パラスティン邸
~7話~

レストラン店内

美鈴

お疲れさまー。

誰もいない店内を通り抜けて、奥へと向かう。

レストラン廊下

美鈴

(あ、もう始めてる)

厨房を覗けば、露衣は早速料理の準備に取りかかっていた。

露衣

ああ、来たのか。

美鈴

うん。何かやれることはある?

露衣

後で買い出しを頼む。リストを作っておいたからそれを買ってきてくれ。

露衣

それと、庭にあるハーブもいくつか摘んできてくれるか。

美鈴

うん、わかった。

——2人でパラスティン邸を立て直す。

そう決めてからは露衣は店を休みにし、たくさんの食材を試しながら新メニューを考案している。

私は少しでもそれを手伝おうと、毎日店に来て、彼に頼まれたことをやっていた。

露衣

ほら、美鈴。こっちにこい。

美鈴

あ、試食? 食べたい!

差し出されたスプーンを口に含むと、爽やかな香りが鼻を通り抜ける。

美鈴

おいしーい!

美鈴

これ、ハーブのソースだ。すごい! しっかりと香りがついてるんだね。

美鈴

うーん……でも、今までのお客様の意見を考えたら、もうちょっと味がさっぱりしてるほうがいいのかな。

美鈴

あのね、美味しいんだけど少し味が重いっていう方が何人か見受けられたの。特に女性のお客様で。

露衣

……そうか。繊細な日本料理と比べるとフレンチの味はこってりしてるからな。食べ慣れてないのもあるだろうし……。

露衣

本格的な味をとるか……。食べやすさをとるか……。

美鈴

(わ……もう自分の世界に入ってる)

美鈴

(ふふ、こうなると近くで話しても全然耳に入らないんだよね)

彼はお客様の意見を真摯に受けとめ、自分なりに応えたいと色々な味にチャレンジしていた。

パラスティン邸

美鈴

はー。いつもながら露衣の集中力はすごかったな。

美鈴

料理を作ることだって体力を使うのに、あんなに頭を使って疲れないのかな?

菜園の世話を済ませ、頼まれたハーブを収穫しながらここ最近の彼を思い出す。

店を立て直すと決めてから、露衣は休みなく朝から晩まで新メニューのことだけを考えているように見えた。

美鈴

(疲れてないわけないよね……)

美鈴

(多分、今は気を張ってるから疲れに気がついてないだけで……)

美鈴

(あの状態で夜とかちゃんと休めているのかな? あんまり興奮してるとよくないっていうし)

美鈴

せめて夜だけでもゆっくりと落ち着くことができたら、体も休まると思うんだけど。

美鈴

どうにかできないかなー……。

頭を悩ませながら目の前のハーブにハサミを入れる。
その度、鼻を刺激する香りに、はっと息を呑んだ。

美鈴

……! そうだ、ハーブだ!

レストラン店内

露衣

うん……? 何かいい匂いがするな。

露衣

ハーブを使って何かやってるのか。

厨房とフロアを繋ぐカウンターから露衣がひょいっと顔を出す。
その並びにあるドリンクコーナーで、あることをしていた私は、慌ててそれを後ろ手に隠した。

美鈴

あ、あのね! いくつか育ち過ぎのハーブがあったから、乾燥させてもいいかなーって選んでたの。

美鈴

勿体ないからいいよね? 別に。

露衣

ああ、確かにそれもいいな。

露衣

無駄にしないで助かるよ。ありがとな、美鈴。

美鈴

う、ううん! 勝手にごめんね。

彼が気にすることなく厨房へと戻っていって、ほーっと息をつく。

美鈴

(あ、危なく見つかるところだった……)

美鈴

(こぼさなくてよかった)

後ろ手に持っていたティーポットを丁寧に扱い、カウンターの彼が見えない場所に置いた。

露衣が気にした香りの正体——それは摘みたてのリーフを使ったフレッシュハーブティーだった。

美鈴

ふふっ。ハーブティーっていうと茶葉を買ってきてって思いがちだけど、実は生のリーフで作れるんだよね〜。

美鈴

日本では馴染みがないけど本来ハーブは西洋の薬草で、色んな効能があるし……。

美鈴

これで露衣が安らげるお茶を作るんだ!

