高校正門
ねえ、ちょっと、聞いた!? 隼人くんの話……!!
聞いた聞いた……! ああ、もう、すごいショック!!
休み明けにこんなニュース聞くくらいなら、もうずっと家にこもっていれば良かったぁ……。
えっ、なになに? 隼人くんがどうかしたの!?
まだ聞いてない? 隼人くんと夙川さんの話。
あの二人、この休みの間に同棲する仲になったんだって!!
え、ええ〜〜〜〜っ!!??
高校教室
……おーおー。
これはまた、各所から悲鳴が聞こえてくるなぁ。
この調子だと、二時間目の休み時間までには女子全員が噂のことを知るかもな。
……………………。
なんか頭痛くなってきた……。
俺は、はーっと重いため息をつかずにはいられなかった。
母親と姉の疑惑たっぷりの旅行事件もまぁ解決し、残りの休暇はごく平穏に過ごしたと思っていたけど。
休みが明けて学校に来てみれば、一体どこから情報が漏れたのか、芽衣が俺の家に泊まったことが、事実よりもかなり大げさになって周囲に知れ渡っていた。
アッキーも一緒にいたはずなのに、それは都合よくなかったことにされていたり、場合によっては、尾びれ背びれも付きまくりで、とてもいかがわしい内容が盛られた噂になってしまっている。
誰にも喋ってないのに、何でみんなが知ってるわけ?
買い物してるところを偶然見られたとかじゃね? この年の男女がスーパーで食材買ってるのって、やっぱ目立つし。
…………。
お〜い、隼人〜。
ん? 何?
お前、夙川さんと婚約したってマジ?
はあっ!!?
あははは……!
アッキーは思わず笑い出したけど、俺がじっとり睨むと、はいはいという感じで口を閉じた。
常識的に考えろって。ただの高校生が急に婚約って、そんな事あると思う?
あ……あー、そう言われりゃそうだな?
だろ?
はぁ……俺、ちょっとトイレ行ってくるから。
りょーかい。
ひらひら手を振るアッキーに背を向けて廊下に出る。
高校廊下
噂のせいか、俺の背中にはいつもに増して好奇の眼差しが突き刺さった。
心底うんざりしながら俺はトイレに急ぐ。
(あ、芽衣……)
その時、向かいから芽衣が歩いてくるのが見えた。
芽衣もすぐに俺に気付いて、少し戸惑ったような表情になる。
……ついでに、周りの生徒があからさまに俺たちを気にしているのもわかった。
人目を気にして態度を変えるのも嫌で、俺は普段通りに芽衣に声をかける。
はよ。芽衣、今日日直?
あ……う、うん。そうなの。日誌とってきたところ……。
俺が話しかけると、芽衣はすぐに微笑んで日誌を軽く持ち上げた。
もう一人のやつにやらせてもいいのに。ま、ご苦労様。
うん、ありがとう。じゃあね。
芽衣と別れると俺は今度こそトイレに向かった。
・
・
・
(……やっぱりちょっと緊張したかな)
誰にも気付かれないように、私は日誌を持つ指先にだけぎゅっと力をこめた。
長かった休みを終えて登校してみると、学校にはとんでもない噂が流れていた。
(私と隼人が同棲しているとか婚約したとか……)
(…………)
(ああ、もうドキドキしてどうするのよ、私!)
ふーっとため息をついて、心臓をちょっとでも落ち着かせようと試みる。
(……でもさっきの隼人、噂のことは全然気にしてない感じだったな)
(そのことに、ちょっとホッとするような、胸がちくっとするような……)
ハッと我に返って、私は軽く首を振る。
(だから私まで噂に踊らされてどうするの。何も悪いことはしてないんだし、いつも通り過ごさなくちゃ)
……………………。
……何よ……。
何よ……っ、何なのよこの流れは!? ふざけないでよ……!!
バシン──!
きゃっ……ちょ、ちょっとぉ。何も物を投げなくても……。
うるさいっ! あなたに私の気持ちがわかるっていうの!?
私は今、恥をかかされてるのよ!?
私をフッた後なのに、あーんな地味な女と、隼人くんが恋人みたいな噂が流れるなんてっ!!
で、でもぉ……例の告白は休み前のことだったし……そんな……。
…………。
あ……っ、な、何でもない!
(……許せない……)
(あの夙川って子もそうだけど……)
(何より……私の気持ちを、ほんの少しでも考えてくれてない隼人くんが……!!)
