ベンの家
~5話~

写真展

千種

わー……

結構、人が多いな。

広いから、あんまり窮屈な感じはしないけどね。とりあえず、順路に沿って見ていこうか。

やってきた展覧会は、休日のお昼過ぎというのもあってか、盛況の様子だった。

老若男女を問わず、大きく引き伸ばされた写真を眺めては、笑顔を交わしている。

美術館とかの落ち着いた静けさもいいけど、こういうゆるい雰囲気もまた違った良さがあるよね。

千種

うん、何だかほのぼのしてる。

千種

……あっ、この写真、すごく素敵ね。ふふっ、小鳥がたくさん肩に止まってる。

あはは、止まられてる人の微妙な表情が面白いなぁ。

…………

写真を指差してのんきに話す私達とは違い、樹はあまり喋らなかった。

千種

(でも、樹はもともと物静かだし、話に気を取られずにゆっくり見たい気持ちもわかるわよね)

私は深く考えることなく、展示の写真に意識を戻す。

その後は無理にペースを合わせず、気に入った作品は時間をかけて眺めたりと、思い思いに見て回って……

千種

(……あれ?)

ふと、途中にある休憩スペースのベンチに、樹が座っているのに気がついた。

千種

(思ったより退屈だったのかしら?それか、疲れたとか、体調が悪いとか……?)

心配になって、近づいて声をかけてみる。

千種

樹、大丈夫?

…………

千種

……? 樹……?

呼びかけても反応はなかったものの、肩をぽんと叩くと、彼ははっとしたように私を振り返った。

……っ、すまない。呼んでいただろうか。

千種

ええ。ぼうっとしてたみたいだけど、大丈夫かなって思って……

ああ……心配をかけたなら悪かった。あれを見ていただけなんだが……

千種

あれ?

千種

って……あそこに飾ってある犬の写真のこと?

樹の視線の先には、ウィンクをして笑顔を浮かべているように見える、大型犬の写真がある。

千種

(確かに、樹の座ってる席の真正面に展示されてるけど……)

千種

あの可愛らしい写真を見てるにしては、真面目な表情をしてたわね。

そ、そうだったか?

しかし……やはり、君もあの写真は可愛いと思うんだな。

千種

ん? ええ、それはもちろんよ。

千種

笑顔みたいに見えるのもそうだけど……何より、写真を取ってる……きっと飼い主さんでしょうけど、

千種

その人に対するあの犬の愛情というか、信頼感が伝わってくるような気がするわよね。

ああ……そうだな。

もちろん撮影者の方もあの犬を大事にしているのが、何となくわかるんだ。

ちょっとした仕草や、写り込んでいる手の表情や……そういった全部から、一緒に生きる喜びが滲んでいる。

だからずっと見ていても飽きないのだろうな。

千種

…………

千種

(樹って、こんなふうにも笑うのね。ちょっと少年っぽいというか……)

千種

(……ま、まあ、それは置いておいて)

千種

(今の話からすると、樹は退屈してたとか、具合が悪かったとかじゃなく……)

千種

……この写真がすごく気に入って、見惚れてたってこと?

…………

……そうなるかもしれない。

千種

(何でちょっと照れたのかしら……)

千種

あのね、私さっき、奥のグッズ販売コーナーも覗いてきたの。

千種

そこにこの写真を使った小物も、いくつか置いてあったわよ。

え……

千種

帰る前に、要くんとも合流して、一緒に見ていきましょうか。

……ああ。その時間を取ってもらえると助かる。

頷く彼の瞳は、何だかキラキラと輝いて見えた。

その面持ちを眺めて、私は内心でくすっと笑ってしまう。

千種

(……やっぱり樹って、意外と表情豊かなのかも?)

千種

(観察するのが、楽しくなってきてたりして……)

北野坂

展覧会を見終わった後、私達は一緒に北野町へと帰ってきていた。

皆この後はそれぞれに用事があって、出かけた先でついでに遊ぶような時間はなかったからなのだけれど……

千種

あっ、ねえ。解散する前に、よかったらクレープでも買って、広場で食べていかない?

