洋館長屋
~5話~

【==== 洋館長屋店内 ====】

優紀

莉子さん、できましたよ。

莉子

あ……。

――あれから。
思うままに任せて、ひとしきり涙を流した後、優紀さんが優しい笑みを浮かべて、店内に戻ってくる。

その手には、宝飾品用のトレイへ大切に載せられた、涼太の腕時計があった。

莉子

ありがとうございます。問題なく動いたんですね。

優紀

ええ。とてもいい状態で保管しておいてくださったお陰です。

優紀

電池を替えて、気になるところは何もなかったので、メンテナンスだけさせていただきました。

きっと目は真っ赤で、誤魔化すこともできない状態なのだろうけど――
優紀さんは、あえてそこには触れないでいてくれた。

こんなにもメンテナンスに時間をかけてくれたのだって、私が泣きやむのを待ってくれていたのだと思う。

莉子

……つけてみても、いいですか?

優紀

え……。

優紀

……ええ。どうぞ。

涼太の時計を自身の腕にはめてみる。

わかってはいたけど私にはぶかぶかで、大きすぎるベルト。
空いた隙間が寂しくて、泣き笑いのようになってしまったけど。

莉子

(だけど……)

莉子

(自分の中でも何かが動き始めているような……)

ほんの少しだけど、そんな予感がする。

優紀

……女性用のベルトもありますが、交換されますか?

莉子

…………。

莉子

……いいえ。これは、このままで大丈夫です。

静かに首を振って、大切に彼の時計を箱にしまう。

莉子

(……涼太の時計を譲ってもらってから、自分に腕時計をつけたことはなかった)

莉子

(なんだか、他の時計をする気がしなくて……)

でも、彼の時計を私が使うのはなにか違う気がする。

莉子

(……多分)

莉子

(私には、私が自分で選んだ時計が必要なのかもしれない)

莉子

(涼太が自分と付き合っていく時計が欲しいと思ったように……)

洋館長屋

優紀

莉子さん、こちらを。

優紀さんが、きちんとプレゼント用の包装をした置時計を、紙袋に入れて手渡してくれる。

優紀

念のため、置時計もメンテナンスをしておきました。

優紀

問題はないと思いますが、気になることがありましたら言ってください。いつでも対応させていただきますから。

当たり前のように彼は言うけれど、もうこれは補償期間などとっくに過ぎた品だ。
それなのに、ガラスケースに飾ってあった時計は、年月を感じさせないほど綺麗に手入れされ動いていた。

莉子

すごく……大事にしてくださってたんですね。

莉子

4年もの間……。

優紀

…………。

莉子

お父さまにもよろしくお伝えくださいますか? 無事、彼からの贈り物を受け取ることができましたって。

莉子

それもこれも、本当に優紀さんのお陰です。ありがとうございました。

深く頭を垂れると、彼の柔らかな声が降ってくる。

優紀

いいえ。私は預かった物をお渡ししただけですから。

優紀

それだって、莉子さんが橘さんの時計をこの店に持って、つらいお話を聞かせてくれたからですし。

優紀

無事に贈り主にお届けできて、父もとても喜ぶと思います。

優しさのこもった言葉が胸に沁みる。

あの時、優紀さんに声をかけてもらえなければ、今でも私はこの時計を手にできないままだっただろう。
顔を上げると、まるで見守るように瞳を細める優紀さんがいた。

優紀

何かあれば、いつでもお越しになってください。

優紀

コーヒーを飲みにくるだけでもいいですよ。

その笑顔に、なんだかすごく励まされる。

莉子

はい。その時はよろしくお願いします。

私も笑みを浮かべて、彼のお店を離れたのだった。

莉子の部屋

その日の夜、夢を見た。

北野坂

成人式のあの日、涼太と一緒に歩いた、家までの帰り道。
私は二十歳の頃の姿で、その隣には涼太がいた。

莉子

……涼太……。

涼太

うん? どうした、莉子。

今までに、涼太の夢はいく度も見たけれど。
いつも涼太がどこかに消えてしまったり、近くにいても何も話すことができない夢ばかりだった。

でも、今日の夢は違う。

莉子

……ありがとう、涼太。

莉子

置時計、ちゃんと受け取ったよ。

そう、素直に口にすることができる。

涼太

そうか。

涼太にも私の声はしっかり届いていて、優しい笑みを返してくれる。

涼太

ちゃんと朝、起きてる? 寝坊したりしてない?

莉子

うん、頑張ってるよ。

涼太

あはは、本当に? また二度寝してるんじゃなくて?

