浄恋寺
~7話~

浄恋寺

檀家のおばさん

実は、いい縁談があるのよ。どうかしら?

明了

…………え。

唐突に切り出された話に、私は間抜けな声を上げるしかなかった。

明了

(縁談って……)

そして――縁談相手の名前を聞かされ、さらに硬直してしまうことになる。

檀家のおばさん

ほら、卯月さんところのまどかちゃん、知ってるでしょ?

明了

(…………!)

檀家のおばさん

歳は向こうがひとつ上だけど、同じ高校だったものね。

檀家のおばさん

卯月さんの奥さんが、まどかちゃんにお見合いさせようかしらって言ってるらしくて。

檀家のおばさん

元々知り合いなのにお見合いっていうのも変かもしれないけど、改めて会ってみるのもいいんじゃない?

明了

…………

高校教室

???

『あっ、君、知ってるわ。浄恋寺さんとこの息子さんでしょう?』

???

『部活じゃないけど、道場に通ってるのよね。強いって聞いたことあるわよ』

大学廊下

???

『あっ、おはよ、明了くん』

???

『昨日のテレビ見た? 空手の全日本大会が放送されてたの』

???

『私の好きな選手は負けちゃったんだけど、格好良かったなあ……!』

北野坂

???

『――明了くん。来てくれたことはすごく嬉しかったわ』

???

『でも、これはやりすぎよ……!』

浄恋寺

明了

(…………)

明了

……あー……

明了

卯月さんですか。そうですねえ……

明了

確かに存じ上げておりますが……私などに、あの方はもったいないですよ。

檀家の奥さん

そう……? あの子、私の部活の後輩だったから、私も応援してあげたくて。

檀家の奥さん

あの子って私とは違って、『えー空手部なんですか!?』って周りから言われるくらい、優しい顔立ちだったのよね。

檀家のおばさん

あっはっは、奥さんは見た目から強そうだもんねー。

檀家の奥さん

そうそう、私に来るラブレターといえば全部後輩の女子からで、嬉しいやら悲しいやら……

何だか話がしんみりしてきたところで、私は『この隙に!』と声を上げる。

明了

ああっそうでした! 実は私、これから父のところへ行かなくてはいけなくて。

檀家のおばさん

あら、幼稚園の方?

明了

はい、模様替えを手伝えと言われておりまして。もうこんな時間だったとは気付かなかったなあ。

明了

それでは行ってまいりますので!

それ以上追及されないように、私は急ぎ足で庫裏へ戻り、着替えて出かけていったのだった。

………………

住宅街

明了の母

ありがとう、助かったわ。

明了の父

うむ。これは手伝いの礼だ。美味しく食べてくれ。

明了

いかつい顔して笑い上戸だったりシュークリーム焼いたりするのってどうなんでしょうかね……

明了の母

直さん、時々お手伝いに来てくれてるんでしょう。もし今日もいるなら、一緒に食べてもらいなさいね。

明了

……ええ。

明了の父

いいか、くれぐれも変な気を起こしてはいかんからな。

明了の父

お前は私に似てヘタレだからまあ心配はいらんかもしれんが、万一若い娘さんを泣かせるようなことがあったら……

明了

そんなことしませんって!

明了

で、では、私はもう帰りますからね。

明了

ふう……

再び逃げるように寺へ戻り、いつもの法衣に着替える。
すると留守番してくれていた直が、お茶を持って居間に入ってきた。

お帰りなさい、明了。

明了

ああ、ありがとうございます、直。お茶、頂きますね。

明了

父からシュークリームをもらってきたので、一緒に食べませんか。

…………

明了

……直?

彼女の様子はどこか変だった。
拗ねたように、直は横目で私を見やる。

…………お見合い、するの?

明了

…………

明了

(聞こえてしまっていましたか……)

ねえ、明了……

明了

断りましたよ。

私は微妙な気持ちで、それだけ告げた。

と……

その時ふと、直の手元にいくつか小さな傷があるのに気付く。

明了

直、手を怪我したのですか?

え? ……ああ、これ?

パソコンのパーツを替えたりする時にちょっとね。エッジが尖ってたりする部品も多いから。

でも傷は洗ったし、もう血も止まってるから大丈夫よ。

明了

確かに、大きな傷というわけではないようですが……

明了

ですがいけませんよ、きちんと傷を保護しておかないと。

棚の上に置いていた救急箱を下ろし、中から絆創膏を取り出す。

明了

直、手を出してください。

…………

彼女は素直にこちらへ手を伸ばしたが、その面持ちはお世辞にも上機嫌とは言えなかった。

傷に絆創膏を貼っていく私を眺めて、直は唇を尖らせる。

お見合い相手の女の人、知り合いなんでしょう?

