中華料理屋
お待たせいたしました。水餃子と、棒々鶏と、焼売と……
わあ~!
お、美味しそう……
はぁ……たまらない香りだね。
相馬さんのご両親が経営している中華料理店にて――
テーブルの上へは見た目にも食欲をそそる料理が次々と並べられ、私達は待ちきれないと瞳を輝かせていた。
まだ来てないのもあるけど、冷めないうちに食べちゃおう!
だね。はい琴子、お箸。
サンキュ。
3人でいただきますをして、逸(はや)る気持ちでお箸を手に取る。
ん……!!
料理の味は見た目にも全く劣らず絶品だった。
本格的な広東料理もあれば、和と中華を合わせた創作料理もあって、舌を飽きさせない。
でも料理の完成度からするとお値段は手頃で、お店全体の雰囲気も庶民お断りな高級店というよりは、明るくアットホームな感じだ。
店内はうるさくない程度に賑やかで、オープンな厨房に『美味しかったよ』『ごちそうさま』と声をかける人も多い。
あ、今調理してる人が相馬さんのご両親かな?
年齢的にそうかもね。おお、何て華麗な鍋さばき。
チャーハン作ってるのかな? 食べたくなってきた……追加注文しようかな……。
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失礼します。皆さん、よければこれ、召し上がってください。サービスの杏仁豆腐です。
両親に『ショップのお客さんが来てくれた』と話したら、持っていけと言われまして。
えっ、いいんですかっ? ありがとうございます……!
すみません、気を遣って頂いて。すごく美味しそう……。
友達にもすごくいいお店だって広めておきますから!
はは、ありがとうございます。両親も喜びますよ。
私達が食後のデザートに進む頃には食事時を結構過ぎていたので、お客さんも落ち着いてきていて、相馬さんの忙しさには一区切りついたみたいだ。
他のお客さんへの対応と一緒に、私達のテーブルへもこまめに水を注ぎにきてくれたり、空いた食器を下げてくれたりする。
付け合せも残さず綺麗になったお皿を見て、相馬さんはちょっと嬉しげにしていた。
そして最後の品を食べ終え……私達はウーロン茶で口の中をさっぱりさせてから一息ついた。
相馬さん、すごく美味しかったです!
お口に合ったなら何よりです。ぜひ今後ともご贔屓に。
ええ。もう、食べるだけじゃなくて味の秘訣を研究しに通いたいくらいですよ。
うんうん! 特にあのチャーシュー……タレの味が奥深くて、肉が柔らかくて。
どうしたらあんなふうにできるんだろう……!
思わず祈るように手を組んでしまうと、相馬さんが小さく笑った。
……皆さんは料理や美味しい物が本当に好きで、勉強熱心なんですね。
特に王子さんは、いつも控えめな方だと思っていましたが……
……! すみません、子供みたいにはしゃいじゃって……
いいえ。ウチの店の味をそんなに気に入ってもらえて光栄なばかりです。
でも……
レシピは秘密です。うちの家だけの、秘伝の味付けですからね。
悪戯っぽく、相馬さんが瞳を細めた。
今まで見た、どの彼の表情とも違うような気がして……何故かどきりとする。
改めてお礼を言い、支払いを済ませてお店を出ても、そのふわふわと浮き立つような余韻はすぐには消えなかった。
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北野坂
はあ~、お腹いっぱい。すごく美味しかったねえ。
本当。ついつい食べすぎてしまって、体重計に乗るのが恐ろしいよ。
でも後悔はしない! ついた脂肪は山歩きで落とせばいいんだからさ。
そうだね。次はいつ講習会に参加できるかなぁ。
この後は琴子の家で夏休みの課題をやるつもりだったので、話しながらのんびり歩いていると……
……それにしてもさ。結構いい感じだったじゃない?
真緒が何だか楽しげに、私の方を覗き込んできた。
いい感じ?
あ、うん! 料理はもちろん、雰囲気もいいお店で、お値段も手頃だったしね!
……い、いや、そうじゃなくて。相馬さんと乃々花が、よ。
相馬さんと私……?
