レストラン店内
へえ、言われた時間の10分前に来るなんて、思ったよりやる気があるんだな。
新人ですので、皆さんより早く来ようと思いまして。
皮肉めいた物言いに、思わず口が尖る。
高級ハーブこだわり男——もとい露衣さんと再会し、ここでの就職が決まったのが昨日の出来事。
今日はここ『パラスティン邸』で働く、記念すべき一日目だった。
(料理は美味しいのに、本当に残念なイケメンよね)
おい、表情に出てるぞ。
うっ。
……まあ、いい。ほら、お前の働く場所はこっちだ。ついてこい。
あ……! 待ってくださいよ。
ぐずぐずするな。時間は待ってくれないんだからな。
(だからって置いていかなくても!)
(ふう……相変わらず愛想ないなぁ)
(……だけどお店は素敵な所だし、料理は本当に美味しかったし……)
仕事は仕事だよね!よおし、心機一転! 頑張るぞ〜!
レストラン廊下
みんな、今日から入ったバイトの帝塚山さんだ。よろしく頼む。
おはようございます。初めまして。
帝塚山さん、よろしくね〜。
帝塚山 美鈴です。よろしくおねがいします!
彼が連れてきてくれた先は厨房で、すでに仕事にとりかかっていたスタッフが笑顔で迎えてくれる。
(そ、そうだった……。厨房勤務なんだよね……)
(大丈夫かな……アレ)
ドキドキと心臓が嫌な音を立てていると、露衣さんが私の前に野菜を置いた。
まずは今日の仕込みを手伝ってもらう。
簡単なところからでいいから、ここにあるジャガイモの皮むきを頼む。
それと、このカットしてある野菜をその鍋でお湯が沸騰してから2分茹でておいてくれ。
は、はいっ!
(うん、よかった! 簡単なところからだよ! 簡単なところから!)
(簡単……なんだけど……)
…………。
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——数分後。
……なんだ。この、四角いジャガイモは。
私の前では露衣さんが仁王立ちしていた。
えっと、綺麗にそろえたほうが使いやすいかなって。
………………。じゃあ、こっちの野菜はなんだ。
言われた通り2分茹でておいたんですけど……。
なんで2分茹でただけで野菜が焦げるんだ!
あはは。何ででしょうね〜。
笑って誤魔化せば、彼は頭痛を堪えるように額を押さえる。
それから思いっきり息を吐いた。
お前、料理が壊滅的にダメなんだな。
!!
そ、そんなことは〜……。
そんなことあるだろう。皮をむけと言ってるのにまっすぐに切る。茹でるだけの野菜を焦がす。
どう頑張っても普通にはできないことだぞ。
うっ……!
そう、彼が言う通り、私は致命的なほど料理ができない。
食べることは大好きでも、そこに料理の腕は比例しなかった。
(はあ……やっぱりダメか……)
(厨房で募集だったんだもん。調理ができなかったらクビだよね)
(ここのお店で働きたかったのに……)
…………。
もういい、お前フロアにまわれ。
……えっ?
厨房じゃ役に立たないから、フロアに行けって言ってるんだよ。
フロアなら接客経験もあるし、いけるだろ?
……雇って、もらえるんですか……?
そう言ったのは俺だからな。
……! ありがとうございます……!!
礼はいい。しっかり働けよ。
はいっ!
・
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・
レストラン店内
こうして私は無事フロアスタッフとして雇ってもらえることになった。
帝塚山さん、あっちのテーブルセッティング頼んでいい?
はい! すぐやっておきますね!
美鈴ちゃんが入ってしばらく経つけど、仕事覚えるの早くて助かるわ〜。
ふふっ。ありがとうございます……!
おもてなしするのは大好きだし、接客の仕事は素直に嬉しい。
(よかったなあ。あの時、辞めろとか言われないで)
(フロアのほうも実は人が足りてなかったとか?)
ハミングをこぼす私に、露衣さんがしかめ面で近づく。
……おい、その鼻歌やめろ。
俺の料理にそぐわない。
いーじゃないですか。今お客様は誰もいないんですから。
いなければいいってもんじゃない。それにお前のその砕けた言葉遣い——
あはは。2人とも、またやってるよ。
あの言い合い、すっかり恒例行事だよね〜。
(こ、恒例行事……!?)
