洋館長屋
~2話~

洋館長屋

???

大丈夫ですか?

莉子

……あ……。

かけられた声に顔を上げると、心配そうな眼差しで男性が私を見つめていた。
色の白い肌に、すっと通った鼻筋。覗き込まれた瞳からは異国の色が見える。

莉子

(……外国の観光客の人……? ううん。言葉も流暢だし、ここに住んでいる人の感じがする)

莉子

(ハーフ……なのかな?)

???

……あの?

見上げたまま黙っている私に彼が戸惑うのがわかって、慌てて体を起こした。

莉子

だ、大丈夫です! すみません。

莉子

ちょっと、立ちくらみがしただけなんです。何でもないですから。

???

あっ、待ってください。

妙に気持ちがざわめいて、すぐにも立ち去ろうとする。
けれど、足がついていかなかった。

莉子

――きゃっ……。

???

危ない……!

ふらついてしまった体を、男性の腕が捕える。

???

無理はしないでください。顔色がよくありませんよ。

???

もう少し、じっとされていたほうがいいでしょう。

莉子

いえ……でも……。

???

そんな脂汗まで浮かべて、そのまま歩いて行かれる気ですか。

確かに、動悸も息苦しさもいまだに治まっていない。それでも……。

莉子

(自分でも、よくわからないけど……)

何かの予感に尻込みしている私がいる。

???

かといって、外ではゆっくりと休めないですし……。

???

……そうだ! よかったら、ウチに寄っていかれませんか。

莉子

え……?

???

座り心地のいいソファがあるんです。

???

体が休まるようなお飲み物もご用意しましょう。

???

好きなだけゆっくりされていって構いませんから。

莉子

(……ええっと……)

どうしたらいいんだろう。
人の良さそうな感じから親切心で言ってくれているのはわかるけど、台詞がナンパの内容だ。

莉子

あ、あの、さすがにそれは……。

???

ああ、遠慮は無用ですよ。

???

安心してください。私、ひとりしかいませんから。

莉子

(むしろ、一般的にはそれが問題なんだけど……)

莉子

お、お気持ちは嬉しいんです。それと、失礼なことをごめんなさい。

莉子

その……夜、見知らぬ男性の家に女ひとりで上がらせていただくのはちょっと……。

???

…………。……あっ……

???

す、すみませんっ……! 違うんです! 決して、そういうつもりではないんです!

莉子

は、はい。その、わかってはいるんですけど……。

???

誤解を与えるような言い方をしてすみませんでした。

???

あの、ウチといっても家ではなくて、こちらの時計店になりまして……。

莉子

……時計店?

???

はい!

お店の入り口を指し示しながら、彼は優しい笑みを浮かべる。

優紀

私はこの店の店主で、優紀・ボシーと申します。

優紀

怪しい者ではありませんから、店内を覗くつもりでひと休みされていったらどうでしょうか。

莉子

……! お店の……!

家に誘っていたわけではないとわかって、急激に羞恥が私を襲う。
今度は、私が顔を赤くする番だった。

莉子

す、すみません! お店の方だとは知らず、失礼なことを……。

莉子

それに、店先でこんな……。商売の邪魔をしてしまって……。

優紀

お気になさらないでください。私の言い方が悪かったんです。

優紀

それに、体調が悪くなるのは、時も場所も選べないものですから、何も謝ることはありません。

優紀

それより、もし具合があまりに悪いようでしたら、病院に――

莉子

い、いいえっ! 違うんですっ。

莉子

本当に大丈夫なんです。立ちくらみがしただけで、本当に……。

優紀

…………。

優紀

……そうですか。なら、良かった。

優紀

ですが立ちくらみを起こしたばかりですぐに動くというのもお勧めできませんし……。

優紀

やはり、うちの店で休憩していかれてはいかがですか。

優紀

時計もそうですが、実はお客さまに振る舞うコーヒーもうちの自慢なんです。

莉子

え……? コーヒー……ですか?

優紀

はい。腕をふるう機会を頂けそうでうずうずとしてるので、ぜひ味わっていってくださいね。

優紀

手前味噌ながら、なかなか美味しいコーヒーだと思いますよ。

莉子

(……時計屋さんなのに、コーヒーが自慢?)

一瞬ぽかんとしてしまった後……

莉子

ええっと……

莉子

(どうしよう。でも、厚意でここまで言ってくれてるんだし……)

莉子

……それじゃあ、お言葉に甘えてご馳走になってもいいですか?

優紀

ええ、是非!

