高校廊下
それは、隼人くんに電車の件で助けられてから数日が経ったある日のことだった。
(あとは、ゴミをまとめて終わりっ)
夙川さん、お先〜。あとはよろしくね。
はーい。またね〜。
あれ以来、隼人くんたちと一緒に登校することはなかったけれど、同じ電車に乗ることは何度かあった。
(よしっ、OKかな)
それはゴミ捨てのジャンケンに負けた私が、一人教室でゴミ袋と悪戦苦闘し終えた直後のことだった。
ガラガラという音とともに、教室のドアが静かに開いた。
あれ? 夙川さん一人??
振り返るとそこには、同じクラスの芦屋さんが立っていた。
どうやら彼女は、私が一人でゴミ袋と格闘していることに興味を持ったようだ。
ううん。さっきまでみんないたよ。ゴミ捨てジャンケンに負けちゃったから。
そうなんだ。よければ何か手伝おうか?
ううん、ありがと。あと持っていくだけなんで大丈夫だよ。
わが高校の生徒会長でもある芦屋さんはみんなに平等に接する人で、中には『頭が固い』という人もいるけど、
私はそんな彼女のことがとても好きだ。できればお友達になりたいと思っているくらいに。
そう、ならいいんだけど。
そう言った直後に、芦屋さんは何かを思い出したように両手をぽんと叩いて私に再度話しかけてきた。
あっ、そうだ。私、夙川さんに聞きたいことあったんだ。
はい、なんでしょう?
夙川さんって、隼人くんと仲いいの?
えっ、普通に話すくらいの仲だよ。
じゃあ、やっぱりただの噂だったみたいだね。
噂って……何の?
私も聞いただけなんだけど、隼人ファンの一部の間で、隼人くんと一緒に登校した女子がいるって騒いでて、
その女子が夙川さんらしいって噂になってたから、本当なのかなぁと思って。
確かに一緒に登校したことは一度あったけど、あれはその日隼人くんに助けてもらった流れで一緒に来たというか。
え、助けたの?? 隼人くんが!? 夙川さんを……!??
(そんなに驚くことなのかなぁ?)
ふーん、あの隼人くんが……。
隼人くん、一見冷たく見えるけど、とっても優しい男子だったよ?
私はどこか合点のいかない生徒会長の顔を不思議そうに見返した。
そ、そうだよね。隼人くんは本当はとても優しい男の子だもんね。うんうん、わかるよ。
芦屋さんは、取り繕うような笑顔を作って見せた。
……隼人くんと登校することで何か問題があるなら、今後は気をつけた方がいいかな?
そ、そんなことないよ! さっきのことは何でもないから、気にしないで……。
って、あ、もうこんな時間!! 校長室に呼ばれてるんだった。
……それならいいんだけど。芦屋さんも生徒会頑張ってね。
うん、ありがと。じゃあ。
廊下を急いで歩いていく芦屋さんを見送って、私もゴミ捨て場へと向かった。
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高校中庭
教室からゴミ捨て場へ行くには、中庭を通っていかなければならない。
さっさとゴミ袋を捨てて帰宅したかった私は、脇目も振らず中庭への通路を通って、渡り廊下に足を踏み入れた。
するとその時、聞いたことのある声が中庭の向こうから聞こえてきた。
隼人〜……だろ? それでさぁ……。
それそれ……。でさぁ……なんだよな。
(あれは、隼人くんと翠くん……?)
渡り廊下の手すりに寄りかかった二人の後ろ姿を見つけて、普通に話しかけようと思ったのだけど——。
さっきの芦屋さんの話を思い出して、なんとなく躊躇してしまった。
(一緒に登校しただけで噂になるっていうのも、隼人くんらしいといえばらしいけど……)
(そんなのいちいち気にしてたら、友達にだってなれないし)
(芦屋さんも言ってたけど、あんまり気にしなくていいのかな……)
(それに、黙って横を素通りするのもやっぱりおかしいよね)
そう思い、止めてしまった足を再び動かした。
二人の声がはっきり聞こえる距離まで近づいたとき、反対側から隼人くん目掛けて複数の女子が駆け寄った。
(あれは、……商業科の子たち?)
彼女たちの間から他の子たちが道を作るようにして、見るからにお嬢様っぽい子が一人、一番前に出てきた。
隼人くん、やっと見つけた。ちょっとだけ、時間あるかな?