料理はできない私だけど、ハーブは好きだし、お茶くらいなら淹れられると思う。

……多分。

美鈴

(オリジナルのハーブティーを作って、露衣をびっくりさせたいな)

美鈴

(それで、夜くらい落ち着いた気持ちで休んでほしいんだ)

美鈴

よし、できた……! 味見、味見!

美鈴

…………う、かなり薄いな。もっと、葉っぱの量を入れた方がいいのかも。

美鈴

う〜ん、フレッシュは香りはすごくいいんだけど、濃く出したり味の調整が難しいなあ。

美鈴

あ……このレシピ面白い。へえ〜、ジンジャーを入れても美味しいんだ。……しかも体にいい!

ハーブの本と自身のメモを手に改良を重ねていく。
何度も何度も試作を繰り返して、彼だけのお茶を作っていった。

レストラン店内

それから数日後——

美鈴

できた……。

美鈴

しっかり味も出ていて、ちゃんと美味しい……!

美鈴

それでいて、リラックス効果が高いやつっ!

嬉しさで、つい声が大きくなる。
やっぱり私の料理下手は健在で、美味しいお茶を淹れるのは、正直簡単なことではなかった。

美鈴

(でも丁寧にメモして何度もチャレンジしたお陰か、淹れるコツも覚えたし、乗り越えられた感はあるよね)

美鈴

(やればできるんだ! 嬉しい!)

露衣

美鈴? どうしたんだ、大きな声を出して。

美鈴

っ! な、なんでもないよ!

露衣

……ふうん? まあ、いいけど。

露衣

今日はデザートを作ってたんだ。もう終わりにするから、たまには2人で甘いものと一緒にお茶でもしよう。

美鈴

……! うん!! じゃあ、お茶は私が用意するよ! 待ってて。

露衣

…………。……お前が、か。

美鈴

(う……。信用されてない)

美鈴

(そういえば、露衣って私に一度でも食べるものを作らせたことがないかも)

初日に大失敗した出来事を思い出す。
……確かに、アレでは仕方がないのかもしれない。

美鈴

で、でも大丈夫! これは大丈夫なの。

露衣

はは、なんだそれ。

一生懸命訴えてみれば、露衣は苦笑して頷いてくれる。
私はお礼を言って、先ほど完成したレシピで、彼だけのハーブティーを用意した。
ガラスポットの中で揺れる緑を、心地よさそうに露衣が眺める。

露衣

フレッシュハーブティーなのか。

露衣

……うん。香りがいい。

カップから浮かぶ香りを味わって、露衣はお茶を一口含む。
そして……ふんわりと顔を和ませた。

露衣

へえ……美味しい。

露衣

それに、すごく落ち着くな。

露衣

美鈴! すごいじゃないか。いったい何のレシピを見て作ったんだ。

露衣は驚きの笑顔を私に向ける。

だけど、その動きはすぐに止まった。

露衣

………………まさか……。

美鈴

ふふっ……。

美鈴

まさか、です!

美鈴

これは、私が作ったオリジナルです!

露衣

…………。

美鈴

庭で育てているハーブを使って、色々思考錯誤してみたの。

美鈴

ちゃんと美味しくできてるでしょう?

その言葉に彼はゆっくりと視線をハーブティーに戻す。
そしてもう一度それを味わった。

露衣

…………うん。

露衣

だから、だったんだな。

露衣

すごく落ち着いて、心が休まるのは。

露衣

俺のために……作ってくれたんだってよくわかる。

露衣

きっと今日はよく眠れるよ。

美鈴

……露衣。

露衣

料理が苦手なくせに頑張ったんだな。ありがとう。

嬉しそうに微笑まれて、私の顔も綻んでいく。

美鈴

(やっぱりよく眠れてなかったんだ)

美鈴

(よかった……。作ってよかった)

露衣

そういえば、出会った時からハーブの味はよくわかっていたもんな。

露衣

……明日も、また休む前に作ってくれるか?

美鈴

うん……もちろん!