千種

小腹も空いたし、展覧会の感想を言い合ったりもしたいから。

そうだね。電車の中だとうるさくて、あんまり喋れなかったし……

私も、そのくらいなら全く構わない。

千種

うん。じゃあ決まりね。

それから15分ほど歩き、クレープ屋さんが視界に入ったところで、

私は要くんと樹の方を振り返った。

千種

2人とも、好きなものを選んで。今日は私がおごるから。

えっ、でも……

千種

要くんは、今日誘ってくれて、私を樹と会わせてくれたお礼。

千種

樹には、この前手当してもらったお礼と、嫌な事を言ってしまったお詫びだから。

しかし……

千種

『お礼』とか『お詫び』が堅苦しいなら、『友達になった記念』って思ってもらってもいいわよ。

……ふむ。

それなら、ありがたく受け取ろうか。

……じゃあ、僕も。ありがとう、千種さん。

千種

どういたしまして!

と、そこでちょうどお店の前に着いた。

私はいつも頼むメニューが決まっていたので、早速店員さんに注文する。

千種

私はダブルベリーでお願いします。要くんは?

僕は……そうだな、チョコバナナにしようかな。

千種

じゃあ、チョコバナナひとつね。樹はどうする?

千種

あっ、甘くない、サラダクレープとかもこっちのメニューにあるけど……

キャラメルアップルカスタードを頼む。

千種

…………

………………

な……何だ。

千種さん。樹さんって、割と甘いのを好む習性があったのを忘れてたよ。

千種

へえ、意外……。あ、キャラメルアップルカスタードもひとつお願いします。

注文と支払いを済ませ、他のお客さんの邪魔にならないよう、端に避ける。

樹は私達から目を逸らし、何故だか遠くを見つめていた。

……似合わないというのは自覚している。だから1人の時は頼みづらいんだ。

それでここぞとばかりに、普段食べられないものを注文したんだね。

……否定はしない。

千種

ふふっ……別に似合わないってことはないわよ。可愛くていいじゃない。

可愛い……のか?

僕に聞かれても……

自分の顔を触ってきょとんとしている樹と、半分呆れ顔の要くん。

そんな2人の様子を見ていると、つい口元がほころんでしまう。

千種

(……うん、やっぱり樹って、案外気さくだったり、可愛いところがあるんだわ)

背が高くて大柄だったり、美形だけどあまり感情を大きく表さなかったり、口数も少なかったり……

今思えば、そういう表面的なことから、最初は少し取っ付きにくさを感じていたのかもしれない。

千種

(何を考えているのか、わかりづらくて……)

千種

(それで……自分の言った通りね。わからないものを、勝手に悪い方に想像して、決めつけてしまった)

千種

(でも、こうして同じ時間を過ごしたり、きちんと話をしてみて、改めて樹はいい人だって思うわ)

クレープ屋の店員

お客様、クレープ3つ、お待たせしました。

千種

あ……ありがとうございます。

千種

じゃあ2人とも、あっちの広場で……

可愛いというのなら、要の方がまだしも適当ではないか?

樹さんにそんなこと言われても全然嬉しくないよ。

千種

あはは、まだやってるの。ほら、広場に行って座って食べましょ。

公園

それから私達は広場に移動して、適当な場所へ並んで腰かけた。

あ……そうだ、僕ちょっと飲み物が欲しいから買ってくるよ。2人は何かいる?

千種

私は途中で買ったお茶が残ってるから大丈夫。

私もだ。

そっか、じゃあ僕だけ行ってくるね。先に食べてていいから。

そう言って彼は駆けていくけれど、私達はせっかくだしと、戻りを待ってから食べることにした。

待っている間……ふと気になって、樹に尋ねてみる。

千種

ねえ、樹。

うん……?

千種

……初めて会った、あの日のことなんだけど。

千種

樹は『猟師や剥製を嫌う人がいる』ってわかっていたわよね?

