【==== 洋館長屋店内 ====】
あ、あの……父の代にって……。
この時計は、こちらのお店で作られたものなんですか……!?
は、はい。ご存知ではなかったのですか?
(うそ……)
急激に心臓が騒ぎ出した。
思いもよらない事実に、頭がついていかない。
(涼太が……このお店に来ていた……)
明らかに様子のおかしい私に、優紀さんは戸惑っていたけど、彼はそれを問いつめることなく、穏やかに会話を続けた。
てっきり知っていて、こちらへお持ちになったのかと思いましたが……。
あ……。
……あの、その時計は、もともとは私の物ではないんです。
知り合いの物を譲り受けたので、どこで購入したのかまでは、わからなかったので……。
そうだったんですか。それはすごい偶然でしたね。
偶然――
本当にそうなのだろうか。
いまだ主張し続ける胸を押さえて、私はソファへと体を戻した。
……長年、父がこの時計店を営んでいたんです。
ホームページなども無かったものですから、この小さな店での出会いが全てでしたが……。
ありがたいことに父の作る時計を好んで、リピートしてくださるお客さまも多かったんですよ。
その方も、この店を見つけてくださったひとりなのですね。
優紀さんが、その時の様子を思い描いているような目をする。
愛おしそうに、とても大切そうに。
私もこの店で涼太が時計を選ぶ姿が、見えた気がした。
……そう、ですね。すごく気に入って、そちらを購入したことは聞いています。
それは嬉しい話ですね。
父は3年ほど前に目を悪くして、引退してしまいましたが……。
私も父のようにひとつひとつを大事にした時計を作っていきたいと思っているんです。
テイストは違いますが、父の代からのお客さまにも喜んでもらえてはいるんですよ。
オーダーメイドでその方の好きな時計を作ったりして……。
彼の言葉の端々から愛を感じる。
お父さまの時計にも、お店にも、お客さまにも。それは――
……お父さまのこと、心から尊敬なさっているんですね。
ええ。私の師ですから。
照れも迷いもなく答える姿に、優紀さんの思いの強さを知れた。
(きっと、本当に尊敬に値する人なんだろうな)
(涼太は……そんな人の時計を買ったんだ)
改めて優紀さんが涼太の時計を確かめる。
……こちらの時計は、ほぼ買った時のままのようですね。
響いた声にずきりと胸が痛んだ。
…………なかったんです。
え……?
使うことが、できなかったんです。
……それは……。
それを買った彼は、手にしてすぐに亡くなってしまいましたから。
…………。
今まで、この話を誰かにするのは控えてきた。
私だけでなく、相手にも色々と複雑な思いをさせてしまいそうで。
だけど、ここが『涼太の時計が生まれた場所』という事実が、私に口を開かせる。
その時計の持ち主は、私の恋人だったんです。
4年前に……友人たちと成人のお祝いをした、その帰り道で……。
交通事故に遭って、それで……。
…………。
……そう、だったんですか……。
優紀さんが静かに息を吐く。少し苦しげに目を伏せて。
それから、まっすぐに私を見て、心からいたわる眼差しをくれた。
つらい思いをしているのですね。
それがすごく胸をついた。
過去形ではない言い方が、今でも苦しんでいて当たり前のことだと……
4年経っても簡単に過去にできないことなのだと、言ってもらえた気がして。
しかも、二十歳になったお祝いの日になんて……。
二十歳の……。
急に優紀さんが顔色を変えた。
何かに気付いたように言葉を失くして、浮いた視線をゆっくりと私に戻す。
優紀さん……?
……莉子さん、その成人のお祝いというのは、誕生日ではなくて、成人式のことですか?
え……。
は、はい。そうです。成人式でみんなで集まったんです。
そして、それは4年前なんですね?
真剣に問う彼に困惑しながらも、私は首を縦に振った。
そう……ですか……。
優紀さん?
