(ええっと……)
……直さんに突然抱きしめられた格好のまま、ちょっと固まってしまっていると、慌てたようにご長男が助け舟を出してくれた。
こ……こらこら、直。いきなり抱きついたら住職さんが驚くだろう。
えっ?
……あ! そう、そうよね。日本じゃ、お葬式でハグしたりすることはあんまりないものね。
ごめんなさい、住職さん。
彼女は素直にぱっと手を離すと、恥じらった様子で頭を下げる。
ああ……いえ、構いませんよ。直さんは普段、外国で暮らしていらっしゃるのでしょうか。
私にもハーフの知り合いが何人かおりますものでね、慣れているから大丈夫ですよ。
いやあ、すまんね。
それに直、会いたかったと言ってたが、住職さんは通夜の時にも来てくださっただろう。
だって……その時はわたし、涙が出てきて、うつむいちゃってたもの。
何人か来てくれてたお坊さんの誰が『明了ちゃん』かって、確かめる余裕がなかったわ。
(そうか……それで私の方も、彼女に気付かなかったのですね)
確かに近くで見てみれば、彼女の目許は泣いた後らしく赤かった。
それでも明るい心根が映し出されているためか、澄んだ瞳に翳りはなく、私をじっと眺めていて……
私の未熟さが全て見透かされてしまいそうな、少しバツの悪い気分になる。
……こほん。直さん、そんなに見つめなくとも、心配はいりませんよ。
私のこの頭は若ハゲではなく、剃っているだけですからね!
…………
……………………
…………
……すみません。ちょっとした和みになればと思ったのです。
い、いや……謝らんでもいいんだが。
……ああっ! そっか、住職さんは私が、『若ハゲかしら』って心配してると勘違いしたのね。
…………恥を忍んで説明しますと、本当に勘違いしたわけではなくてですね……
わかってるわ。そういう体の、ギャグだったのよね。うんうん。
…………
直や……そんなに、人の傷をえぐるもんじゃないぞ。
……べ、別に、ギャグがわからなかったとかじゃないわ。ちょっと考え事をしていたから反応が遅れただけなの。
考え事?
うん、話に聞いていたより、優しそうで素敵な人なんだなって。
直さんはてらいなくそう告げると、私をまっすぐな双眸(そうぼう)でとらえた。
え……
でも、まだ感じ取れない部分もあるの。住職さん、もっと近くに行ってもいい?
彼女は問いながら、早速私の方へ近づこうとする。
けれど――その直後に近くの障子が開き、慶道さんが顔を見せた。
住職、この後の段取りですが……
っと……すみません、お話の途中でしたか。
いやいや、こちらこそ忙しいところにすまんのう。
ほれ直、これ以上長話で邪魔をしちゃいかんよ。
はあい……。ごめんなさい、住職さん。
……いえ。では、私は少し失礼しますね。
お待たせしました、慶道さん。
いえ、それでは奥で打ち合わせを……
私達は直さん達から離れていくものの、彼女がまだこちらを見ている気配は伝わってきた。
(うーん、何とも不思議な方でしたねえ……)
(この前見かけた時に気になったのも、少し変わった感じがあったからかもしれません)
(でも、素直なところもあって……悪い人ではないのでしょうが)
・
・
・
……そんな予感は、お式を進めている間にも強まることになった。
いーい、カズヤ、トオル、トモコ。これからお葬式が始まるけど、わたしのそばで大人しくしてるのよ。
わかったよー。でも、今度のお休みに、推理戦隊タンテイジャーごっこね!約束したもんね。
ぼくブラックやるー。
あたしピンク~!
わかってるわ。わたしが悪の黒幕団をやってあげるから。騒いだりしないで、きちんと座ってるのよ。
(おや……。直さん、小さい子達の面倒を見ているのですね)
さて……それでは、少しだけお話を。
『倶会一処(くえいっしょ)』という言葉がございまして、
故人とは永遠の別れではなく、いつか浄土でお会いできるという……
(…………あ)
……すう、すう……
(はは……直さん、経を聞く間に眠ってしまったのでしょうか)
・
・
・
浄恋寺
ああ……寂しいけど、和やかな葬儀だったのう。
それでは足労をかけるけど、住職さんにも火葬場に来てもらえるかね。
ええ、もちろんです。私もすぐに参りますので。
母さんも住職に最後まで見送ってもらえると喜ぶだろうし、すまんが頼むよ。
…………
……ん? 直、どうしたんだい。皆と火葬場に行くぞ。
う、うん。……あの、住職さん。
はい……?