彼女はそう言うと、チラリと翠くんを見やった。
少し離れた場所にいる私にもわかるくらいなのだから、近くにいる翠くんは、彼女の意図がはっきりとわかったのだろう。
あ、オレ、先に教室戻ってるわ。
なんで? すぐ終わるみたいだし。アッキーがいてもいいよね?
彼女のほうはちょっと困った顔をしているけど、ダメとは言えないらしい。
えっと、別にいてもいいけど……。
(困ったなぁ。ゴミ置き場、すぐそこなんだけど)
(でも、このままゴミ袋を持って横を素通りするのも何か嫌だし……)
仕方なく私は、物音をたてないように、そっと近くの柱の影に隠れた。
(決して立ち聞きしたいわけじゃないからね)
なぜか自分に言い訳をしつつ。
それで、俺に用事ってなに?
感情が読み取れない、淡々とした声色がいつもの隼人くんの声とは違って聞こえて、思わずそっと窺いみる。
……用っていうか、受け取ってほしいものがあるの。
彼女の手には、綺麗な封筒が握られているのが見える。
隼人くんはチラリと手紙を見るが、その手紙が隼人くんの手に渡ることはなかった。
悪いけどそれ、受け取れないよ。俺、そういうのやってないんで。
(そういうの、ってなんだろう?)
こういう状況でよくある『それ』の、中も見ずに拒否する隼人くんにさすがだなぁなどと思いながらも何故か心のどこかで安堵する私がいた。
彼女のほうは、手紙を受け取ってもらえると思っていたのか、一瞬唖然とした表情を見せ、すぐに隼人くんに詰め寄った。
受け取ってくれるだけでもいいから。お願い。
いや、本当にそういうの、困るから。誰からも受け取ってないし。これからも受け取るつもりはないよ。
ちょっと!! 受け取りもしないって、どういうこと!?
後ろにいたはずの彼女の友達が、いつの間か隼人くんを囲むように立っている。
女の子に恥をかかせるなんて、信じられない!!
断るのも相当失礼だけど、手紙を受け取らないなんて、サイテー。
彼女たちに何を言われても、隼人くんの口が開くことはなかった。
すると、手紙を差し出した本人は隼人くんをキッと睨み返し、
私に対するその態度、後悔することになっても知らないから!!
一言言い残して、踵を返して走り去って行った。
ちょっと待ってよ〜。
お友達も、走り去る彼女を追いかけていった。
(とりあえず、話が終わってよかった)
ホッとして、いつここから出て行こうかと考えていると、こちらを見ている隼人くんに話しかけられる。
もう出てきてもいいんじゃないかな。
静かな口調で言われ、ホッとしていたのが一変、ピリリとした空気に包まれた。
(聞くつもりはなかったとはいえ、聞いてしまったのは事実なんだし、きちんと謝らないといけないよね……)
意を決して、柱の影からそっと出ていくと、隼人くんは少し驚いた顔をした。
誰かと思ったら、……芽衣だったのか。
ご、ごめんなさい。ゴミ捨てで中庭を通ろうと思ったら彼女たちが来ちゃって……。
まぁ、こんな場所で告ろうとするあの子が悪いんだし、それは仕方ないんじゃない。
隼人くんは、やれやれといった顔で話を続けた。
で、いつからあそこで立ち聞きしてたわけ? あまりいい趣味じゃないよね。
いえ、本当についさっき来たばかりなの、ごめんなさい。
ふーん。まあどっちでもいいけどね。芽衣がいてもいなくても、結果は同じなんだし。
だから、気にしなくていいよ。
それはそうかもしれないけど。
(結果は同じって、それってもしかして……)
結果が同じっていうのは、他に彼女がいるから?
考えるより先に言葉が出ていた。
隼人くんに彼女がいるかどうかが気になったからなのか、単に興味本位だったのかは正直わからない。
彼女?? いないよ。いたら、ちゃんとそう言って断るよ。
(彼女いないんだ……。そういうの、隼人くんはっきりと言いそうだもんね)
私はどこか安心した気持ちになった。
隼人くんはなんとなく憧れている存在ではあるけれど、それは人気アイドルや俳優なんかと同じで、雲の上の存在だ。
こないだのことがなければ、おそらく私の名前すら知らない人だったはず。
だから私は——。
そうじゃなくてさ、女子って見た目はどんなに可愛くても、必ず表裏があるじゃない。
(えっ……)
そういうのが嫌なの俺は。さっきの子だって、あのあと裏で俺のことなんて言ってることやら。
女子って、基本みんなそうでしょ? そこが残念でもあり、仕方がないところなんだろうなぁと思うわけ。
って、芽衣に言ってもわかるかな?