(でも、これも仕事に慣れてきたって感じでいいのかな? ……あっ!)
窓先に見知った顔が見えて、私は笑顔で扉を開ける。
いらっしゃいませ! 青木様。今日はおひとり様でございますか?
こんにちは、美鈴ちゃん。今日も笑顔が気持ちがいいわね。
ありがとうございます! 青木様が来てくださったのが嬉しくって。
まあ、嬉しいことを言ってくれるわ。
接客のほうでも、気さくに声をかけていれば、顔見知りのお客様ができた。
にこにこと話をしていると、どこか距離のある声が丁寧に遮る。
いらっしゃいませ。青木様。いつもご来店ありがとうございます。
店員の教育がなっておらず申し訳ありません。不躾な言葉遣いで何か失礼はしておりませんか。
(ぶ、不躾って!)
ふふ、いいえ。美鈴ちゃんはとっても親しみやすい方ね。周りの皆さんにもとってもご好評よ。
…………。
(……そう。思っていたより喜んでもらえているみたいなんだよね)
確かにこの店は品のあるお客様が多くて、私自身、ドキドキしてしまうこともあるけれど、それでも親しみをもって声をかけていれば、笑顔が返ってくることが多かった。
(あと、そうだ。アレも喜んでもらっている理由のひとつかな?)
そのひとつとは——
ここの料理は本当美味しいわねえ……。
だけど私には少し量が多いのが難点ね。せっかくのお料理、残してしまうのは心が痛いのだけど……。
それでしたら、お包みしてお持ち帰りできるようにいたしましょうか?
まあ、本当? 嬉しいわあ。家に帰っても楽しめるなんてお得ね。
私共もシェフが作った料理を残さず食べていただけたほうが嬉しいので。
——量が多い、家族にも食べさせたい。そんなお客様の声に私は応えていた。
高級店ではあまりない、このサービスへの反応は、とてもいいように思える。
(ただ、この折り詰め……、肝心の露衣さんからは許可を貰ってないんだよね)
(言葉遣いでもあんなにうるさいんだもん。そんな庶民的なことをするなって言われるかな)
じゃあ、こちら包んでまいりますね。
料理を持って振り返れば、その先にいる人物に鼓動が跳ねる。
…………。
あ……。
………………。
私は体を硬くして立ち止まり、何か言われるのを素直に待っていた。
だけど、彼はそのまま通り過ぎていってしまう。
(今の……。いいって顔でもなかったよね?)
(……黙認、してくれたのかな……)
(絶対、怒られるかと思ったんだけどな……)
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パラスティン邸
数日後。
折り詰めをお渡ししながら、私はお客様を入り口で見送る。
ご来店ありがとうございました! 今度はよろしかったら旦那様と一緒にいらしてくださいね。
奥様たちの集まりにそう声をかければ、微妙な空気が広がった。
えっと……そうね、料理も美味しかったし、また来たいところだけど、やっぱりお値段がね……。
申し訳ないけど、主人とはこの折り詰めで楽しませてもらうわ。
(え……)
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レストラン店内
また別の日。
わあ、すっごーい! 綺麗!
メインのシェフのおすすめ魚料理でございます。
本日の魚市場で一押しだったお魚を、収穫したばかりの野菜で美しく盛り付けさせていただきました!
ははは、確かに堅苦しい店の雰囲気によく合った芸術的なメインだな。
ね、いかにもお高いアート料理って感じよね。
(……ん?)
(今のって褒めてるの……?)
ちらほらと耳に飛び込んでくるあまりよくない感想。
気になりつつも、何だか言い辛さを感じて露衣さんに報告することはできなかった。
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レストラン店内
ああ! もうこんな時間〜。
ついつい、長話しちゃったから。
ここ数日のよくない声——
それが気になった私は、お客様の帰り際に何となく様子をうかがっていた。
結局、世間話になって身になる話は得られなかったんだけどね……。
すっかり帰るのが遅くなっちゃった。
慌てて帰り支度をしていれば、コーヒーを手にした露衣さんが顔を覗かす。
お前、まだ残ってたのか。もう鍵を閉めるところだったぞ。
それとも、俺の家に泊めてほしいとの意思表示か。
あ、あり得ません! 青木様と少しお話をしていたんです!
