浄恋寺
実は、いい縁談があるのよ。どうかしら?
…………え。
唐突に切り出された話に、私は間抜けな声を上げるしかなかった。
(縁談って……)
そして――縁談相手の名前を聞かされ、さらに硬直してしまうことになる。
ほら、卯月さんところのまどかちゃん、知ってるでしょ?
(…………!)
歳は向こうがひとつ上だけど、同じ高校だったものね。
卯月さんの奥さんが、まどかちゃんにお見合いさせようかしらって言ってるらしくて。
元々知り合いなのにお見合いっていうのも変かもしれないけど、改めて会ってみるのもいいんじゃない?
…………
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高校教室
『あっ、君、知ってるわ。浄恋寺さんとこの息子さんでしょう?』
『部活じゃないけど、道場に通ってるのよね。強いって聞いたことあるわよ』
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大学廊下
『あっ、おはよ、明了くん』
『昨日のテレビ見た? 空手の全日本大会が放送されてたの』
『私の好きな選手は負けちゃったんだけど、格好良かったなあ……!』
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北野坂
『――明了くん。来てくれたことはすごく嬉しかったわ』
『でも、これはやりすぎよ……!』
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浄恋寺
(…………)
……あー……
卯月さんですか。そうですねえ……
確かに存じ上げておりますが……私などに、あの方はもったいないですよ。
そう……? あの子、私の部活の後輩だったから、私も応援してあげたくて。
あの子って私とは違って、『えー空手部なんですか!?』って周りから言われるくらい、優しい顔立ちだったのよね。
あっはっは、奥さんは見た目から強そうだもんねー。
そうそう、私に来るラブレターといえば全部後輩の女子からで、嬉しいやら悲しいやら……
何だか話がしんみりしてきたところで、私は『この隙に!』と声を上げる。
ああっそうでした! 実は私、これから父のところへ行かなくてはいけなくて。
あら、幼稚園の方?
はい、模様替えを手伝えと言われておりまして。もうこんな時間だったとは気付かなかったなあ。
それでは行ってまいりますので!
それ以上追及されないように、私は急ぎ足で庫裏へ戻り、着替えて出かけていったのだった。
………………
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住宅街
ありがとう、助かったわ。
うむ。これは手伝いの礼だ。美味しく食べてくれ。
いかつい顔して笑い上戸だったりシュークリーム焼いたりするのってどうなんでしょうかね……
直さん、時々お手伝いに来てくれてるんでしょう。もし今日もいるなら、一緒に食べてもらいなさいね。
……ええ。
いいか、くれぐれも変な気を起こしてはいかんからな。
お前は私に似てヘタレだからまあ心配はいらんかもしれんが、万一若い娘さんを泣かせるようなことがあったら……
そんなことしませんって!
で、では、私はもう帰りますからね。
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ふう……
再び逃げるように寺へ戻り、いつもの法衣に着替える。
すると留守番してくれていた直が、お茶を持って居間に入ってきた。
お帰りなさい、明了。
ああ、ありがとうございます、直。お茶、頂きますね。
父からシュークリームをもらってきたので、一緒に食べませんか。
…………
……直?
彼女の様子はどこか変だった。
拗ねたように、直は横目で私を見やる。
…………お見合い、するの?
…………
(聞こえてしまっていましたか……)
ねえ、明了……
断りましたよ。
私は微妙な気持ちで、それだけ告げた。
と……
その時ふと、直の手元にいくつか小さな傷があるのに気付く。
直、手を怪我したのですか?
え? ……ああ、これ?
パソコンのパーツを替えたりする時にちょっとね。エッジが尖ってたりする部品も多いから。
でも傷は洗ったし、もう血も止まってるから大丈夫よ。
確かに、大きな傷というわけではないようですが……
ですがいけませんよ、きちんと傷を保護しておかないと。
棚の上に置いていた救急箱を下ろし、中から絆創膏を取り出す。
直、手を出してください。
…………
彼女は素直にこちらへ手を伸ばしたが、その面持ちはお世辞にも上機嫌とは言えなかった。
傷に絆創膏を貼っていく私を眺めて、直は唇を尖らせる。
お見合い相手の女の人、知り合いなんでしょう?
