高校正門
翠
(おお……今日もスゲー)
このオレが、柄にもなく必死になったあのインターハイの試合から約1カ月。
夏休みが終わり学校へ向かえば、周囲の反応は日に日に凄いことになっていた。
いつもなら電車を降りて、学校への通学路で増えてくる女子たちが、電車に乗る前から囲いを作っている。
それは近隣の高校の女子だけではなく、見覚えのない制服の子すらいた。
翠
(おーい、学校はどうした)
きゃあきゃあとオレを囲む女子たちに、隣を歩く隼人の機嫌はすこぶる悪い。
たまに「あの隣の男の子もイイ」とか囁かれているから余計に。
隼人
アッキー……鬱陶しいと思うのは俺だけ?
周りに聞こえない程度の小さい声で、眉を寄せながらボソッと隼人が言う。
翠
う、うん。まあ、そうなんじゃないかな。さすがに最近はオレも悪いとは思ってるけど。
隼人に謝りながらもオレは苦笑した。
翠
(……悪いとは思ってるけど、快感だと思っちゃうのも、オレの悪いクセだよなあ)
女子にキャアキャア言われるのは正直悪くない。
自分が何よりもイイモノになれた気がするからだ。
テニスで勝利した時に得られるような快感を、より簡単に手に入れられる。
いや、入れられる……と、思っていた。
翠
(でも、もうそれも……)
頭の中で大事なことを認めかけながら学校の前まで来ると、その先に報道陣らしき塊が見える。
オレの顔をとらえた彼らは、わっとこちらにカメラを向けた。
リポーター
あっ! 翠くんです。テニス界の新たなプリンス、翠くんが登校してきました。今日も女の子に囲まれてますね〜。
翠
(プ、プリンス!?)
翠
(ちょっと待て! それはさすがに恥ずかしいぞ!!)
別にカメラで撮るのはいいが、プリンスだとかナントカ王子だとか、変なあだ名をつけられるのだけは勘弁願いたい。
内心焦っていると、隼人が横で大きくため息を吐いた。
隼人
はぁー、……もう限界。
隼人
それに、これはもう増えすぎだよねえ。
隼人
……しょうがない。萌のこともあるし、一肌脱いでやるか。
翠
はあ? 萌って……?
翠
なんだよソレ。風紀がどうとか近所がどうのってヤツのこと?
隼人から女子であるオレの幼馴染の名前が出てきたのが意外で、ほんの少し焦ってしまった。
もちろん、隼人はオレと萌が幼馴染なのは知っているが。
隼人
アッキーって、実は案外鈍かったり?
翠
???
隼人が何を言っているのかがイマイチよくわからない。
隼人
これ以上放っといてファンが増えたら、アッキーも萌もこじれまくりだからね。
隼人
何か対策考えないと、色々面倒なことになるよ?
翠
対策って何だ? 何か悪いことしたっけ、オレ?
首をひねるオレに隼人は、ふう、とまた息をつく。そして脱いだジャケットを渡してきた。
隼人
アッキーのそのヘッドホン貸して。とりあえず、あのテレビの人達をどうにかするから。
隼人
ちゃんと上手いこと逃げてよ?
言うだけ言って、隼人はするりと集団から抜け、近くにいる取り巻きではない女子を捕まえる。
隼人
ねえ、ちょっと。
三つ編みの女子生徒
は……? わ、私?
隼人
ちょっとだけでいいから、協力してくれない?
数分後——オレは校内の中庭を一人で歩いていた。
あの後、隼人はオレのヘッドホンをつけて、後ろを歩いていた萌を捕まえ走り出した。
その姿に、先程隼人が声をかけた女子が「翠くんがあっちに!」と叫び、報道陣が反応したのと、トレードマークのヘッドホンと幼馴染の萌が一緒にいたことで、女子たちが慌てて追いかける。
オレは普段、着ていないジャケットを羽織って、他人のふりをしながらこっそりとその場を抜けだしたのだ。隼人が髪形や色をごまかすために、両手で頭を抑えながら走っていった芸の細かさには脱帽する。
その後オレは裏門から校内へ入って、今は中庭を抜け昇降口へと向かっているところだった。
翠
(案外わかんないもんだな……)
翠
(オレと隼人じゃ身長差もあって、普通に見たらどう考えてもおかしいだろうに)
翠
(ま、でもこれで今後も何かあったら使えるか……とか思ってみたり)
中には「なんか翠くん、ちっちゃくなってない?」とか、「なんとなく雰囲気が可愛いんだけど」とか、言っていた女子もいたけど、面白かったから良しとしよう。
翠
(……集団心理って、ホント怖いね)
翠
さて、中に入っちまえば、さすがに報道陣も追っ掛けられないだろ。
独り言を言いながら呑気に歩を進めていれば、知った名前が耳に届いてオレはぴたりとその動きを止めた。
女子生徒1
ほんっと、ずるいよね〜、会長は。
翠
(……会長……)
翠
(萌のことか?)
