ー大学中庭ー
今日は単位が取りやすいという噂で多くの2年生が履修している科目のテストが返却される日だった。
私は答案をすぐにしまって、とぼとぼと歩く。
ああ〜。単位が取りやすいはず……だったにも関わらず……。
自分の点数が恥ずかしかった私は、授業が終わると生徒たちの波をかきわけて、早々に教室を脱出していた。
あ……。
すると少し先に、ちょっとしたリア充集団が歩いているのに気付く。
(燐くんだ……)
大学生活を満喫している雰囲気の男女の集団の中に、ひときわ女子の取り巻きがいる燐くんの姿が見えた。
(うわあ、さすが人気者だなあ)
しかしその瞬間、この前公園で燐くんが話していた内容を思い出してしまう。
『女に追われて疲れててさ、誘われた飲み会に行ってもまた別の女に追われたり、男からはひがまれたりもするし』
『そもそも俺をメンバーに入れるのって、女を集めるのが目的のくせにさ』
(…………)
(燐くんも色々あるみたいだけど、とりあえず気付かれないように通り過ぎよう)
…………。
そうやって、ちょうどすれ違おうとしたときだった。
燐くんは仲間のほうを見たまま、何気なく手元の紙切れを私に向ける。
(えっ?)
気になってちらりと横目で確認すれば、満点の答案がわざとらしく揺れていたのだった。
!!!!
はっとして燐くんを見上げると、一瞬だけ目が合って、その得意げな表情に衝撃を受ける。
(か、完全に気付かれてる! わざわざ100点答案を見せにきてる!)
ねー、燐。どうかしたのぉ?
いや、別に。
動揺した私はその場で足を止めてしまうが、
燐くんは何事もなかったようにテストをしまい、取り巻きたちと一緒に会話をしながら歩いていった。
点数の自慢されちゃったよ。本当に頭もいいんだな……。
私は少し呆然とした後、何とか気を取り直して次の講義へと向かった。
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ー大学廊下ー
はあ、やっと今日の講義が全部終わったぁ。
ぐったりしながらチアの練習に向かおうとしていると、廊下に貼られたハロウィンイベントの張り紙が目に付いた。
(もうすぐハロウィンイベントか。どんなことするんだろ?)
初めての試みなので全容が掴めないが楽しそうな響きに期待してしまう。
(ミニ学園祭みたいな感じかな? 出店とかあるといいんだけど)
しかしそんな気楽な気持ちは、この後大きく変化することになるのだった。
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ー大学中庭ー
ええっ! 実行委員!?
そうなのよ。各部活から1名選出しないといけないらしくて。
どの部活からも1名、ハロウィンイベントの実行委員として参加が義務付けられている。
部活に行くと、実行委員会からそう通達がきたことを部員が教えてくれた。
何でもイベントまでは週に何度か、放課後に実行委員会があるんだって。
もうすぐ大会予選で練習に集中したいのに面倒だよねえ。
そうなんだ……。
(でも、チア部は全員2年生だから下級生にお願いすることもできないし)
みんなも同じことを考えているらしく、決め方に困っているようだった。
……じゃあさ、ここはひとつ思い切ってじゃんけんで決めようよ。
でも美結はチア部のエースだし、じゃんけんからは除外したほうがいいんじゃ……。
うん、確かにそうだよね。
部員たちが、私は除外しようという雰囲気になるのを私は慌てて止める。
大丈夫、そんなの関係ないって!
あっ、ちょうど部員全員いるし、さっそく決めちゃおうか?
せーの、じゃーんけーん……!
︙
……そして、勢いよくじゃんけんをした結果。
うん、実行委員も頑張るよ!
部員たちが、やっちゃったという顔をする中、豪快にじゃんけんで負けた私は実行委員に決まったのだった。
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ー大学教室ー
ハロウィンイベントの実行委員に決まってから、さらに忙しい日々が続いていた。
今日も委員会に出てから練習かあ。でもどっちも頑張らなくちゃね。
それでは女装コンテストの応募者リストを配ります。担当の人はチェックをしておいてください。
イベントの目玉が女装コンテストに決まり、しかも私はその担当の一人になってしまった。
応募してきた、そこそこの数の書類を受け取ってパラパラと目を通す。
女装コンテストなんだから当たり前だけど、応募者全員男の子なんだよね。
って……。えっ、これって……!?