(私なんて取るに足らない存在だって、きっと心の底から思ってるのね)
(でも……このままで済むと思ったら大間違いなんだから…………)
・
・
・
それから数日後——。
風見鶏の館室内
ふわぁ……おはよう。
よく晴れた朝。あくびをかみ殺しながら、俺は朝食の匂いのする居間に降りてきた。
学校が始まった途端、例の変な噂で疲れさせられたけど、3日も経つとひとまずは好奇の視線も落ち着き、俺はようやく憂いなく学校に向かえるようになった。
(って、うわっ……!)
油断していたけど、よく見れば居間にはパソコンに向かう姉の背中がある。
(うわー……これはあのパターンだな。取引先とうまくいってないやつ)
きっと徹夜で仕事をしていたんだろう。
なるべく姉の機嫌を損ねないように、服装と寝癖のチェックをしてから食卓に向かう。
おはよー、姉ちゃん。
……うん、おはよう、隼人。
(……あれっ?)
徹夜でネットの壮絶な取引をしていたにしては、姉の声はいたって冷静だ。いつもの小言も聞こえてこない。
何だ?と思いそっと姉の顔を窺って……俺は目を見開いた。
・
・
・
高校正門
…………隼人、何かあったんじゃないのか?
…………。
その日、学校に向かう間、俺は一言もしゃべらなかった。
最初はそっとしておいてくれたアッキーも、さすがに様子が変だと思ったのか真剣な声で聞いてくる。
(……何があったって……それは……)
──翠くん、隼人、おはよう。
穏やかな声が聞こえて、俺は開きかけていた口を思わずさっと閉じた。
振り返ると、鞄を持った芽衣が笑顔で俺たちに近付いてきている。
………………どうしたの、隼人?
けれど、俺の顔を見るなり、芽衣は驚きと困惑の混じった表情を浮かべた。
……このまま黙ってても二人が心配するだけだとは思うけど今日だけは、やれやれといって愚痴を話す気分にもなれない。
……隼人。
オレたち何にもできないかもしれないけど、思ってること吐き出せば少しはお前の気分が楽になるかもよ。
(……アッキー……)
芽衣もじっと俺を見つめている。
…………。
俺のせいで、家が大変なことになった。
低く小さな声で呟くと、アッキーと芽衣は顔を見合わせた。
一体どういうことだ?
……前に、俺に告ってきた女子。
どうも父親があの大手ネット通販会社『天下一通販』の部長かなんかみたいなんだけど、その女子が……親に頼んでうちの仕事を妨害してるっぽい。
ええっ……!?
芽衣が思わずといった様子で足を止める。
二人の顔を見ずに淡々と話していたけれど……俺もまた足を止めた。
詳しい被害は教えてくれなかったし、証拠があるのかもわかんないけど。
ここ最近、急にその『天下一通販』から目の敵にされてるっぽいんだ。
……その会社の事業部長のことをたまたま家族が知ってたんだけど、俺と同じ学校の、同じ学年にその人の娘がいるって言ってた。
……話を聞いて、すぐわかったよ。
あの時の女子が、逆恨みでうちの親の仕事を邪魔してるんだって。
……っ……!
母さんも姉ちゃんも、俺が心配することじゃないって言うけど……。
……朝から胸にたまり続けていた淀んだ感情が、どんどん膨らんできてしまう。
たまらず、俺は爪が食い込むほど手のひらを握りしめた。
マジ最悪だろ、こんなの……。
俺への腹いせで、親の仕事を巻き込むとか……あいつをフッたのは俺だけで、家族は関係ないだろ?
最初は告白の手紙とか持って来たくせに、何でこんなことができるわけ?
は……隼人……。
隼人……少し落ち着け。
最低最悪以外の言葉が出てこねえよ!! これだから女は嫌なんだ……!!
…………っ。
ほんの一瞬、びくりと芽衣の肩が震えたのが見える。
……ダメだった。子どもじゃないんだからと自分に言い聞かそうとしても言葉が止まらなかった。
さっきの叫びは、今の俺の本心でもあったからだ。
登校途中の他の生徒は、腫れ物に触るみたいに俺たちを避けて、校舎に急いでいく。
……………………。
……そんなことになってるなんて全然知らなかった。話してくれてサンキュな。
けど……『天下一通販』の部長なんかが、私怨(しえん)で仕事をするなんて事、あるのかな?
……そう、だね。隼人に告白したあの子だって、まさかそこまで……。
……朝から随分大声を上げてるのね。
…………っ!!!!
