ー大学廊下ー
困ったなあ……。
昨日公園で足を痛めた後、燐くんの家で応急処置を受けて、車で家まで送ってもらっていた。
(今日、朝一番で病院へ行ったけど、捻挫って診断されちゃった……)
(しかも3週間は安静にしないといけないって)
先ほど聞いた医者の言葉を反芻(はんすう)しながらため息をつく。
確かに足首には内出血もあって、結構腫れてきてしまっていた。
本当にどうしよう。あと10日でチアの大会予選なのに。
ひょこひょこと上手く歩けない足を引きずりながら、憂鬱な気持ちでひとまずチアの練習へと向かった。
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ー大学中庭ー
美結!! その足どうしたの!?
うそ、怪我したの!? 大丈夫!?
案の定、部員のみんなは私の足を見て青ざめている。
……うん、ごめん。ちょっと捻挫しちゃって。
捻挫って、練習中に?
あ……。えっと、通りすがりにその、ぶつかって転んじゃって……。
本当の理由が言い難くて、つい適当に誤魔化してしまう。
何それ! ぶつかった奴最低じゃん!
でも私も不注意というか……。
……みんな、もうすぐ予選なのに本当にごめんなさい!
申し訳なさがこみ上げてきて、深々と頭を下げる。
しばらくは出来る練習をして、予選当日は痛み止めを打ったりして絶対出られるようにするつもりだから。
安静にしてなくて本当に大丈夫なの? 無理したら良くないよ。
うん、でもじっとしていられないから。みんなにも申し訳ないし……。
美結……。
そんなこと言わないで。一番辛いのは美結なんだから。
そうだよ。あんなに一生懸命練習してたのに……。
みんな……。
みんな私を責めるどころか、泣きそうな顔で心配してくれて心がぎゅっとなる。
ごめんね……! 大丈夫、すぐ治るから!
少し涙が出そうになってしまったのを必死で堪える。
(みんなを不安な気持ちや心配させないように、しっかり振舞わなきゃ)
そう心に決めると、いつものように笑顔で『じゃあ練習を始めよう!』と張り切った声で呼びかけたのだった。
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ー大学中庭ー
今日の部活ではなるべく痛めた足を動かさないようにして、部員みんなのサポートに徹したつもりだった。
それでもやっぱり、不安にさせちゃっただろうなぁ。
一人になると気を張っていたのが一気に解けて、疲労感が押し寄せてくる。
はぁ〜。足も無理してたのか、さっきよりも痛む気がするし。
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痛めた足をかばうように、ひょこひょこ歩いていると、大学の門のところに燐くんがいるのに気付く。
ー大学正門ー
あれ、燐くん。
ああ、美結。帰るところか?
うん。
そっか。やっぱり痛そうだよな。ちょっと待って。今、家の人間を呼んで車で送らせるから。
そう言ってスマホを取り出す燐くんを慌てて止める。
だ、大丈夫だよ! ゆっくり歩けばいいだけだし。気を遣わないで。
……そうか? じゃあ、帰るか。
と言いながら燐くんも一緒に帰ろうとするので、私は戸惑ってしまう。
あの、燐くんも帰るところだったの?
帰るっていうか、美結を待ってた。
えっ?
心配だったし、俺のせいで怪我なんてさせて……。
何か少しでも協力できることがあれば言ってくれ。
ありがとう。でも別に燐くんだけのせいじゃないよ。
あのとき私がもっと上手に支えられればよかったんだもん。
いや、俺のせいだよ。本当にごめん。
燐くん……。
燐くんの有無を言わさない口調に、彼の後悔や申し訳なさが伝わってきて何も言えなくなってしまう。
歩いてて痛かったら俺につかまってもいいから。
嬉しいけどそこまでしなくて平気だよ。一緒にいるだけで目立つのに、触ったりしたら大変なことになっちゃう。
冗談ぽくそう言うと、燐くんは一瞬不満そうな表情を浮かべたような気がした。
ふーん。まあいいけど。じゃあ並ばないで少し離れて歩くか。
そのままゆっくり歩き出す燐くんの少し後ろから、私が追いかける形で大学を出る。
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ー北野坂ー
このくらい大学から離れればいいか。
繁華街に出たあたりで、燐くんが私を振り返り、隣に並んで歩調を合わせながら歩き出す。
ごめん。気を遣わせちゃって。
いいって。それより、足痛くないか? もっとゆっくり歩くか?
