ー大学中庭ー
チアの全体練習をしながら、私は急に焦りを感じていた。
(もうすぐ大技だ。ミスしないようにしないと……!)
そう思いながら、勢いよく飛んだ瞬間。
あっ!
ためらいのあったジャンプのせいでバランスを崩し、着地がおかしな形になるのがわかった。
美結、大丈夫!?
近くにいた部員が心配して声をかけてくれる。
うん、ごめん。大丈夫。
そのまま立ち上がり、何事もなかったように次の演技をするが、頭の中ではさらに焦りが広がっていた。
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(大会予選まであと1週間しかないのに足を引っ張ってるよ)
全体練習が終わり、みんなが帰っても私は気持ちが浮かず、校内でぼんやりしていた。
(練習はたくさんしてるのに……、もっと精神的にも強くならなきゃな)
……おい。
はあ……。私、チアの才能ないのかなあ。
おいってば!
うわっ! って、燐くんかぁ。びっくりしたあ。いきなり驚かさないでよ。
少し前から声かけてたんだけど、全然気がつかないからさ。
そうなの? ごめん、ちょっと考え事してて。
あー。自分にはチアの才能ないとか?
うっ……。
ずいぶんとデカい声の独り言を言ってたから。
どうせ私は天才の燐くんとは違うのよ。
…………。
あれ、そういえば今日は取り巻きのみなさんがいないね?
飲みに誘われたけど、なんとか断った。
そうなんだ? まあ毎日だと大変だよね。
強いて言うならお前のせいで行かないんだけどな。
えっ、どういうこと?
…………。
この前さ、『協力して頑張ればより良いものになるし、そこでしか味わえないものもある』って言ってただろ?
女装コンテストで、頑張る必要がなくて悩む燐くんに思わず言ってしまった言葉にどきっとする。
あ、それ……。今思えば燐くんにも色んな悩みがあるのに悪かったかなって思うよ。
別に悪くないよ。ああ言われて、確かに個人プレーばっかりしてきたなって思ったからさ。
でもそれから何だかモヤモヤしてさ、飲みに行くのは止めて、一人で静かに考えてみたくなった。
『協力して頑張る』っていうのは、今とはもっと違う何かが見えて何事にも熱くなれたりするのかなとか。
燐くん……。
(何かやっぱり悪いこと言っちゃった気がする)
で、静かに考えながら歩いてたら、たまたまお前のデカい独り言が聞こえてきて。
ううっ。
燐くんは少し茶化した雰囲気でそう言った後、急に真面目な雰囲気で私に向き直る。
なあ。美結が言うみたいに、他人と協力するって、何からすればいいんだ?
何からすればいいって言われても……。
お前、チア部のリーダーなんだろ? 協力したり、させたり、まとめたり。そういう調和を保つのも仕事だろ?
まあ、そうだけど。でも今は技が上手くいかなくてチームの足を引っ張って落ち込むリーダーですから。
うなだれるように言うと、燐くんは小さくため息をつく。
確かに俺には技が上手くいかなくて他人の足を引っ張る気持ちはわからないが。
(天才の言葉はいちいち刺さるわ……)
でもさ、それでも美結は仲間に迷惑かけないように頑張ろうと、努力してるわけだろ?
それはやっぱり協力し合って、より良いものにしたり、そこでしか見えないものがあるからか?
……うーん。それは、まあ。あと、みんなで協力する競技だし、それが当たり前っていうか。
当たり前か。俺もそういうの少しでもいいから知りたい気分なんだけど。
(燐くん……。これは本気で言ってるんだよね)
やっぱり天才も大変だなと思いながら、練習が上手くいかずモヤモヤしていた私は、ふと軽い冗談を思いつく。
……それなら今、私に協力してよ。どうすればスランプから脱出できるか一緒に考えてもらいたいなって。
もちろんすぐに『なーんてね』と、冗談めかして言うつもりだった。しかし……。
わかった。身近な美結の素朴な悩みを解決するくらいが、最初の課題としてはちょうどいいな。
予想外に真顔でそう返されて戸惑いを隠せない。
あ、あのう。燐くんにとっては素朴な悩みかもしれないけど、私は結構本気で悩んでるんだよ。
燐くんの真意がわかりかねて、思わずそう言ってしまう。
わかってるよ。でも傍から見てると、必死になりすぎて力が入りすぎてるように見えるぞ。
えっ、そうかな……? 確かにそれはあるかもしれないけど……。
だから俺が肩の力を抜いて、違う目線が持てるような機会を『協力して』作ってやるよ。
という訳で、とりあえず帰る支度して。
ええっ!?
