風見鶏の館室内
今回の衣装の中に、メンズがあったのはもちろん知ってるわよね?
ここまでくれば、大体何を言いたいのか想像がつく。俺が恐る恐る頷くと、姉ちゃんは満面の笑顔で俺を見た。
なら、話が早いわ。察しがいい弟がいてよかった。
はぁ、マジですか……。(鈍いやつでも、その顔見ればわかるって……)
ため息にも似た深い息を吐き出して姉ちゃんを見ると、真剣な顔つきでこちらを見ている。
それにね、ちょっと今、流行りも入れて見ておきたいのよ。
確かにね、『シミラールック』も見ておきたいところだしね。
ちょっと待って。基本的なことで悪いんだけど、『シミラールック』って何?
姉ちゃんと母さんの呆れた視線が突き刺さる。
はぁ、これだからあんたって子は……。芽衣ちゃんは知ってるよね?
はい、大体は知ってます。簡単に言うと、素材やカラーでテイストを合わせる感じですよね。
さすが芽衣ちゃん。その通りよ。
それには二人のモデルがいないと成り立たないのよ。ということで隼人、お願いね。
言い終わると同時に、半ば強引に衣装を渡された。
……そういうことだよね。
はいはい、わかったらきびきび動く!! 時間がもったいないから早く着替えてきて。
ささ、芽衣ちゃんの衣装はこっちよ。
姉ちゃんが芽衣の背中を押すように隣の部屋へ消えていく後姿を見ながら、俺は仕方なく部屋を出た。
︙
俺が着替えて戻ってくると、芽衣一人での撮影が行われていた。
着ている服は俺と同じ素材で、上下の色が逆パターンの服だ。
(なるほどね、こういうことかぁ。ペアルックとも少し違う合わせ衣装のことなんだな)
隼人もきたわね。じゃあ、まずは二人で並んでくれる?
姉ちゃんは俺のほうを見ずに片手で指示を出した。
あら、意外と似合ってるじゃない。いい感じのカップルみたいに見えるわよ。
カ、カップル……!?
芽衣の頬がさっとピンクに染まる。
何言い出しちゃったの!?
ただの例えよ。そう見えないと逆に困るわ。じゃあ始めるわよ。
一瞬、姉ちゃんが悪そうな笑顔を見せたのは、気のせいじゃないと思う。
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ちょっと、そんなに離れて立たないでよ。もう少し近くに寄って。
指示に従って、素直に動こうとした芽衣を止めて姉ちゃんは俺を睨んだ。
ああ、芽衣ちゃんは動かなくていいのよ。
隼人、あんたが動くのよ。決まってるでしょ。女の子に動かせてどうするのよ。
どっちでもいいじゃん。指示通りになれば文句ないんでしょ。
わかってないわね。そんなことだから彼女いない歴イコール年齢になるのよ。
……余計なお世話だっつーに。
俺は横を向いて小さく呟いた。もう面倒なんで黙って姉ちゃんの指示に従うことにした。
ちょっと、なんでそんなに無表情なの。ほらほら、笑顔をちょーだい笑顔を。
服見るだけなんだから、表情は適当でいいんじゃないの?
そんなわけないでしょ! モデルが気持ちよく着こなしている写真のほうが売れるに決まってるでしょ。
だったら俺をモデルにした時点で間違いなんだってーの。
つべこべ言わない。悔しかったら自分で働いて稼いできて頂戴。
……ぐっ。またそれかよ。
姉ちゃんといつも通りの言い争いをしていると、芽衣が横でクスクスと笑いだす。
どうかした?
笑っちゃってごめん。仲良くて、楽しそうでいいなぁと思って。
どこをどう見たら、そう見えるの?
うん、芽衣ちゃんはいい笑顔だわ。もっと、隼人にもいい笑顔してもらわないと困るんだけどなぁ。
そうだ、芽衣ちゃんともっとくっつけば笑顔が伝染するんじゃない?
はぁ!? 笑顔の伝染って……、病気じゃないんだから。
そう? 恋なんて病気みたいなものよ。さっ隼人、芽衣ちゃんと肩組んで。
恋って……、なんでそういう発想になるの?
