風見鶏の館室内
…………な、何だって!?
テロに巻き込まれて帰れない!!?
…………!
電話越しに母の声を聞きながら、視線は無意識にテレビの映像に向かう。
そこには怪我人の情報や、警察官が厳重に警戒する姿が映し出されていた。
母さん、怪我とかは!? 姉ちゃんとは別行動だろ? 連絡は……!?
『だ、大丈夫よ、隼人! 母さんも麻耶も全くの無傷! 麻耶とはすぐに合流したし』
『そもそも今は空港にはいないし、安全はしっかり確保されてるから心配しないで』
『ただテロの影響で交通機関がストップしてて……予定していた飛行機に乗れなくなっちゃったのよ』
『だから帰国がいつになるのかが……まだはっきりわからないの』
……はー……。
母さんの説明を聞くと一気に力が抜けた。ソファにどさっと座って、深くうなだれる。
は、隼人、大丈夫!? まさかおばさんたちに何かあった!?
(あ……)
電話の内容は俺にしか聞こえてなかったので、芽衣は俺から見ても気の毒なほど真っ青になっていた。
真剣な瞳でのぞき込まれて、ちょっとどきっとしてしまいつつも俺は慌てて首を振る。
ごめん。大丈夫。二人とも無事だから。
……そう……。
数秒前の俺と同じように、芽衣も深くため息をついた。よく見ればアッキーも同じだ。
『……隼人、誰かと一緒にいるの?』
ああ、アッキーと芽衣。母さんたちが芽衣に買い物頼んだろ? その後2人とも家で飯食って……。
『……そう、芽衣ちゃん来てくれてるのね』
『それなら、ちょっと芽衣ちゃんに電話かわってもらえないかしら?』
は……? 何で芽衣?
『いいからいいから』
……買出しを頼んだくらいだし、何かまた用事でもあるのだろうか? 俺は渋々芽衣にスマホを差し出した。
母さんが、芽衣にかわって欲しいって。
えっ……? 私に?
わかった…………あの、もしもし、芽衣です。おばさん、大丈夫ですか?
…………そうですか、よかったです。でも大変でしたね、事件に巻き込まれてしまって。
私にできる事があれば何でも言ってください。
そばでやり取りを聞きながら、すぐに気遣いの言葉が出てくるのが芽衣らしいなと密かに思った。
はい? 頼みごと……何でしょう?
(は?)
(おいおい……母さんたち、また何か芽衣に頼む気かよ?)
……はい……はい…………えっ!!?
母さんと話していた芽衣が、急に困惑して固まってしまう。
何? 母さん、何て言ってるの?
……その。
しばらく帰国できないから、その間隼人の面倒を見て欲しいって……。
…………。
俺は無言で芽衣の手からスマホを奪取した。
母さん、何わけわかんないこと頼んでるんだよ!?
『あら? 隼人なの?』
過保護もここに極まった、って感じだ。というか、同級生にそんな事を頼まれちゃ俺の立場ってものにも関わる。
数日くらい俺一人で何とでもなるし。食事だって…………。
平気だと言おうとしたけれど、右手からするっとスマホがなくなる。
見れば、俺の手からスマホを奪ったのは芽衣だった。その行動が意外で、俺はとっさに言葉がでなくなる。
食事が一人で平気って……。
嘘はだめだよ。今夜一緒に料理を作ったけど、隼人は簡単なお手伝いしかできなかったじゃない。
わかりました、おばさん。私でよければその役目、引き受けさせてもらいますね。
(ちょっ……!)
はい……はい、わかりました。
しっかりと頷いてから、芽衣はようやく俺にスマホを返してくれた。
言葉も出ないまま、俺はのそりとスマホを耳にあてる。
『もう、本当助かったわ、芽衣ちゃん! 隼人ったら、ほら、あんな感じでしょ? 悪いけれど隼人をよろしく……』
……あんな感じってどんな感じ?
『あらやだ、隼人だったの?』
近くにいるらしい姉ちゃんの爆笑する声が聞こえてくる。
『ま、とにかくそういうわけで、あんたのことは芽衣ちゃんにお願いしたから』
『あんたもお世話になる側なんだから、失礼なこととか……アブナイこととかしないのよ?』
しねーーから!!!!
『それじゃ、数日の間、芽衣ちゃんと仲良くね〜』
──ブツッ! ツー……ツー……。
……………………。
(これだから女って生き物は……!!)
……何か面白そうなことになってんね?
どこがだよっ!
