【==== 洋館長屋店内 ====】
青い鳥って、最後に逃げてしまうんですか……!?
(せっかく幸せをつかんだのに……!)
優紀さんから聞かせてもらった、『青い鳥』の結末に……私はつい、大きな声を上げてしまっていた。
……やっぱり、驚かれますねよ。
おっしゃるとおり、最後に青い鳥はいなくなってしまうんです。
今多くの人が知っている『青い鳥』のお話は子供向けにリライトされたものなのですが、原作はこのラストの他にもシビアな部分を感じさせる、解釈の難しい哲学的な内容なんです。
人によっては「本当の幸せは手に入らない」とか、「幸せは捕まえても、いつか必ず逃げてしまう」とか……。
悲観的な方向に捉える方もいるようですね。
……そう……なんですか……。
あ……! だからといって、私は「幸せはそばにある」という童話の方を否定したいわけではないんですよ!
それに、世界的にも『青い鳥』は幸せの象徴とされてますからね。
……ただ、日本で『青い鳥』といえば、このお話のことでしょうし、原作を読むと、人によっては「青い鳥といえば幸せ」と思えないかもしれませんから。
莉子さんが後から内容を知って、もし、そんなふうに感じられたらと思いまして……。
(それで……わざわざ教えてくれたんだ)
……ありがとうございます、優紀さん。
…………。……いいえ。こちらこそ、水を差してしまい、すみませんでした。
実は……子どもの頃、私はこの『青い鳥』の童話がすごく好きだったんですよね。
そんなこともあって、小学生の時、フランスの祖父母の家へ行った際に、母がこの原書を買ってくれたんです。
私は、その時にすごく驚いたものでしたから。
だけどどのシーンも、台詞ひとつひとつが読んでいる人に問いかけているように感じたんです。
これってどういう意味なんだろう? これってこういうことを言っているのかなって、考えるのが楽しくて。
ですから、『青い鳥』はとても素敵なモチーフだと思いますよ。莉子さん。
…………そうだったんですね。
(意外な終わりに、さすがにびっくりはしたけど、でも……)
優紀さんの口調に無理な慰めや取り繕いがないおかげか、思っていたのと違う結末に落胆してしまう、というような気持ちではなかった。
それより、むしろ……
……優紀さん。
その……私も、原作を読んでみます。
有名な本ですから、きっと和訳も出てるはずですよね。
ちゃんと読んで理解してから、自分のモチーフにするか、しっかりと考えてみたいんです。
……そうですね。それは、とてもいいと思います。
もちろん、他のものをモチーフにしてくださっても構いませんし、莉子さんの好きなものを選んでみてくださいね。
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北野坂
ありがとうございましたー。
優紀さんのお店からの帰り道。
何軒か回った先の本屋で求めるものを見つけ、私はつい急きそうになる足取りで自宅へ向かう。
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莉子の部屋
自室の扉を閉めて、小さく吐息をこぼして。
本屋の袋から、そっと文庫サイズの『青い鳥』を取り出し、ベッドに腰かけた。
真新しい紙の匂いに包まれて、100年以上昔に書かれた物語がここにある。
涼太からのメッセージカードをふと思い出しながら――
時を越えて届いた手紙を開くように、私は最初のページをめくった。
物語の始まりは、クリスマスイブの夜。
主人公のチルチル、その妹のミチルのもとを、仙女ベリリュンヌが訪れる。
仙女ベリリュンヌ『さあ、この帽子のダイヤモンドを回してごらん。そうすれば目がよく見えるようになるからね。』
真実が見えるという帽子を渡して、病気の自分の娘のために、青い鳥を探せと兄妹に言うベリリュンヌ。
言われた通りにチルチルが帽子を被ってダイヤを回すと、辺りは一変する。
仙女は美しいお姫さまに、質素なチルチル達の家は立派で豪華に。
そして「光」「パン」「水」「ミルク」「砂糖」「飼い犬のチロー」「飼い猫のチレット」の精が人のような姿を取り、青い鳥を探す旅に出る、チルチルとミチルのお供をすることになったのだった。