優紀さんが複雑な顔をする。
何かを残念に思っているような、それでも探していた答えをようやく得られて安堵したような。
……莉子さん。あなたの恋人は、橘さん……橘 涼太さんという方ではありませんか。
今度は私が言葉を失う番だった。
……お話には聞いておりましたが。
そうですか……あなただったんですね。彼の大事な人は。
彼の話についていくことができない。
どうして、優紀さんが涼太のことを……いや、私のことを知っているのか。
……確かに橘さんは4年前、この店を訪れています。
そしてその時からずっと……うちの店で彼から預かっている物があるんです。
あなたへの、贈り物です。
そんなふうに……衝撃の事実と共に、優紀さんは私の知らない涼太の話を始めたのだった。
・
・
・
【==== 洋館長屋仕事部屋 ====】
チリンと、ドアベルの音が作業場に届く。
おや……お客さんかな。
こんなに寒い日に、足を運んでいただいて、本当にありがたい。
――それは、4年前の1月のこと。
優紀さんが彼のお父さんから聞いた話だという。
・
・
・
【==== 洋館長屋店内 ====】
先代が店内へ移ると、ひとりの青年が入り口に立っていた。
いらっしゃいませ。どんな時計をお探しですか。
あ……外に飾ってあった腕時計が、すごく気になりまして。
よかったら、一度つけさせていただきたいんです。
ええ、もちろんいいですよ。
ケースから出して、試してみると……
……おや。
それはまるで青年にあつらえたかのように、彼の腕にとてもよく似合っていた。
うわあ……やっぱり、いいな。
シンプルで時間も見やすいし。着け心地がすごくいい……。
なにより、つけていても作業の邪魔にならないのがいいな。
……なんか、もうこれに間違いないって思えてきました。
ははは、本当に。作った私もそう思うくらい、お客さまの腕にしっくりしてますよ。
えっ……作ったって……。これ、手作りなんですか?
ええ。うちの店は全てハンドメイドなんです。その分、少しだけお値段が高くなってしまいますが……。
電卓を叩いて青年に表示すると、彼はうっと声を上げる。
ううーん……確かに。でも……。
……お安くすることは難しいですが、長期間のお取り置きなら受け付けてますよ。
……! 本当ですか、ありがとうございます。
……でも、やっぱり今日頂いていっていいですか?
ええ、もちろんそれはありがたいですが……。
実は……もうすぐ成人式なんです。式典を終えたら、大人になった自分と付き合っていく時計が欲しくて。
ちょっと予算より出ちゃうけど……。それでも、この時計がいいです。お願いできますか。
それは……ありがとうございます。
では、すぐにお包みしましょう。
……うん? あれ……。
あの、すみません。向こうは……。
ああ、扉を開けっぱなしですみません。作業場なんで散らかってまして……、お目汚しをしました。
あ、いいえ! そうでなくて、あの作業台に載っている時計……、あれは今作っているものですか?
ああ……そうなんです。まだ完成していませんが、お近くでご覧になりますか?
女性向けのデザインですが、それでもよろしければ。
…………。その。
彼女が喜びそうだなあって、思いまして……。
ああ……! 彼女さんは幸せ者ですね。少々お待ちください。
……どうぞ。置時計なので、アラームの機能もつける予定なんです。
まだ組み込んでいませんが、このパーツを使って……。鳴らしてみますね。
……あ、すごく綺麗な音ですね。ウィンドチャイムみたいな……
彼女、すごく朝の弱い子なんです。そういうのだったら、気持ちよく起きてくれるかな。
そうですね。少なくとも音の大きなベルで起きるよりは、心地よく朝を迎えられるとは思いますよ。
……そうか……。
……おふたつ購入してくださるなら、サービスいたしましょうか。
柔らかく微笑んで再び電卓を見せると、青年はしばし悩んでから力強く頷く。
ありがとうございます。では、お嬢さんの目覚めがいいものになりますよう、思いを込めて作りましょう。
メッセージカードはつけられますか?
え? カードですか?