和やかな空気が流れて、ゆっくりと呼吸が落ち着いていくのを感じる。

さっきまでの不思議な躊躇いが完全に消えたわけじゃなかったけど、私は彼に誘われるまま、お店の中へ入っていったのだった。

【==== 洋館長屋店内 ====】

優紀

どうぞ、そちらにおかけになってお待ちくださいね。

店内にあるソファに私を促して、彼はコーヒーを入れる準備を始める。
小さな手動のミルで彼が豆を挽くと、コーヒーの香りが私の所まで届いた。

莉子

(……いい香り……)

莉子

(それに、すごく心地いい……)

ソファに身を沈めて、瞼を伏せる。
時計の針が刻むかすかな音が優しくて、引いていた血の気が戻ってくるのを感じた。

優紀

良かった。少し顔色が明るくなりましたね。

優紀

どうぞ、当店自慢のコーヒーです。

サイドテーブルに置かれたカップを見て、目を見開く。

莉子

わ……外国のお姫さまが使う物みたい。

優紀

上品で、綺麗ですよね。

淡いピンクの薔薇の絵付けと美しい金彩。まるで美術品のようだ。
カップだけじゃない、お店のいたる所にアンティークの小物が置かれている。

莉子

(貴族のお家にお邪魔してる気分……)

だけど緊張したりしない。人を穏やかに迎え入れてくれるインテリアだ。
感嘆の息をこぼして、それからカップに口をつけると、さらなる衝撃が私を襲う。

莉子

……! 美味しい!

目を丸くする私に、彼が瞳を細めた。

優紀

お気に召したようでよかったです。

優紀

私は奥で作業をしてますので、好きなだけゆっくりしていってくださいね。

そう言って、彼は静かな所作でお店の奥へと消えていった。

莉子

(私が遠慮なく落ち着けるように、気遣ってくれたのかな……)

莉子

(体調もすごく心配してくれてたし、本当にいい人なんだ)

きっと、ひとりで営んでいるお店なんだろう。
細やかに行き届いた店内は、彼の醸し出す雰囲気ととてもよく似て、居心地がよかった。

莉子

(それに、ここにある時計は全部手作りみたい)

莉子

(メーカーの量産されている物とは違う感じがする)

飾られた時計は、ひとつひとつ手をかけられて作られたのが、よく伝わってくる出来だった。
それが、ぼんやりと私の頭の中にある時計を浮かばせる。

莉子

(……そういえば、涼太の腕時計)

莉子

(あれも、手作りの物だったのかな……)

莉子

(特にブランド名も刻まれてなかったし)

莉子

(丁寧に作られていて、とても温かい感じがした……)

涼太

『いい感じの腕時計を買ったんだ。明日つけてくるから』

成人式の日――別れ際、そんなことを言っていた涼太を思い出す。

莉子

(……あれは、あの時計のことなんだよね)

莉子

(でも、だとしたら一緒にあったメッセージカードはいったい……)

それは、あの日から何度も繰り返した問いだ。
考えても考えても答えが出ない。答える人は、もういないのだから。

莉子

(いけない。また……)

暗くなる思考に慌てて首を振って、顔を上げた。
すると、ある物に目が止まる。

莉子

……あ、あれ……。

それは、私を惹きつけたあの時計。
店頭のショーケースに入っていた小鳥の置き時計だった。

莉子

お店の中にも同じものがあったんだ。やっぱり、かわいいなあ。

莉子

ん……? だけど、外のと完全に同じじゃないような……。

わずかだけどデザインが違う。それだけではない、なんだか受ける印象も違った。

莉子

同じようなデザインなのに、不思議。

じっと時計を覗き込むと、柔らかな声が後ろから響いた。

優紀

それはきっと、本体に使われている木の与える印象でしょう。

優紀

時計本体が天然木でできているのですが、木目の出方で、それぞれ随分と雰囲気が違って見えるんですよ。

莉子

……あ……。

一段落したのだろうか、振り向くと嬉しそうに商品について語る彼がいた。

莉子

あの……お店にある時計は、あなたが作られたんですか?

優紀

ええ。それは先代……父が作った時計ですが、私が作った物もたくさんありますよ。

優紀

たとえば、こちらの腕時計などがそうですね。

言って、彼は近くにディスプレイされていた時計のひとつを手に取る。
それは、文字盤の中にさらに小さな表示盤のある時計で、時間がくると、月の絵が顔を出す細工になっているようだった。

莉子

わあ! 綺麗な時計……。

莉子

この小さな夜空の表示がとってもかわいらしいです。お昼になると太陽の絵が出るんでしょうか?

優紀

いえ、これは今が昼か夜か、の表示ではないんですよ。

優紀

月齢……月の満ち欠けを表示しているものなんです。

莉子

月の満ち欠けを……腕時計で、ですか?

