風見鶏の館室内
おはよう。って、うわっ、どうしたのこれ?
珍しく目覚まし時計より早く目が覚めた俺は、またなんだか嫌な予感がして、リビングへと向かった。
そこには、まるで洋服の卸問屋(見たことないけど)のように、リビング一面に所狭しと洋服が並べられていた。
おはよ〜。珍しく早起きじゃない。あー、そこに並べてあるの動かさないでね。
姉ちゃんはデザインを確認しながら、置いてある場所を何度も確かめている。
なんか、足の踏み場もないんだけど。
仕方ないでしょ。この前のサンプルが同じ日に全部届いちゃったんだから。あんたにも手伝って欲しいくらいよ。
……学校がなけりゃーな。あー、学校さえ行かなくていいなら、めちゃくちゃ手伝えたのに。
俺は得意の“棒読み”作戦に出る。
……なんならガッコ、行かなくていいようにしてあげようか?
姉ちゃんが不敵な笑いをする。
え、遠慮しときます……。
残念そうに指を鳴らす姉ちゃんの後ろから、慌しく母さんも、
おはよう隼人。今日は早いね。
まだ朝ごはんの用意ができてないから、暇だったら麻耶の手伝いでもしてやってよ。
そう言って、何やら資料を姉ちゃんに渡した。
(暇っていうわけじゃないんだけど)
それのね、洋服に合う小物をセットで考えてほしいのよ。
ちょっと何これ? そんな話聞いてないんだけど?
姉ちゃんは渡された資料に頭を抱えている。
それがさ、せっかくだからって向こうから適当に送ってきちゃってさ。
コーディネートが上手くできるなら、ぜひ一緒に売り出したいって。
あ、あのぉー。
コーデもなにも、こんなの考えるのも大変だし、合わせるモデルによってイメージ違うっつーの!
私もそう言ったんだけどね……。
あのぉ〜、手伝うことがないなら、朝食できるまで部屋に上がっとくけど?
あんたもうるさいわねー。自分の朝食くらい自分で作ればいいじゃない!
(うわぁー、飛び火キター……)
じゃあ俺は部屋に戻ってるんで。
っとに役に立たない弟ね……。これが翠くんだったらもっと……、……ちょっと待って隼人。
姉ちゃんは話している途中で何か“悪いこと”を思いついた顔をした。まず間違いないだろう。
俺は明らかに部屋を出るタイミングを間違えたことを理解した。
な、なに?(嫌な予感でゾクゾクするんだけど)
隼人さ、あんたの知り合いにモデルできそうな子いない?
はあっ!? そんなのいきなり言われてもわかんないし、着るだけなら姉ちゃん、自分でやればいいじゃん?
そりゃできればそうしたいわよ! でも、この服を買うターゲット層にモデルやってもらわないと意味ないし。
ちなみにね、この服のイメージは純粋な女子高生。
あー、なるほど。
……何が『あー、なるほど』なのかな、隼人くん?
姉のニコリと笑った笑顔は、目が笑ってなくて心底怖い。
……な、なんでもないです。
まったく……。そういうことで、モデル誰かいない?
それはさっきも言ったけど……。
隼人に頼まれれば、手伝ってくれる女子なんていっぱいいるでしょ?
俺が言い終わる前に姉ちゃんが台詞を被せてくる。
だから、いないって…………あっ。
その時なぜか、不意に芽衣の顔が頭に浮かんだ。
(芽衣なら、今姉ちゃんが言ったモデルの条件に合ってるとは思うけど……)
(どっちにしてもそれはないか……)
頭の中の芽衣を振り払うように、首を左右に振る。
ははーん、誰かいるみたいね。
いや……。
その子に交渉よろしくね〜。
え、ちょっ……。
断ろうとしたが、姉ちゃんは聞く耳持たずで別の仕事に取り掛かっている。
(マジかよ……。アッキーに相談してみるか)
(てか、もうこんな時間!?)
