うろこの家
~9話~

ー大会会場ー

会場を埋めつくす大勢の観客。様々なコスチュームに身を包んだ各大学のチアリーダーたち。

ついに予選当日。俺は選手として出場するために会場へと来ていた。

美結

いよいよだね。

ああ……。

美結

毎日猛特訓したし、絶対大丈夫だよ!

チア部の部員1

美結! リンダちゃん! こんなところにいたんだね。

チア部の部員が現れて、俺は慌ててリンダとして振舞うべくハーフの女子っぽい声色に変える。

う、うん。おつかれさまデス。

チア部の部員2

今回の優勝候補って言われてる大学の演技がそろそろだから、みんなで見に行かない?

美結

そうだね。そのほうがリンダちゃんにも本番の雰囲気を知ってもらえるし。

ハイ。

俺はみんなの後について歩きながら、改めて周囲の人々に意識を向けてみる。

他校の生徒たち

予選突破に向けて、気合い入れてくよ!

他校の生徒たち全員

おーーーーーーー!!!!

………。

本番の舞台に臨むため、そこかしこで気合いを入れている人たちがいる。

(この人たちも大会に出るためにずっと頑張ってきたんだな)

(今日という、本番のために……)

会場中を埋めつくす、ピリピリとした独特の緊張感。

それが肌から意識の奥まで染みわたってきて、俺はだんだんと自分の調子が狂っていくのを感じていた。

美結

さっきの大学の演技、すごかったね。

私はチア部のみんなに気付かれないように、燐くんにそっと話しかけた。

ああ、そうだな。

燐くんも『リンダ』ではなく素の反応で小さく返事をしてくる。

美結

でも向こうは精鋭がメインを張ってる部だから、一年しかいないうちと比べるのは間違ってるんだけど。

そんな話をしているうちに、私たちの大学の出番もあと少しと迫っていた。

美結

燐くん、もうすぐ本番だけど何か気になることとかない?

本番、か……。そうだな、できるだけ楽しそうに演技したいけど。

基本的には、どういう気持ちで踊ればいいか悩んでる。

目線は真っすぐ私に向けられているけれど、それはどこか探るような目つきに見えた。

美結

えっと、どういう気持ちでっていうか、チームプレイだし、みんなと息を合わせるのが一番だし。

美結

できるだけ部員と気持ちや意識を合わせて踊ればいいと思うんだけど。

気持ちなんか合わせたら上手く踊れなくなる気がするんだよな。

美結

え……、どういうこと?

みんなの本気が伝わってくるからさ。

美結

………。

やっぱり燐くんの言葉の意味が掴みきれずに戸惑ってしまう。

何だか燐くんが心の奥で色々なものを押さえ込んでいるような気がして、それがとても気がかりだった。

美結

(もうすぐ本番なのに、大丈夫かな)

美結

ねえ、燐く……。

チア部の部員1

あー、いたいた。美結にリンダちゃん!

部員たちがやってきたことに気付き、私は慌てて言葉を止める。

チア部の部員2

そろそろ円陣組んで、みんなで気合い入れしようよ。

美結

あ、うん……。そうだね。

美結

じゃあ……、リンダちゃんも行こうか。

窺うように燐くんを見ると、すっかりリンダとしての雰囲気に戻っていて、違和感なくみんなの輪に混ざっている。

すごく気になったけれど、今はリーダーとして振舞わなければと思い、私は意識を切り替えた。

出場するチア部のメンバー全員と燐くん、そして私が円陣を組んでひとつの輪になる。

美結

———みんな、今日まで頑張ってきてくれてありがとう。

美結

私の怪我で迷惑かけちゃったけれど、リンダちゃんやみんなのサポートで良い演技に仕上がったと思います。

全員で肩を組みながら、私の言葉を真剣に聞いてくれている。

美結

ここまで来たら、後は全員の力を合わせて全力でやりきるだけ。

美結

———予選、楽しんでいこう!

全員

おーーーーーーーーーーー!!!!

