レストラン店内
『帝塚山 美鈴さま』
真っ白な封筒に、彼女の名前を記す。
これは美鈴に送るパラスティン邸への招待状。
ようやく全てのメニューを完成させた俺は、彼女をディナーに招待する手紙を書いていた。
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美鈴の部屋
ただいまー。
はあ……。今日も疲れた。
今日一日、酷使した体をベッドへとダイブさせる。
ハーブのアレンジメントを諦めたくなかった私は、日々植物たちと格闘していた。
目を開ける気力すらなくしていると、部屋の外から母の声が響く。
美鈴ー。帰ってきたの? 手紙が届いていたから机の上に置いておいたわよ。
……ううーん、手紙?
なんかお店からだったけどー。
え〜、DMか何かじゃないの。もう……そういうのはいらないよ。
ごろっと上向きになって答えれば、母はまだ続けた。
ほら、パラスティン邸! 美鈴が働いていたあのお店よ。
!!!
弾けたように体を起こして、机へと飛んでいく。
確かにそこには無地なのにどこか品を感じる封筒が置いてあった。
……露衣からだ……。
メニューが完成したんだ……!
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パラスティン邸
(き……緊張する)
(自分の気持ちを自覚してから露衣と会うのは初めてだから……)
(へ、変な態度をとっちゃったらどうしよう……!)
数日後——指定された日時にお店の前まで来て、私は固まっていた。
まったく関係は変わってないというのに正直何でもない顔をして彼と会う自信がない。
だって、意識すればするほど、顔が熱くなって仕方ないのだ。
(あー! もうっ、だからっ! 今は自分の気持ちは横に置いておくって決めたでしょ!)
(今日は、メニューが完成してそのお披露目!)
(余計なことは考えない……!)
頭を振って、入口へと手を伸ばす。
だけど、私が触れるより前にその扉は開いた。
……美鈴。
(……! 露衣!)
予測してなかった突然の彼の登場に胸がどきりとする。
露衣も開けた先に私がいるとは思わなかったのか、目を見張っていた。
……ひ、久しぶり、露衣。
ぎこちなく微笑めば、彼は驚いた顔を優しい笑みに変える。
そのどこか可愛らしさを感じる幼い笑顔に、ずっと会いたかったんだと思い知らされた。
ああ……久しぶり。来てくれて、ありがとう。
すっと開いた扉の端に寄って、彼は私を中へと促す。
……ようこそ、パラスティン邸へ。お待ちしておりました。
どうぞ、こちらへ。
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レストラン店内
(わあ……)
露衣はお客様にするように、私をテーブルへと案内する。
引いてもらった椅子に腰を落とせば、彼は瞳を細めた。
そんなに長い間会ってなかったわけじゃないのにな……。
やっぱりお前が来てくれると、身が入る。
すぐにでも店を開けたくなったよ。
屈託なく微笑まれて、胸が苦しい。
顔が赤くなるとか、挙動不審になるとか、そういうものは一気に越えてただこうしていられるのが嬉しかった。
もう……すぐだよ。
……メニューの完成おめでとう。
招待してくれて嬉しかった。今日は楽しみにしているね!
にっこりと言えば、露衣は同じ笑みを返し「待ってて」と厨房へと向かった。
そして彼が悩みに悩んで完成させた料理が運ばれる。
わあ……!
すごい……なんか豪華……。
想像していなかった料理の盛り付けに私は感嘆の息を零した。
でも、堅苦しくないだろ?
格式にこだわらないで気軽に食べられるようにこうしたんだ。
私の前には一つのお皿。
露衣が新しく考えたメニューは、一品ずつ上品に盛り付けられたコースの料理ではなく、
前菜、サラダ、スープ、メイン……それら全部が贅沢にもワンプレートに収められたものだった。
コースで出すと、どうしてもマナーや連れのペースとかを気にするだろうから。
ワンプレートなら自分のペースで好きに食べられるし、気も張らなくていいかと思って。
でも、ちゃんと特別な感じがするよ!
たくさんの料理が一つのお皿に盛られているのに、ごちゃごちゃすることもなくすっごくオシャレで……!
目で見ても楽しい!そういうの露衣らしくて、好きだな。
今までとは全く違う料理の提供の仕方なのに、きちんと彼の良さが残ってる。
以前のような芸術的な美しさとは違うけど、お皿の上は綺麗に彩られていた。
(すごい……。やっぱり露衣はすごいなあ)
…………。
……野菜はお前も世話してくれた家庭菜園のものを使うことにしたんだ。
無農薬は食材として魅力的だし、やっぱり採りたての野菜は美味いしな。
へえ……身体にも優しいんだね。
きっと、喜ぶお客様も多いよ!
(……だけど、アレはなんだろう?)
(料理と一緒に用意してあるんだけど、中が見れないんだよね)
ねえ、露衣。そのカバーをかけて蒸らしているポットは何のお茶?
中身の見えないティーセットを指差せば、彼はにやりと口角を上げた。
驚くなよ?
出てきたのは緑の葉が中で揺れるガラスポット。
私が前に、彼のために作ったフレッシュハーブティーだった。
……メニューに、入れてくれたの?
お前ほど上手に淹れられないけどな。
だからこれはお前の仕事。戻ってきたらお客様用にいくつかレシピを考えてくれるか?
……っ! うん、うんっ!
(嬉しい……。私の作ったものをメニューに入れてくれるなんて!)