いつの間にか、いつも起きる時間はとっくに過ぎていて、
もう少ししたら、アッキーが迎えに来る時間になっていた。
時間を確認しながら準備していると、玄関のほうから母さんの声が響き渡った。
隼人ーーー、翠くん、きたわよー。
今行くーーー。
パンをひとつ口の中に放り込んで、玄関を飛び出す。
行儀悪い!!
いってきまーす。
俺は、叱られることよりも、姉ちゃんの無茶振りをどうしようかの方が気がかりで、そのことが頭から離れなかった。
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駅のホーム
駅に着いて電車を待っているわずかな時間に、俺はさっきのモデルの件をアッキーに相談することにした。
アッキーさぁ、ちょっと相談があるんだけど。
おっ、隼人が朝からそんな深刻な顔して相談って珍しいじゃん。
ま、オレでよければ聞くけど?
何かを感じ取ったのか、アッキーはいつものように茶化さずに話を聞いてくれた。
こういうところが一緒にいて気持ちいい。
朝から姉ちゃんに『誰か知り合いにモデルいないか』って聞かれてさ……。
俺は朝の出来事をかいつまんで説明した。
……というわけなんだけど、アッキー、誰かモデルやってくれそうな子とか知り合いにいないかな?
お姉さんからの依頼じゃあ、確かに断れないよな。
俺は口を曲げて、うんうんと頷いた。
ぶっちゃけ、やってくれそうな子はいるけど、隼人にもまともに相談できそうな女子が一人いるじゃん。
……言い方。それって芽衣のこと言ってんだよね?
そうそう。芽衣ちゃんならお姉さんの言っていたイメージとも合うし、いいと思うけど。
俺もそれは考えたよ。でもさ、この前あんなことがあった手前、頼みづらいと言うか、話しかけづらいと言うか。
あー、あの『見た目と違って残念な人だったんだね』事件ね。ははは……。
……だから言い方。
アッキーは思い出したようにニヤニヤと薄ら笑いを浮かべている。
ははは……じゃなくてさ。
何で嫌味を言われたのかすらよくわかってない俺がさ、普通に考えてこんな相談しても断られるだけだし。
そんなの、聞いてみないとわからねえじゃん。ダメもとで聞いてみたら?
えー、マジで? なんか、また面白い展開とか期待してない?
してない、してない。どっちにしても誤解があるならちゃんと話したほうがいいわけで。
話しながら、アッキーはきょろきょろと辺りを見回しだした。
……あ、やっぱりいた。おーい!
探していた何かを見つけたアッキーは、そっちに向かって大きく手を振った後、手招きをする。
芽衣ちゃん、こっちこっち。
アッキーの行動の意図がわかり、胸がドキドキとし始める。
(……俺には到底真似のできない行動力だ……)
あ、翠くん……。
こちらに気づいた芽衣と目が合ってさらに緊張し始める。
と、隼人……くん。おはよう。
驚きながらも、翠の手招きに誘われて芽衣はこちらにやってきた。
おはよ〜。
おはよ〜、突然呼んじゃってごめんね。
……いいけど、どうしたの?
ちょっと、折り入って頼みたいことがあって。
私に?
そうそう。芽衣ちゃんにしか頼めないことなんだよね。
なんだろう? 私にできることならできるだけ協力するけど……。
明らかに戸惑った表情している芽衣だが、一応聞こうとしてくれている。
頼みというのは、はい隼人からどうぞ。
そう言って、俺に手を差し出すアッキー。
えっ、そんないきなり振られても……。
………………。
芽衣が困惑しているのが見て取れた。
『見た目と違って残念な人だったんだね』
言われた俺よりも、言った芽衣のほうがこの場に居づらいのはよくわかる。
(せっかくアッキーが作ってくれたチャンスなんだし、俺がちゃんと説明しないとだよな)
俺は覚悟を決めて芽衣に話しことにした。アッキーが言うように、ダメもとでいいやと思いつつ。
実はさ、今家の仕事で制服のモデルを探してるんだけど、よかったら芽衣にお願いできないかなぁって……。
わ、私にモデル……!? 無理無理!!