私は『協力する』と急かす燐くんに、強制的にそのまま荷物をまとめさせられたのだった。
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ー大学正門ー
じゃあ行くか。あんま時間ないから近場でな。
ねえ、行くって一体どこに行くの?
すぐ近くだけど、俺のおすすめの店。
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ーカフェー
よくわからない気持ちのまま、燐くんに連れられてお洒落なカフェにやって来てしまう。
あー、何か腹減ったな。ここはケーキもいいけど、チーズトーストが美味いんだよな。
それにコーヒーも紅茶も湧水で淹れてて香りがいいぞ。
燐くんはおすすめのメニューを指差して私に教えてくれる。
えっと、トーストも美味しそうだけど夕飯前だし、紅茶とケーキのセットにしようかな。
じゃあ、俺は安定のチーズトーストとコーヒー。あ、すみませーん。
燐くんは店員さんを呼んで、さり気なく私の分の注文もしてくれる。
ありがとう。まさか燐くんとお茶しに来るとは思わなかったし、ちょっと不思議な感じだね。
俺、この喫茶店結構気に入ってるんだ。休みの日にたまに一人でも来たりさ。
そういえば、美結は休みの日は何やってんの?
うーん、友達と遊びに行くこともあるけど、最近はチアの練習ばっかりかも。
マジで? 休みの日も一人で練習!?
不安なんだよね。そう思うと今もお茶してる場合じゃないような気が……。
おい、俺が誘ったお茶に失礼な奴だな。
ごめん。照れてもありまして。正直どうしていいか……。
いいからもっと楽しむ努力をしろって。
毎日練習して考え詰めなんだろ? 少しはリラックスしないと、精神的にも良くないぞ。
それに美結は練習はたくさんやってるんだから、もっと自信持てって。そうすればミスも減るんじゃないか?
……ありがとう。そう言ってもらえると少し気持ちが楽かも。
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やがて運ばれてきたメニューを食べながら、その美味しさにさらに心もほぐれてきたのを感じる。
いやー本当にすごく美味しいね! 紅茶もいい香りでリラックスできるし、雰囲気も落ち着いてて素敵なお店。
だろ? 俺が誰かをここに自分から連れてきたのは初めてなんだぞ。
それを聞いて少しドキッとしてしまい、思わず目線を燐くんからケーキに移す。
2人でお茶をしているのが何だかデートみたいに思えてしまい、恥ずかしさが出てきてしまう。
どうした? 顔赤いけど。
燐くんが、ぐっと身を乗り出して私の顔を覗きこむ。
い、いえ。何でもないです!
何だその敬語。あ、まさか照れてんのか?
ううっ……。
(燐くんに他意がないのはわかってる。わかってるんだけども……)
あはは。そういうところは素直な反応で可愛いよな。
じゃあ、ここは俺がおごってやろう。
えっ、でも悪いよ。
気にすんなよ。そもそも連れてきた時点でおごるつもりだったから。
燐くんは優しい表情で立ち上がると、伝票をさっと掴んで先にお会計を済ましてしまう。
ありがとう! 何だかごめんね。
今日だけだから安心しろ。まあ気にせずゆっくり食えよ。
いたずらっぽく笑う燐くんに私も笑顔で頷いて、2人っきりのティータイムを楽しんだのだった。
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ー北野坂ー
少しこの坂を登るぞ。この先にすごくいい場所があるんだ。
へえ、楽しみだな。
燐くんのおかげでリフレッシュできた私はすっかり明るい気分になっていた。
…………。
ん、どうかした?
いや、にこにこしていいいじゃんと思ってさ。
チアで踊ってるときも、そういう表情の精神状態で踊れれば、もっと実力が発揮できるんだろうけどな。
……うん。そうかもしれないね。
あー、私にも燐くんの女装コンテストのときみたいに圧倒的な存在感と美貌があればなあ。
まあ俺レベルは無理なのは仕方ないけど、美結も十分可愛くて魅力あると思うよ。
え……。
いるだけで周囲が明るくなるっていうか、ムードメーカーというか。
……ま、だからリーダーなんだろうな。
そんなこと言われたの初めてだよ。
そうか? まあ、だから自信持てよって話。
うん……。ありがとう。
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ー北野神社ー
坂を上って行くと、やがて風情のある神社にたどり着いた。
そこは高台になっていて、街が一望できる、まさに絶景スポットだった。
うわあ、すごく綺麗!
見て見て! 異人館や遠くには海まで見えるよ!