優紀

ええ。飾りとしてだけでも面白いのですが、釣りやサーフィン、天体観測などをされている方にとっては実用的で手放せない機能でもあるようですね。

優紀

他にも文字盤の中にいくつもの表示盤を並べて、曜日や月日なども表す腕時計などもあるんですよ。

優紀

ゼンマイで動く機械式の腕時計であれば、あとどのくらい動くかを示すパワーリザーブや、ストップウォッチ機能であるクロノグラフ、秒針部分だけを別にしたスモールセコンド――

優紀

日付と曜日を表示するデイデイト、別の国の時間を示すGMT等々……

優紀

さすがに全ての機能がついている時計はないでしょうが、3~4種くらいの機能をこの小さな文字盤に載せたものなら、よく見ますね。

莉子

ええ……! そんなにたくさん機能表示があったら、どれを見たらいいかわからないんじゃ……。

莉子

(日付表示やストップウォッチ機能くらいなら、男性向けの時計で見たりするけど……)

莉子

聞いているだけで、目が迷子になってしまいそうな時計ですね。

優紀

ふふ、それをどう見やすく美しく配置するか、時計師の腕の見せどころなんです。

莉子

(……あ……)

誇らしげに目尻を下げる仕草に、この人は本当に時計が好きなのだと思う。

優紀

私の部屋にはもっと賑やかな文字盤の時計が置いてありますよ。

莉子

それ以上のものがあるんですか?

優紀

ええ、永久カレンダーというものなんですけど――

顔を綻ばせて、彼は生き生きと時計の話をしていく。
私はそれを隣で静かに聞いていた。

莉子

(……そうか)

莉子

(自分の仕事を誇りに思っている……)

莉子

(好きなことを……仕事にしてる人なんだ……)

……私も本当は、短大を卒業した後は大好きな英語を活かして、東京の会社で働く予定だった。

莉子

(だけど、あの成人式の後……)

どうしてもその気になれず内定を辞して、三宮のアパレル会社へ、事務職として就職したのだ。

ファッションは好きだけど、そう熱意があるというほどじゃないし、今の会社を選んだのも、家から近いからとか、何となくとかで……
目指していた夢に進む気力もなく、毎日を淡々と過ごしているだけ。

莉子

(……そう、自分でその道へ行くことを止めたんだ)

莉子

(そんな私が彼のことを羨ましいと思うなんて……)

莉子

(……おかしなことだよね……)

洋館長屋

しばらくして、充分に調子が戻った私は、お暇させてもらうことにした。
外に出て、丁寧にお辞儀をする。

莉子

本当にありがとうございました。

莉子

お菓子も……わざわざ取りにいっていただいて、なんてお礼をいったらいいのか……。

優紀

いいえ。近くでしたから。閉店時間に間に合ってよかったです。

優紀

せっかく具合がよくなったのに、無理して帰れなくなってしまったら大変ですからね。

そのいたわりが心からの言葉だと伝わって、胸が温かくなる。

莉子

ありがとうございます。色々と助かりました……!

莉子

それじゃあ……。

優紀

はい。お気を付けて。

北野坂

莉子

(素敵なお店だったな。お店の人も本当にいい人で、あたたかくて……)

とても心地のよい雰囲気に包まれていた。

莉子

(…………)

莉子

(……涼太のあの時計……)

莉子

(もう一度、動かしてもらうなら、あんなお店がいい)

涼太はあんな感じの静かで小さなお店が好きな人だった。
賑やかなチェーン店や、高級店では、あの時計を再び動かす場所としてはそぐわないと、ずっと思っていたのだ。

莉子

(ずっと眠らせたままだったけど……)

莉子

(あのお店だったら……)

莉子の家リビング

家に辿り着くと、母がリビングで私を待ち構えていた。

莉子の母

あ、莉子。おかえりなさい。

莉子の母

ありがとう。パラスティン邸のケーキ、買ってきてくれたのね。

莉子の母

仕事帰りに悪かったわね。ここのケーキがすごく美味しいってみんなが言うものだから。

莉子の母

お茶を淹れるから、一緒に頂きましょうか。

莉子の母

って、莉子? 聞いてるの、あなた。

莉子の母

ちょっと~。

莉子の部屋

お母さんの声をどこか遠くで聞きながら、私は部屋へと戻った。

そして、ずっと閉めていたままの引き出しに手をかける。
そこには、小さな箱がひとつだけ入っていた。

どうしてだろうか……今は、涼太のことを思い出しても、息苦しくはならない。

莉子

(……時計だけじゃない)

莉子

(私も、動き出すきっかけになるかもしれない)

そんなふうに思いながら……私は、久しぶりにその箱を開けたのだった。