……ええっと、おばさんに頼まれたし、しばらくの間よろしくね、隼人。
よろしくって……。
いつ母さんたちが戻るかもわからないのに、俺の世話なんて頼まれて、芽衣は何とも思わないんだろうか。
(いや、これはいつもの困っている人を放っておけないヤツだな)
(芽衣らしいっちゃ芽衣らしいし、そこがいいところだけど……)
心臓がとくんと跳ねる。
(……いやいや! 何で俺、ちょっとドキドキしてるんだ! 落ち着けよ!)
ところで隼人、クッションとひざ掛けか何かを借りてもいいかな?
え? いきなり何?
今夜はここのソファの端っこで休ませてもらおうと思って……。
……ストップ、ストップ、ストップ! 待って、何の話をしてるわけ?
え……? あれ? おばさん、話し忘れちゃったのかな?
今夜はもう遅いし、家事のこともあるから泊まっていくといいよって言ってもらったんだけど……。
…………は?
早朝のごみ出しも頼まれたし、他にも細々と……というか、しばらくは泊り込みでお願いって。
はあ〜〜っ!!??
居間には俺の盛大な叫びが響いた。
あ。当分の着替えは、明日一旦家に戻って持ってくるから……。
(着替えの心配してる場合か!?)
(俺の周りの女は、そろいもそろって何を考えてるんだ!?)
あ、あと、翠くんも遠慮なく今夜は泊まっていっていいから、って。
あ〜。……なるほどね。
口をぱくぱくさせている俺の隣で、アッキーは冷静に頷いていた。
オッケー、オレの役目はわかったよ。オレもしばらくは芽衣ちゃんに合わせてここに泊まってくから。
さすがに若い男女二人だけで、一つ屋根の下に寝泊りするのはいけないしな!
〜〜〜〜っ!
…………。
……こうして、完全に俺の家族に振り回される形で、3人での奇妙な共同生活が始まることになった。
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風見鶏の館室内
…………風呂とトイレはあっちな。
あー……こっちは客間だからたぶん掃除とかもいいと思う。
うん、わかった。……それにしても隼人のお家はやっぱり広いね。
案内してもらわなかったら色々と戸惑ってたかも。
いや……、もっとそれ以前に戸惑うことが山積みだと思うんだけど……。
それにしてもあの人達が何を考えてるのか本当にわからないよ……芽衣にもアッキーにも迷惑かけてるし。
オレは単にお泊りっぽくて楽しいけどね。
アッキーは自分の家族じゃないからいいかもだけど……。
普段から振り回されまくってる上に“これ”だと、さすがに疲れるよ。
全然俺を信用してなくて、幼児扱いだし……ぶっとんだ言動だし。
隼人はフクザツかもしれないけど、やっぱりそれだけ隼人を心配して大事に思ってる証拠じゃないかな?
大事にされてるとはとても思えないんですけど……。
そうかな……? でも、飾られてる写真、隼人のものが一番多いし……。
え……?
思わず俺は足を止めた。
芽衣は俺ではなく、近くの壁や古い暖炉の上に飾られている写真を見つめている。
……うん、やっぱりそうだ。隼人、自分で数えてみたことある?
え……あ、いや……。
正直、俺は戸惑ってしまった。
空気と同じくらいそこにあるのが当然だったので、写真なんて改めて気にしたことがなかったのだ。
あー確かに。ていうかさ、これ、小学生の時の修学旅行のお土産?
(そ、そんなの、置いてあったっけ?)
隼人たち、奈良に行ったんだ? 鹿のキーホルダー、可愛いね。
……たぶん姉ちゃんにあげたやつだと思うけど……。
じゃあここに飾ったのはお姉さんなんだね?
ふふふ……。きっとすごく嬉しかったんだろうね。初めての修学旅行で弟がお土産を買ってきてくれて。
…………。
何だか羨ましいよ。私は兄弟がいないから。
……欲しいなら、やるから持っていっていいよ。
また、すぐに隼人はそんな事ばかり言うんだから。
……その時、ぽんと手を叩いたアッキーがとんでもない発言をした。
あ、わかった。 そういうことならお前らが付き合えばいいんじゃん。
……………………は?
だからさ。お前らが付き合っちゃえば、あの元気なお姉さんは二人のお姉さんになるわけで。
………………。
芽衣も俺も絶句した。
はは。真っ赤になって二人とも可愛いの。
一人、アッキーだけがニヤニヤと笑っていた。
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風見鶏の館室内
その後、芽衣は姉ちゃんの部屋で、アッキーは俺の部屋に布団を敷いて眠ることになった。
……しかし。
(眠……れるわけねーよ!)
