うろこの家
~8話~

ー大学正門ー

美結

おーい、燐くん。

『リンダ』としてチア部の練習を終えた後、燐くんは更衣室は使わずに別室で着替えて脱出していた。

私は着替え終わった燐くんを探し出すと、彼は後ろのほうから小声で呼びかけてきた。

美結。俺、このまま抜け出してきちゃったけど問題なかったか?

美結

うん。リンダは忙しいのと恥ずかしがり屋だって言っておいたから。

美結

次からも今日みたいに別室で着替えて、そのまま帰ってもらっていいって燐くんに伝えておこうと思って。

そっか。わざわざサンキュ。

美結

……今日は練習に出てくれて本当にありがとう。みんなに燐くんが男だって全然バレてなかったよ。

もしあの場でバレたら恥ずかしくて生きていけないな。

美結

ふふっ。

お互いの顔を見合わせながら笑い合うけれど、燐くんはふいに真面目な表情になる。

……あのさ、本当に俺が予選に出て大丈夫なのかな?

美結

それは、女装がバレないかってこと?

それは大前提。そうじゃなくてさ、俺より美結が出たほうが点数がいいかもしれないなって思って。

普段自信たっぷりな燐くんにそう言われて、少し面食らってしまう。

美結

そんな。燐くんは何でもこなせるし私は怪我でいつもよりも動けないから比較にならないと思うけどなあ。

そうかな。

美結

燐くん?

いつもと違う様子に、女装なんて無理をお願いしたせいなんじゃないかと心配になってくる。

美結

あの……。

まあ、そうだよな。俺がやるべきだよな。

燐くんは視線を下に向けて、独り言のようにそう呟いた後、いつも通りの顔になる。

ダンス、再構成するんだろ? とりあえず俺はそれを完璧に覚えるよ。

美結

うん……。ありがとう。

自信を取り戻した笑顔を見せると、燐くんはそのまま帰っていった。

だけど、その後ろ姿を見送りながら、私は何か引っかかるものを感じていた。

ー大学中庭ー

翌日、柔軟が終わったみんなを集め、新しく構成し直したダンスを全員で合わせてみたいと提案する。

美結

今日は私の代わりにリンダちゃんを入れて、通しで新しい振りをやってみます。予選はこのバージョンでいく予定です。

昨日は部分パートごとに踊っていたので、燐くんが通しで部員全員とダンスをするのは初めてだ。

美結

(燐くん、大丈夫かな)

チア部の部員1

昨日見てて思ったけど、リンダちゃんはすごく飲み込みが早いし、もちろん全員でフォローするから大丈夫だよ。

チア部の部員2

そうそう。動きも大きいし、綺麗だし見栄えもいいと思う。

私の不安を見透かしたように部員たちが笑顔を見せる。

美結

うん。みんな、ありがとう。じゃあ始めようか!

…………。

全員が所定の位置についたのを確認し、私は用意していた記録用のビデオと音楽をスタートさせた。

元気のいい掛け声と共に全員がポンポンを持って踊りだす。

……っ。

燐くんの自信のある動きが、部員たちの動きを引っ張っている感じがした。

美結

(でも燐くん、声はちょっと小さいな。たぶん男ってバレないか不安だからだと思うけど)

美結

(後で口パクでもいいから、声出してるフリしてって言っておこう)

急な振り付け変更だったけれど、みんなのそれを感じさせないダンスに胸を打たれる。

急きょ追加した燐くんを中心としたダイナミックな連携ダンスも、見せ場として十分な仕上がりだ。

美結

(さすが燐くん! 初めて合わせたようには思えない出来だよ)