瞬間、天地がひっくり返ったみたいに一気に背筋がざわついた。
どの生徒も俺たちを避けていく中、あえて話しかけてくる甲高い女の声。
……お前……。
聞き覚えがあるような、ないようなその声に振り返ると……。
そこには、ずっと前に俺に手紙を渡そうとした女子が立っていた。
周りには、あの時と同じように取り巻きの女子も数人いる。
俺と目が合うと、その女子はからかうような嫌な笑みを口元に貼り付けた。
…………お前の親、『天下一通販』の事業部長って聞いたんだけど、マジ?
ぶしつけに聞くと、女子の笑みはさらに深まる。
なんだ、知ってたのね。確かにうちのパパはそこの事業部長で、次期役員候補って言ってたかな?
…………お前が親父に言って、うちの仕事を妨害してんのか?
失礼ね。私がそんなことをパパに頼むとでも?
ただ、どこかの小さな個人輸入やってるお店が、すごーくセンス悪そうだから、
『ここはダメね』ってアドバイスはしたかしら。あれ、隼人くんのところだったの? 全然知らなかったわ〜。フフフ。
……っ、お前……!!!!
おい、隼人!
アッキーが強く俺の肩を掴む。踏み出そうとした一歩は思い留まったけど、胸の内側の不快感は増すばかりだった。
ふっ……あはは……!
なんだかずいぶん困ってるみたいね? 私の言うことを一つ聞いてくれたら、パパにお願いしてあげてもいいわよ?
ああ、心配しないで簡単なことだから。
…………私と半年間、付き合うこと。
そうしたらパパに言って、今までどおりの仕事ができるよう、私が口添えしてあげる。
…………は……?
目の前の女子の全てに呆れ果てて、俺の口からは乾いた声がこぼれ落ちた。
俺が、お前と付き合う?
全然意味わかんないんだけど。そんなことして何になるわけ?
勘違いしないで、あなたを好きだからこんなこと言ってるわけじゃないの。
あなたと付き合って、半年で私が振った……その事実が欲しいだけだから。後はあなたの好きにしたらいいわ。
…………。
怒りがあるポイントを超えると、ただ頭が真っ白になるのだと俺は知った。
ようはステータスだ。
そんなものが欲しくて、この女は俺と、俺の家族をかき回しているんだ。
(…………ああ、感覚が鈍ってくのが自分でわかるな)
こんな女と付き合うなんて、何があっても絶対ご免だ。
けれど脳裏には、今朝見た疲労している姉ちゃんの姿と、いつも通りに俺を送り出した母さんの笑顔が焼きついている。
(俺の気持ちとか、もはやどうでもいいや)
(俺が半年我慢して……それで家族の苦労がなくなるなら……)
…………わかったよ。
……!!!!
なっ……お前何を……っ!?
半年、お前と付き合うよ。
俺のこと、持ち物みたいに好きにすればいい。
隼人……!!
投げやりな俺の言葉を聞いて、芽衣は悲痛な声で俺の名を叫んだ。
隼人、馬鹿なこと言うのは止めろ!
アッキーも、今まで見たことがない怖い顔で俺を見つめていた。
名前も覚えていない、あの女だけが歪んだ笑みを浮かべている。
そう……付き合ってくれるの。
ふふふっ……なら、早速私の命令を聞いてくれる?
今ここで、私にキスをしなさい。
(…………!!)
大丈夫よ、職員室からは見えないから。けど、登校してる生徒の前で、あなたが私のものだって証明して。
…………。
……どうしたの? 証拠、見せられないの?
……うるさいな、黙ってろよ。
低く言い捨てて、俺は目の前の女との距離を詰めた。
……最初はさすがに驚いたけど、実際してしまえばキスなんて何でもないと思えた。
周りから悲鳴のようなどよめきが上がる。通学路でこんなことをしているのだから当然だ。
……………………。
────っ!
合わせた唇はすぐに離した。女子生徒の顔を見る気もなくて、今はもうただ早く学校に行きたかった。
……そんな俺と入れ違いになるように、小さな影が例の女子へと近付く。
(……! 芽──)
卑怯者っ!!!!
初めて聞く芽衣の怒号と共に、頬を張る強烈な音が辺りに響いた。
それきり、しんと辺りが静まり返る。
芽衣は燃えるような目で頬を叩いた女子を睨んだ後……何も言わずにその場から逃げるように走り去った。
芽衣……。