俺は一人居間へ降りて、冷たい水を飲んでいた。
寝れない原因はなんとなくわかっているけど、深く考えこんだら余計にマズイことになりそうで、自分をごまかすように、また一口水をのどに流しこむ。
あれ……隼人……?
んぐっ!? ゲホッ、ゴホッ!
まさか芽衣の声がすると思ってなくて、俺は思いっきりむせてしまった。
隼人! だ、大丈夫!?
反射的だったのだとは思うけど、芽衣は迷うことなく俺の背中をさすってくれた。
なんだか、子どもの頃を思い出す。
俺は大丈夫だから! ……ゲホッ! そ、それより芽衣はどうしたんだ? 眠れないのか?
えっ……! う、うん……。
……男の子を呼び捨てにするのも、男の子の家に泊まるのも初めてで……。
(…………っ!)
だから……少し緊張して眠れなくて。
(ヤ、ヤバイ……。よく考えたら、アッキーがいるとはいえ、こんな時間に芽衣と二人っきり……)
意識すればするほど、俺の心臓はバクバクと暴れまわる。
(べ、別に普通の女子と変わらないはずだよな……。なのに……)
(どうして……こんなにドキドキしてるんだ、俺……?)
体を揺らすほどの大きな心臓の鼓動が芽衣に聞こえてしまうんじゃないかとひやひやする。
隼人……!?
しばらく黙り込んでいた俺の異変に気づいた芽衣が、心配そうに顔を覗かせた。
…………。アッキーには絶対言うなよ?
えっ?
実は今……、俺もドキドキしてる。
…………!
こないだの撮影の時もそうだったけど、芽衣と二人だけでいるとなぜかドキドキしちゃうんだ。
……えっ、それって……!?
……うん、これってひょっとして俺、芽衣が……。
そこまで言った時、扉の向こうからギィ〜っという、床がきしむような音が聞こえた。
その音でふと我にかえった俺は、喉の渇きを思い出した。
えーと……芽衣も喉が渇いてるんじゃないかと思って。な、何か飲む?
……う、うん……。ありがとう……。
それから俺たちは、コップ1杯の水を飲む間、さっきの音は幽霊じゃないかとか、どうでもいい話をした。
最後にもう一度おやすみを言って姉ちゃんの部屋に向かう芽衣の姿を見た時、やっぱりいつもの芽衣とはどこか違って見えて、結局その日、俺はろくに眠ることができなかった。
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風見鶏の館室内
あ、芽衣ちゃん、もう起きてたんだ。おはよー。
翠くん……、隼人……お、おはよう。
おはよう……。
翌日、俺たちが居間に来る頃には芽衣はもうキッチンに立っていて、辺りには朝食のいい匂いが漂っていた。
その姿に昨夜の芽衣とのことを思い出していた。
じわじわ顔に熱が集まってくるのを感じていた俺は、ハッとしてブンブンと首を振り、その邪念をかき消す。
な、何か手伝おうか?
そう言うのが精一杯だった。
え……あ、ありがとう。それじゃあ目玉焼きをのせる適当なお皿を持ってきてもらえるかな。
う、うん、わかった。
ふ〜ん、なーんか二人とも少しぎこちなくね? 昨日の夜、何かあったのかなぁ〜?
いつも以上に目尻を下げたアッキーが突然聞いてきた。
な、何もあるわけないじゃん、な、芽衣?
芽衣はキッチンを向いたまま小さく頷いた。
あっそ、じゃあオレの勘違いでいいや。隼人ぉ~、テレビつけていい?
お、おう。
返事をすると、すぐにニュースキャスターの声が聞こえてくる。
内心助かったと思いホッとした直後、近くに置いていた俺のスマホが着信音を鳴らし始めた。
あ……母親だ。ごめん、出ていい?
もちろん。早く出てあげて。
もしもし? 母さん?
あ……ちょうどテロのニュースやってる……。
アッキーのそんな声が聞こえたけど、ひとまず俺は電話に集中する。
ああ、おはよー。うん……あ、帰国の目処がついた?
えっ……?
あ、そう。良かったじゃん、運よく見つかって。
…………。
わかった。はいはい、んじゃね。
アッキー、芽衣。母さんと姉ちゃん、何とか帰ってこれる目処がついたらしい。今晩には帰ってこれるって。
へー、そうなんだ?
