洋館長屋
~8話~

【==== 洋館長屋店内 ====】

莉子

よかったら……

莉子

そのサイト作り、私に手伝わせていただけませんか?

優紀

……えっ。

優紀

えっと……莉子さんがうちのサイトを、ですか?

莉子

は、はい。

莉子

もちろん、ご迷惑だったり、お店の機密に関わることがなければ……ですけど。

莉子

私が勤めている会社はアパレルメーカーなんですが、実は私、そこでお客さまに向けたサイトやブログの更新とかもお手伝いしてるんです。

莉子

とはいっても画像や文章自体を用意するのは別の方ですし、特別に高度なことができるわけでもないんですけど……。

莉子

でも、そのサイトを更新するシステムが、優紀さんがいま使っているのと同じものなんです。

莉子

それなら私も使い方がわかってますし、何かお力になれるかなと思いまして……。

優紀

そ、そうだったんですね。……でも……。

優紀

ありがとうございます。お気遣いいただいたのはすごく嬉しいです。

優紀

ですが、お客さまの莉子さんにそこまでしてもらうわけには……。

莉子

すみませんっ、急にこんなこと言って、びっくりされましたよね。

莉子

だけどこれは、その……お礼の気持ちなんです。

優紀

……え……?

莉子

……初めてここに来た日、優紀さんは具合の悪い私に声をかけて、お店で休ませてくれましたよね。

莉子

それだけじゃない。その後も、たくさん親身になってくれて、涼太のことにも気が付いてくれた。

莉子

お父さまだってそうです。涼太の時計をずっと取っておいてくれて……。

莉子

私……それにすごく感謝してるんです。

優紀

そんな……。そんなことは、全然……。

優紀

莉子さん、それは当然のことをしただけで……。

莉子

優紀さんにとってはそうなのかもしれなくても……。

莉子

でも、違うんです。

莉子

私にとっては、すごく大きな出来事でした。

優紀

…………。

優紀

……そう、ですか。

優紀

ただ普通のこととしてやっていたつもりでしたが、そんなふうにあなたに……。

優紀

私でも……誰かの役に立つことができていたんですね。

優紀

気付かせてくれて、ありがとうございます。莉子さん。

優紀

……それに、サイトのことも。

優紀

お言葉に甘えて、本当にお手伝いいただいてもよろしいですか?

莉子

は、はいっ……! 困ったことがあれば、何でも聞いてください。

優紀

ありがとうございます……すごく助かります。

優紀

もちろん、技術料はきちんとお支払いしますからね。

莉子

……えっ。

莉子

(技術料って……)

優紀

作るのは急いでませんし……時間のある時だけのお手伝いにして、無理はなさらないでください。

莉子

あ、あの、優紀さん!

莉子

ダメですよ! 私、お金なんて受け取れません!

莉子

お礼のつもりなんですから、そんなお代なんて……。

優紀

……お気持ちは嬉しいですけど、やはりお客さま相手のものですから。

優紀

利益が出るものに、無償で働いてもらうというわけにはいきませんよ。

莉子

……あ……。

莉子

(確かに、そうだよね。お店のサイトなんだもん)

莉子

(それに、そうじゃなくたって、何もしないのは優紀さんも気が咎めるだろうし……)

莉子

(でも、だからといって私はプロでも、お金がもらえるようなすごいことができるわけでもないから……)

優紀

…………。

優紀

……じゃあ、莉子さん。こういうのはどうでしょうか?

莉子

え……?

優紀

莉子さんにはホームページを無料で手伝っていただく。

優紀

その代わり、私は時計の代金を勉強させていただくというのは。

莉子

(あ……!)

優紀

難しいデザインを注文しても、どんな素材を使ってくださっても結構ですよ。サービスさせていただきますから。

莉子

(確かに……それならお互いさまって感じがして……)

莉子

はい! そういうのなら、ぜひ……!

頷くと、ボーンと、大きな鐘の音がひとつ店の中に鳴り響いた。
13時を知らせる時計の音だ。

莉子

あ……もう、こんな時間。

莉子

お店も閉まる時間ですよね。ごめんなさい、私も会社に戻らないと。

優紀

お仕事の途中だったんですか! すみません、長くお時間を頂いてしまって……。

莉子

私こそ、慌ただしくすみません。また伺いますね。

そうドアへと手を伸ばした瞬間、優紀さんの「あっ」という声が私を引き止めた。

優紀

それなら莉子さん、何か用事があってこちらに来られたんじゃ……。

そうだ。大事なことを忘れていた。

振り返って、彼の方へ向き直る。

莉子

時計のモチーフ、やっぱり『青い鳥』にしようって決めたんです。

莉子

優紀さん、原作のことを教えてくださってありがとうございました。すごく面白かったです!