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チルチルとミチルは、最初に『思い出の国』を訪れる。
そこでふたりは、亡くなった祖父母や弟妹たちに出会った。
おばあさん『私達はいつもここにいて、時々生きている人達が訪ねてくるのを待っているんだよ。』
おじいさん『そう。お前達が私達のことを考えて、思い出してくれたなら、私達はいつでも目を覚まして、再び会うことができるんだ。』
(………………)
『思い出の国』で早速チルチル達は青い鳥を見つけたけれど、そこを出た途端、鳥は黒くなってしまう。
次に彼らは『夜の宮殿』でも青い鳥をたくさん捕まえるものの、その鳥達は陽の光の中では生きていられず、すぐに死んでしまった。
次は森を訪れるチルチル達。
木々の王であるカシワの木の肩に、青い鳥が止まっていたけど……
カシワの木『知っているぞ、お前達は青い鳥を探している。大いなる秘密、人が幸せになるための秘密……。』
カシワの木『それは私達を、いっそうみじめな人間の奴隷へと貶めるものだ!』
木々や森の動物達は、これまで人間にひどい仕打ちをされたと襲いかかってくる。
「犬」と「光」がやってきて助けてくれるものの……結局、森の青い鳥も手に入らなかった。
その後、『墓地』や『しあわせ達の庭園』へも探しに行ったけど、青い鳥は見つからない。
最後に、青で統一された『未来の国』を訪れるチルチル達。
そこではこれから生まれる子供達が、自分の番が来るのを待っていた。
子供達は手ぶらで地上へ行く事は許されず、「何か」を持っていかなければいけないらしい。
子ども『こんにちは、チルチル、ミチル! 僕は来年、君達の弟になるんだよ。』
チルチル『何だって? じゃあ、君も何かを持って僕達のところへ来るの?』
子ども『3つの病気を持っていくんだ。猩紅熱に、はしかに、百日咳。その後はまたお別れなんだよ。』
チルチル『それじゃ、わざわざ来ない方がいいだろう!』
子ども『僕達に選択肢があると思う?』
大きな扉が左右に開く。今日生まれる子供達が出発する時間になったのだ。
「時」の老人が現れ、出発を嫌がる恋人同士の子供達を引き離す。
男の子『僕、生まれない方がいいんだ! この子が生まれてくる時に、僕はもう向こうにいないんだ……!』
女の子『二度とこの人に会えなくなってしまうわ!』
時『私には関係のないことだ。来い。』
時『死ぬためにではなく、生きるために。さあ、来るんだ!』
子供達が出発し終わった後、「時」に気付かれ、チルチル達は『未来の国』から逃げ出す。
――チルチル達が旅に出てからちょうど1年。
母の声で眠りから目を覚ましたチルチルたちは、今までの出来事がすべて一夜の夢だったと知るのだ。
しかし旅の中で帽子のダイヤを回し、『本当のこと』をたくさん見てきたチルチルの目には、いまは身の回りの些細なことも美しく感じ、とても満たされた気分だった。
そして……そこには青い鳥がいた。チルチルが飼っていたキジバトが青くなっていることに彼は気付く。
隣家のおばさん『病気の娘が、あの鳥を欲しがっているんだ。チルチル、譲ってくれないかい?』
快く青い鳥を隣家のおばさんに渡すチルチル。しばらくすると、おばさんと鳥籠を抱えた娘がやってくる。
青い鳥を渡した途端、娘は奇跡のようにすっかり元気になったらしい。
それから……
(……それから……後は、優紀さんが教えてくれた通りだ)
チルチルと隣家の娘が話している隙をついて、青い鳥は逃げていってしまう。
チルチル『何でもないことだよ……泣かなくていいよ……。僕がまた、捕まえるから。』
そう女の子を慰め、幕が閉まる直前、チルチルは観客に向かって語りかける。
チルチル『どなたか、もしあの鳥を見つけたら、僕達に返してもらえませんか。』
チルチル『僕達がいつか幸せになるために、あの鳥が必要ですから……。』
(………………)
しばらくは何もできなかった。
ただ、本を膝に開いたまま、ぼんやりと宙を見て、物語を思い返す。
仙女ベリリュンヌ『どの石も同じだよ。全て宝石なんだ。それなのに人間は、そのうちの少ししか目に入らないんだからね。』