ごく普通の男子大学生の写真書類が続く中、ひときわ目を引く、金髪で整った顔写真が目に入る。
その応募用紙には、『燐・M・ハリヤー』という燐くんのフルネームと、
なぜか不満そうにカメラから目線を外した燐くんの画像があった。
……マジですか!!
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ー住宅街ー
あ〜。今日も疲れたなあ。
委員会とチアの練習を終えて帰宅する途中、少し先に背の高い金髪の男性が歩いているのに気付く。
(あれは、燐くん! なんてタイムリーな……)
周囲に取り巻きがいないことを確認すると、私は我慢できずにそっと燐くんの後ろへと近づいていった。
……が、声を掛ける直前に、燐くんはこちらをぐるっと振り向いた。
何してるんだ。
うわっ。びっくりした!
それは俺のセリフだ。妙な気配がしたから振り向いてみれば。
……いやあ燐くん、こんな所で奇遇ですね。
……何だよ、その白々しい台詞は。
燐くんの訝しげな目線を受けても、私の顔のニヤニヤは止まらない。
そのニヤけ顔は何だ。
えへへ。実はわたくしハロウィンイベントの実行委員になってまして。しかも女装コンテスト担当なんです。
!!!
いやあ〜。まさか燐くんに、そういう趣味があったとは……。
ちょっと待て。あれは俺が好きでエントリーした訳じゃないぞ。
燐くんはよっぽど焦ったのか、私の手首をぐっと掴んで詰め寄ってくる。
そして、そのまま塀に背中を取られて動けない状態になってしまう。
えっ、ちょ、落ち着いて!
あ、ああ。悪い。
慌てて燐くんは手を離してくれるが、まだ少し胸がドキドキしている。
(ああ、びっくりした……)
うんと……。じゃあ、燐くんが応募したかったわけじゃないんだ?
当たり前だろ! 周りが勝手に騒いでエントリーしたんだよ。むしろ可能なら取り消したいんだけど。
燐くんの女装だったら絶対に綺麗だよ。自信持って出たらいいのに。
俺は自信がないわけじゃない。
別に女装好きでもないし、どうせ勝つんだから出ても意味ないだろ。
なるほど……。
(どうせ勝つからっていうところが、さすが燐くんだよね。まあ多分その通りではあるんだけど)
でも、どうせならとびきり綺麗に女装して、周囲に圧倒的な差を見せつけるってのもいいんじゃない?
そんなことして俺にメリットでもあるのか?
もし辞退したら、負ける可能性が怖くて逃げたと思われるかもしれないじゃん。
ていうか、せっかく素材がいいんだから綺麗に女装して参加して欲しいよ!
お前なあ……。そもそも女装の用意をするのも面倒なんだよ。
それなら私が全力でお手伝いするから! ねえ、お願いします!
必死に畳み掛ける私に、燐くんは呆れ気味でため息をつく。
……ったく、わかったよ。どうせ引き下がらないだろうし、お前に任せるよ。
本当!? やったあ! じゃあ早速打ち合わせしたいから女子向けの洋服でも見に行く?
ばっ、ばか!
そんなのを見てるのが見つかって、本当に女装癖があると思われたらどうするんだよ!
えー。じゃあどうしようかなあ。時期的にももうすぐだし、ある程度は打ち合わせしないと。
……仕方ないな。誰かに知られると恥ずかしいから、どうしてもって言うなら俺の家でやるぞ。
わぁ、ありがとう燐くん!
私の妙な熱気に気圧されてか、女装を渋々承諾してくれた燐くんとそのままハリヤー邸に行くことになった。
(よし、何だか楽しみになってきた! 必ず燐くんをダントツの1位にしてみせる!)
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ーうろこの家リビングー
これはこれはお嬢様。お久しぶりでございます。
執事さん! お久しぶりです。
久しぶりに再会した執事さんに事の次第を説明すると、深く頷いてメイドさんも呼んできてくれた。
早速どうすれば燐くんの魅力がさらに引き出せるのか、熱い談議が始まった。
そうですねぇ、やっぱり燐さまは華やかですので、絢爛豪華にしたいですわね。
ですよね! 似合うと思います! どこかでそういう衣装も調達しないといけないなって思ってるんですけど。
あら、それでしたら奥様の昔の衣装を使うのはいかがでしょう?