……ああ。

千種

そうよね……。今日だって、展覧会をすごく楽しんでるのがわかった。

千種

樹も動物が好きなんだもの。他の動物好きな人の気持ちも、わかってるはずだわ。

千種

だから……あの日、『亡くなってしまった飼い犬を剥製にする方法がある』なんて言ったら、私が怒っちゃうんじゃないかってことも……きっと、わかってたのよね。

……ああ。

千種

それが不思議だなって思ったの。

千種

剥製が苦手な人の気持ちが全然理解できないならまだしも、樹はすごく気を遣ってくれてたし……

…………

私の質問に樹は目を伏せる。それから、彼はぽつぽつと語ってくれた。

……これは、私の祖国……イギリスでの知り合いの話なんだが。

不幸な事故で家族に先立たれ、天涯孤独だった人が、ある時、唯一残された家族である愛犬まで、病気で亡くしてしまったんだ。

千種

……それは、つらかったでしょうね。

ああ。彼はひどく憔悴(しょうすい)して……周囲の人もすごく心配していた。

それでどうにか元気づけようと、愛犬を剥製にしてもらってはどうかと彼に提案したんだ。

頼んだ剥製師は腕のいい人で、まるで生きているかのような姿を作り上げてくれてな。

すると、彼は少し落ち着きを取り戻して……周りの支えもあって、だんだん心の傷を癒やしていった。

そして数年後、改めてその剥製を埋葬して、お別れすることができたんだ。

千種

……そんなことがあったのね。

一緒に暮らしてきた動物を大切に思っているからこそ、人によっては永遠の別れを受け止めきれないことがある。それで……

あの日の千種も、本当に落ち込んで見えたから……

千種

(……!)

飼い主だというオーナーは、もっと気落ちしているかもしれないと思ってな。

だから、万一、彼と同じような心境になっていたらと……一応、言ってみただけだったんだ。

だが……配慮が足りなかった。本当に、不快にさせてすまない。

千種

樹……

千種

そんな……謝ることなんてないわ。樹は私達のためを思って言ってくれていたのね。

千種

私が怒り出して、自分の方こそ嫌な思いをするかもしれないってわかってたのに……

千種

(それでも、もしかしたらと思うと、何もしないではいられなかったのね、きっと)

千種

……ありがとう、樹。

千種

本当に樹って優しい人なのね。

い……いや……

別に、そう持ち上げられるほどでは……

何の話?

うわ……!

千種

あっ、要くん。お帰りなさい。

ただいま。……で、何の話をしてたの?

千種

うん、実は樹がね……

な、何でもないんだ。話さなくていい。

千種

あら、どうして? 私、要くんにあの日のことを愚痴ってしまったもの。

千種

樹は私達を気遣ってくれただけなんだって、ちゃんと訂正しておかなきゃ。

う……

……異論はないみたいだから、聞かせてくれる? 千種さん。

居心地の悪そうな樹を横目に、要くんは悪戯っぽく口の端を上げる。

そんな彼に応えて、私も笑顔で、さっきのことを説明したのだった。

……30分ほどの後。

クレープを美味しく食べ終えた私達は、さて解散しようかと荷物をまとめ、立ち上がった。

今日は楽しかったよ。2人とも、来てくれてありがとう。

千種

ううん、私の方こそ、誘ってくれてすごく嬉しかった。

私もだ。ありがとう、要。

……うん。それじゃあ……

千種

……はっ! そうだ、ひとつ忘れてたわ!

ん?

千種

樹。連絡先、交換してくれる?

……ああ。そうだったな。友人になったんだからな。

携帯は、と……あった。確か、ここのボタンを押して……

…………

…………どうやればいいんだったか。

千種

………………

千種さん。樹さんって、割と機械に苦手意識を持つ習性があったのも忘れてたよ。

そ、そんなことはない! 前に携帯で連絡先を交換してから間が空いたから、やり方を忘れただけで……

あたふたして、ここだったかいやこっちだったかと、樹は携帯を手に試行錯誤している。

そんな彼を見ながら、私は要くんと顔を見合わせて頬を緩め……

千種

(本当に今日、樹と再会できてよかったわ)

和んだ空気の中、そう実感していたのだった。