萌黄の館
~5話~

高校教室

テニス部員1

ええっ! 事故っ?マネージャーがっ!?

……うん。学校の帰り道でね。

昨日、さくらから掛かってきた電話——
それは、さくらが交通事故に遭ったという連絡だった。
次の日、学校へ来てテニス部員たちに説明すれば、皆一同に言葉をなくす。

テニス部員1

……ひ、轢かれたって大事じゃないか。それで、状態はどうなんだ!? そんなに悪いのか?

あの、自分で連絡してきたくらいだし、意識もハッキリしてて命には別状はないみたいなんだけど……。

ただ、足を複雑骨折してるらしくて、手術をするから入院することになったそうなの。

で、退院してからもしばらくリハビリや経過次第で再度手術もあるみたいで、マネージャーを続けるのは……。

『無理みたいなの』、そう紡ぐのもはばかれるくらい、みんなの顔は蒼白だった。

テニス部員2

そ、そんな……じゃあ、インハイはどうなるんだ……!

テニス部員3

アイツがいなかったら俺達どうしたらいいんだよ!?

(やっぱり、そうなるよね……)

そう騒がれるのも当然なくらい、さくらは本当によくできたマネージャーで、テニス部には欠かせない人物だった。

やる気を出した彼らに、新たなトレーニングメニューを作成したり、部員全員の体調管理をしたりと、とにかくサポートに長けている。
彼女のお陰で皆、ベストの状態で県大会に挑むことができたのだ。

その存在がいなくなるのは、これからインハイに向かう部としては大きな痛手だ。

テニス部員2

お、俺マネージャーがいなかったら今日なんの練習していいのかもわかんねーんだけど。

テニス部員3

バカっ! 食事管理されてた俺はどうなる! 何を食べていいのかもわかんねーぞ!

テニス部員1

いや、それくらいは自己管理でいこうぜ……。

慌てる部員の中で、一人だけハッキリとした声でアッキーが話す。

お前ら、情けねーこと言うなよ。

確かに頼りになるマネージャーがいなくなって不安になるのはわかるけど、いま一番辛いのはさくらなんだぞ。

オレらがしっかりして、「それでもインハイに行ってやる!」ってくらいの気持ちでいなくてどうすんだよ。

(アッキー……)

とりあえず、一番テニス歴が長いオレが引っ張っていけるようなんとかすっからさ、みんなで頑張ろうぜ。

テニス部員2

そう……そうだよな。辛いのはさくらだよな。

テニス部員1

翠、ありがとな……! 頑張ろうぜ、みんな!

テニスコート

テニス部内は混乱を隠せないようだったけど、とりあえずさくらが残したメニューを参考に練習を始めていた。

そっと校庭の隅で彼らを見守る。

(心配でつい見に来たけど……)

センパイ、そのショット、いーち、にい、さんっのリズムのほうがいいっすよ。

テニス部員1

は? いち、にい、さん?

いや、だから、いーち、にい、さんっで。

テニス部員1

は?

だから、いーち、にい、さんっだって。わかるでしょ?

テニス部員1

わかんねーよ! 抽象的すぎるわ!

テニス部員2

翠ー。俺、ストロークが苦手だからいつもより多めに練習してていいかな。

いや、やりすぎっとお前肘痛めるから、練習は短めにして手首の筋肉を鍛えろって、さくらが言ってなかったっけ。

テニス部員2

いや、だって練習しねーと上手くならねーだろ。

いや、それで怪我したら元も子もねえから。まず、筋トレやって……。

テニス部員2

いや、鍛えてから練習したらインハイに間に合わねえだろ。

いや、だから……。

テニス部員3

いや、いや、うるせーんだよ! お前ら! いーからとりあえず練習しろっ!

(……わあ……見事にまとまってない)

(みんな、不安が強いんだろうな……)

(アッキーも、自分の練習ができなくて少し焦ってるようにも見えるし)

アッキーは大きく息を吐いて頭を掻いた後、しばらく考えるようにしていた。
それから顔を上げたかと思うと、私に駆け寄ってきて驚くことを口にする。

はあ!? 私がテニス部のマネージャーを?

そ……。萌ならできると思ってさ。

萌はさくらとも仲良くて、連絡も取りやすいだろ。色々聞いてテニス部をサポートしてくれねーかな。

もちろんオレもフォローするから!

勢い込んで言うアッキーに私は慌てて首を振った。

む、無理、無理! 私にマネージャーなんて無理だよ!

それに、私じゃなくても応援にきてくれてる女の子たちに頼めばいいじゃない。

喜んでやってくれるんじゃないの?

……そりゃ、誰でもできる仕事ならそれも考えなくもないけどさ。

だけど、さくらがやってきたことは、そんなに簡単に引き継げるほど甘くねえんだわ。

萌はしっかりしてるし、人をまとめるのも上手いだろ? オレはお前ならできると思ってる。

頼むよ、萌!