気合い入れが終わり、後は自分たちの出場の順番を待つばかりになった。

美結

(うちらの前に演技してるチームもレベル高いなあ)

なあ、美結。

ぼーっと他校の演技を見ていると、後ろから小さく燐くんの声がした。

美結

ん、どうしたの?

さっき燐くんに感じた違和感が気になっていた私は、今度こそその正体を掴めればと思い振り返る。

予選てさ、こんなにたくさんの人が出るんだな。

美結

うん。でも燐くんなら普段通りやれば予選通過はできると思うよ。

まあ、そうだといいんだけど。

……この会場にいる人たちってさ、俺以外はみんな今日まで長い時間かけて頑張ってきたわけじゃん。

そう考えると、俺みたいな付け焼き刃がここにいていいのかなって……ちょっと思うんだよね。

美結

燐くん……。

…………。

……そうだ、ちょっとお茶買ってくる。

私が言葉を探しているうちに、燐くんは気まずそうに離れていってしまう。

気になってすぐに後を追うけれど、まだ治りきらない足では素早く動けずあっという間に見失ってしまった。

美結

(お茶買いに行くって言ってたから、自販機のところだと思うんだけど……)

しかし人も多く、やっと自販機に辿りついても周囲に燐くんの姿は見つけられなかった。

美結

(もう買って戻っちゃったのかな)

もう一度、きょろきょろと辺りを見回してみる。

美結

(あれって……)

あまり人のいない隅のほう。そんな目立たないところに、俯いて腰を下ろしている燐くんを見つけた。

美結

燐くん、大丈夫? どこか気分でも悪いの?

結局お茶も買っていないようで、心配になって慌てて声をかける。

………いや。

顔を上げた燐くんのその自信のない佇(たたず)まいは、あまりにいつもの雰囲気とかけ離れていて戸惑ってしまう。

そんな気持ちを押さえ込んで、私も燐くんの隣に腰を下ろした。

なんか、練習とは違うなって思ってさ。

諦めや憔悴(しょうすい)が入り混じったような笑顔でそう言うと、うなだれながら燐くんが私の肩に頭を乗せてくる。

すげー情けないんだけど……。もう時間がないってのに、正直だんだん不安になってきちゃって。

美結

燐……くん……。

美結のためにも部員の期待に応えるためにも、絶対にミスできないのに。

燐くんは下を向いていて、その表情はよくわからない。

でも触れ合っているところから伝わる体温は低くて、少し肩が震えているように感じた。

美結

(私、燐くんがこんなに抱え込んでるのに、全然気付いてあげられてなかった)

後悔の念と彼を勇気付けたいという気持ちに押されるように、無意識にぎゅっと燐くんの手を握る。

その手は振りほどかれることなく、ほんのわずかに握り返された。

美結

本番の会場って……練習のときとは違う独特の緊張感があるよね。

ああ。正直びっくりした。

美結

うん……。でもね、他の人たちもみんな緊張してるんだよ。

美結

その中で自信を持つには、今まで自分がやってきた練習や努力を信じるしかないんだと私は思ってる。

でも、俺は長くやってきたわけでも何でもないし……。

美結

短期間だけれど、燐くんは誰よりも練習してきたじゃない。

美結

そもそも才能ある燐くんが、あんなに必死になって頑張ったんだから。

美結

それが燐くんを支える一番の自信になるはずだと思うよ。

必死でそこまで言うと、燐くんは私の肩から頭を上げてこちらを見た。

絡んだ視線はまだ少し迷っているように見えたけれど、僅かな力が戻ってきているように感じられた。

そう、思うか?

美結

うん。だから大丈夫だよ! まずは自分で自分を信じないと!