(……だよね。あんなことがあった後だし、普通断るよなぁ。でも……)
こないださ、俺なんか気に障(さわ)ること言ったのなら謝るよ。ごめん。
…………。
俺こんなだからさ、あんまり頼める女子もいなくて……。
あ、いえ、そういうことじゃ……なくって……。
気のせいか、芽衣が申し訳なさそうにしているように見えた。
……もう少し、詳しく話を聞かせてもらってもいい?
遠慮がちにそう言う芽衣に、俺は再び朝の出来事をかいつまんで話した。
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……というわけなんだ。姉ちゃん達が頑張ってるのは知ってるから、できるだけ協力できればと思って。
芽衣はそれを聞いて、黙って考え込んでいるようだった。
……もし、私が断ったら?
残念ながら、他に頼める人はいないから、姉ちゃんには諦めてもらうことになるかな。
そうかぁ。
芽衣は再び考え込んでいた。
俺に借りがあるわけでもないし、安易に頼まれ事をされる関係でもない芽衣に、この話を受ける義理などない。
そんなことは最初からわかっていたはずだった。
私が断ったら、隼人くんも困るだろうけど、お姉さんがすごく困るんだよね?
そうだけど、姉ちゃん達なら自分で何とかするだろうから、無理はしなくても大丈……
そういうことなら、引き受けてもいいよ。
俺が話し終える前に芽衣が頷いた。
えっ……。
一瞬、聞き間違いかと思うけど、確かに引き受けると芽衣はそう言った。
先日お婆さんを助けていたことを思い出す。困っている人をほっておけない性分なのかもしれない。
本当はモデルなんて自信ないし、私なんかだとかえって迷惑なんじゃないかって思うけど、私でよければ。
少し困ったように笑いながら、芽衣はそう言った。
俺はそんな彼女を驚きの眼(まなこ)で見ていた。すると、芽衣の視線が俺と重なり、慌てて目をそらしてしまった。
えっ、あ、ありがとう。姉ちゃんたち、喜ぶよ。
うん、よかった。
頬が少し赤らんだ芽衣の笑顔に、俺は胸が跳ねる感覚と、ほんの少しの罪悪感を覚えた。
(……本当は、俺が嬉しい!? ……な、なんで!?)
俺は今まで体験したことのない感情が表に出るのをごまかすために、必死で言葉を繋いだ。
そ、そうだ。OKもらったって姉ちゃんに連絡しちゃっていいかな?
目を泳がせながら言う俺を見て、何もかも思惑通りと言わんばかりにアッキーの口元がにっと上がる。
そんなアッキーを尻目に、こくりと頷く芽衣を見て速攻で姉ちゃんにメールすると、ものすごい速さで返事がきた。
あ、あのぉ、早速で悪いんだけど、今度の週末に予定入ってなかったらお願いしたいってきてるけど、大丈夫?
ちょっと待ってね……。うん、大丈夫だよ。
手帳を出して確認した芽衣が首を縦に振るのを見て、当日の時間を姉ちゃんに確認する。
メールの返事を見て、待ち合わせ場所が決まる頃、ちょうどホームに電車が着いた。
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風見鶏の館
そして、数日後。その週末はあっという間にやってきた。
俺は、最寄り駅まで芽衣を迎えに行き、家までの案内をした。
家の玄関まで連れて来た時、芽衣は想像以上に驚いた顔をして家を見上げていた。
どうかした?