莉子

本当だよ。最近はちゃんと一度で起きてるんだから。

涼太

莉子は常習犯だからなあ。高校の入学式は本当に危なかったし。

莉子

また、その話!

莉子

今はもうしないよ。社会人だもの。

涼太

あはは……!

涼太

……そうだな。

涼太

大人になったんだもんな。

涼太の手が私へと伸びる。
彼が触れた髪は、いつの間にか今の私と同じ長さになっていた。

涼太

綺麗になった。

胸がぎゅっとなる。
夢なのに、嬉しくて、切なくて、かけがえなくて。

これは夢なのに。

莉子

(夢だけど……)

莉子

ありがとう……涼太。

涼太の瞳に4年の時を越えた私が映る。
私はありったけの想いを込めて、彼に微笑んでいた。

莉子の部屋

時計のアラームが鳴って、目を開ける。
綺麗な音色。涼太がくれた置時計の音。

隣では、彼の腕時計も同じ時を刻んでいる。

莉子

……おはよう、涼太。

とても穏やかな気分だった。
夢ではああ言ったけど、朝を起きられるようになったのは、涼太が亡くなってからだ。

モーニングコールではなく、無機質な時計のアラームが私を起こす現実に、哀しく目を覚ましていた。

莉子

(けど……今日は違う)

莉子

(朝の空気が気持ちいい)

涼太から貰った置時計を、優しく撫でる。
少しずつ……少しずつ、動いているのだと感じていた。

北野坂

会社の女の子

あっ、莉子さーん!

会社の女の子

ちょうどよかった! 莉子さん、英語が得意でしたよね。助けてください~!

会社への通勤時、隣に外国人らしい男性を連れた同僚が私を呼び止める。

莉子

うん? どうしたの?

会社の女の子

外国の方が困っているようで助けてあげたいんですけど、わたし何を言ってるのか全然わからなくて。

会社の女の子

莉子さん、お話を聞いてもらえますか。

莉子

うん、もちろんよ。

莉子

えっと……。Can I help you?

久しぶりに話す英語はとてもたどたどしく響いた。
それでも多少言葉の通じる人が来てホッとしたのか、男性が笑顔になる。

彼は北野の観光地を巡る間に迷ってしまったようで、目的地の場所を教えると、お礼を言って去っていった。

会社の女の子

莉子さん、ありがとうございます。かっこよかったです!

莉子

ありがとう。でも、長く喋ってなかったから、かなり怪しかったなあ。通じてよかった。

莉子

やっぱり、会話しないと駄目なのね。

会社の女の子

そういうものなんですか? わたし一度話せるようになったら、大丈夫なのかと思ってました。

莉子

あは、そうだったらいいんだけど。

つたないものではあったけど、生のやり取りも、喜んでもらえた事実も嬉しかった。
でも、もっとうまく伝えることができたら、興味のある情報を教えてあげられたのにとも思う。

莉子

(……なまった会話力をどうにかしたいな)

莉子

(そうだ、会社に通いながら行ける英語の学校を探してみようかな)

莉子

(もっと話せるようになりたいし)

涼太の『早く、起きろ―』のメッセージが強く胸に響く。

莉子

(うん……大丈夫)

莉子

(私は、起きてる)

莉子

(ちゃんと、生きてるよ。涼太)

涼太の家リビング

それから、いくつかの日にちが経って……

涼太の母

まあ、まあ……莉子ちゃん! 大人になって……。

莉子

……ご無沙汰してます。おばさん。

私は本当に久しぶりに、涼太の家へと訪れていた。

涼太からの贈り物……小鳥の置時計を私は手にすることができたから。
それなら彼の腕時計は、彼の家族に持っていてもらった方がいいと思ったのだ。

お線香をあげて、優紀さんから聞いたあの日の話を伝える。

涼太の母

そうだったの……。涼太が莉子ちゃんに時計を……。

涼太の母

あの子の携帯は事故で壊れてしまっていたから……お店の人も連絡を取れなくて困ったでしょうね。

涼太の母

それなのに、ご厚意でそのままにしておいてくださったなんて……本当にありがたいことだわ。

莉子

……はい。本当に。

莉子

お陰で涼太が私に贈ろうとしてくれた時計を……気持ちを、ちゃんと受け取ることができました。

莉子

それに……涼太がどんな思いでその腕時計を買ったのかも、知ることができましたし……。

涼太の母

…………。……いい時計を買ったと喜んでいたけど、お店もだったのね。

涼太の母

ありがとう、これはウチで大切にするわ。

少し目を潤ませて、おばさんが涼太の腕時計を眺める。

涼太の母

お店の人もそうだけど……、涼太が莉子ちゃんを呼んだのかもねぇ……。

……そうかもしれない。
立ち止まったままの私を見兼ねて、涼太があの日、引き止めたんじゃないかと思えていた。

そう思えるくらい、あの時のあれは不思議な感覚だった。

莉子

……心配、かけちゃってたんですかね。

莉子

いけないですよね。亡くなった人に心残りをさせるようなこと。

涼太の母

いいのよ。そうさせたのはあの子だもの。莉子ちゃんはたくさん心配かけて!