大丈夫だよと言おうとして、少し先を歩いている人影にはっとする。
あれ……!
少し先にいるのは、間違いなく燐くんの取り巻きたちだった。
向こうが振り返ったら気付かれてしまいそうな距離感に足がすくんでしまう。
あいつらに見つかると面倒だな。
そうだ、もし時間があるならここに入らないか?
燐くんが小声で指し示したのは以前にも2人で入った喫茶店だった。
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ーカフェー
ケーキセットを2つ注文して、外から見られていないか気になって窓のほうをちらちら見てしまう。
ねえ。あの人たち、ここに入ってきたりしないかな?
あいつらはこんなとこ入らないよ。店に行くなら居酒屋だろ。
そうなんだ。じゃあ一緒にいても見られる心配ないね。
ほっとする私を見ながら、燐くんがまた不満そうな表情をしたような気がして気になってしまう。
あのさ……。燐くん、さっきからちょっと怒ってる?
え?
たぶん……私といるせいで、こうやって迷惑かけちゃうせいだと思うけど。
そうじゃないって。
少しイラついたように燐くんが顔を上げる。
……美結が、俺と一緒のところを見られるのが嫌そうだからだろ。
ええっ、嫌じゃないよ。ただ燐くんと一緒だと誤解されたり迷惑かけるから……。
わかってるよ。でもそんな扱いされたこと今までないからさ。地味にくるんだよな。
ご、ごめん!?
いや、俺こそごめん。自分でもよくわかんない感覚にびっくりしてるんだ。
……燐くん?
それにさ、よく考えたら無理に喫茶店に連れ込む必要もなかったんだよな。
こうやって俺と一緒にいるから美結に迷惑かけるんだし。
私が何も言えずにいると、燐くんは少し落ち着いたように息をついた。
……ていうか、ごめん。本当に何でもないから。
う、うん。
美結の足も俺のせいだし、本当に最近自分がダメな奴だって思い知らされてるよ。
そんなことないよ! 私のほうもごめんね。
燐くんは空気を変えるように微笑むと、今度は心配そうな顔になって机に両肘をついた。
……足は? 病院行ったんだよね。何て?
あ、うん……。捻挫だって。
一応3週間は安静にって言われたんだけど、あと10日でチアの大会予選なの。
………。
部員のみんなには大丈夫って言ったけど、本当はこの足で予選に出るのは難しいかもしれなくて……。
それなら本当はダンスの構成も変えなきゃいけないのに私、問題を先送りにしてる。
チア部は部員の人数も少ないから、代わりに演技できる人もそういなくて。
……私が抜けると構成も変わるし、かなりダンスの難易度を落とさなきゃいけなくなっちゃうの。
美結……。
一気にそこまで言って、燐くんの苦しそうな声に我に返る。
あっ……。ご、ごめん! 言っても仕方ないこと話しちゃって。
何か俺にできること……あるかな。
(私がこんな話をしたから余計に悩ませちゃってる)
あ、あの。本当に気にしないで! 何とかなるから大丈夫だよ!
も〜、燐くんなら振り付けも完璧にすぐできるから、女子だったら代打で出てほしいくらいだけどね。
私は空気を変えようと、できるだけ明るく、冗談めかした声を出す。
ん……、女子だったら?
冗談で言った自分の言葉にひらめいて、燐くんに真剣な眼差しを向ける。
な、何だよ……。
不穏な空気を感じとった燐くんが、少し体を後ろに引いた。
そうだよ! 燐くんが女装をして代打をしてくれたらいいんじゃない!?
おいおい、ちょっと待てって……。それはいくら何でも無理があるだろ。
ハロウィンで完璧な女装したじゃん! 絶対にバレないどころか美人すぎて人気出るって!
いやいやいや……。冷静になれって。女子の中で踊ってたら男だってバレるだろ。
それは大丈夫だよ! ハーフだから背が高いんだな〜って思われるくらいだよ。
そうかぁ? 万が一バレたら俺、目も当てられないんだけど。
燐くんは本当に綺麗だから、もっと自分に自信持って!