真剣に告げる彼に思わず息を呑む。

だけど、確かにアッキーの言う通りさくらのやっていたことは簡単でなくて、とても自信なんて持てない。

……で、でも、テニスのことならまだしも、マネージャーとか何をやっていいのかとか全然わからないよ。

「さすがに付け焼刃じゃ……」そう答えようとした時、ポケットの中から携帯が鳴った。

さくら

『もしもし、萌? 部員たちから連絡がきたよ。テニス部がグダグダだって』

さくら

『残念ながら翠くんだけじゃ、みんなを引っぱっていくのは難しいよね……』

電話に出れば、声だけは元気なさくらが苦笑いをして放つ。

さくら……。も、もうっ。こっちはいいからちゃんと体を治して。大きな怪我をしてるんだよ!

さくら

『……わかってるけど、やっぱり黙っていられなくてさー。みんなが頑張ってきてたのを見てきたから……』

……さくら……。

さくら

『うちのテニス部って本当にすごいんだよ? ベストを尽くせば絶対にインハイで優勝を狙えると思ってる』

さくら

『なのに……私のせいでそれができないなんて……。でも、萌ならなんとかできると思う』

さくら

『ごめんね、萌! 勝手なお願いなのはわかってる。だけどテニス部を……、みんなをお願い!』

さくら

『萌ならきっと私以上に上手くマネージャーをやっていけるはず』

さくら

『どうか、私の代わりにテニス部の面倒を見てやってあげて……!』

さくら……。

………………。

目の前のアッキーに視線を移せば、頼るような目で私を見ている。
ぎゅっと耳に当てている携帯を強く握った。

……わかった。

私にできるかわからないけど、できるとこまでやってみる……!

萌……! ありがとうっ!!

その日から、私は正式にさくらのマネージャー代理としてテニス部をまとめていくことになる。

芦屋萌です。短い間ですけど、マネージャー代理として、よろしくお願いします!

テニス部員たち

お〜! 萌ちゃん、よろしく!!

元気よく挨拶をすれば、部員たちは温かく迎えてくれた。

(えっと、まずは何をすればいいのかな?)

(とりあえず、さくらがつけていたノートを見て……)

(見て……)

(わからない……! 専門用語で要約されすぎてて、何が書いてあるのかわからない!)

萌ー!

まずは、スペシャルドリンク作ってくれる? これに作り方書いてあるから。

頭を抱えているとアッキーが手招きしながら私を呼ぶ。

それで、このノートに書いてあるのは練習のメニュー。ここまではマネージャーがいなくても平気だけど、ここからタイムとかを計ってほしいから手伝いに入ってくれ。

わ、わかった!

とりあえず、萌が慣れてくるまで練習のメニューとかはオレが見るし、萌はゆっくり覚えていって。

あと、わかんないことがあったらちゃんと言えな。教えてやるから。

うんっ! ありがとう!

頼むな!

口元を上げたアッキーの手が、ポンと私の頭を跳ねて、彼が励ましてくれている事実に胸が温かくなる。

アッキーの指示や説明は思っていたより的確で、徐々にやらなければいけないことを覚えていった。

私も何日か部内で過ごしていくうちに要領を得て、タイムスケジュールなど皆の管理ができるようになっていった。

病院病室

そして、さくらのもとへお見舞いにいけば、彼女は病院内でできる限りの資料を私のためにまとめてくれていた。

(うん……! 何とかなりそうだ!)

思わず拳を握っていると、さくらがくすくすと笑う。

さくら

ごめんね、萌。色々迷惑かけて。……でも、燃えてるみたいね?

ん? まあね! やるからにはね。さくらこそ大変な時にありがとう。コレ、すごく助かる!

貰った紙を見ていると、あることがひらめいた。

(ん……? これ、この間見た筋トレの本を参考にしたら……)

……ねえねえ、さくら。ここのメニューなんだけど、これをこうしたらさらにいいと思うんだけど、どうかな。

さくら

あー。それは考えてなかった! 確かにそれはいいかも。……じゃあ、こっちは……。

そんなふうにさくらとも話し合って——

さらに部員たちとも協力して、以前より効果が出そうなトレーニングメニューをみんなで開発していく。

テニスコート

テニス部員2

芦屋……! この間のトレーニングすっげえ良かったみたいで、苦手だったショットに自信がついてきたよ!

テニス部員3

俺も! 翠のここぞっていうボールを返せる回数が増えた!

わあ、やったね!

(寝る時間も惜しんで、色々勉強してみてよかった……!)

よーし、試合形式で練習するぞー!