猫『私達の秘密が大変なんです! 彼らが本物の青い鳥を手に入れたら……私達は消え去るしかありません!』
幸せ『僕達に一度も会ったことがないだって! でもねぇチルチル、僕達はいつだって君の周りにいるんだよ!』
母の愛『子供を愛していれば、全ての母親は豊かなの。母親に、貧しいものや醜いものなんてひとりもいないのよ……。』
光『青い鳥なんていないと思わなくてはならないのね。それか、籠に入れると色が変わってしまうものだと……。』
チルチル『もっと青い鳥も見たんだ。でも、本当に青いのは捕まらないんだよ――』
(………………)
(……確かに、私が何となく思っていたような、単純ないい話じゃなかったな)
(そもそも抽象的なシーンや台詞も多くて、意味を理解しきれてるとはとても言えないし)
(……でも……)
少なくとも、人は幸せになれないとか、そういうことを言いたいんじゃないと……私は思った。
(だって、亡くなった人が暮らす『思い出の国』は、とても穏やかだったもの)
(チルチル達が訪れた『墓地』にも恐ろしい幽霊なんかいなくて、ダイヤを回せば美しい花園に変わった)
(「母の愛」がもっとも純粋な喜びとして描かれていて、子供達が自分の生まれる時を待つ『未来の国』は、青い鳥と同じ、深いブルーに染まっていた……)
生まれてきても、すぐに病気で亡くなってしまう運命の、チルチルの弟。
恋人と離れるくらいなら生まれたくないと叫ぶ男の子。
寿命を全うできずに、不意の事故や病気で亡くなってしまう人は可哀想で不幸なんだろうか。
大事な人との別れを経験するくらいなら、生まれない方が幸せだったんだろうか。
(……違うと思う。私は、そう思いたい)
世の中は綺麗事だけじゃないし、つらいこともたくさんあるのは理解していなくちゃいけないけど、それでもこの世に生まれることや生きていくことは喜びに満ちたもので、それに気付ければ幸せになれる。
そしていつかやってくる、避けられない死でさえも、恐れ怯えるものではないんだよ……
そう言ってもらえているような気がした。
(それにチルチルも、青い鳥が逃げてしまった後に言ってた)
(何でもないことだよ、泣かなくていいよ、また捕まえてあげる……って)
生きていれば、幸せが指からすり抜けてしまったり、幸せを幸せだと気付けなくなってしまう時もあると思う。
(だけど、また捕まえようと歩き出すことは、誰にだってできるんだよね……)
(…………うん)
(やっぱり……時計のモチーフは『青い鳥』にしたい)
正直、まだ幸せになるために、積極的になにかをしたいという気にはなってはいないけど……。
だけど、生きていくことも、生きて幸せになることを諦めているわけでもないから……。
(幸せになろうと……前に進み続けるために)
腕につけた『青い鳥』を見て、この気持ちを見失うことがないように。
そう心に決めて……私は、そっと本を閉じていた。
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【==== 洋館長屋店内 ====】
ありがとうございました。どうぞ、お気をつけてお帰りくださいね。
お客さまが帰っていく姿を見届けて、私は『CLOSE』と書かれたプレートに手をかける。
すると、閉じたばかりの扉がまた向こう側から開いた。
あ……父さん!
ああ。どうだ、店のほうは。頑張っているか。
父さんほどじゃないと思いますけど、でも、できる限りは。
なら、上出来だ。この後母さんも連れて、食事にでも行かないか。最近作った時計も持っておいで。
父さんに見せるのはいつも緊張するな……。でも、わかりました。
あと少しで店も片づきますから、ちょっと待っていてください。
ああ。……ん? これは……。
懐かしい……『青い鳥』か。母さんがやった本だな。
…………。
優紀。体は大丈夫か?
え……。
……ええ、大丈夫ですよ、父さん。
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オフィス
りーこさん、お疲れさまです。コーヒーでもいかがですか?
わあ……ありがとう!
