北野異人館旧レイン邸
~9話~

ー病院病室ー

七海

お母さん、体調はどう?

零弐

こんにちは。お加減はいかがですか?

翌日、私は零弐と一緒にお母さんのお見舞いに病院に行っていた。

七海の母

あら。2人で登場だなんて、ついに解禁になったのね。

お母さんは、にっこりと笑顔を浮かべ、私と零弐を等分に見つめた。

零弐

この間は突然来てしまってすみませんでした。

七海の母

ふふ。全然。こうして2人でお見舞いに来てくれて本当に嬉しいわ。さあ、座ってちょうだい。

七海

(お母さん、何だか今日は元気そう。やっぱりお母さんが調子良さそうだとほっとするな……)

零弐と会話するお母さんは、ここ数日の中で一番顔色がいいように思えた。

零弐

元気そうでほっとしました。

七海の母

今日はちょっと気分がいいのよ。色々と安心したのもあるかしら。

お母さんがくすっと笑って私の方を見る。

七海

(もしかしてお母さんに、零弐と上手く話せなくなってたことバレてたのかも)

私がお母さんに、言葉を返そうとしたその時。

大崎

ああ、七海さんが来てたんだね。ちょうどよかった。今、少し時間いいかな?

病室を覗きこんだ大崎先生に手招きをされて、私と零弐は病室の扉の方に向かった。

大崎

ちょっと大事な相談事が七海さんにあるんだけど。

先生は口元に、柔らかい笑みを浮かべているけれど、目は真剣な気がした。

七海

(……どうしよう)

先生の話が怖くて、ふと視線を上げると心配そうに私を見つめている零弐の視線とぶつかった。

七海

あの……零弐。

零弐

うん。

七海

もし嫌じゃなかったら、零弐も一緒に話、聞いてもらえないかな。

私の言葉に零弐が少しびっくりしたような顔をする。

零弐

……オレが一緒に聞いても大丈夫なの?

七海

うん。一人で聞くのやっぱり不安なの。

七海

零弐にも一緒に聞いてもらえたら、落ち着いて先生の話、聞けそうだから。

零弐

……わかった。じゃあオレも一緒に行くよ。

ー病院廊下ー

大崎

お母さんの病気の話なんだけど。

七海

はい。

思わず声が震える私の背中を、零弐がそっと安心させるように触れてくれる。

大崎

今回の発作に関しては、幸い大きな問題は起こらずに処置できたけれど、
次の発作が起きれば、かなり危険な状態まで悪化するだろうと思う。

先生の言葉に、発作を起こした時の恐怖感を再び思い出してしまう。

七海

あの、発作が起きないようにすることってできないんですか?

そう聞きながら、思わず握りしめた手が震えていた。

大崎

……このままでは、近いうちにまた発作が起きる可能性が高いんだ。

大崎

でも、手術をすれば大幅な回復が見込める。

大崎

ただ、体に負担のかかるこの手術には相応のリスクもかかってくる。

七海

リスクって……。

大崎

手術中の状況次第では、最悪命にかかわることもありえます。

大崎

ただ、このまま次の発作が起こるのを待つよりは、医師としては手術を勧めます。

零弐

執刀は誰がするんだ?

動揺している私の代わりに、零弐が先生に聞いてくれた。

大崎

俺が執刀するよ。

零弐

そうか。

零弐

七海。これは大事なことだし、お母さんの考えもあると思う。

七海

……うん。

零弐の落ち着いた声を聞いているうちに、私も少し冷静さを取り戻してくる。

それに背中に触れている零弐の手が、不安だらけの私に『大丈夫』って言ってくれている気がした。

七海

あの……先生。正直私はそのリスクがすごく怖いんです。でも次の発作が起きるのもすごく怖い。

七海

だから、お母さんとちゃんと相談してから返事させてもらってもいいですか?

私の言葉に先生は、『もちろんお母さんと2人でしっかり相談して決めて欲しい』と答えてくれた。

ー病院病室ー

話を終えて病室に戻ると、私はお母さんに先生から聞いた手術のことを伝えた。

七海

先生はお母さんと相談して決めたらいいって言ってくれたんだけど、お母さんはどう思う?

お母さんとの話し合いにも付き合って欲しいと私がお願いしたので、零弐は隣で話を聞いてくれていた。

七海の母

そうねえ……。私としては、悔いが残らないように頑張りたいし、あの先生のことも信頼しているわ。

七海の母

しかも、零弐さんの知り合いなら信用もできるし。

零弐

──あの、大崎のこと、そんなに信頼しているんですか?

ふと零弐が真剣な顔をして、お母さんに尋ねる。

七海の母

もちろんしてるわよ。いつでも真剣に私の病気を良くしたいって思ってくれているのがわかるから。

零弐

……そう、ですよね。ちゃんとそういう思いは、患者さんにも伝わっているんですね……。

零弐はなんだかほっとしたように笑みを浮かべている。

七海の母

ええ。だから私にとっては、病気と一緒に戦う戦友みたいな感じかしら?