ぐっと力強く燐くんに詰め寄ると、さっと目を逸らされる。
いや、自信はあるんだけど……。
えー。さっき俺にできることがあればって言ってくれたじゃない。
それはそうだけどさ。
私はどうしても諦めきれなくて、懇願する眼差しで燐くんを見てしまう。
………あー、もう! わかったよ! やるよ! やればいいんだろ!
えっ! 本当に!? いいの!?
私のしつこさに半ばヤケクソになった燐くんは、ぶんぶんと首を縦に振る。
あ、ありがとう燐くん! 本当にいいの!?
元はといえば俺のせいだしな。やるなら全力でやるぞ!
私は燐くんの心強い言葉に明るい光が見えた気がしてガッツポーズをする。
本当にありがとう! じゃあ、燐くんの設定はハーフの助っ人新入部員で……。
さっそく次の練習から燐くんに合流してもらうべく、綿密な打ち合わせを始めたのだった。
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ー大学中庭ー
いつもの放課後のチアの練習時間。今日は燐くんを女子として紹介する日だった。
(バレないといいんだけど……)
じゃあみんな、今日は新入部員の紹介をします。燐……リ、リンダちゃんです!
そう言って燐くんをお披露目したとき部員全員がその綺麗さにザワついたのがわかった。
(危ない〜。うっかり燐て言うところだった)
えーと、リ、リンダです。ハーフで日本語上手くないですが、頑張りマス。
留学生で今の時期だけの入部と誤魔化して、面倒な部分は日本語よくワカラナイと切り抜けてもらう設定だ。
(頑張って、燐くん……!)
うわ〜、リンダちゃん綺麗だね!
本当! 美人でモデルみたい〜。チアの経験あるの?
えっと、軽くならできマス。
燐くんが私のダンスを見て覚えていたパートを踊ってみせると、またも部員が沸き立った。
すごく上手じゃない!
怪我してる私が予選に出るよりも、リンダちゃんが出たほうが、みんなも練習しやすいなと思ってるんだ。
美結……。
足を引っ張ってごめんね、みんな。私も一生懸命サポートするので。
…………。
リンダちゃんも入部早々に予選に出て欲しいなんて言ってごめん。私も出来る限りフォローするから。
美結……サン。
私たちは美結がそう決めたなら、その方針で全力で頑張るよ。
美結の怪我も無理して悪化させたくないしね。
みんな……、ありがとう。
迷惑かけてしまっているのに、優しい部員たちの気遣いに胸が熱くなる。
そして燐くんをハーフの女子だと信じてくれたようなのにも安堵した。
しかし大技であるジャンプができるのは私だけだったのと、大きい燐くんを支えられないという問題もあった。
持ち上げて大技のジャンプをするっていう構成を変えるしかないね。
すみません……。リンダちゃんもごめんね。
そんな……。こちらこそ大柄でスミマセン。
2人とも大丈夫だよ。まずは予選の採点にあんまり響かない範囲で少しダンスの構成を変えてみよう。
はい!
…………。
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急遽『リンダ』という女子のフリをして練習に混じることになった俺は、チア部の様子を客観的に眺めていた。
(最初はこの格好が恥ずかしいとか思ってたけど、それどころじゃないな)
美結の怪我を気遣う部員たちや、予選に向けての本気の練習を目の当たりにして俺は考えを改める。
(美結が今までずっとプレッシャーに絶えながら、自主練をしているのを俺は見てたくせに)
(俺のせいでその美結の今までの努力をダメにしたんだ……)
チーム全員が目の前で努力すればするほど、俺の心にチリチリとした何かが生じていく。
(このままじゃ、部員みんなの努力も俺のせいで無駄になるのか)
燐くん、大丈夫?
美結が部員の目を盗んで、心配そうに小声で俺に話しかける。
……ああ。頑張るよ。
ありがとう。何か問題があったら教えてね!
微笑みながら他の部員の様子を見に行く美結の、痛そうに足を引きずる姿を見ながら思う。
(必ずダンスを成功させて、せめて予選くらいは通過しなきゃダメだ)
(そのためには……。俺がもっと頑張らないといけないんだ)
心に広がるチリチリとしたものの正体はたぶん初めての『焦る』という感覚なんだと、そのとき初めて気が付いた。