……それでは、よろしいでしょうか。

はい！

そうですね……仏教といっても、色々な宗派があることはご存知だと思います。

まずは最初に、ここの宗派や、その成り立ちについてお話しますね。

私達の宗祖である、法然上人……このお名前を聞いたことはあるでしょうか？

うん。本当に、ちょっと聞いたことがあるくらいだけど。

当時の仏教というのは、つらい修行をして、厳しい戒律（かいりつ）を守ってこそ、悟りが開けるという考え方でした。

（………………）

しかし、荒れた平安時代末期、庶民は生きるだけでもままならず、修行をする余裕などとてもありません。

飢えに耐えかねて、盗みなどの罪を犯さざるを得ないこともあったでしょう。

また、漁師などの職についている人が、『殺生はいけない』と言われても、守れるでしょうか？

（……明了の声って……）

ほとんどの人が、仏罰を深く信じていた頃の話です。

生きるためにやむなく戒律を破ったり、悪事に手を染めながら、誰もが地獄に落ちることを恐れていました。

（とっても優しくて……何だか……）

しかし、法然上人は、本当にみ仏の救いが必要なのは、そういう人達にこそではないかと――

（……………………）

…………

……おやおや。

…………

…………ん……？

（何かの書類を書いてるのかしら？

（綺麗な字ね……）

（…………）

――――はっ！？

（わたし、横になってて……毛布がかけられてて……）

（……きっと、お話を聞いてる途中で寝ちゃってたんだわ！）

もう少し寝ていても構いませんよ。

……あ……

ち、違うのよ、わたし……

はい？

決して、明了のお話がつまらなかったとかじゃないの。

でも、明了の声や話し方が優しいから、つい心地よくて……

あの……ごめんなさい。

……ふふ。

いいのですよ、謝らなくて。

トメさんのことが心配で、最近あまり眠れていないのではありませんか？

特に、昨日はお式があったばかりですからね。直が、ぐっすり安眠できたとは思えません。

…………うん。その通りよ。

（やっぱり明了は、魔法使いみたいだわ……）

で、でも、もう大丈夫だから。次はちゃんと起きてるから、続きを聞かせて。

直。

寝不足では、何を聞いても頭に入りませんよ。今はゆっくり、お昼寝なさい。

でも……

私はそばで、書類仕事でもしていますから。それなら寂しくないでしょう？

…………子供扱いして。

（……本当に、子供扱いだわ。わたし、レディーなのよ）

……またいらしたんですか。

駄目だったかしら？

いいえ、訪ねてきてくださる方に閉ざす門はございませんよ。

ただ、少し心配になったのです。海外の大学に通われているとのことですが、そちらの方は……？

今は休暇中だからいいの。心配しないで。

それより昨日のリベンジよ。今日こそお話を聞かせてちょうだい。

（……よっぽど心労があったのか、昨日の直は、夕方まで眠ってましたからね）

たっぷり休んで顔色もいいようですし、もちろん今からでも……

……と、言いたいところなのですが……

実は今日はこれから用事で、外出しなければいけないのですよ。

あ……そ、そうよね。明了にも、都合っていうものがあるわよね。

じゃあ、明了の都合のいい時間を教えてもらえるかしら？

そうですね……

……そうだ。直は、今どちらから通われているのですか？

今？　大おばあさまのおうちで一部屋お借りして、そこに泊まっているわ。

トメさんのお家に……ここからすぐ近くですね。

では、私の用事はお昼頃には終わりますから、一度トメさんのお家に帰られて、その頃にまたいらしてはいかがですか？

………………

……ねえ、明了。それもいいんだけど……

明了がいない間、わたしにお掃除をさせてくれない？

掃除……ですか？

うん。掃き掃除でも、拭き掃除でも、お片づけでも。

重い荷物運びとか、日曜大工だって大丈夫なんだから。……多分。

（多分……）

もちろん、入っちゃいけないところとか、触っちゃいけないものには勝手に近付いたりしないわ。

ただ、大おばあさまを見送った場所だから……

そのお礼も兼ねて、何となく……綺麗にしたいなって思ったの。

…………

（……ここでむげに断るのも、心苦しいですね）

（直の気持ちは嬉しいし、尊いものだと思いますし……）

……わかりました。それでは、ちょっとこちらへ来てもらえますか。

では直には、客殿の畳を掃いたり、縁側の拭き掃除をお願いしてもいいでしょうか？

道具はここに入っておりますし、水道はあちらですので。

疲れたら休憩したり、家に帰ってもらっても構いませんからね。

大丈夫。頑張るわ！　明了が帰ってくるまでに、ぴかぴかにしておくから……！

あ、あはは……。頼みましたよ。

（思ったより早めに帰れましたが……直はどうしているでしょうか）

（おや……？）

こんにちは、早瀬さん。

おお、和尚さん。すまんね、邪魔しとるよ。

いえいえ、お元気そうでよかった。最近少し、具合を悪くされていると聞いたもので。

それなんだよ。いやあ、本当に助かった。

え……？

実はな、ここの門前を歩いとる時、少し気分が悪くなって、うずくまってしまったんだよ。

そうしたら若い娘さんがわしを見つけて、お堂で休ませてくれてのう。

なんでも、和尚さんの『お嫁さん候補』だというじゃないか。

…………

…………え？　お嫁……

持っとった薬を飲んだからもう大事ないんだが、それにしても親切な娘さんだ。

…………

（……『お嫁さん候補』は直の自称でしょうね）

（よりにもよって、噂好きな早瀬さんに……）

和尚さん、いい相手を見つけなさったのう。

……広めないでくださいね。

ほっほっほっほ。

――早瀬のおじいさま！

ご家族の方に連絡がついたわよ。すぐ迎えに来てくださるって。

おお、ありがとうなあ、助かるよ。

…………

………………

も、もう帰ってきたのね。お帰りなさい、明了。

あ……ええ、ただいまです、直。

ところで、その格好は……？

家に帰って、着替えを取ってきたの。お掃除をする時、服が邪魔になったり汚れたりしちゃうから。

…………変？

い、いえ。

それと……勝手にお茶を出しちゃってごめんなさい。後、電話を使ったのも。

……いえ。素晴らしい行いですよ、直。

本当？　良かった……。怒られたらどうしようって心配してたの。

怒られるかもと思いながら、早瀬さんのために行動せずにはいられなかったのですね。

直は優しい心の持ち主だと思います。

……え、えへへ……

仲良きことはいいことじゃのう。

…………

…………広めないでくださいね。

ほっほっほっほっほ。

（嫌な予感しかしませんが……それを今考えても、仕方ないといえば仕方ないことです）

（それより……）

直。丁寧に掃除してくださって、ありがとうございます。

お寺は、代々の住職から受け継いできたものでもありますし、老朽化した部分を修繕するときは、檀家さんのご協力を受けることも多いのです。

お寺は僧侶の私物ではなく、皆様あってのもの。

単に清潔にしておこう……というだけでなく、大切に使う気持ちが大事です。

直の真心、よく伝わりますよ。ありがとう。

……うん！

（まあ、私がちょっとからかわれれば、それで済むことです）

（むきになって否定することもないですかね）