よかったね、隼人!
ああ、色々心配かけて悪かったな。
…………。
ん? なんだよアッキー。黙りこくっちゃって、何か考えごと?
いや……やるなぁ、おばさんたち……と思って。
何の話?
ああ、いや、べっつに?
さて、テロのニュースはやっぱ後でいいかな。オレもこっち手伝うよ。
というわけで、俺たちの共同生活は一晩で幕を下ろした。
芽衣の家のことを考えると、一晩でも申し訳ないくらいだ。
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風見鶏の館室内
芽衣ちゃん、今回は本当にありがとうね!
隼人の世話、大変だったでしょう?
ピンピンした姿で家に帰ってきた母と姉は、笑顔で真っ先に芽衣に挨拶をした。
あ、そういえば翠くんも色々手伝ってくれたんだっけ? ありがとうね!
いえいえ、オレは芽衣ちゃんの美味しいご飯食べてただけなんで。
それで、結局母さんたち、どの辺りのホテルで過ごしてたわけ? 全然影響なかったのか?
全然平気よぉ。目当てのマーケットはさすがに人は少なかったけど、仕事の収穫は十分にあったし。
慌しかったんで空港についた時に買ったお土産だけど、芽衣ちゃん、よかったら食べて。日本のお土産で悪いけど。
えっ! そんな……。
遠慮したりせず受け取ってもらえると嬉しいわ。
おばさん……はい、ありがとうございます。わざわざすみません。
姉ちゃんは近くのテーブルにお土産を広げて、芽衣はまだ少し遠慮がちだったけど、やがて笑顔で姉の隣に並んだ。
母さんもその近くで嬉しそうに様子を眺めていて……俺はその光景を見て、心底安心することができた。
(テロに巻き込まれて帰れない……って電話もらった時はさすがに驚いたけど)
(……ん?)
よく見ると、姉ちゃんの旅行バッグのそばにお土産ショップのレシートが落ちている。
(おいおい……芽衣に値段が見えたらどうするんだよ)
俺はこっそりレシートを拾ってゴミ箱に捨てようと思った。……ところが。
…………?
捨てる直前にちらりと見てしまったレシートの表面。
(お土産ショップ羽田空港店……? なんで羽田空港のレシートがこんな所に……)
(それに今チラッと見えた、俺が見たことのないあのネズミマークのハンカチは……)
(…………)
…………そういうことか。
俺はジト目になって母と姉を見つめた。
ねえ、姉ちゃん。まさかとは思うけど、そのお土産って羽田空港のお土産とかじゃあないよね?
……!!?
え?
あちゃ……。
な、何を言ってるの隼人? はは、羽田空港なんてねぇ、麻耶……?
そ、そうよ〜。私たちは海外に行ってたのよぉ。こ、これを見なさいよー!
姉ちゃんはそう言って“行きの”飛行機の半券を見せた。
それって、行きの……。
と言いかけたところに、アッキーが割って入ってきた。
まあまあ、隼人っ。みなさん無事に帰ってこれたんだから細かいことはどうでもいいじゃん。
いや、ていうか、二人は……。
オレもお前も芽衣ちゃんのおいしい料理が食えたんだし、お姉さんたちも仕事の話がぐっと進んだんだからさ。
そ、そうよ!! さっすが翠くん、いいこと言うわぁ〜!!
男は細かいことを気にしないの、ねぇ〜翠く〜ん?
姉ちゃんはアッキーの手を取って何度もぶんぶんと上げ下げした。
(なーにが、ねぇ〜だよ……!)
でも、本当にお二人ともご無事でよかったです。
……ありがとう、芽衣ちゃん……。芽衣ちゃんのお陰で安心して向こうで仕事ができたわ。
この“バカ弟”の扱いは大変だったと思うけど。
いいえ。そんなことありません。隼人…も、とっても気を遣ってくれて、すごく楽しかったです。
芽衣は恥ずかしそうに、ちらりと俺の方を見て言った。
あらあら、あなた達いつの間に名前を呼び捨てで呼ぶようになったの? ……ふ〜ん、やるじゃない、隼人クン。
ああっ、いえ、そんな……。
……大きなお世話だよ。(ちぇ、うまく話題を変えやがったな)
姉ちゃんと母さんのニヤニヤ顔は鼻につくけど、恥ずかしそうにしながらも嬉しそうにしている芽衣を見ていると、真実をあばこうという気も何だかなくなって……俺は黙ってソファにもたれたのだった。