もう一度、今度は確かめるようにぎゅっと手を握り直す。

…………。

燐くんは繋いだ手に視線を落とし、少し肩の力を抜いた。

そういえば、練習のたびに手足にいつの間にか擦り傷とかアザが増えててさ。

でもこれは、練習を必死にやってきた証なんだよな。

美結

そうだよ! あの燐くんが、ここまでして練習頑張ってきたんだよ。

あはは、それは本当にすげーや。

美結

(あ、やっといつもの笑顔だ)

ごめん。格好悪いとこ見せちゃったな。

そう言って立ち上がると、繋いだ手を引いて私も立ち上がらせてくれる。

サンキュ、美結。何かちょっと落ち着いたわ。

美結

うん……。

よし、そろそろ時間だよな。全力出し切ってくるか。

自信が戻った表情でそう言うと、燐くんは私の足を気遣いながら歩き出す。

美結

(あれ? よく考えたら私、燐くんと密着したり手を握ってたような……)

我に返ってさっきのことを思い返すと顔が熱くなってくる。

美結

(で、でも燐くんも女装してるし、女同士の友情ってことでいいよね!)

今はあまり深く考えないことに決め、本番に向けて集中する燐くんの背中を追いかけたのだった。

ー大会会場ー

チア部の部員と共に、俺は舞台へと出て行く。

振り返れば、美結が祈るような表情で俺を見守っているのが見える。

———いよいよ、本番だった。

チア部の部員1

リンダちゃん。よろしくね。練習通り、リラックスしていこうね。

チア部の部員2

そうそう。さっき気合い入れで美結が言ってたみたいに、私たちは予選のこの舞台を楽しもう。

……そうですネ。

部員たちが俺に声をかけてくれる。その表情は落ち着いて自信に溢れているように感じた。

やがて音楽が始まり、自然と体が動く。

(そうだ、俺も演技を楽しむんだ。前に美結も楽しそうに演技するといいって言ってたじゃないか)

それでも緊張を感じないといえば嘘になる。

(体の動きがいつもより硬い気がする。たくさんの観客が見てるし、もし失敗なんかしたら……)

そこまで考えて、そうではなく笑顔を作らなければと意識を変える。

(……少しずつだけど、練習とか美結との自主練のときにイメージ通りに演技できていた感覚を思い出してきた)

そう思うと徐々に硬さが取れて、自然に体が動くのがわかった。

部員と連携したジャンプの技を決めると客席がわあっと沸く。

それを見ていると、ぎこちなかった作り笑いもいつの間にか自然な笑顔へと変化していった。

(なるほど……これが自信ってやつか)

(美結……。俺、今やっと、努力が大事だってことの意味がわかったかも)

演技を見守る美結は笑顔で俺を見てくれていて、その表情に嬉しさがこみ上げてくる。

(あと、楽しそうに演技することの意味も)

軽快な音楽に合わせて伸び伸びと手を伸ばし、俺は観客に笑顔を振りまく。

決めのシーンではひときわ大きな歓声が上がり、その度に体中に喜びが駆け巡った。

美結

(あ、今……燐くんと目が合った気がする)

最初少しぎこちなく見えた燐くんの演技は、だんだんと硬さが取れて、いつの間にか観客の目線を釘付けにしていた。

誰も燐くんが男だと思っていないようで、金髪美女の美しさや笑顔に目を奪われているのがわかる。

美結

(ふふっ。さすが燐くん。超美人だもんね)

自分のことのように得意げに思い、嬉しくなってしまう。

美結

(燐くん、すごくいい表情してる。楽しそうに踊ってるから、見てるこっちも笑顔になっちゃうな)

そう思った瞬間、ぐっと胸に熱いものがこみ上げてきて目が潤んでしまう。

美結

(ヤダ、私。何だか泣きそう……)

嬉し涙で目頭を熱くしながら、必死で燐くんとチア部の演技をじっと見守っていたのだった。

美結

みんな、お疲れさまー! ダンスすごく良かったよ!!

演技を終えたみんなが、タオルを渡す私にハイタッチをしてくれる。

チア部の部員1

美結! 点数取れそうかな!?

