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ー北野神社ー
取り巻きの人たちから逃れて、私たちはひとまず神社にやって来ていた。
ここならあいつらも来ないだろ。少し歩かせちゃったけど、足は大丈夫か?
うん、前よりも治ってきてるから。
しかし私はそれよりも、さっきの出来事が気になっていた。
『……コンパや飲み会に必死で、打ち込んでるものも、努力してるものもないお前らにはわかんないよ』
燐くんは、はっきりそう言い放った。
ねえ、燐くん。さっき取り巻きの人たちにあんなこと言っちゃってたけど……。
恐る恐る切り出すと、燐くんは何でもないことのように口を開く。
別に間違ったこと言った訳じゃないし、あいつらとも離れたいんだ。
それに……美結にまで絡んでくるしな。
その言葉に、さっき取り巻きの女子に掴まれた手首を思わず擦る。
あのときかばってくれて、すごく嬉しかったよ。
でも、女装までさせてチアに付き合わせてるのは事実だから……。
精神的にも無理させたり、燐くんにさっきみたいに嫌な思いをさせちゃうことも増えるかもしれない。
改めてそう言葉にすると、胸の奥から感情が湧き出してしまう。
……時間もなかったのに、それなのにすごい完成度のダンスで感動させてくれて、予選もしっかり通過してくれて。
だんだんと瞳がうるんできて、声が震えてくるけれど、感情は止められそうになかった。
美結……。
燐くん、本当にありがとう……。すごく……すごく感謝してる……。
おいおい、半泣きかよ。
燐くんが私の顔を覗きこんで苦笑する。
だ、だってえ……。
しかし、笑みの残る表情で私を見つめていたその顔が、だんだんと曇っていく。
(燐……くん?)
でも……悪い。俺も次の本大会ではどこまでいけるかわからない。
予選でも他校の強豪たちの姿を見て正直圧倒されっぱなしだったし、予選通過したのもギリギリだ。
辛そうに言葉を選ぶ燐くんに胸が締め付けられる。
(私が燐くんに無理をお願いしてるから……こんなに追い詰めてるんだ)
(本大会にまで出てもらったらさらに追い詰めちゃうかもしれないし、申し訳なさすぎるよ)
(……よし)
私は涙を拭くと、覚悟を決めて燐くんに向き直った。
予選、通過してくれてありがとう。すごく感謝してる。
燐くんがどんなに頑張ってくれたか傍で見てて誰よりもわかってるし、何よりもすごく感動したよ。
美結……。
でも、そのせいで今までかなり無理させちゃってごめん。もう……十分助かったよ!
……だから。次の本大会には私が出ようと思う。
えっ。
燐くんにこれ以上迷惑かけられないし、元々私が頑張らなきゃいけないことだもん。
にっこり笑ってみせるけれど、燐くんの表情は晴れなかった。
でも、まだ足が治ってないだろ?
大丈夫。みんなのおかげで結構良くなってきてるから。
燐くんに予選を通過してもらって、私が後から本大会にだけ出るのは心苦しいんだけど……。
何言ってんだよ。元々美結が頑張って練習してたのに、俺のせいで怪我させたからいけないんだろ。
もし本当に美結が出られるなら、そのほうがいいんだ。
でもさ……。
燐くんは不安そうな表情で私の足を見る。完全に治っていない足を心配している表情だった。
でも、美結。……本当にいいのか?
燐くんの問いかけは覚悟を試すような口調で、私は安心してもらえるように自信を持って口を開く。
うん。今度は私が努力しなきゃいけない番だもん。
そっか……。美結がそこまで言うならわかったよ。
燐くんは小さくひとつ息をつくと、私の肩にぽんと手を置いた。
頑張れよ。応援してるからさ。
——うん! ありがとう!
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ー大学中庭ー
本大会に自分が出ることを決めてから、ダンスの振りを元に戻したりと部員のみんなにも迷惑をかけてしまっていた。
でも、みんな嫌な顔ひとつせずに私に付き合ってくれてる。
(本当に感謝してもしきれないよ)
しかし実を言うと、足は完全には治っておらず、練習する度に痛みが少し増しているのが気がかりだった。
(あと1日だけ、もってくれれば……)
(明日の本番さえ乗り切れればいいんだから! 絶対に頑張るぞ!)