演技が終わった後、部員みんなが燐くんをすごいと褒めている。

チア部の部員1

リンダちゃんすごいね! こっちも安心して踊れたよ。

チア部の部員2

うん、本当に初心者とは思えない。

あ、ありがとうございマス。

チア部の部員3

これなら予選も何とかなるかも! 必死に練習してきて良かった〜。

部員みんなにあった、予選までもう少ししかないという緊張感が、燐くんのおかげで和らいでいるのを感じる。

みんなの言葉に無言で微笑みを返す燐くんを見ながら、私も少し安心したのだった。

ーうろこの家リビングー

予選まであと一週間か。

練習の後、今日気になったことを改めて伝えるため燐くんに話しかけたところ、 俺も話があるからと、そのまま燐くんの家まで来てしまっていた。

美結

そうだね。でも燐くんのおかげで希望が見えてみんな喜んでるよ。

違うだろ。俺のせいで美結が怪我しなければ良かったんだよ。

一通りの反省点を伝えて執事さんの淹れてくれた紅茶を飲みながら、燐くんの顔はさっきからずっと冴えない。

美結

どうかしたの? 何だかあんまり元気ないみたい。ちょっと疲れさせちゃったかな?

リンダとして振る舞いながら、いきなり大会予選に向けて練習させていることが重荷になっているのではと不安になる。

いや……。部員のみんなもさ、すごく頑張ってるのが一緒に練習して身をもって理解できたよ。

美結

うん。

えーと、だからさ。俺ももう少し練習しといたほうがいいかなと思うんだけど。

美結

(燐くんが自分から練習しようって言うなんて……!)

美結

自主練するなら、いつでも付き合うから言ってね!

美結

こんな状態だけど、部員のみんなも燐くんのおかげで予選への緊張が和らいでるよ。

美結

本当にありがとう。

…………そっか。俺にできることなんかあんまりないから、役に立ってるならいいけど。

美結

ただでさえ天才の燐くんが自主練までしてくれるなんて、本当に心強いよ!

………まーな。

その日の夜から燐くんと公園で自主練をする日々が始まった。

ー大学正門ー

全体練習が終わった後、毎日公園で自主練を重ね、あっという間に数日が過ぎていた。

予選まであと3日か……。

ある日の帰り際、燐くんが少し考えたように呟いた。

美結

でも燐くん、演技完璧だよ! このまま行けば絶対大丈夫。

まあ、予選くらいは絶対に通過しなきゃいけないからな。

今日の夜の練習だけどさ。リンダの格好でやってみるよ。

当日はずっとあの格好してなきゃいけないんだしな。

美結

う、うん。わかった。

美結

(燐くん、すごく本気で頑張ろうとしてくれてるんだ)

美結

(私もその頑張りに応えなきゃな)

ー公園ー

燐くんは公園にやってくると、すぐにリンダの格好に着替えて練習の準備を始めた。

美結

何だか堂々としてて、本当に違和感ないね。

こんな格好するには堂々としてないと逆に辛いんだよ。

美結

なるほど。それはそうかもね。

美結

あのさ、こんな格好までして予選に出てくれるなんてすごく感謝してる。ちゃんと自主練までしてくれて……。

まあ、俺にも責任があるし。

それに毎日部員たちの必死な姿を見てると、俺も絶対にミスとかできないなと思ってさ。

練習なんかしなくても完璧なはずの燐くんがそう言うのを、私は少し不思議な気持ちで聞いていた。

美結

(燐くん、少し前と印象違うな……。ちゃんとチアに打ち込んでくれてる感じがする)

美結

助っ人なのに、チアに打ち込んでくれて嬉しいな。

打ち込んでる、か。そう言われれば今までで一番努力してる気もするな。

美結に会ってから、ホントいろんなことが変わっていってる気がする。

美結

それって、いい変化なの?

たぶんな。戸惑うことも多いけど、今まで打ち込むものがなかったから成長するために必要って感じ。

美結

本当は、燐くん自身が自主的に努力したいことが見つかると一番いいんだけどね。

……女装で俺がチアしてるのは置いといてさ。

美結

うん?

俺はこうやってお前といるのは嫌じゃないし、今はチアの練習を努力したいって思ってるよ。

美結

燐くん……。

以前は何も打ち込めるものがないと言っていた燐くんの変化に、驚きと嬉しさがふつふつと芽生える。

美結

ありがとう。そう言ってくれるとすごく嬉しい。

柔らかい表情で微笑む燐くんを見ながら、女装することで整った顔がさらに美人になったなあと感心する。

美結

それにしても燐くん、綺麗だよね。部員のみんなとダンスしてても、すごく美人で目立ってるよ。

…………。

美結のほうが綺麗だろ。

美結

え……!?