お母さんはそう言うと、にっこりと笑った。

七海の母

だから、手術をして、万が一のことが起こってしまったとしても、
それは大崎先生や、他の医療スタッフの皆さんが全力で治療してくれた結果だと受け入れたいと思うわ。

七海

(お母さんは手術に踏み切る覚悟があるんだ……)

七海

じゃあお母さんは手術はしたいって思ってるんだね。

私の言葉に、お母さんは笑顔で頷いた。

七海の母

もちろん。ちゃんと元気になって、長生きして七海の結婚式に出て、孫の世話までみないといけないんだから。

お母さんはそういたずらっぽく言うと私たちの方を見て、瞳を細めて笑う。

七海

お、お母さん……。

何だか、からかわれているような気がするのと隣の零弐を意識して焦ってしまう。

でも、お母さんが私の将来のことも考えて手術を決意してくれているのがわかってとても嬉しかった。

ー病院廊下ー

その後、零弐と一緒にお母さんの手術の意思を先生に告げると、それがいいと選択を支持してくれた。

そして、手術をするならできるだけ早い方がいいと日程についてもその場で進んでいった。

零弐

じゃあ、七海もお母さんも、手術の日程はその日で構わないの?

零弐は私の表情を確認するようにしてそう尋ねる。

七海

うん。お母さんは先生を信頼してるって言ってたから。

七海

先生、お母さんのことをよろしくお願いします。

私はそう言うと深々と頭を下げた。

零弐

大崎。オレからも、七海のお母さんのことをよろしく頼む。

大崎

ああ、わかった。お前の彼女の母親は必ず俺が助けるから、大舟に乗ったつもりで待っててくれよ。

零弐の言葉に、先生は真面目な顔をして答える。

七海

……え?

七海

(今、私を零弐の彼女って言ったよね)

私はびっくりして零弐の顔を見上げると零弐は微かに目元を染めていた。

だけど否定したりしないで、かわりにふっと口元を緩めて答える。

零弐

うん、ありがとう。お前なら大丈夫だって、オレも信頼してる。

七海

(零弐も……私のこと、彼女って言われたのに否定しなかったよね……? それって……)

そこまで考えて、思考回路が停止する。かわりにじわじわと、全身の熱がこみ上げてくる感覚に気づいてしまう。

七海

(すごく嬉しい気がするのは……どうしてなんだろう……)

その熱はふわふわと私の心を温かくしてくれた。赤い頬を感じながら、自然と唇に小さな笑みが浮かぶ。

ーレイン邸室内ー

私たちはその後、零弐の家に戻って来ていた。

ニーヤ

ニャーニャー。

いつの間にか夕飯の時間になっていて、ニーヤたちの声でリビングはとても賑やかだ。

七海

零弐、今日はいろいろありがとう。

零弐

いや。オレなんかが話し合いの場にいても良かったのか少し心配だったけど。

そう言いながら零弐はニーヤたちにご飯をやると、嬉しそうに集まってくる様子を見ている。

私もすっかり見慣れたその光景を、零弐の隣でソファーに座りながらぼんやりと眺めていた。

七海

零弐がいてくれて本当によかった。お母さんにも一番いい選択ができたと思う。

零弐

……それならよかった。

零弐の柔らかい声を聞いていると、自然に心が落ち着いていく。

七海

そういえば、こないだ怪我したニーヤはだいぶ良くなった?

零弐

うん、あそこでエサ食べてる。もうすっかり元気。

他の子たちと一緒に、元気よくご飯を食べているニーヤを見てほっとした。

七海

よかった〜! ちゃんと治ってくれて。

七海

できればニーヤたちには、あの危ない道はもう通らないで欲しいんだけどね

零弐

あそこは元々事故が多い場所だし、猫も巻き込まれやすそうなんだよな。

七海

そうだよね……。何とか通らなくなる方法ってないのかな?

ニーヤ

ウミャ?

私が最初に助けたニーヤが、足元にすり寄ってくる。

つられてその場に座り込んだ私は、その額をそっと撫でてあげた。

ニーヤ

ニャーン。

すると、ニーヤは手に顔を擦りつけるようにして気持ちよさそうに目を閉じた。

七海

ふふ。かわいいね。ホント、心配だからもう二度と事故にあわないように気をつけてね。

ニーヤ

ニャーン!

やっぱりニーヤはいつも通り調子よく返事をしてくれる。

零弐

そうだな……。猫の忌避剤とかを置いたら、あいつらあの道は通らなくなるかもしれないな。

零弐はそう言うと、私とニーヤの顔を見比べながら呟く。

七海

そっか! もっと安全な所を通ってくれたら安心だもんね。

そう言うと、にっこりと零弐が笑みを浮かべ、私が抱いているニーヤの頭を優しく撫でた。

零弐

そうだよな。できることは何でもして、大事なものをちゃんと守らないとね。

零弐はニーヤを撫でていた手を私の頭に伸ばして、ニーヤを撫でる延長のように優しく髪を撫でた。

七海

──っ……。

零弐は深く考えて撫でたわけじゃないようで、それが少し悔しかった。

それでもトクトクと、嬉しいだけじゃおさまらない鼓動が胸を甘く揺らす。

守りたい大事なものの一つが私であるみたいに、柔らかく撫でてくれる零弐の指がすごく嬉しい。

私はじわりと頬を染める熱を感じながら、機嫌のいい猫のように、その心地よさに瞳を細めたのだった。