そうして、今度こそ外に向かってドアを潜り抜けた。
優紀さんが嬉しそうに笑う姿をちゃんとこの目に焼き付けてから。

それから――

【==== 洋館長屋店内 ====】

莉子

えっと、こういう案はどうでしょう?

莉子

いきなりホームページから作るより、ブログから始めて、慣れていくっていうのは……。

優紀

へえ……ブログもいいですね。確かに簡単なところから始めれば、覚えも早そうですし。

私はというと、時間を見つけて、よく優紀さんのお店に顔を出すようになった。

優紀

モチーフの『青い鳥』ですけど、どんなふうに表現したいかで、デザインも変わってくると思うんです。たとえば……。

莉子

わあ、こんなにアイデアを出してくれたんですか……!

サイトのことで相談しあったり、時計のデザインについて話したり。

【==== 洋館長屋店内 ====】

優紀

……では、莉子さんの時計はこの機械式の自動巻きで作らせていただくということで、よろしいですか?

莉子

はい、よろしくお願いします!

今日は、時計を動かす内部……ムーブメントを何にするか決めたところだった。

莉子

(できるだけ長く使いたいって伝えたら、優紀さんが勧めてくれたんだよね)

機械式は昔からある電池のいらない時計で、100年経っても動いてる物もあるくらい長持ちだそうだ。

ただ、いま市場で一般的な電池で動くクオーツ式に比べると、とても繊細にできているらしく。
その上、ゼンマイを巻いてあげないと止まってしまったり、時間の誤差もできてしまうという。

涼太の時計はクオーツ式だったので、それは正確さや頑丈さを重視していた彼らしい選択だと思えた。

莉子

(だけど、そういう手のかかるところも私は魅力的に感じたんだよね)

莉子

(優紀さんじゃないけど、時の重みを感じられるっていうか。……それに)

莉子

つけている人の動きで自動的にゼンマイが巻き上がるって、なんだかかわいいですよね。

莉子

私の動きが伝わって動いてるんだって、愛着がわいてきて……。

優紀

わかりますか!

優紀

そうなんですよね。かかる手間が愛らしくて……。愛情をかけた分だけ返ってくるというか。

優紀

その上、機械式の構造はまるで宇宙のようで……って。

優紀

……すみません。こんな話はつまらないですよね。

莉子

いいえ。優紀さんのお話、とても楽しいですよ。

莉子

この間、ブログで紹介したマリー・アントワネットの時計の話もお客さまの反応がすごくよかったですよね!

莉子

サイトでもそういう、このお店で売っている時計のことだけじゃなく、優紀さんが好きな時計を紹介というか、コラムというか……そんなコーナーを作ったら、皆さんに楽しんで見てもらえると思うんです。

優紀

わ、私のコラム……ですか?

莉子

あっ、優紀さんの負担が増えてしまうので、全然無理にとかじゃないんですが……。

優紀

いえ……。でも、私は文才とかないから、面白く書けるかなぁって。

優紀

だけど私、オタク気質だから語りたがりだし……。う~ん。

莉子

私は読みたいですよ。

優紀

うう、調子に乗ってしまいそうな自分が怖い……。

莉子

あはは、今すぐに決めなくてもいいので、考えてみてもらえると嬉しいです。

莉子

(よかった。ブログも上手く行ってるし、優紀さんにも楽しんで更新してもらえてるようで)

莉子

(自分でも、お店のサイトを作ることがこんなに楽しいと思わなかったな)

莉子

(こういうふうに、何かに熱中できるのも久しぶりだし……)

それに、着々となにかができあがっていくことにも、わくわくとしていたんだと思う。

莉子の部屋

莉子の母

莉子ー。莉子ー。

莉子の母

今日は英語の教室に行く日じゃなかったのー!

莉子

……!

莉子

そう! そうだった! 教えてくれてありがとう!

部屋の外から呼びかけてくれた母に慌ててパソコンを閉じる。

莉子

(いけない。ついついお店のブログをチェックしてたら、時間を忘れちゃった)

莉子

(……でも、サイトの公開を楽しみにしてるってコメントも増えてきて、嬉しかったな)

さっきまで見ていた内容を思い出して、自然と口角が上がる。

――そう。もうあと少ししたら、サイトが公開できるのだ。

莉子

(私の時計もあとちょっとで完成するって優紀さんが言ってたし。楽しみ……!)

莉子の母

……莉子、顔がニヤついてるわよ。

莉子

わっ! びっくりした。いつから覗いてたの。

莉子の母

パソコンを閉じたあたりから。

莉子の母

今日は夕飯がいる日? それとも、いらない日かしら?