美結

うん。演技は完璧だったし、これなら大丈夫だと思う。

演目を順調にこなしたけれど、大技のジャンプを減らしたので確かに点数はすごく高くはならないと思う。

でも安定した演技のおかげで、何とか予選を通過する点数を取ることができていた。

美結

(でも、それよりも……)

客席を振り返れば、点数よりも燐くんの華やかさとチームの連携に会場は引き込まれ、一番の拍手を送っている。

美結

(ううっ……。すごく嬉しいよ。あ、ヤバいまた泣きそう)

舞台には立っていない私も、魅せる演技や楽しむことの大切さに直に触れた気がして心が震えていた。

なに泣いてんだよ。笑顔作れって。

戻ってきた燐くんが小声で耳打ちしてくる。

美結

何かすごく感動しちゃって……! いい演技だったよ! 頑張ってくれて本当にありがとう!

すると、弾けるような笑顔で燐くんが私をぎゅっと抱きしめてくれる。

それは、親愛や友情のハグだった。

触れ合うと我慢していた感情が一気に崩壊したみたいに、さらに涙が出てきてしまう。

燐くんの体をきつく抱きしめ返すと、微笑みながら優しく頭を撫でてくれた。

美結、ありがとな。

一生懸命頑張る楽しさとか、打ち込むことの意味が何だか見えた気がしたよ。

美結

ほんと……!?

うん……はは、ひでえ顔。ホラ、涙拭けって。

くすくすと燐くんが笑って、タオルで顔を拭いてくれる。

美結

ふふっ。ありがと。

………。ずっと前のあの発言、取り消すよ。

美結

え……?

チアの何が面白いのかわかんないって言ったこと。

あと……本気で努力するって、結構大変なんだな。

そう言って笑顔を見せる燐くんがあまりにも綺麗だから、私は嬉しくなってまた涙が出てきてしまった。

ー公園ー

予選を無事通過した夜。私は燐くんと公園で、改めて今日の反省やダンスの確認をする。

すぐに大会本番だからさ。気になるとこは全部確認したくて。

美結

うん。基本は問題ないから、あとは指先とかにまで意識や緊張を切らさないように演技すればいいと思うよ。

うーん、こうかな。

目の前で踊る燐くんを見ながら、練習を始めてからさらに上達しているのを実感していた。

美結

燐くん、どんどん上手になってるね!

美結

それに華も才能もあって、すごく視線が惹きつけられるよ。

私がそう言って、燐くんも笑顔を見せたときだった。

取り巻きの男子1

おい、あれやっぱり燐じゃね!?

唐突に公園の外から聞こえる叫び声に身が縮む。

美結

え……。

取り巻きの女子1

ちょっと燐、どういうことよ! 何必死に練習してんの?

ずかずかと公園に入ってきたのは、燐くんが避けていた取り巻きの人たちだった。

取り巻きの女子2

ねえまさか、チアダンスしてるの!? 嘘でしょ〜!

取り巻きの男子2

最近全然飲みに来ないと思ったらまさか女装趣味!?

アハハという馬鹿にしたような笑い声。

…………。

美結

(ど、どうしよう。一番見られたくない人たちに見られちゃった)

美結

(大会予選に燐くんが出てくれたことはバレてないみたいだけど……)

取り巻きの女子1

ていうか、またアンタなの。

取り巻きの女子の鋭い目線が私に向かい、手首を掴まれる。

美結

い、痛っ……。

取り巻きの女子1

アンタが無理やり燐にこんなことさせてんでしょ! 迷惑なのよ!!

取り巻きの女子2

ホント目ざわりな女。消えてよね!

おい、離せ!

燐くんが間に立って、手を解放してくれる。

取り巻きの女子1

何よ! その女のどこがいいのよ!

……コンパや飲み会に必死で、打ち込んでるものも、努力してるものもないお前らにはわかんないよ!

美結

(え……)

はっきりと、でも冷たくそう言い放った燐くんに、私だけでなく取り巻きの人たちも絶句している。

行くぞ、美結。

冷静な表情のまま、燐くんは私の手を引いて、そのまま公園を後にする。

ー住宅街ー

美結

燐くん!? ダメだよ、こんなことしたら何言われるか……。

いいんだよ。

美結

え……。

いいんだ、これで。

背中に遠く取り巻きの人たちの怒声が聞こえていたけれど、私は繋がれた手と、その毅然とした燐くんの表情に強く意識が引きつけられていた。