レンガ造りの家だ〜。すごいね。
そう? 中は普通の家だけどね。
こんな立派なレンガ造りのお家は滅多に見られないと思うよ。小説に出てくるお家みたいだよね。
(まあ、確かに普通じゃないよな。この辺じゃ珍しくはないけど)
あら、いらっしゃい。隼人の姉の麻耶です。いつも弟がお世話になってるみたいで。今日は無理を言ってごめんね。
いいえ、全然大丈夫です。はじめまして、夙川芽衣と言います。
こちらこそ、いつも隼人くんにはお世話になってます。今日はよろしくお願いします。
そう言って頭を下げる芽衣に、普段家ではニコリともしない(と俺は思っている)姉ちゃんが笑顔で対応する。
こちらこそ、よろしくお願いします。ささ、どうぞ中に入って。
(どんだけVIPなんだよ……)
はい、ではお邪魔します。
姉ちゃんがいつ普段通りに戻るのかちょっとした緊張感の中、俺も二人の後をついていく。
︙
風見鶏の館室内
リビングのドアを開けると、すでに母さんが撮影の準備をしていた。
いらっしゃい。急な話だったのに、今日はどうもありがとね。
いいえ、大丈夫です。毎日暇してますから。今日はよろしくお願いします。
あらあら、見た目だけじゃなく、しっかりしたお嬢さんだこと。
これからも隼人のお友達でいてやってくださいね。お友達以上でもいいんだけど。おほほほほほ……。
(何を言ってるんだ、この人!)
あ、はい。こちらこそ。
ホントに、あんたが女の子を連れてくるって言うから少し不安だったけど、ここまでイメージ通りの子を連れてくるとは思わなかったわ。
いろんな意味でね。
どんな意味だよ!
普段姉ちゃんに褒められることなんかほとんどないんで、何を聞いても裏があるようにしか聞こえない。
褒めてるんだから、怒らない怒らない。
(この人は、『人の褒め方』を習わなかったのか!?)
それじゃ、早速で申し訳ないんだけど、仕事を始めてもいいかな?
はい、よろしくお願いします!!
俺達の会話を聞いて楽しそうに笑顔を見せる芽衣に、少しホッとした。
着替えはあっちでしてもらって、着替え終わったらこっちで撮影ね。
掛かっている服の右から順番に着てもらっていいかな。
はい、わかりました。
こうして、撮影は順調に進んでいった。
始めはぎこちなかった芽衣も次第に慣れてきた様子で、姉ちゃん達との会話も含め、楽しくやってくれている。
そんな楽しそうに笑っている芽衣を見ていると、不思議と俺まで楽しくなってくる。
(覚悟決めて頼んでよかった。アッキーには感謝だな)
そんなことを思いながら、俺は部屋のソファに座って芽衣の七変化を楽しんでいた。
この服はどうかしら?
この服はこの小物とセットにして売ってもいいかもしれないね。
芽衣に色々なポーズをお願いしながら仕事モードの姉ちゃんと母さんは真剣そのもので——。
こういう緊張感は嫌いじゃない。
(それにしても、服で印象って結構変わるもんなんだなぁ)
時々いつもと違う印象の芽衣にドキッとさせられる。
ねえ隼人、これなんかどう思う?
姉ちゃんはそんな時に限って振り返り、俺にも意見を求めてくる。
一応俺なりに真剣に答えてはみたが、自分でも上手く話せていなかったのは何となくわかっていた。
そんな俺を見て、姉ちゃんと母さんは顔を見合わせて、二人でニヤリと笑う。
はは〜ん、そういうことね。
な、なんだよぉ……。
(この笑顔。嫌な予感しかしないんだけど……)
麻耶、今回のコンセプトは何だっけ?
(何だ、その棒読みのセリフは!?)
『日本の高校生』よ〜。そういえば、何かが足りないような気がぁ……。
そうだったわよね。『日本の高校生』ってことは、あっ、男子も必要だわね。
あっそうかぁ……。男子を忘れちゃってたわ、お母さん。
(おいおい……まさかとは思うけど……)
(……にしてもどんな茶番だよ! まだ小学生の学芸会の方がレベル高いぞ……)
もちろん、その嫌な予感は的中することになる。