萌黄の館
~7話~

高校教室

『じゃ、オレ達でクソ面白くしてやろーじゃん!』

そう言った彼の言葉が、頭の中でずっと繰り返されていた。

(嬉しかったな……あんなふうに言ってもらえて)

放課後。誰もいない教室で、帰り支度をしながら中庭での出来事を思い出す。
生徒会の打ち合わせが終わり、これから家に帰るところだった。
窓の外を覗けば校庭とその先のテニスコートが見える。

(あれ……今日は誰もいない。テニス部は休みなのかな?)

さくらの怪我もよくなって、彼女がマネージャーに戻ったことで、私はテニス部から離れていた。

もうあの輪の中に自分がいないと思うと、物寂しくもある。

(短い期間だったけど、濃かったからなあ)

(……でも、きっと顔を出さないほうがいいんだよね)

代理として在籍していたんだから、別に部活を覗きにいくことはなんら不自然じゃない。

だけど、あのテニスコートを囲む女子たちのことを思えば、もう行かないほうがいいのだろうと思えた。

(学園祭かあ……)

(念のため、生徒会で話を進めているけど、どうしたらいいんだろう)

アッキーはああ言ってくれたけど、現実的に2人だけで何ができるというのか。
結果はやってみなくたって明らかだった。

……辞めたほうがいいのかな。

しんとした教室に私の声が響く。
その静けさが、今の自分の立場を強調させているようだった。

(確かに準備期間は心配だけど、きちんと次の人材を探して引き継げば問題はないだろうし……)

(特に続ける理由がないのならそれが一番いいのかもしれない)

ただ、私が寂しいだけだ。
そんなのはみんなに迷惑をかけていい理由にならない。

(そうだよ。きっと私がいないほうが楽しい学園祭になる)

(学校にとって大事なイベントを私個人の感情で左右させたらダメだよ)

???

——萌!

落ち込む気持ちを止められずにいると、明るい声が飛んできた。
見れば、教室の入り口にアッキーとテニス部のみんなが立っている。

やっぱまだ教室だったか。いつまでも下りてこねえからおかしいと思った。

暗い感情を吹き飛ばすような笑顔でアッキーが言う。

つーことで、みんな連れてきたぜ。

アッキー……? 連れてきたって……、みんなも揃ってどうしたの?

驚いて瞳を瞬かせていると、後ろにいたさくらが前に進み出る。
腰に手を当てて怒っているようだった。

(えっ……! 私、何かした!?)

さくら

萌のバカっ! なんで私にまで黙ってるの?

さくら

困ってるなら困ってるって言いなさいよ! でないと助けてあげられないじゃない!

さくらが飛び込むような勢いで私を抱きしめる。
そして掠れた声で告げた。

さくら

一人で泣かせちゃうところだったじゃない……。

(それって……)

テニス部員1

萌ちゃん、聞いたよ。学園祭、盛り上げなきゃいけないんだってね。

テニス部員2

なんだよ、なんだよ。そんな楽しそうな話、黙ってるなんて! 芦屋は水臭いんだよ。

テニス部員3

マネージャーじゃなくなったって、芦屋は俺たちの仲間だろ?

みんな……。

アッキーに視線を向ければ、彼はニッと口角を上げた。

言ったろ? オレ達でクソ面白くしてやろうって。

テニス部員たち

今度は俺たちに手伝わせてくれよ!

……っ……!

私を見るみんなの笑顔は優しくて、胸が熱くなる。

テニス部員1

こんなことでしかマネージャーの恩は返せないけど、俺たち体を張って手伝うぜ!

さっきまで一人で落ち込んでいたのが嘘のようだった。
込み上げてきたものが堪え切れなくて、一粒、涙がこぼれ落ちる。

みんな、ありがとう……っ!

テニス部員2

あははー。泣くなよー、芦屋。

テニス部員3

そうそう、盛り上がるのはこれからなんだからな。

さくら

私達みんなで、全力でサポートしていくからね!

言葉が出なくて、うんうん、と頷いていると、アッキーの手のひらが私の背に添えられた。
彼から伝わるその温度はとてもあたたかい。

そういうコト。だから、萌は大船に乗った気でいろよ。

オレ達、今ノッてるから色んなヤツらが食いつくぜ〜。

テニス部員たち

おおおーっ!!!

高校正門

それから——アッキーやテニス部のみんなは文化祭を盛り上げるために動き出す。

まずはメディアを使った集客戦略だった。

リポーター

おはようございます!神北高校、テニス部の皆さん。

リポーター

最近、なにやら部内で盛り上がっているようですが、何かあるんですか?

今度、学園祭が開催されるんです。それでテニス部でも何か面白いことをやりたいなって考えていて……。

応援してくれている皆さんと、楽しく触れ合えるようなイベントをしたいと思っているんです!

リポーター

へえ、それはテニス部の皆さんとお近づきになりたいファンには堪らないイベントですね〜。

テレビや雑誌の取材が来ていれば快く受け、学園祭を紹介していく。

駅のホーム

他校の女子生徒1

翠くん、翠くん! テレビ見たよ! 学園祭をやるんだってね!