明了

ですから、お見合いは断りましたってば。

わたしが聞いてるのは、そういうことじゃないわ。……わかってるんでしょう?

明了

…………

私は胸に広がる苦いものを表に出さないよう苦労しながら、何気ないふうを装った口調で、彼女に説明した。

明了

高校の時の先輩でしてね。卯月さんは女子空手部の部長だったんです。

明了

私自身は、空手は道場に通っていたので、部活は茶道部だったのですが、生徒会の会計をやっていたので……部費の連絡など、各部活の人と接する機会もあったんです。

明了

お互い空手が好きなので、そのことで少し話をしたこともあります。

明了

ただ、学校の外で一緒に遊んだりするようなことはありませんでしたし、卯月さんが卒業された後は何年も会っていません。

明了

だから、特別に仲が良いというわけでもなかったのですよ。

……ふうん……

明了

……いやーあの頃はまだ髪がありましたからね。今会っても、卯月さんは私だと気付かないかもしれません。

明了

それ以前に、頭が光ってて『うわあ眩しくて顔が見えない!』となったりして……

明了の口から他の女の人の話を聞くのって、思ってたよりモヤモヤするものね。

きっとこういうのを、ヤキモチを焼くって言うんだわ。

明了

………………

内心で、ぎくりと動揺した。

ふて腐れたような、でもどこか興味深げな直から目を逸らして、ことさら声を明るくする。

明了

はい、終わりましたよ。最後におまじないをかけておきましょうか。

明了

ほ~ら痛いの痛いの、タイのムアンノーンブワラムプー郡辺りまで飛んでいけ~~~

引き戻そうとした私の手を、直がぎゅっと握った。

真摯な視線で見つめられ、射抜かれたように、動きを止めてしまう。

わたし……

わたしは、こうして明了に触れていると、どきどきするわ。

明了

……直。

お嫁さんになりたいとか、好きだって言ったの、嘘だと思ってる?

わたし、変わり者だってよく言われるし、それはきっと本当なんだと思うわ。

わたしが普通にしてるつもりでも、ふざけたり、からかってるみたいに思われることはよくあるもの。

でも、わたし、いつでも真剣よ。人を騙したり、嘘をついてからかったりなんてしないわ。

それに……レディーだし、乙女でもあるんだから。

こういうことで、冗談なんて、言わない。……言えないわ。

明了

…………

明了

……ええ……わかっています。直が本当のことを言っているんだって、信じていますよ。

本当……?

じゃあ、明了の気持ちも聞かせて。わたしにこうやって触れていて、どきどきしたりしない?

こちらを窺う直の目は、彼女の言葉通りに真剣だった。

少し強張った細い指先が、きゅっと閉じられた唇が、直の緊張を伝えてくる。

明了

……どきどきしないわけがないじゃないですか。

明了

だって――直のような若いお嬢さんに怪我をさせてしまったのですから。

……え?

明了

綺麗な手を、うちのパソコンのせいで傷だらけにしてしまって……

明了

どんな高額な慰謝料を請求されるのかと、今から恐怖でドッキドキです!

…………

明了

…………

……………………

明了

あいたっ!?

直は手を離すと、すかさず私の額へデコピンを食らわせた。

頬を膨らませ、無言で抗議をしてくる彼女に、私はつい笑って誤魔化そうとしてしまう。

明了

……ま、まあ、慰謝料は冗談としても。あのパソコンをただで頂くわけにはいきませんね。

明了

元はうちのパソコンだったとはいえ、新しくした部品などは直が持ってきてくださったのでしょう?

明了

材料費や手間賃、それに技術料も含めてお支払いしなくてはいけませんね。

明了

後で、どれくらいかかったか――

明了

……っ……

心臓が飛び出るかと思った。

直の大きな瞳が潤んで、涙がいっぱいにたまっている。

わたし……お金がほしくてやったんじゃない。

わたしって女の子らしくないし、美味しいお菓子も、手編みのマフラーも作れないけど……

でも、明了に贈り物がしたかったの。明了に喜んでほしかったの。

ただ、それだけだった……のに。

直はさっと立ち上がると、止める間もなく部屋を出ていく。

明了

あ……

明了

…………

追いかけようとしたものの、足が止まってしまった。
彼女のところに行ったとして、どんな言葉をかけられるだろう?

明了

(……どうして、私は)

明了

(何をやっても、人を傷付けてばかりで……)

靴を履く音。
玄関の扉が開く音。外へ駆けていく音……。

それらを聞きながら、私はただ、呆然としているしかなかった。