高校正門
(ああ……今日もすごいなあ)
よく晴れた気持ちのいい朝。
今日も私は朝から楽しそうに騒ぐ女の子たちの声を、感心半分、困惑半分で聞いていた。
ねえ、来た! 来たよ!神北高のダブルハーフが。
うわ〜。2人ともかっこいい〜!
翠くん、隼人くんおはよー!
あ、あのっ、翠くん。今日ね……お弁当作ってきたんだ。良かったら食べてくれないかな。
マジで? ありがと。
……っ!
きゃー! 笑顔ー! ずるーい!
翠くん、私のも受け取ってー!
サンキュ。隼人と一緒に食べるわ。なっ、隼人。
…………。
ヤバっ! 見た?あの「何で俺も」って顔!
もー、そういう全然なびいてくれないところ、悶える〜!
あはは、悶えるだって。スゲーな、隼人。
……ごめん。ちょっとその心理、よくわからない……。
この騒ぎの中心、翠・K・シャープと隼人・トーマス・風見。彼ら2人はこの学校の名物イケメンで。
いつものように2人が揃って登校してきたら、いつものように2人を取り囲む女の子たちが集まる。
それが、この神北高校では当たり前の朝の光景だった。
(はあ……。それだけでも十分すごいと思うんだけど……)
(それをさらに見守る女の子たちがいるのがまたすごい……)
私はちらっと、羨ましそうに集団を眺めている女の子たちに目をやる。
はあ……相変わらず2人の人気はすごいね。
だってモデル顔負けのあの顔だよ〜! 翠くんは親しげで優しいし、隼人くんはあの手の届かない感じがたまらないし!
翠くん、朝、昼、晩と毎日告白メールがきてるって本当かな。
隼人くんは三年にファンクラブがあるっていうよ……。
一年のバレンタインの時には、2人にチョコ渡すのに教室から廊下の端まで行列ができたって聞いたよ〜。
もう、ソレ伝説だよね!
(本当は下駄箱までだよ……)
いつまでも眺めているわけにもいかず、私は大きなため息を一つ吐いて、目の前の集団に近づいた。
その動きに気がついた人だかりの原因の一人は、私を見て人懐こい顔をさらに親しみがあるものに変える。
萌! おはよ……ってまたそんな『今から説教していいですか』みたいな顔しちゃって。
何か怒られるようなことした? オレ。
……よくわかってるじゃない。アッキー。
また簡単に女の子からお弁当を受け取って……!
彼女がどんな気持ちで作ったかちゃんとわかってる? 応える気がないなら思わせぶりな態度は失礼だよ。
そうやって嬉しそうに受け取るから、みんな期待して集まってくるんだからね。
ビッと彼が手に持つお弁当箱を指差しながら言えば、アッキーはまったく気にしてない素振りで答える。
思わせぶりって……、本当に嬉しいから嬉しい顔して貰ってるだけだし。
それで渡す彼女が喜んでくれるなら、なおいーじゃん。
それに、こうやって女の子がオレの周りに来てくれるのは、楽しいしね。
アッキーが周囲の女子たちに二コリと笑えば、嬉しそうな叫び声が上がる。
私の眉間にはしわが寄った。
『アッキー』とこうして気安く彼のことを呼ぶのは、彼が私の幼馴染だからだ。
家が近所で、物心がついた時にはすでに一緒にいた。
小、中、高と別れることのなかった私達は、幼い時ほどではないにしても、それなりに仲良く続いている。
そうやって風紀が乱れそうなことばっかり言うんだから。
本気じゃないのなら相手の気持ちを考えて、誠意をもって応えるべきじゃないの?
さすが、生徒会長らしい答えだなー。でも、恋愛はもっと自由なものだろ?
モラルで縛られるものじゃないとオレは思うけど。
そんな手当たり次第いい顔するようなものは、恋愛とは言えません!
(というか、アッキーにとってそれは本当に恋愛なの?)