そうなんだよ。盛り上げるから周りの子にも広めてくれない?

来てくれたら、テニス部みんなでサービスするからさ。

他校の女子生徒たち

キャー!!

恒例の朝の集団には笑顔をふりまき、周囲への呼びかけを頼んでいた。

そして、校内では——

高校教室

女子生徒1

えっ!? 差し入れで作ったヤツを?

うん、美味しかったし、あれをメインにしたカフェとかやんない?

テニス部員2

あーあれ! うまかったよな!これを食べてテニス部はインハイへ! みたいなうたい文句つけるのどう?

テニス部員1

しかも、かわいい君たちが立ってくれてたら、さらに売れると思うよ。

テニス部員3

で、来てくれたお客さんと俺らが対戦ゲームとかして、テニス部とコラボカフェ! 人気出ると思うなー。

女子生徒2

うわあっ! 一緒にやれるの?

女子生徒3

やだー! 楽しみ!

アッキーやテニス部員が行事実行委員に立候補し、クラスや部活の催しを盛り上げてくれる。

テニス部がインハイで優勝した熱はまだ校内に残っていて、そのお陰か、テニス部員がメインで動く姿は生徒や先生たちにもやる気がどんどん伝染していく。

学園祭の準備は最高潮に活気づいていた。

高校教室

先生

ああ、芦屋。忙しいところわざわざ教室までありがとな。

生徒会顧問の先生の所へ、行事実行の様々な報告書を渡しに行くと、先生は生徒の準備を手伝っていた。

先生のクラスはお化け屋敷でしたよね。みんな布を巻いて……衣装決めですか?すごく楽しそう。

先生

ははは、お前たちのお陰でな。うちのクラスも漏れずに盛り上がってるよ。

先生

……よかったな。芦屋。

はいっ……!

高校廊下

教室を出て周りのクラスを覗けば、放課後になって結構な時間が経つのに、ほとんどの生徒が残って活動している。

(本当に……みんなのお陰で楽しい学園祭になりそう)

胸が弾んでいくのを感じていると、後ろからパタパタと騒がしい足音が聞こえた。

女子生徒1

会長ー、会長ー。待ってー。

女子生徒2

飲食店の保健所への申請のヤツ。お願いできるかなー。

あっ、はーい。

女子生徒1

作るやつと作り方を書いておいたけど、これでいいのかな。

ありがとう。これだけわかれば、後はこっちで書類作って送っておくから。

女子生徒2

さっすが! やっぱり会長は頼りになるね!

女子生徒3

こうやって裏方で動いてくれてるからすごく助かるよー。

女子生徒4

お陰で『君に差し入れカフェ♪ 〜神北JKフィーチャリング・ウィズテニス部〜』は順調だよ!

す、すごい名前だね。

女子生徒1

翠くんがつけたんだよねー。

女子生徒2

そうそう、神北女子の応援がなかったらインハイは勝てなかったからって。

女子生徒3

差し入れてたヤツを出すんだけど、この間の試食会でどれも美味しいってメニューが決まらなくてさ〜。

女子生徒4

うんうん、この間の準備の時もね……。

頬を綻ばせて学園祭の話をする彼女たちに、自然と私も口元が緩んだ。

私のことを悪く思われているのは悲しかったけど、そのせいで彼女たちが学校行事自体を楽しめないのも嫌だと思っていたから。

(よかった……みんな楽しそうだし、すごく盛り上がってるんだ)

(みんなの心に残る学園祭になりそうで、よかった……!)

そんなふうに、学校のみんなが一つにまとまるのを感じながら……。

高校教室

イベント実行委員が集まる教室へ戻れば、アッキーが頭を捻らせていた。

うーーーん。

何か、メインになるイベントが欲しいんだよな〜。

隼人

なんだよ、急に。

アッキーに付き合って、イベント実行委員になってくれた隼人くんが、眉を寄せて答える。

色々盛り上がってきてるんだけどさー。こう、メインになるようなパンチのある企画がないんだよなー。

イベント実行委員1

パンチねぇ……。そうは言っても目立つ企画はだいたい出揃ってるしなあ。

目立つという言葉に、ふと、昨日テレビのニュースで見かけた、あるイベントが頭をよぎる。
あれは確かに目立っていた。

あの……、うちの学校って確かCG部と映像部があったよね……。

ああ、あったな。何? なんか映像作って流すとか?

うん、ほらイベントとかでよくやってる3Dプロジェクションマッピングとかどうかなって……。

中庭とか使って校舎に映して、小規模でもいいからやったら面白いと思うの。

……ただ、その映像とか作れるのかなって。あくまで機材があればの話なんだけど。

アッキーが目を見開いたかと思うと、がっと私の手を握る。

萌っ! ソレ、すっごくいいな!

隼人

確かに、いま流行ってるから話題になりそうだよね。

よしっ! 早速できるヤツがいるかリサーチすんぞ!

イベント実行委員2

俺、クラスに映像部のヤツがいるから相談してくるわー。

隼人

じゃあ、俺はCG部に行ってこようかな。色々聞いてきてみるよ。

おう、頼む。ありがとな!あとは……機材か。

ささっとアッキーがスマホを操作して必要な機材を調べる。

プロジェクターがあればできそうだな。スピーカーは軽音部に借りればいいし。

萌ー、学校にプロジェクターってあんの?