ブツブツ言わない!! やる前から諦めない! さぁ、早く!!
仕方なく、芽衣の肩に手を乗せると、芽衣の肩がピクリと動いた気がした。
あっ、ごめん。嫌だった?
ううん、そうじゃなくて。ちょっと緊張しちゃうというか。
…………!(そう言われると、なんだか俺も緊張してきた……)
よくよく考えれば、姉ちゃん以外の女子とここまで近くになるのはいつ以来だろう?
まだ表情が硬いわね……。それじゃあ、腕組んでみようか。
え、腕ですか……!?
はぁ!?
いいから、隼人、腕だして!!
そういうと、姉ちゃんはこちらに来て俺の腕と芽衣の腕をがしっと握ると、力づくで腕を組ませる。
うーん、いいじゃない! これこれ、こういうのが欲しかったのよ。
すれた高校生の『ボク達イケてます!』みたいなのじゃなくて、初々(ういうい)しい純愛高校生。
じゅ、純愛……!?
姉ちゃん、お花畑は頭の中だけにしとけよ! 芽衣がドン引きしてるじゃん!
なあ、芽衣?
気になって芽衣の方を見ると。
ううん。大丈夫だよ。少し緊張するけど、モデルだから仕方ないよ。
仕方ないって……、芽衣。
困ったように微笑む芽衣の表情に惹きつけられる。
本当にできないことはお断りするけど、そ、そんなに嫌じゃないよ、……こ、こういうの。
芽衣は組んでいる腕を見ながら、少し恥ずかしそうにそう言った。
芽衣……。
おっ、いいね。めちゃいい感じだよ〜、二人ともぉ〜。
カシャカシャとシャッターを切る音が鳴り響く。
そのうち、なんだかこの空間だけが今までの世界とは別の空間のようで。
俺も芽衣もいつしか自由にポーズを取ったりするようになっていた。
はいっ、OK!! じゃあ次は、この服にしてみようか。
(あ、もう終わり……?)
なんでそう思ったのか、自分でもよくわからないけど、それが少し残念なことのように思えた。
俺と芽衣は渡された次の衣装に着替え、姉ちゃんの指示を待つ。
もう少しだから、二人とも頑張って。じゃあ、次は手を繋いでね。
て、手を繋ぐって……!?
はい、この手と、この手をこうしてぎゅっと握ることね。
姉ちゃんは俺と芽衣の手を掴み、またもや強制的に指南してくれるが。
いや、『手を繋ぐ』の意味くらいわかるってば。そうじゃなくって……。
準備できたら手を繋いだまま、デートしてる雰囲気だしてもらっていいかな。
(おいおい、人の話し聞けよ!)大体、デートなんかしたことないからわからないよ。
……その時の姉ちゃんの残念そうな哀れむ顔が、今でも忘れられない。
わ、私も……。でも、こういうのって雰囲気だと思うから……。
偉い!! 芽衣ちゃんは人ができてる! それに比べて、うちのバカときたら……。
姉ちゃんは頭をうなだれ、既に人生が終わったかのように、大きく首を左右に振っている。
わーった、わかりました。やればいいんだよね。やればっ!
わかってくれて姉ちゃんは嬉しいよ。
万歳をしている姉ちゃんを無視して、俺は芽衣の耳元でこっそり呟いた。
姉ちゃんが無茶振りばかりしてごめん。
大丈夫だよ。麻耶さんもお仕事なわけだし。
いいねいいね。その雰囲気よ〜。恋人同士が囁(ささや)きあってる感じが出てていいねぇ〜。
余計な言葉に、また少し距離をとる俺と芽衣。
じゃあ、次いこうか。
えー、まだあるの!? もう結構疲れてるんですけど!
ちっ、仕方ないわねぇ。次で最後にしてあげるわよ。フフッ……。
そう言う姉ちゃんの不適な口元に、一抹の不安を覚えるわけだが。
最後は二人で抱き合ってみようかな。
…………はい〜っ!!?
恋人同士が楽しくて、つい抱きあっちゃう〜みたいな感じ?
そんなの、できるわけないじゃん!
そう? 芽衣ちゃんも嫌かな?
私は……えっと、私はやらせてもらえるなら、やってもいいです。
ええっ、マジで言ってんの!?