そのあまりよくない声のトーンに、オレはそっと物陰に隠れる。
話しているのは、よくオレの所へやってくる馴染みのある女子たちだった。
女子生徒2
ホントだよ。私はそういうのじゃありません! って顔しといてさー。
女子生徒3
結局、翠くんが自分にいい顔したら、にこにこしてマネージャーとか始めちゃうし。
女子生徒1
ムカつくんだよね。だからさー、私……。
続いた話にすぐにでも飛び出したい衝動に駆られたが、余計に煽る結果になりかねなくて、なんとか思い留まる。
それは、萌への嫉妬に満ちた聞くに堪えない話だった……。
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校長室
萌
失礼します。校長先生、お呼びですか?
校長先生
ああ、芦屋さん。いつも呼び出してばかりですまないね。
担任の先生から呼び出しの報告を受けて校長室へと訪れると、校長先生はにこやかに私を向かい入れる。
校長先生
いやあ、インターハイはお疲れさまだったね。まさか優勝と準優勝という結果を出してくれるとは!
校長先生
想像以上の成績に、本当に嬉しく思うよ!
校長先生
これもそれも芦屋さんがマネージャーになってまで、テニス部を盛り立ててくれたお陰だ。本当にありがとう!
萌
いえ……! 私はあくまで代理でサポートしてきただけですので。
萌
彼らが充分に実力を発揮できたのは、元々のマネージャーのお陰です。
萌
それと、何よりテニス部のみんなが本当に頑張った結果ですし……。それが形になって、私も嬉しいです!
うんうんと頷く校長先生に、私は気になっていたあることを口にした。
萌
あの……すみません。ただ、その間、生徒会のほうに力を入れられずにいたので……、
萌
行事実行の進行が遅れているとメンバーから報告を受けました。
萌
そのことで、学校側に迷惑はかけていないでしょうか?
申し訳なくて遠慮がちに窺うと、校長先生は少し目を泳がす。
校長先生
ん……うん、ああ、そうだね。そのこと……なんだけどねえ……。
歯切れの悪い校長先生を見て、今日呼び出された理由に思い至った。
萌
あの……、もしかしてすでに問題になっていますか?
校長先生
ああ、いやあ、まあ、そういうことを言う一部の女子生徒たちもいてね……。
萌
女子生徒……?
校長先生
ああ、いやいや。その……実は確かにそのせいで学園祭の準備が遅れているのは事実なんだ。
校長先生
それを知った生徒が「本来の仕事の手を抜くような会長は本当に必要なのか」という意見をしてきてね……。
校長先生
学校側としては事情が事情だし、仕方がないとは思っているんだが、だからといって特例を作るわけにもいかない。
校長先生
勢いも強くて放っておくこともできないし、どうしたものかと少し困っていたところだったんだ。
萌
そう……だったんですね。
萌
それは……私が、生徒会長として適任ではない……と、いうことですよね……。
思わず顔を俯かせてしまって、そう判断すれば、校長先生は慌てて首を振る。
校長先生
いやっ! もちろん私も学校側としてもそんなことは思っていないですよ。
校長先生
……それで、その生徒たちにも提案したんだが……どうだろう? 学園祭の出来によって判断するというのは。
萌
学園祭の……出来ですか?
校長先生
ああ、君が早々に準備委員を結成して学園祭を成功する。
校長先生
そうなれば、翠くんの取り巻きたちも文句はないだろう!
萌
翠くんの……。
校長先生
あっ……! いやいやいや、今のはうっかり……。その、聞かなかったことにしてくれ!
