ー大学教室ー
本日最後の講義が終わり、俺はダルい体で一人、席を立つ。
ー大学廊下ー
言語系の講義は難しいと評判のを専攻したおかげで、面倒なやつらと同じ講義にならず気楽で助かっていた。
はあ……。とっとと帰るか。
そのとき、窓の外から元気な掛け声が聞えてきてそちらに目を移す。
(チア部か……)
美結とデートまがいのことをした日から既に数日経っていて、それからあいつと会話をしていなかった。
(あんな別れ方のままだから、本当は多少話したいんだけどな)
ー大学中庭ー
じゃあ、みんな一度通しで踊ってみようか!
明るい美結の声に、部員がハイ! と返事を返して一斉に立ち位置につく。
もうすぐ予選だから頑張ろー!
そう言って音楽が始まると、部員たちは威勢のいい掛け声と共に踊りだす。
俺は人一倍大きな掛け声と動きをしている美結に思わず口元がゆるんでしまう。
ー大学廊下ー
(相変わらず元気な奴だな。3階のここまで声もよく聞えるし)
(ていうか、あんなに張り切って動いて大丈夫かよ。リラックスしろって)
そんなチア部の練習風景を苦笑しながら見ていたとき、ふいに後ろから話しかけられる。
燐くーん。何見てんのぉ?
まさかチア部なんか見てんの? どういうことよ。
……いや。外から大きな声がしたから反射的に見てただけだけど。
イラつく気持ちを抑えながら、表情を変えずに返答する。
だよねえ。まさかあんなチア部の地味な女がいいわけないもんね〜。
まあ俺はああいう女でもいけなくはないけどね。
アンタのことなんかどうでもいいのよ。
ちょっ、ひどくねえ?
女たちが色気をみせているつもりの短いスカートに、露出度高めの服で擦り寄ってきて閉口する。
ねえ、燐。じゃあ今日も飲みに行こう。人数多めなんだけど、他の女に目移りとかしちゃだめだよ。
ちょっとぉ! 私が燐の隣に座るんだから。
チッ……。
男たちは相手にされず明らかにイラだっているくせに、一人になりたくないから何も言おうとしない。
(本当に下らないな)
(でも美結の顔が割れちゃってるし、このまま断るとあいつが何かされるかもしれないし)
結局俺は、断ることができずに、下らないと思っている飲み会に今日も連れて行かれることになった。
・
・
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ー居酒屋ー
居酒屋ではどうでもいい内容の質問攻めが続いていた。
ねえ、燐。なんであんなチアの子と知り合いなの?
……別に。偶然だけど。
偶然とか意味わかんないんだけど。なんであんな子と話すんの?
ああやって部活を頑張る人たちって、違う世界だなと思って気にはなるよ。
も〜。あんな地味な子、住む世界が違うんだし、勘違いさせたらかわいそうじゃん?
あはは! 言えてる〜!
(好き勝手言ってんな)
昔なら何も感じなかったかもしれないのに、今の俺にはこいつらの発言が妙にカチンとくるものがあった。
だから、表情はいつも通りを装いながらできるだけ冷静に口を開く。
……あのさ。お前らって何か打ち込んでるものとか夢とかってあるの?
そう言うと、みんな一瞬言葉を失った後大声で笑い出した。
くっくっく! おいおい燐。どうしたんだよ急に〜。
超びっくりするんだけどぉ。
そんなの決まってんでしょ。今を楽しむのを全力でやってんじゃん。
そーそ。若いときに楽しんでおかないと損じゃん。
夢っていうか、目標は燐と付き合うことだどね。
ちょっと、ぬけがけ禁止だって決めたでしょ!
燐もさぁ、もっとコンパとか飲み会に来てくれよな。女が連れるから。
ちょっとお。燐をダシにしないでよね。他の女には燐と一緒なのを見せびらかしたいだけなんだからぁ。
…………。
(前はどうでもよかったのに。どうして今になって、一緒にいることすら下らなく感じんのかな)
(でも俺だって、美結みたいに何か打ち込めるものも夢中になれるものもない)
(結局、こいつらとレベルは一緒なんだ……)
そういえば燐てさ、番号もメアドも教えてくれねーじゃん?
そうだよぉ。SNSのグループにも入ってくれないし。全然誘えないから見つけるの大変なんだよ。
俺スマホ見ないからさ。連絡されても気付かないし。
いつもそう言ってるけどさあ、そんなの超ありえなくない?
もうじゃあさ〜! 次の予定、今決めようよ!
いや、今はいいって。
目線を合わさず曖昧な笑顔を浮かべて、俺は今日も適当に次の誘いをかわす。
じゃあ、そろそろ帰るわ。
えっ、ちょっと早くない!?
悪酔いしたから。
…………。
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ー住宅街ー
はぁ。なんか疲れた。
寄ってこようとする女たちを適当にかわして、やっと一人になれたことに安堵してため息をつく。
また、この感覚だ……。
モヤモヤした、何とも言えない気分の晴れない感じ。
美結は今日も自主練してんのかな。
時間を確認すると、もう22時を過ぎていた。
……行くだけ行ってみるか。
そのまま帰る気になれなくて、俺は少し回り道をして公園へと足を向けることにする。
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ー公園ー
あーあ。もっと気合い入れなきゃな。
練習を始めてから結構時間が経っていたけれど、もうすぐあるチアの予選が頭をちらついて気分的に帰れないでいた。
休憩しようとベンチに腰を下ろし、夜空を見上げてみる。
はあ。お星様キレイ。
何を言ってんだよ。
うわあっ!!
えっ、燐くん!? 驚かさないでよ〜。確か前もこうやって驚かされたような。
悪い。でもお前さ、いつもここで自主練して一人で落ち込んでないか?