わお、心からキョトンとした顔。
……全くもう。あんな男前に親切にされて、こうときめきとかはないわけ?
(と、ときめき?)
乃々花が気になる秘伝の味付けも、カレの家族になっちゃえば教えてもらえるかもよ?
……!? 家族……!?
………………。
……実は私、ちょっと想像しちゃうことがあるんだ。
え!? うんうん、何!?
もし相馬さんが……
うん、相馬さんが!
私のお兄さんだったらなぁ……って。
………………………………。
前に話してもらったんだけどね、相馬さんの妹さんも小さい頃、クラスメイトにからかわれたりしたらしいの。
でも相馬さんが味方になってあげたみたいで……。
うちのお父さん、昔は単身赴任で家にいない時期が長かったし、悠人くんとも転校で離れ離れになっちゃったし……
学校でも私生活でもあんまり近くに男の人がいなかったから、男性への苦手意識が加速しちゃったと思うの。
だから家族に、歳が近くて、一緒にいる時間も長い家族がいたら、私も今ほど男性が苦手じゃなかったのかなぁって。
あ、でもこんなこと本人に話さないでね! 勝手に変な想像して、相馬さんに失礼だし。
……………………。
千里の道も一歩からだよ、真緒。
……そーね。乃々花が男性に興味を持っただけでも一歩前進かな。
物事には順序ってもんがあるし、これからステップアップしていけばいいのよね。
私の男性苦手を克服するって話?
う~ん……。今はそう思っておいて大丈夫かな。
ま、自分のペースで頑張ればいいのよ、乃々花は。
あたし達はいつでも応援してるから。
……うん! よくわからないけど、私頑張るよ!
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また、しばらくの時間が経ち……。
私達は何度か講習会にも参加し、日帰り登山の楽しさを満喫していた。
カフェ・ド・ミュージアム
ねえねえ、次の山歩きなんだけどさ……。
そんなある日、今度は3人だけで登山に挑戦してみようという話が持ち上がる。
どうしても予定が合わずに講習会に参加できなかったからなんだけど、でも決して無謀なことをするつもりはなかった。
既に行ったことのある山を同じルートで登る、講習会の復習のような計画だ。
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【==== 山道 ====】
迎えた当日は天気も穏やかで暑さもだいぶ和らいでいたから、きっと何事もなく終えることができるだろうと……
私達は軽い足取りで出発していった。
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……うん、この辺りで道のりの半分ってとこかな。
特に問題もなく山の中腹まで辿り着き、琴子が地図を確認する。
そういえばここ、近くにトイレ設置されてたよね。寄ってきていい?
なら私も寄ろうか。ののは……
私は大丈夫。ここで待ってるよ。
そっか。じゃあ、すぐ戻るから。
ふたりは近くにあった案内板に沿って、お手洗いのある広場へと向かっていった。
(待ってる間に、私も道の確認しておこうかな?)
(地図とコンパスで……そうだ、今この辺りにいるはずだよね)
(確かこの先、道がふたつに別れてるから間違えないようにしないと……)
――ねえねえ、お姉さん。
(時間も予定通りに進めてるし、なかなかいいペースで……)
あの~、お姉さん。もしかして道に迷ってる?
………………えっ。
集中していた私はその時初めて、近くに見知らぬ男の人がいることと、彼が私に話しかけてきていることに気がついた。
(あ……地図を真剣に見てたから、勘違いされてる!?)
いえ、私……
このルート、結構道間違えやすいからさ。初めてなら俺が案内してあげるよ。
(……こ、これって……まさか世に言うナンパ!?)
あっ……あの、私、とも……友達と来てて……
そうなんだ? ならその友達も一緒に案内するからさ。
いやっ、そんな、私……!
そんでもし下山後に時間があるなら、皆で食事でもどう? オススメの店が近くに――
(…………っ!)
ただでさえ突然のことに動揺していた私は、彼がすたすたと距離を詰めてきたことに驚いて、
考えるより先に、踵を返して逃げ出してしまった。
え!? あ、ちょっと待って……
どこに逃げようという目的地もなく、ただ男の人から離れようとして――
――っ!?