(私が……必ずここにいる人だって、信じてくれてるんだ……)
ほら……温かいうちに食べてみてくれ。
本日のパラスティン邸の料理は『美鈴スペシャル』だ。
お客様だけに作った特別な料理ですよ。
少し照れを残しつつも、露衣は改まった態度でシェフの顔をする。
私もはにかみながら、手を合わせた。
……いただきます。
(…………わあ……)
一口食べて、なんだか泣きそうになった。
サービスの形も食材の選び方もお客様を考えた優しいメニューで、それだけで満足しちゃいそうなのに、口に入れた料理はそれ以上だった。
彼がどれだけ食べる人の気持ちを思って作ったか……。
どれだけ悩んでここへ行きついたか……。
それがよくわかる味だったから。
(……今まで使ってなかった調味料を入れた)
(多分、食べやすいように和のテイストをミックスさせたんだ)
体中が温かいもので満たされる。
自然に顔が綻んでいた。
美鈴……?
……ははっ。
露衣?
聞くまでもないな。
え……?
お前の顔。
その顔を見ればわかるよ。今までで一番いい表情をしてる。
こんな料理食べたことがない。
もっと、もっと食べたい。そう思ってるだろ?
……!!
首を何度も縦に振る。
(調味料を変えたって、フレンチらしさは無くなってなんかない)
(むしろ本格的なフレンチにもかかわらず、すごく私達の味覚に馴染んで食べやすくなってる)
そして何より——
……だって、美味しい。
すごく、すごく美味しいんだもん!
ありきたりの言い回ししかできなくてごめんね。
本当に美味しくて、何度だって食べたい料理だよ!
作ってくれてありがとう、露衣……!
…………。
……礼を言わなきゃいけないのは俺のほうだ。
え……?
誰かのために作った料理を喜んで食べてもらうのは、こんなに嬉しいものなんだな。
こんなに長い間料理を作ってきたのに、俺は知らなかった。
……露衣……。
……今回のメニューはさ、もちろんお客様に喜んでもらうために考えたものだったけど。
心の奥では美鈴に美味しいって言ってもらいたくて頑張っていたんだ。
だから、美鈴の喜んだ顔が見れてすごく嬉しいよ。
照れながら告げる彼に、私は声を出すことさえできない。
(まさか、そうんなふうに思ってもらえてたなんて……)
それに、このメニューができたのは俺の頑張りだけじゃない。
美鈴がサービスをしながらもお客様の意見を聞いてくれたからだし、お前と一緒に経験したこととかが刺激になって、レシピを作る励みにも味にも現れているんだ。
お前がいなければできなかった料理だよ。……ありがとう、美鈴。
露衣……。
露衣の言葉が心に沁みていく。
いつでもストレートな彼に嘘はなくて、胸が震えてしまう。
(頑張ってきたのは露衣なのに)
(それを私のお陰だと言ってくれてるんだ)
(そうありたいと思っていたけど、なんてもったいない言葉なんだろう)
ありがたすぎて溢れそうな思いを口元を覆って抑えた。
すると、露衣は急に眉をひそめる。
……美鈴?
お前、この手どうしたんだ? こんなに荒れてなかっただろう。
傷だらけじゃないか。
あ……! こ、これは……。
いけないと、とっさに隠そうとすれば、すでに彼は私の手を捕えている。
掴まれたところから露衣の体温が伝わってきて、鼓動が跳ねそうになってしまう。
(どうしよう……。内緒にしておきたかったんだけど)
心配げに見つめる彼に嘘はつけなくて、私は正直に告げることにした。
……実は、いま花屋さんでアレンジメントの猛勉強してるの。
……花の手入れは冷水だし、草木を扱うとどうしても手が荒れちゃって……。
それは、俺が来なくていいって言ったから……。
ち、違う! 誤解しないで、他所で働きたいとかそういうのじゃないのっ!
そうじゃなくて、勉強のためなの……!
……勉強?
怪訝な顔を見せる彼に私は頷く。
露衣と離れている間、自分でもできることをやりたいと思ったこと。
店内のレイアウトやハーブをお店に飾りたくて自分で勉強していることを彼に伝えた。
だけど、私、不器用でハーブを綺麗に生けることができなくて……。
で、アレンジメントの勉強をさせてもらう代わりに花屋さんに頼んで働かせてもらってるんだ。
もちろん、パラスティン邸が再オープンするまでの間って話はしてあるよ。
おかげさまで、ちょっと植物を綺麗に見せる方法ってものがわかってきたの。
……そうだったのか。
じゃあ、これはお前が頑張ってきてくれた証拠なんだな。
露衣が息をつきながら私の指を優しくなぞる。
宝物を触れるような手つきに胸が甘く騒いだ。
……ありがとう、美鈴。
店のために頑張ってくれて。
露衣……。
こんな風に見つめられたら、どきどきとした鼓動が止まらない。
俺がメニューを完成させると信じてくれて。
信じて……待っていてくれて、ありがとう。
ぎゅっと私の手を包み込んで、露衣の顔から笑みが零れる。
露衣のこんな表情を見せられて、堪らなく嬉しい気持ちになってしまう。
(……ここに来るまで、どんな顔をして会っていいかわからなかったけど)
(自分がどんな態度をとってしまうかわからなかったけど……)
(……良かった……)
(大丈夫、何にも変わらない)
このお店を良くしていきたい——
そう思う気持ちがある限り、私達はきっと同じ思いで立っていける。
(きっと、いつまでもこうしていける)
リニューアルに向けて、要だったメニューが完成した。
パラスティン邸の再出発の日はもうそこまで来ていた——