じゃ、決まりね。大丈夫。そのまま、自然と抱き合う感じでいいから。
(なんで芽衣は抵抗しないんだよ! 嫌なものは嫌って言えば……。……って、嫌じゃないのか……!?)
……でも、もし隼人が嫌がるなら、私もそれ以上は……。
芽衣が俺の意思を確認するように、ちらりとこちらを見た。
(……そうか。きっと姉ちゃんの仕事のこと考えてくれてんだな。芽衣が覚悟を見せてくれてるんだ、俺も見せないと)
芽衣、ごめんね。
俺が謝るとクスリと笑う。
フフフッ。隼人、さっきから謝ってばかり。私は全然大丈夫だよ。
芽衣が笑ってくれていることに、何となく安心する。
じゃあ、さっさと終わらせちゃうか。
……うん。
お互い笑いあった後、まだ繋いでいた手を自分のほうに引き寄せる。
自分で引き寄せておいてなんだけど、思った以上に近い距離の芽衣に、心臓がどくんと大きく跳ねた。
芽衣の匂いも体温も、全てを感じることができる距離。
よく見ると、芽衣も頬がほんのり赤くなっているようだった。
お互いに、一瞬目が合ってすぐにそらす。
な、なんか変な感じ。
そ、そうだね。私もそう思う。
このまま、芽衣を見ててもいい?
え、う、うん……。
おおっ、ひゅ〜っ!!
茶化しているだろう姉ちゃんの声が遠くに聞こえる。
……俺達は無言で見つめ合ったまま、気づいた時には互いの瞳に吸い込まれるように、自然に顔が近づいていった。
はいっ、OK!!
姉ちゃんの声に我に返ると、芽衣もハッとした表情をしている。
二人ともありがとね。いい写真が撮れたわ。
まだ抱き合っていたことを思い出した俺と芽衣は、同時に離れた。
お、お疲れさま〜。
う、うん。隼人もお疲れさま。
もう着替えていいわよ。疲れたでしょ。お茶準備しておくからね。
いつも以上にウキウキした姉ちゃんの声を背中に聞きながら、俺と芽衣はそれぞれ着替えの部屋に向かった。
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風見鶏の館室内
全く……あそこで止めるなんて、あんたも意地悪なんだから。
その場の雰囲気だけでそうなるのも、どうかと思うのよね。
あんたがそういう雰囲気作ったくせに。
まあね。それにあの子、こういうことに耐性がないから、流されるだけじゃダメよって教えてあげなきゃね。
それはそうだけど。厳しい姉を持ったばかりに、何て気の毒な子なんだろうねぇ。
随分ひどい言われようね。うふふ……。これでも、弟思いのいい姉のつもりなのに。
……あんたも、素直じゃないからね。よく似た姉と弟になったもんだ。
そりゃ、二人とも母さんの子どもですから。
それはそうと母さん、この前仕入れたあの美味しかったお茶、どこやったっけ?
ああ、確かそこの棚の上に……。じゃ、こっちもお茶の準備しようかね。
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風見鶏の館室内
俺が着替えが終わって降りて行ったときには、すでに芽衣はお茶を飲んでいた。
にこやかに話している女3人の中に自分から入っていくのは気が引けて、その辺をうろうろしていると。
何突っ立ってるの。早く座りなさいよ。
芽衣の横の空いている椅子を指さす。
座ってはみるものの、女の会話に入れるわけもなく、ただ黙って3人の話を聞いていた。
せっかくだから、よく撮れている写真、芽衣ちゃんにもあげるわね。
ありがとうございます。
本当に、芽衣ちゃん可愛いわね〜。妹にしたいくらいよ。
何かを含んだような言い方をして俺を見たが、何も気づかないフリをして黙ってカップに口をつけた。
自分から話すことはあまりなかったが、決して居心地が悪かったわけではなく、昔からの知り合いと一緒にいる感じだ。
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休憩もして、みんなの疲れが取れた頃を見計らって、タイミングよく母さんが話を切り出す。
それじゃ隼人、そろそろ芽衣ちゃんを送ってあげなさい。遅くなったら心配だし。
そうね。ちゃんと送るのよ隼人。まあちょっとくらい時間かかっても、朝までに帰ってくればいいから。
ぶはっ! どこまで送ってくんだよ!