私は自分に気合いを入れると、最後の全体練習へと向かった。
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ー美結の部屋ー
泣いても笑っても、明日が本番かぁ。
明日は会場に行く前に病院に寄って、痛み止めを打ってもらう予定だ。
足に湿布をしながら、これまで色々あったなあと振り返る。
燐くんに出会ってから、私も色んなことが変わった気がするな。
出会ってからの様々なことが思い出されて、自然と笑みがこぼれてしまう。
……あ、そうだ。
ふいに、燐くんに貰ったネグリジェを思い出してクローゼットから取り出してみる。
綺麗……。シルクですごく豪華。
照れくさくてあれから着たことないんだけど、今日はちょっと着てみようかな。
︙
思いたって袖を通すと、すべすべとした肌触りが心地よくて気持ちが上がってしまう。
このネグリジェを貰ったときのこと思い出すなあ。
あの頃の燐くん、すごく感じ悪かったんだよね。
燐くんと初めて話したときと今では、印象や関係までも変わっていて苦笑してしまう。
(気がついたら、燐くんはかけがえのない仲間になってたな)
仲間……か。
その言葉に少しくすぐったいものを感じながら、そっと目を閉じる。
(今度は私が、燐くんや部員みんなに、……大事な仲間たちに恩返しする番だ)
足に不安は残るけれど、気持ちで負けないようにしようと改めて誓ったのだった。
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ー大会会場ー
——そして、ついに決勝大会当日の朝。
みんなの目を盗んで、今朝病院で打った痛み止めの効果をこっそり確認する。
(うん、まあまあ効いてるかな)
おはよ、美結。
ふいに聞き馴染みのある声が聞こえて顔を上げる。
周囲にたくさん人がいても、ひときわ目を引く整った容姿のおかげで、すぐに言葉の主を見つけることができた。
……燐くん! ありがとう。応援に来てくれたんだ。
嬉しくなって駆け寄ると、燐くんの表情が少し曇る。
……お前さ、やっぱりまだ痛いんだろ?
え……。
自然と足をかばった歩き方になっていたようで、あっさりと見抜かれて言葉に詰まってしまう。
(燐くんの目は誤魔化せないか……。じゃあ、せめて明るく振舞おう)
あ……でも痛み止めも打ったし大丈夫!
痛み止め!? 大丈夫って言うけどそんなの打たないと厳しいってことだろ?
それは……。
なあ、そんな無理して本当に大丈夫なのか?
心配そうな燐くんの表情を見ると、少し残っていた弱気な気持ちが出てきてしまいそうになる。
(本当は少し前までスランプだったし足も痛むし、燐くんに出てもらったほうが点数もチームにも良かったのかも)
そんなウジウジした考えが頭をもたげてきた時だった。
おーい、美結……と、えっ、あれ……?
部員が私と燐くんが話しているのを見つけて動揺した声を上げた。
(やばっ、そういえば私と燐くんの関係は誰も知らないんだった)
あ、ええと。燐くんが応援に来てくれて……。
とっさにそう言うが、部員はさらに混乱した顔になっていく。
燐くん……て。応援って……。美結と一体どういう関係なの!?
あの、それは……。
だって美結、前にイケメンの金髪ハーフの集団知ってるか聞いても知らなかったじゃん!
(や、やめて〜)
チャラそうで関係ない人種って言ってたのに!
…………。
ち、チャラそうとまでは……私は言ってないと思うんだけど……。
何か私、遠くから見たら燐くんが一瞬リンダちゃんに見えてびっくりしたよ。
あ……言われてみれば。確かに背格好とかも同じくらいだし、ハーフだし……。
突然の鋭い指摘に心臓が跳ねる。
慌てて燐くんの顔を見ると、私に一瞬目配せをした後、口を開いた。
ああ……似てるだろ?……リンダは俺のイトコなんだよ。
(えっ!?)
リンダの奴、この前までチア部で世話になってたんだろ?