そう即答されて、驚きで顔が熱くなってしまう。

何しろ美結は内側からの輝きがあるからさ。見た目だけ良くても仕方ないよ。

美結

(うっ。褒めてくれたのには変わりないけど、何だかそういう意味じゃないみたい)

俺は外面だけ気取って滑稽に見える。だから見た目で『美人』とか、『綺麗』とかしか言われてないんだよ。

美結

そんなこと……。

燐くんが密かに思っていることが垣間見えて複雑な気持ちになる。

美結

でも見た目が綺麗なんてすごくいいじゃない!

美結

それに私は、燐くんの内面も悪くないと思うよ。

それだけは伝えたくて、何だか必死に訴えてしまう。

悪くない、か。それって褒められてんのかわかんないけど。

でも内面をいいって言われるのは、見た目がいいって言われるよりも全然嬉しいかも。

苦笑しながらそう言う燐くんの顔は、本心からそう思っているように見えて、何だか燐くんの心に触れることができた気がして、妙にじーんとしてしまう。

今日はおかしいな。変なこと喋りすぎた。

少し照れたような燐くんがバツが悪そうにポンポンを持つ。

じゃあ、時間ないから練習するぞ。

美結

うん。音楽もセットするね。

私は率先して練習をする燐くんの姿を、とても嬉しい気持ちで見つめていた。

何度か練習を重ねた後、休憩のため燐くんはタオルで汗を拭きながら私の座るベンチに腰を下ろす。

客観的に見てて、俺の演技どう?

美結

うーん。技術的には完璧だと思う。

なんか引っかかる言い方だな。

美結

何ていうのかな。感覚的なところなんだけど……。

美結

アドバイスがあるとしたら、もっと楽しそうに演技するといいんじゃないかなって思うんだけど。

私は燐くんの演技から伝わってくるものを自分なりに分析してそう伝える。

……なるほどな。楽しいっていう感覚は考えたこともなかったな。

美結

…………。

以前よりはだいぶ減ってきていたのだけれど。

でも、何だかこういうちょっとしたときに燐くんから違和感を感じることが今までにも多々あった。

美結

演技してて、やっぱり楽しくはない?

楽しい……か。いや、考えたことなかったからわかんないな。

美結

……そっか。

美結

でもさ、演技を見てる人を楽しませるためには……。

悪い。わかんないんだよ、本当に。

燐くんが私の言葉を止めるように口を開く。

美結

…………。

でもその美結が言う、ちょっとしたズレがすごく大事なことなんだろうな。

出会った頃の燐くんが、『チアの何が面白いのかわかんない』と言っていたことを思い出す。

美結

(やっぱりそこは変わってないんだ)

美結

(仕方ないことかもしれないけど、ちょっと寂しいな)

そんな顔するなよ。どうしていいかわかんなくなる。

ひどい顔をしていたみたいで、燐くんの指摘に私は慌てて笑顔をつくる。

美結

ごめん。じゃあ演技中は、作り笑顔でいいから、もっと不自然なくらい笑ってみたらいいかもしれないよ。

そっか……。うん。そうしてみるよ。まずは形から入るのも大事だしな。

燐くんはタオルを置くとベンチから立ち上がり、また練習に戻ろうとする。

その背中を視線だけで追っていると、ふいに燐くんが振り返って目が合った。

そういえば、美結が自主練してるときよくイメージ通りにいかないって言ってたけどさ。

最近その意味がわかった気がするよ。

美結

燐くん……。

………でも、頑張るからさ。

真剣な表情でそこまで言うと、ふっと燐くんは明るい表情を作って私に笑いかける。

何でもできる俺がこんなに努力してるんだからさ、予選当日を楽しみにしておけよ。

美結

——うん。楽しみにしてるね。

合わせるように私も笑顔を作ってみせるけれど。

何だか燐くんが無理に作り笑いをしているような気がして、妙な引っかかりが消えなかった。