カップを受け取る時、同僚の指先がちらりと視界に入る。
あ……。そのネイル、可愛いね。
えっ……。
何の気なしに言うと、彼女はちょっとびっくりした後に頬を緩めてはにかんだ。
えへへ。ありがとうございます~。お洒落な莉子さんに褒められると嬉しいなぁ。
自分の席に戻っていく彼女を見送りながら、私は不思議な気分だった。
自分のしたことで誰かが笑顔になってくれるのは、こんなにも嬉しいことだっただろうか。
コーヒーの温かさも、他の人が作業をしている物音も、近くの窓から見える空の青さも、何だかとても美しく、素敵なもののように思えた。
でもそれは私に見えていなかっただけで、最初から変わらずそこにあったのだろう。
(いつかここを辞めて、英語を活かした仕事をって考えてはいたけど……)
(それでも……この一日一日も、大切にしていきたいな……)
淹れてもらったコーヒーを、綻んだ口に含む。
心まで温かくなるのを感じながら、私は目の前の仕事を再開したのだった。
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北野坂
そして、その日の昼休憩――
ランチのお店、空いててよかったですね!
ほんとに。しかも美味しかったよね。また行こう。
ぜひ……! あ、まだ戻るまでだいぶ時間がありますよね。わたし、ちょっと本屋に寄っていきます~。
そうして彼女と別れた私は、予定外に時間を余らせてしまう。
(私はどうしよう? 彼女みたいにどこかに寄っていこうかな……)
(あ……そうだ)
(12時30分……優紀さんのお店がまだ休憩に入る前だよね?)
(優紀さんのお店はここからすぐだし)
(この間、原作の話をしたことを水を差したかもって気にしてたみたいだから、ちょっとだけ行って、『青い鳥』に決めたことだけでも伝えてこよう)
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【==== 洋館長屋店内 ====】
こんにちはー。
(あれ……?)
さっそくお店に訪れてみたけど、いつもの「いらっしゃいませ」が聞こえてこない。
休憩時間の前だからか、店内は静かだった。
(あ……)
だけど無人というわけではなくて……カウンターの方には、ノートパソコンとにらめっこをしている横顔が見える。
(……集中してて、私に気付いてないのかな?)
(すごく真剣なように見えるけど……何をしてるんだろう)
今度は彼の視界に入るように、ひょいっと顔を出した。
優紀さん、こんにちは。
――っ!!!
えっ……あっ、り、莉子さん!?
すみません! いつからそこに!?
……あ……。ご、ごめんなさい。びっくりさせちゃいましたね。
いま来たばかりなんです。その、声をかけても返事がなかったものですから……。すみません。
い……いえ、申し訳ありません。パソコンに夢中になってまして、つい……。
あっ! し、しかも、もうこんな時間なんですか!
ありがとうございます……! 莉子さんが来てくれなければ、昼休憩を忘れるところでした。
(でも、そんなに何に夢中になっていたんだろう?)
お店のことかもしれないし、聞くのも失礼かな、と口をつぐんでいると、優紀さんは躊躇った様子もなく、その内容を明かしてくれる。
実は、店のサイトを作っていたところなんです。
ネットでもお店の商品を紹介できたら、色んな方にうちの時計を知ってもらえるかなと思いまして。
それに外国の方やハーフの方が、自分だけでなく家族や友人に……と買っていっていただけることがあるんです。
父の時計や、父から学んだ私の時計が、国境を越えて愛してもらえるのなら……それこそ冥利に尽きることですから。
それで、できれば日本語版だけでなく英語版も作れればと思っているんです。
へえ……それは素敵ですね!
(それで、あんなに真剣だったんだ)
でしょう……! 前々から興味はあったんですけど、どうしたら作れるのか、よくわからないでいまして……。
そうしたらお客さまから、簡単にサイトを作れるシステムがあると紹介していただいたんです。
そう言って彼が向けてくれた画面に、私は見覚えがあった。
それはCMSといって、深い専門知識がなくてもサイトやブログを作ったりすることのできるシステムなのだけど、私の会社で使っているものと同じだったのだ。
ただ、私があまりこういったことに詳しくないもので……。
解説本ややり方を紹介しているサイトを見ながらやっても、変なエラーが出てしまったりで、かなり難航しているんですよね。
それにフランス語はまだしも英語はあまり得意でないので、英語版を作る時の苦労も見えるというか……。
でもせっかくお客さまに教えていただいたことですから、気長に頑張ってみるつもりです。
困った表情で笑いながらも前向きに言う彼に……
…………。
あの、優紀さん……。
……はい?
余計なことかもと思いながらも、私は意を決して口を開いていた。
よかったら……
そのサイト作り、私に手伝わせていただけませんか?