涼太の母

それから……ちゃんと前を見て、幸せになってくれたら、おばさん、言うことない。

莉子

…………。

すん、とおばさんが鼻をすすって、顔を明るいものに変える。

涼太の母

そうだ……! 最近は莉子ちゃんはどうしてるの? 会社はどんな感じ?

莉子

あ……。実はちょっと前から英語の学校に通い始めたんです。もっと話せるようになりたくて。

涼太の母

英語! 涼太が莉子ちゃんに教えてもらっていたけど、あれだけはダメだったわね~。

涼太の母

ほんっと、他のことは大抵できたのに、英語だけは――

莉子

あはは……。

懐かしい話に涙が滲む。

でも、それもあたたかい。

その後も、彼の話をいっぱいした。
……優しい気持ちのまま、彼の家を出ることができた。

住宅街

うっかりすると、下を向いて歩いてしまって。
癖のように身についたそれは、なかなか直らなかったけど。

気付いて、すぐに見上げた茜空は、とてもとても綺麗だと思った。

莉子

(……当たり前のことなんだろうけど)

莉子

(ちゃんと目の前の世界が心に届く)

今の自分を不思議に思う。
こんなにも落ち着いて、彼のことを振り返ることができるなんて。

莉子

(……哀しくないわけじゃない。寂しくないわけじゃない)

今だって、会えることなら彼に会いたい。

莉子

(だけど、ちゃんと受け入れられる。きっと……)

ふと、自分の腕に目が引かれた。

莉子

(そうだ、時計……)

莉子

(私には自分で選んだ時計が必要なのかもしれないと思ったけど……)

脳裏にあの時計店が浮かぶ。

莉子

(……優紀さんに、会いに行こう)

莉子

(今日のことも、今の浮かんだ気持ちも伝えてみよう)

莉子

(きっと、あの美味しいコーヒーで迎えてくれるはずだ)

【==== 洋館長屋店内 ====】

次の休日、さっそく私は時計店を訪ねていた。
おばさんから託された手土産を渡すと、優紀さんはすぐにあのカップを用意してくれる。

優紀

そうですか、ご家族にあの腕時計を。

莉子

はい。置時計の件も含めて、とても感謝されていました。お店の方にありがとうございますと……。

莉子

それで……もし何かあった時のために、ここのお店を紹介させていただいたんですけど、構わなかったでしょうか。

優紀

ええ、もちろんですよ。

優紀

オリジナルの時計なので、よそのお店で見ていただくより、こちらに持ってきてくれたほうがありがたいです。

莉子

よかった。

莉子

それなら、きっと長くご両親と一緒にいることができますよね。

優紀

…………。

ほっと息をこぼして、私は淹れてもらったコーヒーを口にする。
やっぱり、美しい食器に負けない美味しさだ。

ようくそれを味わって、かちこちと優しい針の音を聞きながら、今話そうと思った。

莉子

あの……。

優紀

? はい。

穏やかに優紀さんが私の次の言葉を待っている。

莉子

実は……私ずっと腕時計って持っていなくて。

莉子

それで、自分だけのオーダーメイドの時計を……このお店で、お願いしたいんです。

優紀

えっ……いいんですか?

莉子

はい。

莉子

ここのお店で、私の時計を作っていただけますか?

はっきりとお願いすると、彼は満面に笑みを広げた。

そして、すぐに引き締めるような、緊張した色もそこへ浮かべる。

優紀

……父の代からのお客さまや、友人と親類にはオーダーメイドで一から時計を作った事はあるのですが……。

優紀

実は、新しく縁のできたお客さまに作るのはこれが初めてです。

莉子

えっ……。

優紀

莉子さん。

優紀さんが私の正面に立つ。真摯な瞳が私を捉えた。

優紀

心を込めて作ります。いえ、一緒に作りましょう。

優紀

あなただけの時計を。

まっすぐに告げる姿に、どれだけの思いを込めてくれるのかと、胸が熱くなる。
ありがたさと嬉しくなる気持ちを感じながら、私も気合を入れて頷いた。

莉子

はい! お願いします……!