そう、ここは露衣さんのレストラン兼自宅なのだ。彼はここの二階に住んでいる。
ああ、あのお客様。お前のことかなり気に入ってるからな。
遅くまでご苦労さまだったな。気をつけて帰れよ。
それだけ言って、彼は白い箱が置いてあるテーブルに腰を落とした。
まだ湯気の残るコーヒーを啜る表情は、いつもと少し違って見える。
…………。
……あの、露衣さん。
何だ。
今日は言わないんですか。お前の仕事が遅いからこんな時間になるんだとか、客に付き合ってないでちゃんと仕事しろとか。
なんか、普通で怖いんですけど……。
…………お前、いったい俺のこと何だと思ってるんだ。
料理は美味しい、残念なイケメン?
それは褒めてんのか、けなしてるのか……。
呆れた声を返しながらも、露衣さんの顔には何というか、とにかく元気がない。
(こんな覇気のない露衣さん初めて見た気がする……)
(いつも自信満々にしているから)
(でも、落ち込んでいるっていうより、何か気になることがある感じ?)
それで周りを相手にする気力がない、というのが正しいのかもしれない。
(あ……! そうか、お客様の声が露衣さんにも届いて……)
あのっ、露衣さん。もしかして、お客様のことを気にされてるんですか?
は? お客様? 何のことだ?
(ち、違うのか……)
(…………だとしたら)
じゃあ、気にされてるのは私のことでしょうか?
露衣さんの眉間にしわが寄る。
露衣さんが気にしているのがお客様のことでないなら、きっと私のことだと思ったのだ。
……折り詰めを始めたり、気安くお客様と話したり、格式のあるレストランにはそぐわないなって。
あの……露衣さんの考えはわかります。
でも、雰囲気も大事だとは思うんですけど、私は来てくれる人にここを好きになって欲しくて。
気を張って来なければいけないより、もっと気軽に来て欲しいなって、そう思うんです。
…………。
……別にそういうことじゃない。
俺が気にしているのは料理のことだ。
料理……?
そう、折り詰めの料理のことだ。
俺はテーブルに並ぶ時が一番美味しくなるよう料理を作っている。
持ち帰れば、温度も食感も変わる。そうなれば味そのものも変わっていくだろう。
あっ……!
格式も気にならないわけではないが、俺が提供したいものと変わってお客様のもとに料理が届いている。
それが、俺は気になるんだ。
そう……だったんですね。
今の言葉から、彼がどれだけ料理に情熱をかけているか理解ができた。
すみません……。私、何も知らずに……。
別にいい。お前はお前でお客様に喜んでもらいたかったんだろ。
お客様も喜んでいた。後は俺が美味い料理を提供すればいいだけだ。
露衣さん……。
(……だから、黙って見てたんだ)
(自分の料理の味が落ちることなんて許せるわけないのに……)
(思いやって……くれたんだ)
確かにキツイところがある人だけど、でもそれも料理や店にこだわりがあるからなのだと思う。
(大分経ってからわかったけど、フロアだって人が足りていないって訳でもなかった……)
(あれは……私がここで働きたいとわかっていたから……)
…………。
あのっ! 本当にすみませんでした!
せっかくのお料理を台無しにして! 露衣さんにも、お客様にも失礼なことをしました!
勝手なことをしてごめんなさい!!
申し訳なさが込み上げて、私は思いっきり頭を下げた。
お前……。
困惑したような空気の後に、ふっと吐息が漏れる音が聞こえる。
そして、下げていた私の頭に、彼は軽い何かを乗せた。
え……。
触れてみれば多分、箱。先程テーブルに置いてあった白い箱だ。
ケーキだ。今日残ったやつ。
お前にやる。お疲れさま。
私の上にケーキを乗せながら、露衣さんがどこか可愛らしさを感じる顔で微笑む。
ふわっと頬が熱くなる気がした。
い、いえ、でも……。
慌てて箱を返そうとすれば、笑って制される。
これは時間が経っても味が変わらないやつだ。
お前も頑張ってくれてるから、お礼だよ。
何だかんだで、きちんと優しさも滲ませてくれる。そんな彼に何だかくすぐったい気持ちになった。
(露衣さんに、こんなふうに何かを貰うのは初めてだ)
それが、彼に少し認められたような気がして……。
嬉しさを隠しきれずに、私も笑顔で「ありがとうございます」と受け取った。