きゃっ……
ザザザ……ッ
足を踏み外し、登山道から斜面の下へと滑り落ちる。
(痛っ……たぁ……)
おーい、お姉さん?
(…………!!)
上の道をさっきの人が歩いているのがわかり、とっさに息をひそめた。
うー、しまった、怖がらせちったよな……。
しばらく静かにしていると、男性は落ちた私に気付かないまま、上へ登っていったらしい。
(よ、よかった……)
ほっとした瞬間、足首に痛みが走り、思わず眉をしかめた。
(どうしよう、足が……。落ちた時にひねっちゃったのかな。歩けないほどじゃないと思うけど)
(そうだ、それに『待ってる』って言った場所から結構離れちゃった)
(携帯……、……あっ、ラッキー! ギリギリ電波入るみたい)
(もしかしたらもうトイレから出て私を捜してるかもしれないし、琴子達に先に連絡を……)
ばくばくとうるさい心臓を落ち着かせようとしながら、電話をかける。
……だけど何回かコール音が鳴った後で聞こえてきた声に、
私はぽかんと言葉を失ってしまった。
『――はい、相馬ですが』
(…………)
(………………えっ?)
『……? 王子さん、ですよね?』
あっ、あれ? 何で、相馬さんに……
(――はっ、そうだ! 名刺の番号を一応登録してたから、アドレス帳の並びで……)
きっと『高峰 琴子』にかけようとしたのを間違えて、ひとつ上に登録されている『相馬 海里』を選択してしまったんだ。
すみません、相馬さん……! 私、琴子にかけようとして、間違えてしまったんだと思います。
『ああ、何だ、間違い電話でしたか。そういうことなら……』
『…………』
ふいに、彼は沈黙を挟んだ。
相馬さん……?
『王子さん、何かありましたか?』
……え……
『声が普通でないように感じて……。大丈夫ですか?』
とっさに何でもないです、と言おうとして、できなかった。
電話越しの気遣わしげな声に、涙ぐみそうにすらなってしまう。
じ、実は……
私は以前講習会で来た山に、真緒と琴子と一緒に来ていたことや、
ふたりがお手洗いに行っている間に男性に話しかけられて動揺し、斜面の下へ落ちて足を痛めてしまったことを打ち明けた。
でも、携帯が繋がるのでふたりともすぐ連絡できると思いますし、足の痛みも大したことはないですから。登れそうな場所を探せば、道にも戻れると――
『王子さん』
今度はぎくりと、体が固まった。
相馬さんの声が厳しい。
『私、いま、同じ山の麓にいます』
えっ……
『別ルートの下見のために来ていたんです。すぐに向かいますから、待っていてください』
『高峰さんと南さんも心配されるでしょうから、連絡をして、その場から動かないでくださいね』
でも――
『その場から動かないでください。いいですね?』
…………は、はい……。
それから相馬さんは私がいる大体の位置を聞き出すと、通話を切った。
辺りが静まりかえる中、相変わらず自分の鼓動だけが大きく響いている。
ちょうど相馬さんが同じ山に来ていたなんて、すごい偶然。運が良かった。
助けに来てくれるみたいだし、これでもう安心だ。
そんなふうに喜ぶことはとてもできなかった。
(……バカだ、私)
ナンパしてきたあの男の人だって、悪気はなかったんだと思う。
怯えていきなり逃げ出すんじゃなくて、落ち着いてちゃんと断れば済んだ話だったはずなのに。大げさにビクビクして、それでこんなことになって……。
(…………そ、そうだ……。真緒と琴子に連絡しておかなきゃ)
(それに、応急手当くらいは自分でしないと……!)
おぼつかない手つきで琴子に電話をかけ、自分の今の状況と、相馬さんが来てくれることを伝える。
私を心配するふたりに大丈夫だよと伝え、電話を切ってからは冷却スプレーやテーピングをして手当をしていたけれど。
(また私、皆に迷惑をかけて……)
いつまで経っても動悸は治まらずに……
私は泣き出しそうなのを堪えながら、助けが来るのを待っていたのだった。