住宅街
明了
(直……!)
最初に狙ったのは、彼女の手首を掴んでいる男だった。
吹き飛ばすようなことをすれば、直も引きずられて転んでしまうかも――
大柄な男
がっ……!?
直
明了!
明了
直、こちらへ!
男は倒れるまではいかなかったものの、目眩を起こしたらしくふらついていたその隙に直を引き離し、私は彼女を自分の後ろへと下がらせた。
明了
(直に危害を加えるというよりは、誘拐を目論んでいる様子でしたね……)
明了
(……? 私が攻撃した男は日本人のようですが……後は、外国人?)
大柄な男
……っ、てめえ……!
武術の心得があったのか、男は体勢を立て直すと、こちらへ殴りかかってこようとする。
そこからはとにかく、無心だった。
明了
(直を守らなければ――)
目の前の男だけでなく、仲間らしき男達も、回りこんで直を捕まえようとする。
その攻撃を捌きながら後退して……距離を稼いだところで、私は声を張り上げた。
明了
Stop it!
大柄な男
…………!
明了
I already reportedto the police!
『既に通報した』……ハッタリではあったが、そう英語で告げると、男達に動揺が走ったのがわかる。
大柄な男
……ちっ。……Pull out.Hurry up!
日本人の男が指示すると、他の男達は素早く車に乗り込んだ。
私達にぶつかりそうな速度で男達の車が急発進し、狭い路地を強引に抜けていく。
直
きゃっ……!
明了
直、大丈夫ですか!?
明了
さっきの男達は……
直
……い、いいの。
明了
え……?
直
大丈夫……よ。こういうの、前にも何度かあって、慣れてるもの。
直
だから、大丈夫……
明了
…………
明了
……大丈夫なわけがないでしょう。
明了
こんな目にあって……怖いのが、当たり前です。
震える小さな肩をそっと手で包むと、直はびくっと体を竦ませる。
それから……彼女は私へ強く抱きつき、胸元に顔を埋めてきた。
直
……っ、明了……
見えなくても、直がどんな表情をしているか、想像できる。
明了
(……直……)
彼女の強さと儚さを、同時に感じた。
いつも気持ちをまっすぐに表して、マイペースなように見える直。
でも、どんなに普段明るくても、天才と言われるほどに頭が良くても、彼女だってひとりの人間なのだ。
誰かを悼んで悲しくなったり、孤独を感じて寂しくなったり。
自分の過去を後悔したり、暴力を目の当たりにして怯えたり……。
明了
(……私と同じ、ただの、ひとりの人間なのですね……)
ふたりきりの路地に、直のすすり泣きだけが響いている。
それを聞きながら、私はただ、彼女の背を撫で続けていた。
・
・
・
北野坂
直が少し落ち着いてから、私は彼女を連れ、人の多い通りの方へと出ていた。
日は完全に沈んでいたものの、並ぶ建物の明かりや、日常を過ごす人々の姿に、ほっと息をつく。
明了
直、一旦、向こうの公園で休憩しませんか。
明了
この時間なら、公園も無人ではないでしょうし……早めに通報をしておいた方がいいでしょう。
直
うん……そうね。
・
・
・
公園
騒がしさはない、穏やかな雰囲気だった。
私は直と一緒に端の方へ座り――あることを思い出して慌ててしまう。
明了
あ……! すみません、手ぶらで出てきたもので、携帯を忘れてしまったようで……
明了
直の携帯を貸して頂けますか?