莉子

あ、ごめん! 伝え忘れてたかな。

莉子

今日はね、終わった後に本屋さんに寄りたいから、夕飯は大丈夫だよ。

莉子

色々調べたいことがあって……。サイトについての本とか、仕事に関するものとか、後は英語のテキストでしょ。

莉子

授業も聞きたいことがあるから、もしかしたら長引くかもだし……。

莉子

結構遅くなりそうだから、外で食べてきちゃうね。

莉子の母

……うん、いってらっしゃい。

母の送り出す声が嬉しそうで、私の気持ちも明るいものになる。

北野坂

その気持ちのまま、英語の教室と本屋にいった私の帰りは、すっかりと遅くなっていた。

莉子

(う……すごく重い)

その上、買い揃えた英語教本の重みに腕が悲鳴をあげる。

莉子

(さすがに欲張りすぎたかな……。ちょっと荷物を下ろして、ひと休みしよう……)

そう、ひと息ついた瞬間――
ふと、街灯の下に立っているふたつの人影に目がいった。

莉子

ん……?

莉子

(あれって……優紀さん?)

莉子

(誰かと一緒みたいだけど……)

車道を挟んだ先に優紀さんがいる。
背の高い男性と、立ち止まってなにやら話をしているようだった。

莉子

(……離れている上に暗いし、さすがにこっちには気がつかないかな?)

莉子

(話の邪魔をするのも何だし、今度会った時に見かけましたよって伝えさせてもらおう)

そう通り過ぎようとしたけど……

莉子

(あれ……)

莉子

(でも、私……あの人を知っている気がする……)

妙に一緒にいる男性が気になって、また足を止めた。

莉子

(どこでだろう。どこかで……)

莉子

(あ……!)

莉子

(そうだ……お医者さんだ。前に大学病院で診てもらった時の)

風邪がちょっと長引いたので病院に行った時、担当してくれた先生だった。
優紀さんと同じハーフで、外国人顔なのに日本語は流暢な。

莉子

(そうだ。すごく親切だったし、後で周りからもいい評判を聞いたから、印象が強かったんだよね)

莉子

(……でも)

莉子

(どうしてお医者さんと?)

莉子

(…………)

莉子

(……多分私みたいに、優紀さんもちょっとした風邪であのお医者さんに診てもらったとかかな)

莉子

(いやもしかしたら、先生の方が優紀さんの……時計店のお客さんなのかも)

莉子

(うん、きっとそうだよ)

次、優紀さんに会った時に、見かけたことと先生のことを聞いてみよう。
そんなふうに思いながら、私はその場を離れたのだった。

北野坂

そして、しばらく後の、ある土曜日――
優紀さんからの連絡では、今日時計が出来上がるとのことだったので、私は彼のお店へ向かっていた。

莉子

(パーツはいくつか見せてもらっていたけど、全体を見るのは今日が初めてだから……)

莉子

(どんな『青い鳥』が私を迎えてくれるんだろう)

……あの日からも何度か優紀さんとは会っていたけど、私はお医者さんとのことを聞きそびれていた。
プライベートなことだから不躾に踏み入るのもどうかと思っていたし、何より、優紀さんは特に今までと変わった様子もなく、普通に元気そうだったから。

だから……私はのんきな気持ちで、足取りを弾ませていた。

【==== 洋館長屋店内 ====】

莉子

こんにちは、優紀さん。

ドアを開ける動きも、声も、自然と弾んでしまう。

……けれども、返ってくるはずの声が今日は聞こえてこなかった。

莉子

……あれ?

すぐに以前のようにカウンターへと視線を向けた。
だけど、彼の姿は見えない。

莉子

(……優紀さん、あの時みたいに、作業に夢中になっているのかな?)

莉子

(でも……奥から作業してるような音も聞こえてこないし……)

驚くほどお店の中は静まり返っていた。
いつもなら優しく響く時計の針の音も潜めているように感じられるくらい。

莉子

(午後の開店時間すぐ後だから、お客さんがいないのはわかるけど……)

莉子

(1人のお店なのに、鍵もかけずに外出中ってことはないよね?)

莉子

(なんだろう……この違和感……)

莉子

優紀さん……?

カウンターの前を横切った時、ふと、嗅ぎなれた匂いが鼻をくすぐった。

莉子

(……コーヒー……)

いつもはリラックスできるその香りが、何故か嫌な音で心臓を跳ねさせる。

莉子

(カウンターから? お店の中だけど、ちょっと覗かせてもら――)

莉子

――っ!

さあっと血の気を失った。
こぼれたコーヒーと、割れて床に散乱したカップ。

莉子

……ぁ……。

莉子

優紀さんっ……!!!

うつ伏せになった姿で、まるでその顔を隠すように―― 優紀さんがカウンターの中で倒れていた。