落ち込んでるわけじゃないけども。そう見えるかな?
まあ見えるかな。
……あれ? なんか燐くん、お酒臭くない?
何となく燐くんから、ほんのり漂う酒気に気付いて首をかしげる。
ばれたか。顔には出ないほうなのにな。
やっぱり飲んでるんだ? 確かに顔色はいつもと同じだね。
だろ? 今日はいつものつまんない酒に付き合わされて早めに逃げてきた。
あ、またあの人たちと……。
ついこの前、嫉妬した取り巻きの人たちに失礼なことを言われたのを思い出してしまう。
この前は嫌な思いさせてごめんな。
ううん。燐くんこそ、あのときはかばってもらってごめん。
最近あの人たちからの誘いを断ってたのに、あの時はやりすごすために一緒に飲みに行ったんだよね?
まあな。あいつら美結に絡んできてたし。今日もどういう関係なのって質問攻めだったよ。
(どういう関係なの……か)
(確かに燐くんを好きな女子たちが勘違いして、私に敵意むき出しにしてきたらと思うとちょっと怖いけど)
でも燐くん、嫌なら無理に飲みに行ったりしないでね?
…………。
あの人たち、私が燐くんといるのが面白くなさそうだったから。
その……。迷惑かかるだろうし、こうやって無理に私と話さなくてもいいんだよ?
……それって。俺とは話したくないってこと?
ええっ? 違うよ!? ただ、燐くんに無理させたくないから言っただけで!
じゃあ、そんなこと言うなって。
ぺしっと冗談ぽく燐くんが私の頭を軽く叩いて、そのまま手を乗せる。
思わず顔を見ると、燐くんの真っ直ぐで真剣な瞳と視線が絡んだ。
……っ。
不意打ちされたみたいにどきどきして、言葉が出てこない。
(こういうとき、イケメンなのはズルいって思うよ……)
やがてそんな私の緊張に気付いたのか、燐くんはふっと笑顔になる。
何か酒飲んでる俺より美結のほうが顔赤くないか?
!!!
恥ずかしさから思わずうつむくと、燐くんは隣に座って私の顔を覗き込んでくる。
(み、見ないでほしい〜!)
ありがとな、美結。
でも美結には、俺の問題で迷惑かけないようにするから安心して。
(え……)
その口調に強い意志のようなものを感じてはっとする。
そういえば自主練習の調子はどうなの?
急に話題を変えられて一瞬びっくりするが、燐くんの雰囲気が完全に変わっていたので私も話を合わせることにする。
うん。まあいつも通りなんだけど、イメージ通りにいかなくて、焦る気持ち抑えられない部分はあるかな。
本当にできてないの? 美結の考えすぎで動きの反応が鈍ってるだけじゃないかとも思うんだけど。
そうかなあ。
そもそもイメージどおりにいかないって、どういう感じの悩み?
それは、その。頭で描いたイメージとたぶん自分の動きが上手くいってないんじゃないかっていう……。
じゃあさ、美結のやってた技、俺がやってみるからそこで見てて。
えっ? やってみるってどういうこと?
その動きを客観的に見てさ、イメージどおりにいってないのかを考えてみればいいじゃん。
燐くんはそう言うが早いか、ベンチから立ち上がると公園の真ん中でポーズを取る。
(あのポーズ、今回の大会用のダンスで最初に取るポージングじゃない)
音楽はないけれど、燐くんはなぜかチア部が今練習しているダンスを最初から再現していく。
なんで!? なんで燐くんこのダンス知ってるの!?
えー。確か今日チア部が外で練習してるとこ偶然見たから。
見ただけでこんなに踊れるの……!
燐くんは激しく踊りながら、まるで簡単なことのように軽く話す。
美結は気合い入って練習してて、えらいなって思ったよ。
えっと、この後確かジャンプが……。
燐くん、すごいけど後半のジャンプは支える人がいないとできない難易度の高いやつだから!
だからやらなくて大丈夫と伝えたかったのに。
よっ……と。
しかし燐くんは、何と高めの細い手すりに飛び乗って、そこからジャンプしようとダンスを続ける。
あ、危ないよ! お酒だって飲んでるんでしょ!?
思わず駆け寄って、燐くんを止めようとする。
大丈夫だって。意外と細い手すりだけど。
飛ぶぞ! せーの……!!
しかしお酒が入っているせいか、踏み出した足は位置が少し悪くて、滑るような形でジャンプしてしまう。
うわ!
危ない!!
支えようと手を伸ばすと、まるでスローモーションのように燐くんが私の方に落ちてくるのが見えた。
きゃっ!
変な角度で燐くんを支えたと思った瞬間、ずしりと重みを感じ、背中から地面に落ちたような強い衝撃を感じる。
美結!!
それでも燐くんがとっさに腕を背中に回してかばってくれたのがわかった。
おい、大丈夫か!?
いたた……。うん、たぶん。
ごめんな、調子に乗って。怪我してないか?
心配そうに気遣ってくれるけれど、私は燐くんとの距離が近すぎて、そちらに気を取られてしまう。
う、うん。たぶん平気。
その言葉に燐くんは安堵したような表情を作ると、体を起こして私にその手を差し伸べる。
ドキドキしながら手を取ると、そのまま燐くんが私を立ち上がらせようとしてくれる。
そのときだった。
———痛っ……!!
足に力を入れた途端、ズキズキとした激痛が右足首に走って動けなくなってしまったのだ。
まさか痛めたのか!?
そ、そうかも。動かそうとすると、すごく痛い……。
……どうしよう。もうすぐ大会予選なのに。
………っ!
冷や汗にも似た焦りが広がっていく感覚を感じながら、それでも私は現実を受け止められないでいた。