だって恋愛というわりには彼は特定の彼女を作ろうとはしない。
いつもこうして女の子数人と戯れるように仲良くはしているけど。
私にしてみたら、誰か一人と誠実に向き合うのが恋愛だと思うのに。
会長〜。翠くんを煽んないでよ。もし、そんなふうになっちゃったらココにいるみんなつまんないじゃん。
会長の気持ちはありがたいけど、うちらも好きでやってるし。
こうして、イケメンと仲良くできるだけで、みんな潤うんだからさ〜。
会長だって、そういうのわかるでしょ?
(えーっ……そんなアイドルじゃあるまいし)
(アッキーも隼人くんも同じ高校の男の子なのにな)
何となく納得できないでいると、後ろから見知った顔にポンと肩を叩かれる。
親友のさくらだった。
他の子たちの言う通りだよ〜。萌は硬い、硬い!
みんな楽しんでるんだからいいじゃない。
一番の仲良しのさくらにまでそう言われてしまって、取り付く島もなかった。
……わかりました。
だけど登校中は近所の人の目もあるんだから、学校のイメージを悪くしないためにも、もう少し節度を持ってやってもらえると助かるんだけど!
アッキーの顔を見て釘を刺せば、「はいは〜い」と軽く答える。
(……本当にわかっているのかな)
頼るように隣の隼人くんに視線を移すと、『俺だって迷惑なんだけど』としかめっ面で返された。
隼人くんは可愛い顔をしている割には、時に辛辣なタイプだと思う。
(これで2人とも仲良しなんだから面白いよね)
も〜、萌。あんなふうにあの子たちの前で言ったら、萌が反感買っちゃうよ。
あの集団はそういうものって割り切って放っておきなよ。
人だかりから離れて、さくらがこっそりと私に言う。
だって……放っておいたらどんどん風紀が乱れちゃうじゃない。
それはやっぱりよくないことだし、生徒会長として見逃すことはできないよ。
そういう萌の考え、立派だなとは思うけど、友人からしてみたら危ういよ。
もっと緩くていいんだよ、緩くて。
(そうかなあ……)
(どっちかっていえば、ちゃんと目を光らせてないと怖いけどな)
この学校はもともとは男子校で、ここ近年共学になったばかりの新しい高校だ。
そのせいか、女子が来て舞い上がる男子と、その男子に浮つく女子が多くて男女関係が緩いように感じる。
校内規則の範囲内でいいから、もう少し節度を持ってほしいと思うのだ。
(別に私だって男女が仲良くするのが悪いことだとは考えてないもの)
(ただ、せめて場所は選んでほしいだけで……)
そう思う端から、あの集団の声が私に届く。
あれ、翠くん。ここ擦りむいてるよ、大丈夫?
ああ、コレ? 舐めとけば治るよ。
てか、治してくれたら嬉しいけど。
やだ〜! 翠くんったらっ!
でも翠くんなら、構わないかな。
…………。
ねえ、ねえ、隼人くん。今日はお弁当どこで食べるの? 一緒に食べていいでしょ〜?
……いや、アッキーと2人で食べるから。
もー! 照れ屋なんだからっ。そこがいいんだけど!
……………………。
それに、緩い原因はこの集団にもあると思う。
彼らを取り囲むチャラチャラした空気は他の生徒にも伝染して、私もいいよねと、緩んでしまっているように見えた。
(だからこそアッキーにはちゃんとした彼女を作ってほしいのに)
毎日これでは頭が痛い。
額を手のひらで押さえながらも、気がつけば自然に視線が動いていた。
自分でも意識してないうちに、つい幼馴染を目で追ってしまうのだ。
『会長〜。翠くんを煽んないでよ。もし、そんなふうになっちゃったらココにいるみんなつまんないじゃん』
『会長だって、そういうのわかるでしょ?』
(わかんないよ……)
(だって、まっすぐで好きなことに一生懸命なアッキーのほうが素敵だと思うんだもん)
(そうだよ、あの時のような——)
高校生の彼を前に、ふと思い出す。
小学生の頃、無邪気に遊びあっていた私達を——
・
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萌黄の館
萌、打つよー!