それはいいアイディアですわね!
奥様? 昔の衣装?
……おい、お前ら。
それでは奥から持ってまいりましょう。
では私たちはメイク道具の用意を。
そうですね。少しお待ちくださいませ。
…………。
そう言ってみんなは口を挟みそうな燐くんには取り合わず、嬉しそうに準備のため部屋を出ていった。
あいつら全然俺の話を聞いてない!
まあまあ。みんな協力してくれて助かるよ。そういえば、お母さんの昔の衣装って言ってたけど……。
ああ。母親は昔、歌劇団にいたんだよ。その時代の派手な服が残ってる。
えっ、歌劇団!? それって芸能人じゃない!
確かに有名な歌劇団のトップスターだったらしいけど、父親はただのドイツ人の弁護士だぞ。
こんな豪華なお屋敷に住んでいて、ただのってことはないと思うよ!?
……ドイツ人と歌劇団のトップスターのハーフかあ。どおりで燐くんはただならぬ華のある美形なわけだね。
どーだかな。まあ美形で華があるのは認めるけど。
お待たせたしました。奥様の衣装をお持ちしました。
執事さんがやり遂げた顔をして、カートいっぱいに素敵な衣装を積んで持ってきてくれる。
おい、それはいくらなんでも持ってきすぎだろ。
す、すごい! どのドレスも豪華でお姫様みたいですね!
さあ、ぜひお嬢さまのセンスでお坊ちゃまのためにドレスを選んでくださいませ。
私たちもメイクアップのお手伝いをいたしますわ!
ありがとうございます! やっぱり金髪の美しさを生かしたいなって思っているんですけど。
いいですわね! それなら襟足に足せる金髪のロングウィッグもございますから、ヘアアレンジも任せてください。
ありがとうございます! メイクはやっぱり舞台映えするように目力重視ですかね。
あと燐くんなら、ピンクのドレスも可憐に見せつつ着こなせるんじゃないかと思うんです。
私たちもそう思いますわ!
…………。
じゃあ、燐くん! 早速だけどこのフリルとリボンがいっぱい付いたドレス着てみようか!
黙って聞いていれば可憐って何だ! それに俺は男なんだから、いくらなんでもこのピンクのドレスは……。
燐くんは全然わかってない。いかに燐くんにこのドレスが似合うのかを。
はぁ!?
ハーフなのは、ものすごい強みなの! そりゃモード系に寄せたって綺麗だし迫力も凄みも出ると思うけど。
でもせっかく色素が薄くて美形なんだから、他の参加者ができない真っ向勝負をしたほうがいいと思うんだ。
つまり、正統派カワイイ路線! ピンクとリボンとフリフリで決まり!
パチパチパチパチと、執事さんとメイドさんが賛同の拍手をしてくれる。
お前ら……。絶対に楽しんでるだろう。
満面の笑みを返す私たちに、燐くんはぐったりしていたが、やがて何か覚悟を決めたような顔を見せる。
……なるほど。女装に耐えるには珍しく努力が必要って訳だな。
ったく、わかったよ! 美結、どうせならぶっちぎりで1位を獲るぞ。
……うん!!
全員が一丸となって、協力姿勢を見せてくれた燐くんを女装とわからないレベルにまで仕上げていく。
(いける、いけるよこれなら!)
どんどん女子力の上がっていく燐くんを眺めながら、私はダントツの勝利を確信したのだった。
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ー大学中庭ー
ついに今日はハロウィンイベント当日。
色んな出店や仮装で盛り上がる校内の隙間を縫って、私は女装コンテストの控え室へと急ぐ。
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ー大学教室ー
ついにメインイベントの女装コンテストの時間ですよ!
………。
出場を待つ控え室の教室で、私は燐くんにメイクの最終的な仕上げをしていた。
(ハリヤー邸で執事さんやメイドさんと予行演習したおかげで、仕上がりイメージもバッチリ)
もうすぐ出番か。
うん、何だか緊張してきたね。
全然。この投票ってすぐに結果が出るんだろ?