夜空

それ以来、私達の夜のティータイムは恒例となった。

お茶を淹れる私に露衣は新作のお菓子を出してくれる。
忙しい毎日だけど、夜のこの時間だけは2人でゆっくりと過ごすことができていた。

だけど——

変わる日は急にやってくるんだ。

レストラン店内

美鈴

……明日から来なくていい?

それ以上、声が出てこない私に露衣が頷く。

露衣

しばらく一人で打ち込みたいんだ。

露衣

メニューが完成したら連絡をするから、それまでここには来ないでほしい。

美鈴

…………。

想像もしてなかった話に頭はどんどん混乱していく。
だけど、彼の意を汲みたくてなんとか言葉を紡いだ。

美鈴

あ……。そう、だよね。

美鈴

誰かがいたら集中してできないもんね。

美鈴

も、もー! 露衣もそうならそうと早く言ってくれればいいのに!

露衣

…………。

美鈴

(違う、そういうことを言いたいんじゃなくて……)

露衣

美鈴、俺は——

これ以上は彼を問い詰めてしまいそうで、無理矢理に笑顔を作って遮った。

美鈴

うん! 露衣、頑張ってね!

美鈴

私、来られなくなる前にハーブを摘んでいっていい? いくつか家に欲しいやつがあるんだ。

露衣

……美鈴。

美鈴

ちょっと行ってくるね。

露衣

美鈴……!

パラスティン邸

庭に出て腰を下ろせば、目の前でハーブが風に揺れる。
月明かりの中で見る家庭菜園は、洋館の雰囲気と相まって幻想的な風景だった。

美鈴

(わがままだ……私)

美鈴

(来なくていいって言われて、ショックを受けてる)

近くにいて、力を貸せていると思っていた。
そばにいるほうが、彼の助けになるのだと。

美鈴

(でもそれは私が勝手に思っていただけで、そうじゃなかったんだ……)

……違う。

本当は頭の奥では、ちゃんと一人で打ち込みたい露衣の気持ちもわかってる。

美鈴

(……ただ、私がそばにいたいだけなんだ)

美鈴

(店を立て直すのを手伝いたいとずっと思っていたけど、違う)

美鈴

(露衣の手伝いをしたいんだ。私が)

……びっくりした。こんなにも彼に思い入れている自分に。

この店が好きで、彼の料理が好きで、それを手伝いたいんだと思っていた。
だけどいつの間にか、それは頑張る彼自身へと変わっていたと気づかされた。

露衣

……美鈴。

露衣

そんな薄着で長い時間、外にいたら風邪引くぞ。

土を踏む音と共に彼が私に近づく。

美鈴

(……頑張ってほしいって自分で願ったんだ)

美鈴

(それを私が邪魔しちゃいけない)

美鈴

うん……。

美鈴

ごめんね、いま戻るよ。

目の前のハーブを摘む。それは私が彼に初めて会った時に勧めたハーブだった。
立ち上がって、後ろに立つ彼の手のひらにそれを握らせる。

美鈴

このハーブね、すごく万能なんだ。お風呂に入れてみて。疲れを癒してくれるから。

美鈴

夜のハーブティーは淹れられないけど、応援してるよ。頑張ってね。

微笑んでそう言えば、露衣は少し苦しそうな面持ちになった。
しかし、その表情に声をかける間もなく彼は私を抱き寄せたのだった。

美鈴

ろ……露衣!?

ぎゅっと彼の腕に力が入る。

しっかりと胸の中に閉じ込められて、露衣の顔を覗くことはできない。

露衣

……ありがとう、美鈴。

露衣

必ずメニューを完成させてみせるから。それまで待っていてくれ。

露衣

必ず、連絡するから。

……顔が見えなくても、彼の声に、抱きしめてくれている腕に、強い熱を感じる。
私も目の奥が熱かった。
大丈夫、近くにいなくても彼は私を頼りにしてくれている。

私のことを頼りにしてくれている。

美鈴

……うん。

美鈴

待ってるから! 頑張ってね、露衣!

腕を回して、彼の背の服を掴む。

彼の肩越しに見える夜空はとても綺麗だった。

空に輝く星の下、私達はしばらくお互いの体温を感じ合っていた。