テニス部員3

おしっ! 今日は翠に負けねーぞ。昨日はあと2ポイントまで追いつめたしな。

言ったな。簡単に負けてやらねーよ。

あはは……。

効果が出てくると、みんなのやる気もどんどん上がっていくのがわかる。

そして、いよいよ8月——
全国高等学校総合体育大会——インターハイが始まった。

テニス部員1

よっしゃあ! 神北高校ダブルス一勝!

同じく、シングルス1一勝!

テニス部員3

お〜! シングルス2も勝ったぜー!

おめでとう、みんな……! 午後には決勝戦だよ!!

夏の熱い陽が照る中、皆は他県の強豪校相手にどんどん勝ち進んでいく。

(すごい……。すごいよ、みんな!)

(本当に優勝を狙えそうだよ……!)

試合を進めていくみんなのモチベーションは高く、体調もベストな状態といえたと思う。

――けれど、インターハイはそこまで甘くなかった。

審判

ゲームセット! 勝者、鈴木ツバサ。湘南高校の優勝です!

かなりのいいところまでいったものの、ダブルスとシングルス2の負けが決まり、団体の優勝は逃してしまう。

テニス部員1

くっそー。負けちまったか。

テニス部員2

けど準優勝だ! それだってすげーよ!芦屋……ありがとな。お前がいてくれたから、俺らここまでこれたよ。

テニス部員3

ああ、本当に。全然わかんなかったくせに、今まで頑張ってくれてありがとな!

みんな……。

テニス部員1

翠、後はお前に託したからな! 個人戦ぜってえ負けんなよ……!

……任せとけって!

続く、個人戦。アッキーは県大会と同じく宣言通り上へ上へと勝利を上げていく。
そして、トーナメント戦の一番頂上、決勝戦へと進出を決めた。

アッキー!

(最後の試合だ……)

(勝っても負けても最後の試合なんだ……!)

今までにない歓声の中、試合はセットカウント1—1と並び、ファイナルセットへと突入していく。

長引く試合にさらにラリーが続いて、アッキーの体力は限界になるだろうと思えた。
……だけど。

テニス部員1

……翠って体力の配分が上手くなったよな。

テニス部員2

アイツ、すぐ勝っちゃうから長い試合の経験少なくて心配だったけど……。

テニス部員3

でも、今日はまだいけそうだ……!

アッキーの息は上がってきているものの、みんなが言う通り確かにまだ体力は残っているように見えた。

テニス部員1

新しいメニューがアイツにも効いたんだろうな。

長いラリーの中、相手選手が一瞬の隙を見せればアッキーが強いショットを叩きこむ。
それはラインの上で大きく跳ねた。

よっしゃあ!!

アッキー!!

審判

マッチウォンバイ、シャープ! セットカウント2−1!

審判

ゲームセット!勝者……翠・K・シャープ!!

テニス部員たち

やったああ!! 優勝だーっ!

体の中まで響く大きな歓声が上がる。

周りが飛び跳ねて喜んでいる中、私の目は彼に釘付けになっていた。

(……すごい……)

(すごいよ、アッキー……)

目の奥が熱くなる思いで見ていると、アッキーは相手選手と握手をすませ、手を上げながら戻ってくる。

その足取りはふらついていて……、

あっ……。

危ないっ……!

倒れる寸前のアッキーを慌てて抱きとめた。

(わああ……)

あ、アッキー、大丈夫!?

ははっ……。これで、2勝目な。

どぎまぎしながら体を支えていれば、耳元で告げられて目を丸くする。

(2勝目……?)

確か県大会の個人優勝した時も似たようなことを言っていた気がした。

(……………………あっ!)

も……もしかして、約束……。

問うように顔を見れば、アッキーはふっと息をこぼして笑う。

……とにかく、4つ勝ってグランドスラムだからな。

(やっぱり……!)

彼が告げる勝利カウント。それは、幼いあの日に私達がした約束だった。

な、何それ。それって、そういうものじゃないんじゃない?

呆れたようにそう言ったけど……、顔が緩むのと赤くなるのは止められなかったんだと思う。
私の表情を見たアッキーが、満面に笑みを広げていたから。

萌……。あと2つ勝ったら……。

ふ、2つ勝ったら……?

どきどきと続きを待っていれば、アッキーは限界がきたようで、彼の体から力が抜けていくのを感じた。

もう私の腕では支えきれず、アッキーはとうとう地面に倒れてしまう。

アッキー! 大丈夫っ!?

はは……。見えた。

え……?

今日は白なんだな。

にこりと笑って言った台詞がなんのことかわかって一気に血が上る。

下からチラリと見えただろう私の白いものといえば——

っ……!!

アッキーのバカっ!!!

澄みわたる青空に真夏の日差しが降り注ぐ中、『パン!』という乾いた音が大きく響き渡った。