さっきは、その……居眠りしちゃって、ごめんなさい。
……えっ。
思ってもいなかった謝罪を受けてきょとんとしてしまうけれど、彼女は私が何か言うより先に、そそくさと去っていってしまった。
(…………)
(……ふふ……。本当に、悪い人ではありませんね)
・
・
・
次いで初七日法要も執り行い、日が落ちた頃に精進落としの会食が始まると、お堂は賑やかさで満ちる。
住職さん、ありがとうな。ええお別れができたと思う。
そう言って頂けると、何よりです。
遺族の方々は参列された人達へ挨拶に回り、あちこちで思い出話に花が咲いているようだ。
(…………おや?)
堂内を見回していた私は、あることに気付いて視線をさらにさ迷わせる。
すると近くにいたご婦人……直さんの伯母にあたる方が、私に声をかけてきた。
きょろきょろしてどうしたの、和尚さん。
ああ、いえ……直さんがいらっしゃらないなと思いまして。
あら……そう言われればそうね。直ちゃん、さっきまで確かにいたんだけど。
お手洗いにでも行ったのかもしれないけど……ちょっと心配だわ。あの子、変わってるところがあるから。
変わっている……と言いますと。
実は直ちゃんね、すごく頭がいいらしいの。何でも飛び級で、海外の大学に通っているそうよ。
ほら、トメさんの家電メーカーあるでしょう? それで、技術提供っていうのかしら……
あそこの製品に、直ちゃんのプログラムだか何だかが使われたりもしてるらしいの。
例えば、お部屋の家電を声で操作できたりとかね。すごく精度がいいんですって。
ははあ、それはすごいですね。
……その割に、結構道に迷ったりもするらしくて。ちょっと抜けてる部分もあるのよねえ。
……それはそれで、彼女らしいというか。
いえ、今日がほとんど初対面なのに、こういうのもおかしいのですが……
ふふっ、でも、わかるわ。直ちゃん、頭がいいのに気取ったところがなくて、素直でわかりやすいもの。
だから、放っておけないのよね……
お手洗いの場所がわからなくて迷ってるのかもしれないし、私、探しに行こうかしら。
それでしたら、私が行って参りますよ。
えっ、でも、精進落としの主賓は和尚さんなのに……
皆様は積もる話もあるでしょうし、ゆっくりなさってください。
トメさんのため、お忙しい中せっかく集まってくださった方達です。
こうして皆で故人を偲ぶのも、お見送りの一環ですよ。
……そう……ね。じゃあ悪いけど、お願いできるかしら。
ええ、それでは、少し中座させて頂きますね。
・
・
・
月の光が静かに落ちる縁側を歩きながら、直さんを捜す。
(さて。大して広くもないですから、すぐに見つかるでしょうが……)
という予想は、すぐに当たった。
精進落としが行われている客殿(かくでん)の方ではなく、本堂の縁側に、彼女がぽつんと座っている。
それなのに……一瞬、見間違いかと思ってしまった。
…………
ぼうっと遠くを見つめているその横顔には、会った時やお式の間に見せていたような溌溂(はつらつ)とした明るさがなかったからだ。
道に迷って困ってしまっているのでもない。好奇心で、寺のあちこちを見ていたふうでもない。
寂しくて仕方がないというような表情だった。
…………
特に足音を消すでもなく歩いていくが、直さんは反応を見せない。
数歩手前で立ち止まって、そっと呼びかける。
……直さん?
その声にやっと、彼女はこちらを向いて。
ぽろりと一粒、涙をこぼした。
住職さん……
……こちらにいらしたのですね。
ごめん……なさい。勝手に抜け出したりして。
いえ、いいのですよ。
大切なものを失ったとき、誰かとその痛みを分かち合いたいと思うか、ひとりで心を落ち着けたいと思うか……
悲しみの和らげ方は、人それぞれですから。
…………
直さんの細い腕が、ぎゅっと自身の膝を抱え込む。
ねえ、住職さん。
わたしの話を……聞いてくれる?