直
……ううん、明了、大丈夫よ。
直
わたし、自分で説明できるわ。
明了
……直……
彼女は気丈に微笑んでみせると、携帯を操作して、警察へ連絡を始めた。
ただ、犯人は既に逃げており、今すぐに再び危険があるというわけではないのと、
直が未成年で、事件のショックもあることから、詳しい事情は明日改めて署で話す……ということになったらしい。
電話を切って、直が大きく嘆息した。
直
ごめんなさい、明了。こんなことに巻き込んでしまって。
明了
そんな……直が謝ることなんて何もありませんよ。
直
ううん……あんな人通りのないところに行かなければ良かったのよ。
直
あの人達が乗ってる車が見えた時に、すごく嫌な感じがしたの。
直
それで逃げようとしたんだけど、間違えて人気のない方に行っちゃって……
直
……明了が来てくれなかったらと思うと、わたし……
明了
直……。大丈夫。もう、大丈夫ですからね。
直
……うん。
直は私がそばにいることを確かめるように、おずおずと手を繋いできた。
この前手当した時の絆創膏は外してあったけれど、まだ薄く傷跡の残っている指を握り返すと、彼女はわずかに笑みを取り戻す。
直
こういうこと、何度かあったって言ったでしょう。
直
多分、あの人達はね……わたしの研究成果が目当てなの。
明了
直の研究成果?
直
わたしが神経科学……記憶に関係するプロジェクトを進めてるっていうのは言ったわよね。
直
記憶って、すごくデリケートだし……倫理的な話にも関わってくるものじゃない?
直
例えば、大切な思い出をデータにして保存できたり、記憶喪失で苦しんでいる人を救ったりもできるかもしれない。
直
知識とか技術とかをチップにしてインストールできるようになったら、すごく便利だと思うわ。
直
犯罪を目撃した人の記憶を詳しく解析して、操作に役立てることもできるんじゃないかしら。
直
でも……
直
裏を返せば、悪用される可能性もすごく高い技術なのよ。
直
もし、こっそり人の記憶を覗いて、頭の中にしかない秘密を盗み見ることができるようになったら。
直
逆に、自分が、絶対誰にも知られてはいけない秘密を抱えていて、そういう技術が確立するのを恐れていたら。
直
自分がした犯罪の記憶をこっそり別人に植え付けて、その人に罪をなすりつけようとする人もいるかも。
直
記憶を一からつくり上げることができるなら、偽の記憶を刷り込んで、洗脳みたいな真似だってできる……
明了
…………
直
もちろんまだ技術は発展途上だし、今言ったことは、もしやりたいと思っても不可能だわ。
直
でも、研究を続けていけば、近い将来実用化できる可能性はあるの。
直
だから……今のうちにわたしを攫(さら)って、自分達のためだけに研究を続けさせて、その技術を独占しようとする人。
直
この技術を成立させてなるものかと、研究をやめろと脅したり、危害を加えようとする人……。
直
色んな人達に、わたしは狙われてるらしいの。
直
それでも、直接的に何かされたことは数回程度だったし、向こうにいた時は警察や大学も気を配ってくれたから、万一の事態にはならなかったんだけど……
直
最近は襲撃がなかったのと、日本にまでは追いかけてこないだろうって、油断してたわ。
直
本当に……ごめんなさい、明了。
明了
……直。
明了
何度でも言いますよ。直は、何ひとつ悪くありません。
明了
懸命に頑張っている直を、私利私欲のために利用したり、害そうとするなんて……
直
…………
遣る瀬無い思いに歯噛みしてしまう私とは裏腹に、直はゆっくりと唇をほころばせた。
直
……ありがとう、明了。わたしのために怒ってくれて。
直
正直に言えばね、つらかったし、苦しかったわ。
直
小さい頃から、色んなことを学ぶのが楽しかったの。勉強や研究はちっとも大変だって思わなかった。
直
それに、自分が開発した技術が世の中のためになるんだって考えると、ますますやる気が出たわ。
直
わたしの研究結果がどこかで役に立って、昔避けられちゃって友達になれなかった皆のことも、どこかで笑顔にしてるかもしれない。
直
そうしたら、離れていても……ちょっとは繋がれている感じがするじゃない。
直
ひとりじゃないって……そう思える気がしたの。
明了
…………
直
でも、脅迫されたり、誘拐されそうになることがあってからは、迷いもでてきたわ。
直
命の危険があるのはもちろん怖かったし、万一成果を悪用されて、それで誰かが傷付くようなことになったら、わたし、どうしたらいいかわからない。
直
好きで頑張っていたし、きっと人の役に立つんだって信じていた研究が、急にすごく重たくて、恐ろしいものみたいに思えて……
直
そんな時に、大おばあさまの容態が悪いのを聞いて、日本に帰ることになったのよ。
直
心配をかけないように黙っていようと思ったんだけど、大おばあさまはすぐにわたしの様子が変だって見抜いたわ。
直
それで……すごく具合が悪くてつらかったはずなのに、わたしの話を聞いてくれたの。
・
・
・
病院病室
トメ
……そうだったのかい、直。
トメ
ひとりで、すごく、すごく、大変な思いをしてたんだねえ……
直
……う、ん……
直
ねえ、大おばあさま。これからわたし、どうしたらいいのかしら。
直
研究を続けるべきか、やめるべきか……わたし、決められなくて。
トメ
…………直。話を聞かせてもらって悪いけどねえ、それはアタシには決められないよ。
トメ
直の状況は、一緒に研究をしている仲間や、大学の人達も知っているんだろう。
トメ
周りからも、何かアドバイスされたんじゃないのかい?
