は、狩猟とかハンターとか剥製とか、そういうものが好きじゃないわ。

千種

でも、だからって即、樹が嫌いってことにはならないじゃない。

…………そう、なのか?

千種

そうよ。樹とは長い時間一緒にいたわけじゃないけど、それでもすごくいい人だって伝わってくるもの。

千種

狩猟についての嫌な思い出だって……酷いことをするハンターがいるのは事実だけど、樹はむやみに動物を傷つけたりする人には見えないわ。

千種

それに、ほら、今日だって。

千種

要くんと一緒に、写真展に行こうとしてたんでしょう? 動物がテーマの写真展に。

ああ……

千種

動物、好き?

…………。…………ああ。

ぷっ……

なぜだか照れた感じで樹が頷くと、要くんが小さく吹き出して顔を逸らした。

……笑ったな?

…………『要くんはいつも笑顔なのが長所だね』って、よく言われるんだ。

いや、今のはそういう意味の笑いではなかっただろう。

樹は、大真面目に要くんを問い詰める。

そんな2人のやり取りが何だかおかしくて……私もふと、頬を緩めてしまった。

千種

……あの日は私、勘違いしてしまったのよ。

千種

樹も、動物を物みたいにしか考えてない人なのかもしれないって……

千種

でも、こうやって落ち着いた気持ちで、改めて樹と話してみてわかったわ。樹はそんなにひどい人じゃない。

千種……

千種

ねえ、樹。

千種

良かったら、私と友達になってくれないかしら?

…………

千種

それで、ハンターの仕事についても、色々教えてほしいのよ。

千種

旅行の時の経験や、調べて知った知識はあっても……それだけで本当のことを知ったとは言えないわ。

千種

私も色々、偏見を持ってしまっている部分もあると思うの。

千種

知らないから勝手に決めつけてしまったり、わからないから悪い方に想像してしまったり……

千種

そういうすれ違いで、樹みたいな優しい人と仲良くできないのは、悲しいわ。

千種

もちろん、友達だから仕事のことだけじゃなくて、他のことも知りたいし……

千種

普通のおしゃべりも、したいって思うけど。

…………

千種

……駄目かしら?

ちょっぴり不安になって尋ねてみる。

けれど……樹は静かに、首を振った。

…………いや……いや、そんなことはない。

私でよければ……千種の友人に加えてもらえると嬉しい。

千種

(……! 良かった……!)

千種

ありがとう! じゃあ、まずは……一緒に展覧会ね。

千種

私、まとめて切符を買ってくるから。待ってて!

ほっとした私はそう告げると、足取りも軽く、すぐそばにある駅の方へ駆けていったのだった。

あ、僕は電子マネーがあるから……

……って、もう行っちゃったな。

苦笑しつつ、私の隣で要が呟く。

柔らかい口調からは、千種がいつもあんなふうに元気で明るくしていることや、そんな彼女と要が仲が良いのだろうと、容易に察せられた。

要。今日は驚いたが……彼女に会わせてくれて、ありがとう。

事前に千種から私のことを聞いていて、謝る場を設けてくれたんだろう?

うん、まあ、ね。

小さな頃から優しい性格で、いつも笑顔を湛えている要。

獣医を目指す彼は、私がハンターという職業を選んだ事については複雑な思いがあるようなものの、だからといって私を避けたりせず、日本に帰ってきた時はいつも気にかけてくれていた。

でも樹さん、悪気はないんだろうけど発言には色々気を付けてね。昔から天然なところあるんだから。

ああ、注意する。……だが、私は天然ではない。

天然な人ほど自分の事天然じゃないって言い張る習性があるんだよね……

そんな事を話していると、千種が手を振りながら戻ってくる。

千種

切符買ってきたわよー! 10分後に電車が来るみたいだから、乗り遅れないように、早速行きましょう!

うん、そうしようか。

ほら、樹さんも。行こう。

……ああ。

笑顔の2人につられ、自然と顔がほころぶ。

いつも1人で猟をして、田舎の山の方で暮らしている私は、こういう楽しげな賑やかさに慣れていない。

だが、こんな雰囲気も悪くないと思いながら……私は彼女達の後について歩き出した。