でもあいつ急にドイツに帰ることになったから、今日は俺が代わりに応援に来させてもらったんだ。
ええっ! そうだったんだ。それならそっくりな訳だよね。
すごいびっくり〜! でもリンダちゃん帰国しちゃったんだ。
ああ。みんなに挨拶できなくてごめんって謝ってた。短い間だったけどチア部にいられて楽しかったってさ。
(燐くん……)
燐くんの機転のきいた返答に、本音が垣間見えるような気がして胸がじーんとしてしまう。
そっか、リンダちゃん頑張ってくれたもん。楽しかったって言ってもらえて嬉しいな。
本当だね……。それに燐くんもわざわざ応援に来てくれるなんてありがとう。
イメージ的にもっとチャラいかと思ってたけど話しやすいし、いい人なんだね。
あ、あははは……。
ズバズバとしたみんなに押されながらも、燐くんは何とか愛想笑いをしている。
(少し焦ったけれど、みんな燐くんの話を信じてくれたみたい)
それに意外と話しやすいと、燐くんを囲んで会話が弾んでいて面白い。
(ふふ、良かった。後は私が頑張ればいいだけだ)
(これまでのみんなの努力を、ここで無駄にしないためにも)
でもそう思う度に、不安な心が出てきてしまいそうになる。
(……ちょっと一人で気分転換してこようかな)
私はさりげなくみんなの輪から外れて少し歩く。
多少離れた位置までくると、改めて周りを眺めて息をついた。
予選を勝ち抜いてきたチームたちが、今日の舞台をやり遂げようと真剣な表情をしている。
どこのチームも気合いが入っていて最後の準備にも余念がないのがわかる。
あーあ。強豪がいっぱいだ。
……おーい。
いつの間にか燐くんが、私の不安な心中を察したような眼差しをしながら後ろに立っていた。
足、本当に大丈夫なのか?
うん……、平気だと思う。
でもお前、何だかひどい顔してるぞ。
…………。
何ていうか……、今更だけど、本当に私が出場するのが正しかったのか少し不安になってきて。
燐くんに出てもらったほうが、点数もチームにとっても良かったんじゃないかって。
思わず弱音がこぼれてしまう私の肩を燐くんが両手で掴んだ。
わ……。
美結、迷うな。お前が出るから意味があるんだから。
…………!
真っ直ぐに私を見つめながら伝えられる言葉にはっとする。
添えられた両手からは、温かさや私を気遣う気持ちが伝わってきて胸が熱くなった。
俺が予選で頑張れたのも、これまでの美結の努力を見ていたからだし。
何よりも、頑張ったことが自分を支える一番の自信になるんだろ?
あ……。
それは予選のときに、私が燐くんに伝えた言葉だった。
燐くんが私の代わりに出た予選で見せてくれた、引き込まれるような演技に感動した気持ちが甦ってくる。
(本当に私、燐くんに助けてもらってばっかりだ……)
肩の力が抜けて、自然と顔に笑顔が戻ってきたのがわかった。
ありがとう、燐くん。……ちょっと落ち着いた。
燐くんは微笑み返してくれた後、私の背中をポンと押す。
俺も美結たちと踊ってる気持ちで応援してるから。
——うん! 見ててね!
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本番直前。恒例の気合い入れのため、チア部のメンバーと円陣を組んで輪になる。
———こんな不甲斐ないリーダーを本大会にまで連れてきてくれてありがとう。
みんな、そしてリンダちゃんにも本当に感謝しています。
足を引っ張ってばかりだったけど、今日はみんなにその恩が返せるように、全力を出し切るつもりです。
美結……。
…………。
全員で楽しんで、悔いのない演技をしましょう!
おーーーーーーーーーーー!!!!
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気合い入れの後、すぐに出番がやってくる。
定位置について曲がかかるのを待つ間。会場が一瞬しんと静まるその瞬間が好きだ。
客席から燐くんが微笑みながら見守ってくれているのが心強いな、と思う心の余裕もある。
(うん。少し前の不安が嘘みたいに精神的に落ち着いてる)
やがて曲が鳴り、元気な掛け声と共に私たちはポンポンを振り踊りだす。
激しいダンスになると足首へかかる負担が増えて、ズキズキと鈍い痛みが響く。
(あと少しなのに……! 次の大ジャンプはだけは成功させたい)
勢いよく飛ぼうとするが、ズキっとした痛みが走り、ほんの少しだけジャンプの踏み込みが甘くなってしまう。
美結! 頑張れ!!
(……燐くん!)
客席から聞こえた燐くんの応援。
それに応えるように痛そうな顔だけはせずに、とびきりの笑顔を振りまいて精一杯のジャンプをした。
大音量の中にいても、たくさんの拍手と声援が聞こえる。
(お客さん、みんな笑顔で見てくれてる)
(すごく嬉しいし、楽しいな)
このメンバーで踊れることに喜びを感じながら、ひたすら全力で最後まで踊り続けた。
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ー居酒屋ー
それじゃ、みんな本当に今日はお疲れさまでしたーー!!!
かんぱーーーーーーい!!!
大会が終わり、私たちは打ち上げで居酒屋に来ていた。
今回の大会は、結果としては惜しくも準優勝に終わってしまった。
でも、全力を出し切れて今は清々しい気持ちだ。
準優勝なのは残念だけど、表彰台に立てる順位が取れたのは嬉しいな。
ああ、準優勝だって十分すごいよ。
なぜか打ち上げにも参加している燐くんが、嬉しそうにそう言ってくれる、
そうだよね! 来年こそは優勝目指そう!