ああ。久しぶりにこの時間に来たけど、夕焼けがまたいい感じだな。
うん! 改めてこうして見るとこの街って本当に綺麗……。
そうだな。ここは俺の家から近いし来る機会は結構あったんだけど、改めて見るとなかなかいいな。
うん。こんなに綺麗な夕陽が見れてちょっと感激した。
喜んでもらえてよかったよ。でも締めが神社なんて中学生のデートみたいだったけどな。
え……。
デートという単語に反応して顔が少し赤くなってしまいそうになる。
で、でも中学生はあんなお洒落な喫茶店知らないよ!
くすくすと燐くんが笑って少し首をかしげながら私を見た。
簡単ながら俺にできる『協力』をしてみたんだけど、どうだ?
うん……ありがとう。リラックスできて楽しかったよ。
そっか。それなら良かった。
でもごめんね。協力してって言ったけど、これは燐くんが本当にやりたい協力じゃなかったよね。
言っただろ? 美結の素朴な悩みを解決するくらいが、俺の最初の課題としてはちょうどいいって。
それに俺が美結へはこの方法がいいかなって思ったわけだし。
うん……。
あと俺も、美結と出かけたことで見えたものはあったような気もする。
え、本当に?
美結は何も見えなかったかもしれないけど。
そんなことないよ。燐くんと出かけるのは新鮮だったもん。
おかげで、もう少しリラックスして自分のやるべきことに取り組もうって思えた。
今日こうやって連れ出してくれなかったら、たぶんまだ暗いままだったよ。
そうか?
夕陽を浴びながら優しく微笑みを返してくれた燐くんの、その丹精な表情に思わずドキッとしてしまった。
(やっぱり、すごく格好いいんだよね)
……最近、いつも何も考えずに行ってた飲み仲間の誘いを断ってるのは、お前のせいって冗談で言ってたじゃない。
うん。
そわそわしたものの正体はまだ見つかってないけど、心境の変化があるからそう思うって気がするんだ。
心境の変化……。
燐くんは、すっと真面目な表情になると言葉を選びながら口を開く。
そう。気持ちがそわそわするのは心境の変化のせいで、その変化はやっぱり美結のせいだと思う。
今までこんなことなかったし。
いや、美結のおかげ……って、言うべきなのかな?
私は燐くんの言葉に何か大事なことが隠されているような気がして、必死でその意味を考える。
燐くん……。
まあ、聞き流してもらっていいよ。俺にもよくわかんないし、気の迷いかもしれないからな。
少しシリアスな表情から一転して燐くんは明るく笑うと、そろそろ帰るかと踵を返した。
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ー住宅街ー
じゃ、この辺で。
うん、ありがとう。……あれ?
そのとき、後ろからどこかで見たことのある人たちがこちらに近づいてくるのが見えた。
ねえ、やっぱり燐じゃない!? こんなとこで何やってんの?
あれぇ? まさか俺たちの飲み断ってデートしてんのぉ?
は? なにそれ。超ムカツクんですけど。
ええっ……。
突然向けられた冷たい目線にたじろいでしまう。
…………。
えー、なになに? 最近俺らの誘い断ってんのって、そういうこと〜?
あれ、この子見たことある。うちの大学じゃね?
いきなり不躾に顔を覗き込まれて体が強張ってしまう。
燐、まさかこんな子に肩入れしてんの?
あっ、たぶんチア部の子でしょ。チア部っていつもなんか必死で練習しててウケんだけど。
(何この人たち! すごく感じ悪い!)
マジで? 大学生にもなってチアとか超ダサいんですけど。
(さっきからつくづく失礼なのと、ものすごい敵意を感じるよ)
燐、別に付き合ってるわけじゃないわよね?
……別に、そういうんじゃないけど。
嫉妬を丸出しにした女子の目線からかばうように、燐くんが私の前に立つ。
ていうか、この子は偶然そこで会っただけだから。
(え……)
……美結、悪い。
燐くんは一瞬目配せをすると、私だけに聞こえる声でそう呟いた。
そして振り返らずに、そのまま取り巻きたちのほうに歩いていく。
燐くんがみんなを押し出すようにこの場を立ち去ろうとしているのがわかった。
もう燐てば! 誤解させないでよね〜。早く飲みに行こう!
女子たちはさっそく燐くんにべったりと抱きついて、急に上機嫌でどこに飲みに行くか話している。
燐くん……。
どんどん遠ざかっていく背中を眺めながら、燐くんが話していたことを思い返して複雑な気持ちになった。
(最近仲間の誘いを断ってるって。心境の変化があるって言ってたのに)
(それなのに、この場から私をかばうために結局、またあの人たちと飲みに行くことにしたんだ)
何ともいえない気持ちに襲われながら、私は一人、その場からしばらく動けないままでいた。