ですから、お見合いは断りましたってば。
わたしが聞いてるのは、そういうことじゃないわ。……わかってるんでしょう?
…………
私は胸に広がる苦いものを表に出さないよう苦労しながら、何気ないふうを装った口調で、彼女に説明した。
高校の時の先輩でしてね。卯月さんは女子空手部の部長だったんです。
私自身は、空手は道場に通っていたので、部活は茶道部だったのですが、生徒会の会計をやっていたので……部費の連絡など、各部活の人と接する機会もあったんです。
お互い空手が好きなので、そのことで少し話をしたこともあります。
ただ、学校の外で一緒に遊んだりするようなことはありませんでしたし、卯月さんが卒業された後は何年も会っていません。
だから、特別に仲が良いというわけでもなかったのですよ。
……ふうん……
……いやーあの頃はまだ髪がありましたからね。今会っても、卯月さんは私だと気付かないかもしれません。
それ以前に、頭が光ってて『うわあ眩しくて顔が見えない!』となったりして……
明了の口から他の女の人の話を聞くのって、思ってたよりモヤモヤするものね。
きっとこういうのを、ヤキモチを焼くって言うんだわ。
………………
内心で、ぎくりと動揺した。
ふて腐れたような、でもどこか興味深げな直から目を逸らして、ことさら声を明るくする。
はい、終わりましたよ。最後におまじないをかけておきましょうか。
ほ~ら痛いの痛いの、タイのムアンノーンブワラムプー郡辺りまで飛んでいけ~~~
引き戻そうとした私の手を、直がぎゅっと握った。
真摯な視線で見つめられ、射抜かれたように、動きを止めてしまう。
わたし……
わたしは、こうして明了に触れていると、どきどきするわ。
……直。
お嫁さんになりたいとか、好きだって言ったの、嘘だと思ってる?
わたし、変わり者だってよく言われるし、それはきっと本当なんだと思うわ。
わたしが普通にしてるつもりでも、ふざけたり、からかってるみたいに思われることはよくあるもの。
でも、わたし、いつでも真剣よ。人を騙したり、嘘をついてからかったりなんてしないわ。
それに……レディーだし、乙女でもあるんだから。
こういうことで、冗談なんて、言わない。……言えないわ。
…………
……ええ……わかっています。直が本当のことを言っているんだって、信じていますよ。
本当……?
じゃあ、明了の気持ちも聞かせて。わたしにこうやって触れていて、どきどきしたりしない?
こちらを窺う直の目は、彼女の言葉通りに真剣だった。
少し強張った細い指先が、きゅっと閉じられた唇が、直の緊張を伝えてくる。
……どきどきしないわけがないじゃないですか。
だって――直のような若いお嬢さんに怪我をさせてしまったのですから。
……え?
綺麗な手を、うちのパソコンのせいで傷だらけにしてしまって……
どんな高額な慰謝料を請求されるのかと、今から恐怖でドッキドキです!
…………
…………
……………………
あいたっ!?
直は手を離すと、すかさず私の額へデコピンを食らわせた。
頬を膨らませ、無言で抗議をしてくる彼女に、私はつい笑って誤魔化そうとしてしまう。
……ま、まあ、慰謝料は冗談としても。あのパソコンをただで頂くわけにはいきませんね。
元はうちのパソコンだったとはいえ、新しくした部品などは直が持ってきてくださったのでしょう?
材料費や手間賃、それに技術料も含めてお支払いしなくてはいけませんね。
後で、どれくらいかかったか――
……っ……
心臓が飛び出るかと思った。
直の大きな瞳が潤んで、涙がいっぱいにたまっている。
わたし……お金がほしくてやったんじゃない。
わたしって女の子らしくないし、美味しいお菓子も、手編みのマフラーも作れないけど……
でも、明了に贈り物がしたかったの。明了に喜んでほしかったの。
ただ、それだけだった……のに。
直はさっと立ち上がると、止める間もなく部屋を出ていく。
あ……
…………
追いかけようとしたものの、足が止まってしまった。
彼女のところに行ったとして、どんな言葉をかけられるだろう?
(……どうして、私は)
(何をやっても、人を傷付けてばかりで……)
靴を履く音。
玄関の扉が開く音。外へ駆けていく音……。
それらを聞きながら、私はただ、呆然としているしかなかった。