………………。
平然と答える表情は、本気でそう思っているように見えた。
(全ての女子がそうかどうかはわからない……。私だって絶対に違うとは言えないかもしれない……)
(それでも、“女子”というだけでみんながそうだと思われているなら、それって……そんなことって!!)
やり場のない、理不尽な思いがこみ上げてくる。
偏見や差別といった思想なのだろうけれど、私はそれらの言葉よりも遥かに大きなショックを受けた気がした。
(女子ってだけで、そんなふうに見られてしまうなんて……)
(隼人くんって、そんな人だっけ?)
ん!? どうしたの、芽衣?
しばらく黙り込んでいる私を見て心配したのか、隼人くんが声を掛けてくれる。
——でも。
(……ああ、私こういう理不尽なのダメだ!)
何かが頭の中で切れたような音がした。
次の瞬間、私の口は私の気持ちとは別に、直情的に動いてしまった。
隼人くん……。隼人くんも見た目と違って残念な人だったんだね……。
私、ゴミ捨ての途中だから。ここでゴメンね。
そう言った後、なるべく顔を見ないようにしながらゴミ袋を抱え直し、二人の横を静かに通り過ぎて行ったのだった。
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今、芽衣怒ってなかった??
俺は少し動揺していた。
あの大人しい芽衣が、怒りの感情を露にして俺たちの目の前を立ち去っていったからだ。
怒っているとはちょっと違うような感じがするけどな。
じゃあ、どういうこと? 俺、なんか変なこと言ったかなぁ?
言ったんじゃないの?
アッキーは、やれやれといった顔でこちらを見ている。
……全くわからない。
うーん、わからないというところが問題のような気もするんだけど。
なんでアッキーにはわかって、俺にはわからないんだろ?
芽衣が渡り廊下をすぎ、姿が見えなくなった次の瞬間、廊下の奥のほうから、何かを蹴り飛ばしたような音が響いた。
……前言撤回。むちゃくちゃ怒ってますなぁ。
女って、やっぱりよくわからないなぁ。
他の女子はともかく、芽衣ちゃんだけは仲良くしとけよ。
……なんで?
隼人が大人になるための“通過儀礼”だからな。
また難しい日本語を。
……わかってるくせに。
………………。
俺は、それ以上突っ込むのを止めた。
アッキーが言おうとしていることの意味はなんとなくわかってはいた。
だけど、人は自分が体験してないことを頭から鵜呑みにすることはできない生き物だ。
(芽衣はそれを教えてくれるとでもいうのかな?)
俺はいろいろと腑に落ちないまま、そのことを考えながら帰宅した。
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風見鶏の館屋内
ただいま。うわっと!
おかえりって、そこ、踏まないように気を付けて!!
リビングの床には、姉ちゃんがプリントアウトしたであろう写真が並べてある。
また新しい洋服仕入れるの?
そうなのよ。今度向こうに行って仕入れようと思っている服を選んでるのよ。
ふーん、今回はメンズ用のもあるんだ。
まあ今までもなかったわけじゃないけどね。今回のテーマを何にしようか、今悩んでるところ。
あんたはどれがいいと思う? ……って言っても、あんたには女子の好みとかわからないか。
……そ、そんなことないよ。
今まで彼女の一人もいないあんたが、女の子の趣味なんてわかるわけないでしょ?
(うっ、なんかさっきも似たようなこと言われたような……)
それとこれとは話が別じゃ……。
一緒よ。相手の気持ちがわからない人に、その人の好みなんてわかるはずないじゃない。
………………。
まあ、いいわ。そのうち、隼人にもお手伝い頼むかもしれないから、そのときはよろしくね。
散々言っておいてそれかよ……。ま、俺に手伝えることならいいけど。
(姉ちゃん達の苦労は知ってるだけに、できることはやらないとだしな)
あんたのそういうところ、いいと思うよ。彼女なんてそのうちできるって!
はぁ……。(別に望んではいませんが)
その時なぜか、芽衣の顔が頭に浮かんだ。
︙
高校中庭
『隼人くん……。隼人くんも、見た目と違って残念な人だったんだね……』
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風見鶏の館屋内
(……芽衣とももうこれっきりかもね。それとも、やっぱりちゃんと話をした方がいいのかな……?)
悶々とした気持ちのまま、俺は部屋へと向かった。
その数日後、姉ちゃん達によるまさかの展開が待っていようとも知らずに……。