このメンバーなら、来年はもっとすごいことができそうで、今からわくわくしちゃうな。
うん、本当にそうだね……!
チア部の結束も強まって、それに自然と隣に燐くんがいて、なんて素敵な夜なんだろうと思ってしまう。
ちらりと横を見ると、燐くんが楽しそうに飲んでいて、さらに嬉しくなってしまった。
……今日見てて思ったんだけどさ、誰かを一生懸命応援するのも楽しいもんだな。
視線に気づいてか、燐くんがふっと私だけに聞こえる声の大きさで話しかけてくる。
見てるこっちも、自然と美結のダンスに元気づけられたよ。
燐くん……。ありがとう。
わきあがってくるような嬉しさと甘い気持ちに胸がぎゅっとなる。
私もね、燐くんのダンスを見て元気をたくさん貰ったからここまで頑張れたんだよ。
小声でそう言うと、燐くんは目を細めて口角をにっと上げた。
(そうだよ……。チアダンスは、『見ている人を元気づけることができる競技』なんだ)
(当たり前なのに、何度も忘れそうになっていたそのことを、身を持って理解できた気がする)
ありがとう、燐くん。
心からの気持ちでそう言うと、燐くんはひと呼吸置いた後、無防備な優しい笑顔で口を開く。
こちらこそ。ありがとな、美結。
またひとつ心が通じたような気がして、幸せな気持ちが広がっていく。
そうやって、楽しい打ち上げの夜は更けていった。
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ーうろこの家リビングー
打ち上げから一週間ほど経った頃。
私は大学帰りに偶然会った燐くんに、そのまま家へ招かれていた。
ごめんな、急に誘ってさ。もう足は良くなったか?
大会が終わってから特に顔を合わせる共通点がなくなっていた私たちは、会話するのも久し振りだった。
うん、おかげさまで。もうすっかり普通に歩けるよ。チアの練習も本格的に再開してる。
そっか、良かった。
うん。
………。
あまり共通の会話がないのに少し困って、私は執事さんが淹れてくれた紅茶に口をつける。
ふんわりと漂うアールグレーの香りを胸に吸い込みながら、どうして急に家に誘われたのか考えていた。
突然呼んだりして、ごめんな。
あんまり人前で話したくないことだったのと、美結に最初に聞いてほしくて家に呼んだんだ。
私の思考を読んだように、燐くんが少し照れ気味にそう切り出した。
話……?
うん。俺、本気で面白く思えるものとか、取り組めることがないことで悩んでたじゃん?
でも、美結に出会ってから色々なことがあったおかげだと思うんだけど……。
だんだんと人前で何かを表現することが楽しいって思えるようになってることに気付いたんだ。
へぇ……。
だからさ、役者の道を目指そうと思ってるんだけど………どう思う?
役者!? すごい! 燐くんにぴったりだよ!
燐くんのお母さんが役者だったり、ハロウィンの女装で堂々とした舞台を踏んだこと。
何よりもチアで、リンダちゃんを完璧に演じつつ周囲を魅了するダンスをしたことを思い出さずにはいられなかった。
すごくいいと思う! 華もあるし、絶対に天職だよ!!
美結にそう言ってもらえると安心するな。
ホント、美結に出会ったときはこんなに自分が変われるとは思わなかったよ。
まずは一生懸命、頑張るよ。
何も一生懸命になれるものがないと言っていた燐くんの変化に、涙腺が緩みそうになってしまう。
ホントに、本当に良かった……。
美結にやっとこの話ができて、ほっとしたよ。
燐くんはやわらかな微笑みでそう言ってくれる。
……そういえば連絡先もお互い知らないんだよな。何か今更だけど交換するか?
え……。
その言葉に動揺して頬が熱くなってしまうのを感じてしまう。
言っておくけど、俺あんまり連絡先教えない人だから。
もったいぶったような燐くんの口調だったけれど、私は嬉しさが勝って素直にありがとうと笑顔を返す。
そんな私に燐くんは苦笑すると、スマホを取り出した。
そういえば、美結の足の快気祝いしないとな。——予定、いつ空いてる?
ごく自然にそう言ってくれることが嬉しくて、私は抑えきれないくらいの笑顔になってしまう。
うん、えっとね……。
出会った頃よりも、燐くんがどんどん近い存在になっていることを噛みしめながら、私もスマホを取り出す。
そして、2人の未来がきっとこれからもっと繋がって、さらに広がっていくような幸せな予感に胸をときめかせていた。