全員が舞台に出揃ってのアピール後、すぐに投票&開票になるよ。
そうか。早く終わっていいな。
失礼します。燐・M・ハリヤーさん。出番なので準備お願いします。って、うわ……。
機械的に次の出場者を呼びに来た委員会の男の人が、燐くんを見た瞬間にその美しさに言葉を失ってしまう。
(わかるよ! まるで女優みたいな本気の金髪美人だもんね)
スイッチを入れた燐くんは、にっこりと微笑みを返すと、良家のお嬢様のように優雅に舞台へと向かう。
微笑まれて、委員会の男の人が顔を赤くして、どぎまぎしているのがわかった。
(でも中身は男だからね!)
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ー大学中庭ー
それでは、次の出場者。2年生の……須磨ハリーさんです!
えっ? 須磨ハリー? 燐くんの名前は燐・M・ハリヤー……。
(そっか、司会に偽名を言わせたんだ。ていうか須磨って私の苗字じゃない。勝手に使って〜)
燐くんが舞踏会のように優雅な足取りで舞台に登場した瞬間、会場に大きなどよめきが起きる。
豪華だけど清楚さも感じられるお姫様のような衣装と、それに負けない美しい容姿。
…………。
うおおおおおおおおおお!!!!
微笑みながら無言で会釈した瞬間、会場中の観客を一気に虜(とりこ)にしたのが遠くからでもわかった。
(さすが燐くん。本当に舞台映えするなあ……)
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燐くんが最後の出場者だったため、コンテストの一般投票が進められる。
投票後、その場で開票が行われたが誰がどう見ても燐くんがぶっちぎりの1位なのは明らかだった。
(やった! ダントツの1位だよ!)
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ー大学教室ー
表彰式も終わって控え室に戻り、いつもの格好になった燐くんを見つけて声をかける。
燐くん、優勝おめでとう! 2年の男子で、須磨ハリーなんていたっけ? って話題になってるよ。
ていうか勝手に偽名で人の苗字使わないでよね。超びっくりしたよ。
ああ、悪い。すぐに苗字が浮かばなくて。
取り巻きには出場は取り消したって言っておいたの思い出してさ。バレたくなかったんだ。
普段の格好とあまりに違うから、今のところはバレてないんじゃないかな。
まあな……。
何だか舞台を降りた後の燐くんは、そんなに嬉しそうではなく、ずっと微妙な表情をしている。
優勝したの、嬉しくないの?
いや、そりゃ最下位よりは嬉しいけど。
別に俺は何の努力もしてないし。そもそも女装だしさ、何で嬉しくないのかって言われても。
……でも、何の努力もしてないってことはないでしょ。
別に。あんなの俺がただ立ってるだけで1位だろ?
その言葉に少しカチンときて、思わず私は口を尖らせてしまう。
でも私や執事さんやメイドさんだって、より良くなるようにサポート頑張ったもん。
美結……。
そりゃ燐くんの素材によるところが大きいとは思うけど、でも私にはやっぱりみんなで掴んだ優勝だよ。
……それは確かにそうだな。そういう考え方は思いつかなかった。
確かに今回みたいに協力してもらったら、より良いものになるんだろうけどさ。
そうだよ! より良いものになるし、そこでしか味わえないものもあるよ。
そこまで言って、私は燐くんが以前、『頑張る必要がなくて悩む』と言っていたことを思い出す。
(何も悩む必要なんかないじゃない。協力しあってより良いものにすればいいのに)
仮に協力してもらって、今回みたいに一人でやるより良いものになっても、俺はいつも通り熱くなってない。
えっ?
だからさ、みんなよりも面白く思えない場合はどうすればいいと思う?
燐くんのその言葉は、嫌味ではなく彼の本音の疑問なんだということが、顔を見ればすぐに理解できた。
燐くん……。
その言葉に、私は何も言い返すことができなかった。
あ……悪い。でもまあ今回は少し面白かったけどな。
俺にとってはすごい進歩だよ。ありがとな、美結。
燐くんはそう言って笑ったけれど、私たちはお互いに心にモヤモヤしたものを感じ、それ以上言葉が続かなかった。