あるけど、もうすでに貸出申請が出て余裕はなかったかも。でも、これって普通のプロジェクターでできるの?

うーん。そこらへんも調べてみないとだよな。専門機材のレンタルは高いだろうし……予算が足りるかなー。

お互いスマホで情報を集めていると、後ろから人影が近づいた。

校長先生

私でよければ手配しましょうか?

校長先生

知り合いでそういうのが好きな方がいましてね。学園祭を盛り上げるため、私にも何かできると嬉しいのですが。

校長先生!!!

にっこりと告げる校長先生の申し出に、私とアッキーは目をキラキラさせて、手を取り合ったのだった。

それから——CG部や映像部の協力を得て、無事プロジェクションマッピングの映像を作り上げる。

総合デザインは美術部が、音楽は軽音部に、投影する立体物は演劇部の大道具を作る技術を借り、それは文化部の総力を結集させた、学園祭のメインを飾るに相応しい、素晴らしい出し物になった。

そして、学園祭前夜——

高校中庭

(たくっ! アイツこんな時間まで一人で学校に残るなんて!)

オレは真っ暗な校内を一人で駆け抜けていた。

もう人が出かけるには、はばかられる時間……深夜になっても、萌は家に帰っていなかった。
彼女から連絡はあったものの、あまりの遅さに心配になった萌のおばさんがオレに電話をくれて、アイツが学校に残っていることを知った。

(生徒会や委員のヤツらに連絡すれば、萌が残るからっていって、みんな帰ったっていうし)

(オレも今日はテニス部の準備に忙しくて、プロジェクターの調整は萌に任せちまったからな)

(くそっ、念のため帰りに寄るか、連絡すればよかった)

偶然会った委員の「終わった」という声を信じて家に帰ってしまった。

(あれは、「俺は終わった」って意味だったんだな……)

自分自身の詰めの甘さに、ため息が漏れる。

中庭に近づけば、明日の準備が終わった暗い空間にぼんやりと、映像の明かりらしい光が浮かんでいた。

(まだ……セッティングが終わってないのか……)

(きっと夢中になって、やってるんだろうな……)

一生懸命準備する萌を思い出して、あまり怒った感情を出さないようにしようと気を引き締める。
少し上がった息を整えて、オレは萌が作業している場所に近づいた。

高校教室

うう〜ん。難しいな。

なんでコレ、全く合わないの?

誰もいない薄暗い中庭の中で、私は今日の夜に出来上がったばかりの映像の最終調整をしていた。
作品を作るのにギリギリまで頑張ってくれた彼らに、後のことは私がやるからと買って出て、一人で残っていたのだ。

わずかなずれも許されないこの映像は、シビアな正確さが要求される。実際に壁に投影しながらの作業が必要だった。

もう〜、ようやくパソコンからプロジェクターに映像が映るよう設定できたのに〜。

しかもこれ、いま合っても何かの拍子にずれちゃったらまた調整し直しだよね。どうしたらいいのかなー。

座り込んでお手上げというふうに夜空を仰げば、その視界の中にアッキーの顔が入り込んでくる。

印をつけとけばいーんじゃねーの。

アッキー!

置くところに目印をつけとけば、何かの拍子にずれてもすぐ直せるだろ。

あ、そっか! アッキー頭いいね!

突然現れた幼馴染に尊敬の眼差しを送れば、アッキーは呆れたような疲れたような顔を向ける。

普段は色んなところに気がつくくせに、こういうトコは甘いよなー。

それと、女一人でこんな時間まで学校に残るとかありえないから。ちゃんと声かけて。

心配するだろ。

私の横に座る彼の声はちょっと怒っていて、なんだか優しさが透けて見えて胸が甘く疼いた。

うん……。ありがと。

つーか、これ映像が物体に合わないのは画角サイズが合ってないからだし、ちゃんとパソで設定しないとダメだぞ。

ええっ! 何それっ。

アッキーがパソコンを操作して映像を再生させれば、ふわっと舞台がカラフルに色付く。

暗闇の中、流れる映像に2人で息を吐いた。

綺麗だねえ……。

……ああ。

なんだか今日まであっという間だった気がする。
慌ただしく動いて、みんなが楽しめることだけ考えて、何かに悩んでる暇もなかった。

(きっとアッキーたちのお陰だ……)

(みんながこうして盛り上げてくれたから)

アッキーありがとね……。

準備、すっごく楽しかった。こうしてみんなで何かを作れたのも!

学校全体が盛り上がっているといっても、校長先生との約束は約束で。
学園祭が失敗したら、私が生徒会長を降りることに変わりはない。

だけど——

(もし、そうだったとしても……)

淡い光が彼の顔を照らす。

明日も思いっきり楽しもうね!

はしゃいでそう言えば、アッキーは「ったりまえだろ」と私の頭を小突く。

そんな彼に私も突っつき返しながら、映しだされた映像の明かりを受けるアッキーに、ドキドキと胸を高鳴らせていた。