ええ。当店でご用意したカードにメッセージを書いていただければ、ラッピングの際に同梱いたしますので。
そうか……贈り物ですもんね。改めてメッセージとかって、なんか照れるな。
でもせっかくだし、なにか書いてきます。そのメッセージカード、家に持って帰ってもいいですか。
もちろんです。では、カードはお預けしますね。
その腕時計は本日お渡しできますが、こちらの置時計は、完成までもう数日かかるのですが……。
それじゃあ、成人式の翌日に取りにくるくらいだとどうですか?
ええ、その頃なら問題なく仕上がっているかと思います。
大人になってこの腕時計を身に着けたお客さまとお会いできるのを、楽しみにお待ちしておりますね。
あはは。はい……! その時は彼女も一緒に連れてきますね!
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【==== 洋館長屋店内 ====】
…………。
………………。
……だけど、彼は約束していた成人式の翌日になっても、店を訪れなかったそうです。
ご予約の時にお名前とお電話番号は頂いていたのですが、電話をかけてみても通じず、そのうち「使われていない」とメッセージが流れるようになりました。
けれど、代金は腕時計のものと合わせて既に頂戴していたのもあって、月日が経っても、父はどうしてもその置時計を売る気になれないと……。
こうして店を引き継いだ私に、託したんです。
…………。
……それで……。
その時計は、今……?
ゆっくりと顔を上げると、彼は静かに頷いて「少しお待ちください」と席を立った。
お店の外に出て……戻ってきた彼が手にした物を見て、息を呑む。
それは、あの時計――
先日、私が目を引かれた小鳥の置時計だった。
……あ……。
……何かきっかけを呼びこんでくれるのではと、人目によくつく外にディスプレイしておいたんです。
……本当に、あなたをここまで連れてきてくれましたね。
慈しみに満ちた瞳で時計を眺めた後、彼は丁寧に時計の電池カバーを開ける。
すると、中から小さなカード――
『橘 涼太さま』と書かれたカードが出てきた。
……! 涼太……!
…………。
あのメッセージカードは、本当はこの時計と一緒に渡してもらえるはずのものだったんだ。
私にこんなに素敵な時計を贈ろうとしてくれていたんだ。
ようやく……ようやく、あのカードの彼の言葉が素直に心に入ってくる。
すると、優紀さんが操作したのか、時計から優しい音色が流れた。
無理やり眠りを妨げるのではなく、新しい朝を迎えるために自然と瞼を持ち上げたくなるような、きらきらと輝くチャイムの音。
『莉子へ もうすぐ社会人。寝坊するなよー 早く起きろ―』
(……うん……)
(ちゃんと起きる。起きるよ……)
じわじわと目の奥が熱くなる。
溢れ出る熱いものを堪えることはできなかった。
…………。
……では、私は奥でこちらの電池を変えてきますね。
涼太の腕時計を持って、優紀さんがその場を去る。
その気遣いをありがたく思いながら、私はしばらくそこで、涼太へと思いを馳せていた。
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【==== 洋館長屋仕事部屋 ====】
(まさか、橘さんがもう亡くなっていただなんて……)
(それに、莉子さんが彼の恋人だったなんて……)
偶然の巡り合わせに驚きながらも、彼女の胸の内を考えると、心がしめつけられる。
そっと、腕時計のカバーを開けた。
(あ……)
(ずいぶんと大切に保管してくれていたんだな)
サビも劣化も見当たらない。本当に買った時のままなのではと思えるくらい、綺麗なものだった。
(それだけ大切なもので……)
(それだけ使う勇気が持てないものだったんだ、きっと……)
橘さんがもういないということは、本当に残念でならない。
いつか、彼にあの置時計を渡したい。ずっとそう願っていたのだから。
彼の手で、彼女を喜ばせてあげてほしかった。
部外者の私ですら切ない気持ちになってしまうのだから、莉子さんはどんなにか……。
(……せめて……)
この腕時計がいつまでも彼女に寄りそえるように、と……
私は心を込めて手入れを始めたのだった。