わっ! ちょっと待ってよ、アッキー!
それっ!
あっ! ああー! 行っちゃった……。
もー、萌、へたくそ! ちゃんと打ち返してくれなきゃテニスにならないよ!
じゃあ、もっと打ちやすいところにちょうだいよう。アッキーのボールはギリギリでむずかしいんだもん。
それじゃあ、練習にならないし、つまらないんだよ。
アッキーみたいに萌は毎日テニスをしてないし、そんなに上手なわけじゃないんだから!
……もう、いい。だったらいつも通り、かべ打ちしてる……。
たまには萌とゲームがしたかったのに。
そう? 萌はかべ打ちしてるアッキーを見てるほうが好き。
いっしょうけんめいでカッコイイ。それに楽しそう。
…………楽しいけど。
好きだけど!
あはは。ほら、カッコイイ!
わあっ。アッキー今の技なに!?ボールがぐんと曲がったよ!
すっげえだろ! この間テレビで世界大会の試合見てさ。マネしたくてがんばって覚えたんだ!
ずーと、ずーと練習してできるようになったんだぜ!
へえ〜! すっごーい!
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高校廊下
(懐かしい……)
(そんな時期もあったんだよね)
放課後——廊下の窓から外を見れば、グラウンドの先にあるテニスコートが視界に入る。
テニス部が活動を始めていて、マネージャーであるさくらが細々と動く姿は認められたけど、部員であるアッキーの姿は探し出すことはできなかった。
(アッキー、今日は部活に出てないのかな)
(テニスは続けてはいるけど、前ほどの情熱はなくなっちゃったからなあ)
(何に対しても、今はほどほどにできればいいというか……)
(……あんなに、テニスが好きだったのに)
——芦屋!
少し残念に思いながら息をつけば、担任の先生が後ろから私に声をかける。
よかった、まだ帰ってなかったんだな。いま放送をかけて呼び出そうかと思ってたんだ。
放送を……? 私に何か用ですか。
何か生徒会でやることがあったかな? そんなふうに首を傾げていると、先生は神妙な顔をして続けた。
ああ、校長先生がお前を呼んでたぞ。
校長先生が?
(いったい何だろう……。校長先生が私に用なんて)
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校長室
少し緊張しながら校長室を訪れると、にこやかに校長先生が私を出迎える。
神北高校の校長先生は年配の男の人で、笑顔を絶やさない人柄から親しみやすさが溢れていた。
急に呼びだしてすまないね。芦屋さん。
いいえ……。えっと、今日はどうされたんですか?
何か問題でもあったでしょうか?
ああ、いやいや。ちょっと、この学校の未来を考えて……君と話がしたくてね。
……未来、ですか?
漠然とした答えに、困惑する。
しばらく考えてハッとした。
この学校で当たり前になっているあの朝の光景――。
確かにあれはこの学校の未来にはよくないように思えた。
(もしかして先生、何か罰則とか考えてる……!?)
あ、あの……! 校長先生、仰りたいことはわかります。
だけど、翠くん…シャープくんも風見くんも……
あなたが呼びやすい呼び方でいいですよ。
あ、はい。ありがとうございます。
彼らもその取り巻きの子たちにしても、決して悪気があるわけではないんです!
……彼らと取り巻き?
私のほうからよく言っておきますので——
ああ! ははっ、アレかい。若いっていうのはいいよねえ。
(……あれ……?)
(あの集団の話じゃなかったの?)
予想外の反応に思わずきょとんとしてしまった。
そう、翠くん。その翠くんのことで君に相談があるんです。
翠くんの……ですか?
(校長先生がアッキーのことで私に相談?)
(学校の未来にかかわるような……?)
ああ。実はね……。
全く予想もつかずに、笑顔で手招く校長先生に近づいて耳を傾ける。
え……。
ええっ——!!?
アッキーの話——
それは理解しがたい、とんでもない話だった。