萌
……は、はあ……。
萌
(……アッキーの)
萌
(そうか……そうだよね)
萌
(面白いわけないよね。私の存在なんて……)
正直、今までそんなことを心配してきたことなんてなかった。
私はただの幼馴染で、向こうだって女子として特別な対応を受けているとは思ってないようだった。
だけど、きっとここ最近のテニス部の一件で見方が変わってきたのだろう。
萌
(学園祭の……成功……)
彼女たちのことを思うと、正直気が重い。
萌
(できるの? こんなふうに嫌われて、生徒会長の資格を問われている私が)
萌
(準備だって協力してもらえるかどうか……)
不安に思っていれば柔らかい声が届く。
校長先生
……無理に続けることもないんだよ。
校長先生
生徒会長である以上、生徒会を仕切るのは確かに君だけど、君一人で背負うものでもない。
校長先生
これは学校全体の話なのだから……。
萌
校長先生……。
萌
……ありがとうございます。
萌
(でも、もしここで本当に私が生徒会長を降りたら、学園祭の準備はどうなっちゃうんだろう)
萌
(再度の会長選出や準備期間の遅れで、学園祭自体が遅れて開催する可能性は大いにある……)
萌
(そうしたら三年生はもう受験に入る。楽しんで参加している暇なんて……)
どちらにしてもメチャメチャだ。
1年に1回しかない学園祭が。
萌
(どうしたらいいんだろう……)
萌
(……でも、これは自分で蒔いた種だ)
ぎゅっと唇を噛んだ。
萌
あの……校長先生。
萌
逃げるような真似はしません。辞めても辞めなくても、絶対に迷惑がかからないよう、どうにかしますので……。
萌
少しだけ……少しだけ、どうするか考えさせてください。
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・
高校中庭
昼休み——私は中庭の隅のほうで、お弁当を食べていた。
あまり人が来ないこの場所を選んだのは少し一人になりたかったからだ。
萌
(あんなふうに大きく言っちゃったけどどうしよう……)
萌
(『本来の仕事の手を抜くような会長は本当に必要なのか』……か)
萌
(そんなに……嫌われてたんだなあ)
目の前の全く中身が減らないお弁当が滲んで歪んでいく。
以前だったら「心から学校のためを思ってやっている」そう思って、気にすることもなかった。
だけど、今はそれだけと言い切れない自分がいる。
萌
(……だってたぶん彼女たちの考えている通りだ)
萌
(彼女たちとは違う。アッキーは私の幼馴染だから……)
萌
(そう思っていない自分が本当にいた?)
萌
(あの子たちと一緒になりたくないと、本当はずっと……思っていたくせに……)
自分の傲慢さに反吐が出そうだった。
嫌われて、こんな行動に出られても仕方がないくらい思い上がっていたと思う。
……そう思い上がってしまうくらい、アッキーへの気持ちをもう隠せなくなってきていた。
萌
(どうしよう……)
萌
(こんな気持ちで彼女たちを引っ張っていける?)
萌
(楽しい学園祭にすることができるの? 私に……)
???
——何やってんだよ。こんな所で一人で。
呆れた声と共に、お弁当箱の中身が1つ減って瞳を瞬かす。
顔を上げれば、アッキーが私の卵焼きを頬張りながら立っていた。
翠
ん、美味いなコレ。今度おばさんにご飯食べに行かせてくれって言っといてよ。
萌
……アッキー。
翠
で、萌は何やってんの?
もう一度おかずに伸ばしてくる手を、落ち込む心を悟られないように強気な態度で避ける。
萌
……お、お弁当を食べてただけだよ。見ればわかるでしょ?
翠
ふうん? オレには弁当を眺めてるだけにしか見えなかったけど? 目を赤くして。
萌
……っ!
翠
なーにを思い悩んでるんですか。我らが生徒会長は。
くくっと笑いながらアッキーが私の横に腰を落とす。
萌
思い悩んでなんか……。
翠
ふうーん?
萌
(信じてないし……)
翠
なあ、萌。
翠
オレってそんなに頼りない?
苦笑しながら顔を覗きこまれて、胸が苦しくなった。
萌
(……そういう言い方は……ずるいと思うの)
その優しさに弱音がこぼれ落ちる。
萌
…………会長を辞めようかなって……。
萌
私のせいで、学園祭の実行予定が滞っているの……。
萌
それが……ちょっと問題になってて、学園祭が成功できなかったら、これ以上会長を続けるのは難しそうで……。
萌
でも、だったら、人望のない私がみんなに迷惑をかける前に、辞めたほうがいいのかなって……。
詳しいことを言わず、それだけ告げればアッキーは大きく息を吐いた。
翠
……なるほどね。そんなことだと思った。
翠
萌もバカだなー。そういう時にこそオレらがいるのに。
萌
え……?
きょとんとしてれば、アッキーは私の額を小突く。
翠
ようするに、学園祭を盛り上げればそれでいいんだろ?
翠
じゃ、オレ達でクソ面白くしてやろーじゃん!
きらきらとした輝く瞳で彼が笑う。
その目を見て、あの日の笑顔を思い出した。
萌
(あの時と同じだ……)
萌
(グランドスラムの話をした時と……)
そうなることを信じて疑わないまっすぐなアッキーの笑顔——
それを見て、私はまた彼から目を離せなくなっていた。