思わず持っていたカップから紅茶を噴出しそうになった。
冗談に決まってるでしょ。なに本気にしてるのよ。
(……してねぇーし)
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風見鶏の館
芽衣と母さんが話しながら歩いている後ろを姉ちゃんとついていく。
玄関まで一緒にきた姉ちゃんが芽衣に気づかれないように、そっと俺に袋を渡した。
何、これ?
今日のお礼よ。芽衣ちゃんが一番気に入っていた服。またよろしくねって渡しておいて。
自分で渡せばいいじゃん。
っとに、どこまでもわかってない子ね。
大体、今私から渡したら、受け取らないかもしれないでしょ。
そうかな?
二人とも何してるの? 芽衣ちゃんが待っているんだから早くしなさい。
俺が玄関を出ると、芽衣が二人に深々と頭をさげた。
今日は楽しかったです。ありがとうございました。
こちらこそ、ありがとうね。また遊びにいらっしゃい。
はい。またお邪魔させてください。
俺と二人での撮影があんなだったんで、内心芽衣がどう思っていたか少し心配してたけど、その言葉と芽衣の笑顔に、俺は足取りが軽くなっていくのを感じていた。
じゃあ、近くまで送っていくよ。
ええ、悪いよ。隼人も疲れてるだろうし。
送っていかなかったら、もっと疲れることになるかもなんで。
……あっ、そ、そっか。じゃあ、送ってもらおうかな。ごめんね。
別に謝ることじゃないし。俺もそうしたいし……。
え……?
あ、誤解しないでよ。うるさい家族から少し離れたいって意味だから。
……そ、そうなんだ。
じゃ、行こうか。
俺は、うつむく芽衣の顔を覗き込むようにして少し首を傾ける。
それに促されるように、芽衣は小さく歩き始めた。
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住宅街
人通りが多い住宅街を抜けながら、俺は姉ちゃんからのお礼を渡す機会を窺っていた。
今日は姉ちゃんが無理難題ばっか押し付けちゃって、ホント悪かったな。
ううん。そんなことないよ。すごく楽しかったし。
ならいいんだけど。そんな姉ちゃんから、これ。今日のお礼だって。
お礼!? いいよ。滅多にできない経験させてもらっただけで。
受け取ってくれないと面倒くさいことになるからさぁ。もらってくれるとすごく助かるんだけど。
うーん、でも……。
俺はさ、色々あったけど芽衣がこの仕事引き受けてくれて本当によかったと思ってる。
それは私のほうだよ。声を掛けてくれて本当にありがとう。
この袋の中さ、今日の衣装で芽衣が一番気に入ってそうだったのが入ってるらしいんだ。姉ちゃん曰くだけど。
えっ……。
だから、記念にもらってくれると、俺も姉ちゃんも嬉しい。
そ、そうなんだ。そういうことなら、素直にもらっとこうかな。ありがとう。
礼なんかいいよ。あっ、そうだ。姉ちゃん達からの伝言。『何か』あったら、またよろしくって。
ふふっ。うん、いつでもお声かけてくださいって言っておいてね。
わかった。
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北野坂
それから、たわいもない話をしていると駅が近づいてきた。
今日は本当にありがとう。麻耶さんにもおばさんにもありがとうございましたって伝えておいてね。
芽衣が少し離れて、くるりと振り返ってそう言った。なんだかそれだけで、胸の奥がきゅんとする。
うん、それ、さっきも聞いた……。えと……なんだったら家まで送ろうか?
ううん、ここまでで大丈夫。あと電車乗っちゃえばすぐだから。
そっか。じゃあ、気をつけて帰ってね。
(なんだろう?)
うん、さようなら。送ってくれてありがとう。またね。
今まで感じたことのない寂しい気持ちがこみ上げてきたが、俺はそのことに気づかれないよう、笑顔で手を振った。
それは心にぽっかり穴があいたようなとても切ない気持ちだったけれど、その正体がわかる姉ちゃん達の次の『何か』は、意外とすぐにやってきたのだった。