直
……うん。わたし達みたいに『天才』って言われる人は、世の中の役に立つために生まれてきたんだって。
直
だから、絶対悪に屈しちゃいけない、研究を続けるべきだって言う人もいたわ。
直
いや、無理に危険を冒すこともない、君がやめたいならやめるべきだって言う人もいた。
トメ
どっちの意見を聞いても、気持ちは定まらなかったんだろう?
直
…………ええ。
トメ
それはね、いいことだよ、直。
トメ
お前は、『あの人がこうしろって言ったから……』なんて人のせいにしないで、自分の人生を、自分で決めたいと思っているから、そんなに悩んでいるんだろう。
直
大おばあさま……
トメ
直の人生は、直のものだよ。
トメ
どんな道を選んだって、直が選んだことだったら、アタシは応援してるからね。
直
……ありがとう、大おばあさま。わたし、自分でしっかり考えてみるわ。
・
・
・
公園
直
その後は、大おばあさまとは他愛無い話ばっかりしていたわ。
直
明了のことも、以前からたまにメールで聞いたりもしてたけど、詳しく聞いたのはその頃よ。
直
お見舞いにも来てくれたし、優しくて男前だって聞いてたから、わたしも今度会いにいってみるわ、なんて話してたの。
直
でも、その後すぐに大おばあさまの容態が急変して……
明了
…………
直
……結局今まで、わたしは何も、答えを出せないままだった。
直
本当はね、もっと早めに、大学に戻るつもりだった。
直
休暇中ではあるんだけど、普通は自主的にサマースクールに通ったり、研究を続けたりするから。
直
だけど、わたしはまだ、どうしていいか決められなかった。それで……
そこで直は、ふいに喉を詰まらせた。
直
……あの、あのね。明了は、わたしに謝ることなんてないって言ってくれたけど……
直
いま考えると、明了に失礼なことをしたなって思うの。
明了
えっ?
直
ほら……わたしがお嫁さんになりたいって言った時、明了に理由を聞かれたり、本当かって見つめられて、目を逸らしちゃったでしょう。
直
あの時は、自分でもわかってなかったんだけど……
直
わたし、大学に帰りたくないから、日本でお嫁さんになりたいって言ってたのかもしれない。
明了
……それは……
直
で……でもね! 明了のことを好きだって言ったのは本当よ。本当の本当に、嘘じゃないの。
直
けど、海外へ戻らない理由に、明了を利用してるみたいで……無自覚のうちに罪悪感があったんだと思うわ。
直
……ごめんなさい、明了。
彼女は呟くと、しゅんと肩をすぼめる。
本気で後悔している姿に、私は目許を和らげてかぶりを振った。
明了
いえ……いいんですよ。直。
明了
貴女の考えを、悩みを、知ることができて良かった。
明了
話しづらいこともあったでしょうに……教えてくださって、ありがとうございます。
明了
だから……
明了
今度は、私の話を聞いてもらっても、いいでしょうか……?